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紫霧を纏う毒使い  作者: 雨請 晴雨
夢見た世界で少年は
78/124

あの人はいまーシンリー 3/3 3

お読みいただきありがとうございます。


さんわめ。

「ぬぅ……なにかあったんじゃろうか。いや、我が勇者をどうこうできる者がそうおるとも思えん。じゃがしかし……。やはりあの宿屋で帰りを待っとった方が良かったかのぅ。ああせめてあの小娘は置いてくるべきじゃった。なんにせよ、めんどうなことになったぞ……」


 あごに手を当てながら円を描くようにその場でうろうろするミルネアシーニ。

 あーでもない、こーでもないと言いながら必死にどうするか考えている彼女だったが、近づいてきた気配を感じたため動きを止めてそちらを向いた。


 そこにいたのは長身の女性だ。

 汚れひとつ見えない白い毛皮の服を着ている、鋭い目付きが特徴の女性。

 彼女は外に出ていたミルネアシーニに気付くと、すぐに近寄ってきた。


「アノ場所ニハ、イナカッタ」


 少し聞き取りづらい発音ではあったが、ミルネアシーニはその言葉に頷いて返す。


「じゃろうな。逆にまだ宿屋にいたのならシバいとるわ」

「ドウスル」

「……」


 妖しく揺れる両眼に見据えられ、一瞬たじろいだミルネアシーニだったが、目を閉じると同時にため息をつき平静を保った。


「安心せよ。一度引き受けた手前、そう易々と放り投げたりせんわ。予定は少々狂ったが、あやつ抜きでやるしかないの」


 言いながら、ミルネアシーニは昨日のことを思い出す。

 目の前の彼女と出会った時のことを。



 時間は戻って昨日。

 シンリが部屋を出ていったあと、エンテとミルネアシーニは特に何事もなく朝食を終えた。


「それで、シンリ様が知ろうとしていることを、ミル様はご存知なのですか?」

「あー、なんじゃったかのう。ぬしに会う前にそんな会話をした気もするが……」

「覚えてないのですね。あ♡ そこにあるシンリ様のローブ取ってもらえませんか?」

「……」


 いきなりのエンテの要求に思わず閉口したミルネアシーニだったが、ステンドに来るまでにも何度かそのような事があったので黙ってローブを渡した。


「すーはー、すーはああああぁ♡」

「おぬし……なんというかすごいの。こう見えてもわしはかつての王であり、この街くらいなら消し飛ばせる程の力は持っとるんじゃが」

「ふふ、本当に『こう見えても』ですね」

「うるさいわ! というかそういうとこじゃ、そういうとこっ!」


 ローブで口元を隠して笑う……訂正、ローブの匂いを嗅ぎながら笑っているエンテを見てミルネアシーニは諦めたように苦笑した。


「別に敬えなどとは言うつもりはないがの、もっとこう、強大な力を前にして恐れるとかあるじゃろ。ただでさえひ弱な人間……加えてぬしに至っては簡単な魔術すら行使できぬ体質というに」

「いやですね、ミル様。死んだように生きてきたわたくしに、今さら死を恐るような感情が残っているとでも?」

「む、むぅ」

「それに、ミル様に失礼な態度をとってシンリ様に嫌われたりでもしたら、もう死ぬしかありませんし!」

「いやぬしの我が勇者に対する態度も割と失礼なものが多いぞ!?」

「シンリ様はあれくらいではなんとも思いません!」

「出会って日の浅いぬしが、あやつの何を知っとると言うんじゃ……」

「全てを」


 呆れたように半眼で言うミルネアシーニに、エンテはまるで恋する乙女のように頬を染めて答えた。


「全てを知りたいと、そう思っています」

「……そうか、そうか」


 純粋な少女の想いに毒気を抜かれたミルネアシーニはエンテの頭を撫でようと手を伸ばす。

 が。


 ペちん


 あとすこしで髪に触れるというところで、ミルネアシーニの手は他でもないエンテの手によって叩かれた。


「あ、この身体も心もシンリ様の物なので、シンリ様以外にわたくしに触れるとか、なしです」

「過去最大級に失礼な態度なんじゃが!?」


 なにかひとつでも文句を言ってやろうと、ミルネアシーニは口を開いて、しかし言葉を飲み込んだ。


 目の前のエンテが楽しそうに笑いながら、けれどその一方で瞳を不安気に揺らしているのに気付いてしまったから。

 エンテが何をしようとしているのかに、気付いてしまったから。


 エンテは距離を測っているのだ。

 どこまでが許されて、どこまでが許されないのか。

 どこからが踏み込んではいけないラインなのかを。


 幼少の頃からずっと他人と関わらず、独り閉じ込められていた少女。

 正しい人との繋がり方など、分かるわけもない。

 それでも頭のいい彼女は、知る必要があるから知ろうとする。

 相手を不快にさせてしまうかもしれないから、気取られないように注意を払いながら。内心嫌われないだろうかとびくびくしながら、探ろうとする。


「……」


 ミルネアシーニは、なめられたものだと目を細める。

 エンテの頭にたどり着けず、さまよっていた右手を彼女の額の前に持ってきた。


「えいや」

「くぅ!」


 デコピン。

 エンテは一瞬なにをされたか分からず、瞳に涙を溜めてミルネアシーニを上目遣いに睨む。


「な、なにをするのですか!」

「わしを誰じゃと心得る! 古き森の王ミルネアシーニであるぞ! つまらぬ顔色伺いなぞせんでも良い。ぬしがどのような言動をしようが、些細なことで心を動かされたりせぬわ。寛大な心、広大な器。それが王というものじゃ」


 それを聞いてエンテは数拍まばたきをして、言われた言葉を理解し少し恥ずかしそうに顔を赤らめる。


「……気付かれていましたか。いえ、隠し通せるなどとは思ってもいませんでしたが」

「王に隠し事なぞ無意味じゃ」

「『こう見えても』王様でしたね、ミル様は」

「一言余計じゃぞ」


 くすくすくす、とエンテは笑う。

 それにつられてミルネアシーニも頬を緩めていると、部屋のドアがノックされた。


「どうぞ」


 エンテがそう促すと、ドアが開く。


「っ!」


 そこから現れた人物を見るや、ミルネアシーニはエンテを守るように彼女の前に立ち、魔術を使うために空中に文字を踊らせる。


「こんなにも接近されるまで気付けぬとは……」


 気を抜き過ぎていた自分を恨みながらも、即座に魔術式を完成させ魔術を発動させる。

 対象の脳に直接作用させ、相手を目覚めることのない幻術へと引きずり込ませる古代の魔術。


「『囁く惑花の奇声(ルゥル・ラァビィ)』」


 相手と、ミルネアシーニだけに巨大なラフレシアのような花が見える。

 植物と言うよりは生物。花びらに囲まれた中心は口であり、奇妙な音を放っている。

 耳をつんざくような、しかし中毒になってしまいそうな程に快楽が感じられる音が脳を揺さぶる。

 相手は覚束無い足取りで一歩一歩前へ進み、自らその口の中に飛び込んだ。


ーーーー

ーーーー


「み、ル、さま……」

「っ!? エンテか!? なにを!」


 文字を書いていたはずの手はエンテの首を絞めていた。

 呪文を唱えていたはずの口はエンテに呪いを囁いていた。


「ごほっごほっ、けほっ」

「す、すまぬ。すぐに呪いを取り除く」


 エンテから手を離し、治療魔術で彼女を蝕む呪いを除去する。


「争ウ為ニ来タノデハナイ」

「……そうか、幻覚に惑わされていたのはわしの方か」


 もしもあのまま術が解除されなければ、ミルネアシーニはそのままエンテを殺してしまっていただろう。


 ミルネアシーニはもう一度ちゃんと来訪者を見た。

 『彼女』はまだ初めの位置から一歩も動いておらず、特徴的な鋭い目付きでこちらを見ていた。


 ただの人間に見える。

 少なくとも、エンテにはそう見えるはずだ。

 だが、ただの人間だなんてとんでもない。

 そこに立っている女性は正真正銘の──。


「して、人化まで果たした魔物が、何用じゃ」

「マズハ、場所ヲ移シタイ。ココハ人間ノ匂イガ強過ギル」


 作り物のように整った顔を歪めながら、彼女──リグニアはそう言った。



 場所は廃研究所。そこでリグニアは事情を話した。


 彼女がこの街にいる理由は、人間に奪われてしまったものを取り戻したいというものであり、エンテたちを訪ねた理由はその手助けを頼みたい、ということであった。


「ぬしほどの力があれば、人間程度どうとでもなるじゃろ」

「イイヤ。我ノ能力ハ幻術ヤ、幻覚ダ。現ニ、貴様ラガ結界ヲ壊スマデ、我ハコノ中ニ入ルコトスラ出来ナカッタ」

「なるほどのぅ」


 残り香を追って、目的の物がステンドにあると突き止めたまでは良いが、結界に足止めされている間に匂いが薄れてしまい、街中で足取りが掴めなくなってしまったらしい。

 一人での捜索に限界を感じたため、結界を破った者の匂いを辿って、助力を請いに来たのだ。


「無償デ、トハ言ワナイ」


 それを聞いてミルネアシーニはぴくりと眉を動かした。


 目の前にいる存在は、術に掛けたことも気付かせずに敵を惑わせる化物だ。

 相手の間合いに入っている以上、ミルネアシーニに今この場で出来ることは無いし、奇跡が起きて幻術を抵抗レジスト出来たとしても、エンテを守りながら戦うのは無理だ。


 故に、どのような無理難題だろうと手伝う以外の選択肢は無かったのだが、リグニアは力づくで従わせるのではなく、メリットを提示してきた。


(これは……それほどまでに急いておる、ということかの)


 ミルネアシーニはそう判断した。


 ここで下手に断り、リグニアと敵対したところで何一つ得るものは無い。

 報酬があるというのなら、相手の気が変わらない内に引き受けるのが最善の手だろう。


「分かった。ではまず話を聞こう」


 翌朝シンリが行方不明になり、実質一人でリグニアの探し物をするなんて、この時のミルネアシーニは知る由もなかった。



 学術都市ステンドには、とある都市伝説めいた噂話がある。

 曰く、人が消える。

 ふらりとステンドに立ち寄った旅人がいなくなった。街に入った商人が出ていったのを見ていない。学園を抜け出した生徒が帰ってこなかった。迷子の子供が戻らない。いつの間にか近所の家がもぬけの殻になっていた。など。

 まあ所詮は噂話に過ぎない。

 実際は事件などになったなんて話は誰も聞いたことはなく、都市伝説として暇つぶしの会話にされるだけだ。


 けれど、火のないところに煙がたつはずがない。

 火はあったのだ。ただ、都市自体が全力で揉み消しにかかっていただけで。


 つまるところ、実際に学術都市では人が消えるのだ。

 真実を述べるのなら、研究員が攫い、それが表沙汰にならないように都市が処理する。


 そしてその行先はステンドの至る所に存在する地下研究所、そのいずれか。


 睡眠中に寝惚けて魔法を使った旅人と思われたシンリも例に漏れず、人知れず攫われていたのだった。




 シンリが自ら意識をオフにしてからぴったり24時間が経過した。

 寝起き特有の気だるさや億劫さは微塵もなく、シンリは鮮明とした意識を持ちながら目を開ける。


「宿屋……じゃないな」


 目を開けてすぐ視界に入った鉄格子を眺めてそう呟く。

 目の前に牢屋があるのかと一瞬思ったが、どうやらシンリが牢屋の中に閉じ込められているらしかった。


 ふむ、とまずは状況を理解するため首を動かして周りを見る。


 地面を掘って広げて固定したような空間。

 天井から伸びた鎖に両手を縛られ、足が地面に着かないように吊るされている。

 横を見れば、同じような手錠はあれど、シンリ以外に拘束されている者は見当たらない。

 だがうめき声やらなんやらが響くように絶えず聞こえてくるあたり、どうやらほかの牢屋には自分以外にも何かいそうだ。


 いそうだ、というか、正面の牢屋に普通に何人かの人間が押し込められるように囚われていた。

 特に老若男女の区別は無さそうだが、男性が多いように見える。

 唯一統一されているものと言えば、着ている衣服だろう。

 人により薄汚れていたりするが、現代の病人服のような白い服を身に付けていた。


「おい」


 シンリは彼らに声をかける。


「あー? あーあー、あー……」


 返事ではない。

 さっきからずっと虚ろな目で呻いている者の声だ。

 他には壁に頭をぶつけ続けている者や、殴りあっている者、俯いている者などがいる。


「どうした?」


 だが、そんな中にも会話ができる者も混ざっていたようだ。

 シンリは、ここはどこか、彼らはどうしたのかなど、現状に対する疑問を尋ねる。


 返事をした男は皮肉気に笑って言った。


「すぐに分かるさ。嫌でもな。地獄へようこそブラザー」

「そしてさよならだブラザー」

「あ?」


 ロクな情報も寄越さない者に構う必要はないと判断し、シンリはここからの脱出を試みる。


「ん、魔法が使えないな」


 ある程度の魔法が使えるのなら、手錠や鎖など破壊するのは簡単だ。その対策をするのは考えてみれば当然に思える。


 だがシンリにとって魔法など手段のひとつでしかない。

 彼はもごもごと口を動かし、ぺっと口の中のものを足元に飛ばした。


 ぴちゃり。

 そう音をたて下に落ちたのは噛み切られた舌だ。


 聖霊特有の白銀色の血液。

 それらが地面に染み込むのと同じように、舌の切れ端も地面に吸い込まれてゆく。


 数秒後、小さな芽が生えた。

 それはすぐに成長し、しかし留まることなく天井を突き破る。

 この時点でシンリを拘束していた鎖は壊れて自由になっていたが、木はさらに大きくなり、それに伴って大きな揺れが辺りを襲った。


「うぉぉおおおおお!?」

「な、何事だ!」

「に、逃げろ! 崩れるぞ!」

「ギシャアアア!!」「ブルゥウウウウウ!」

「待て! こいつらが地上に出たら……うわぁぁぁ!!」

「来るなぁ! 来るなあああ!」


 この場合、正気を保てていた者と、精神を壊されていた者、どちらが幸せだっただろうか。


 揺れにより鉄格子は壊れ、他の部屋に囚われていた人間以外の生物が暴れ出す。


 学術都市ステンド。知識と情報を求める街。

 行き過ぎた好奇心、限度のない知識欲。それらは理性など簡単に壊し、倫理観など容易く捨てさせた。

 人目につかない暗い地下研究所。そこでは人間も魔物も関係なく実験動物として扱われ、研究材料として弄くり回される。

 人権も尊厳もそこにはなく、非人道的行為が毎日のように行われていた。


 それが、踏み込んではならない領域に手を染めてしまった学術都市ステンドの闇。


 その闇が、これまでのツケを支払わせるように、何も知らない住民が暮らす地上へと溢れ出た。

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