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紫霧を纏う毒使い  作者: 雨請 晴雨
夢見た世界で少年は
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あの人はいまーシンリー 3/3 2

お読みいただきありがとうございます。


にわめ。

 シンリたちが学術都市ステンドへの侵入を果たしてから一晩が経過した。

 彼らは宿を一部屋借りて、今はベッドにエンテが眠っている。

 シンリとミルネアシーニは、一晩中エンテを見守っていた。


「では、こちらが朝食となります。食器類はお昼までに扉の前に置いていていただければ、こちらで回収いたしますのでよろしくお願いしますね」


 宿屋で働いている少女が3人分の朝食をシンリたちの部屋に運んできた。

 ちらりと部屋の中を見た彼女は、見るからに具合の悪そうなエンテに少し驚き、おずおずとシンリへ言う。


「あの……妹さん、ですかね? 大丈夫ですか?」

「妹じゃないし、問題もない。寝ていれば治るだろう」

「そうですか……。もしも、わたしにできることがあれば声を掛けてくださいね」

「ああ。そうするよ」


 少女が部屋から出ていく。

 シンリは受け取った朝食を机の上に置き、再びベッドの前にあるイスに腰掛けた。


「……、」

「ん、起こしたか?」


 エンテが目を開けて自分を見ていたことに気付いたシンリはそう言って床に膝をつけ、横になっている彼女の視線に合わせる。


「シンリ様……」

「体調はどうだ?」

「……ええ、まだ少し身体が重いですが……ずいぶん楽になりました」

「そうか。食欲はどうだ? ちょうど朝食が来たところだが」

「いえ、まだ噛んでのみこむほどの体力があるかどうか……」


 と、そこまで言ってエンテは少し考えるように口を閉じた。

 そして布団で顔を半分ほど隠し、頬を染めて言う。


「し、しし、しかしながら、お腹は空いておりますので、そ、その……く、口移しで……」

「あいや任された」


 既に朝食を食べ始めていたミルネアシーニが、それらを口に含んだ状態でエンテに顔を近付ける。


「ち、ちがっ、ミル様にでは……」

「ん、ふぉれふぉれ、遠慮せずとも良いのじゃぞ?」

「し、シンリ様ぁ……」

「せっかくだし食べておけ」

「シンリ様ぁ!?」


 エンテの悲鳴が部屋に響いたところで、ミルネアシーニは食べ物を飲み込んだ。


「冗談じゃよ。ほれ、あれだけ叫べるのであればこのくらい問題あるまい。主のぶんじゃ」


 そう言ってミルネアシーニはエンテに朝食の乗っている皿を渡した。

 エンテは礼を言って受け取り、パンをちぎってスープに浸して口に入れる。


「あ……」


 自然と口からこぼれ落ちた声。

 シンリとミルネアシーニは何事かと視線をエンテに向ける。


「シンリ様……」

「どうした」


 エンテは自分の朝食をシンリに差し出して言った。


「口移しは諦めますので食べさせてください!」

「おい我が勇者。こやつ結構余裕あるぞ」

「お願いします! 後生ですから!」

「お主もう回復しとるじゃろ!」


 自分がいなくとも、ミルネアシーニだけで十分そうだ。

 そんな二人を見ながらシンリは立ち上がり、扉の前まで行って首だけ振り返る。


「じゃあ俺は少し街を見てくるから。後は頼んだぞ」

「わしにこやつの面倒を見ろと!?」

「ああっ! シンリ様ぁ―」


 シンリさまー、というエンテの声を背に、シンリはゆっくりと扉を閉めた。



 シンリたちがこの学術都市ステンドに来たのは偶然ではない。

 元々この街を目的地として移動しており、エンテの体調不良によって、いくらか早く到着したのだ。

 馬車を使うよりも飛んできた方が速いし。


 ちなみに馬車を含めた荷物の全ては最後に立ち寄った村に放棄した。

 もったいないとは思ったが、仕方がない。


 若干予定は狂いつつも、ステンドに着いたシンリにはやらなければならないことがあった。


 それは情報の収集だ。

 従妹である香取(カトリ) 看取(ミトリ)の転生先と目星を付けている『東の神童』についての情報。

 これまでも立ち寄った村などで聞いてみたりもしたのだが、分からない、既に死んでいる、世界を渡り歩いている、など様々な答えが返ってきた。

 どうやら、壁を作った『東の神童』という人物は知っていても、それ以来目立ったことをしていない神童は、外国にあたる王国ではそれほど有名人ではないらしい。

 

 というわけで、正確な情報を得るため知識の集まる学術都市ステンドに来たシンリは図書館のような建物に入って本を広げていた。

 入館料のようなものを普通は取られるようだが、姿を消して忍び込んでいるシンリには関係ない。

 そんなことよりも、シンリはもっと大きな問題に直面していた。


 知識を求めて学術都市に来たのは良かった。

 図書館を探し歩いて見つけたのも、まあいいだろう。

 職員に見繕ってもらった『神童』関連の本を机の上に重ね、調べ物をしようという形から入ったことは間違ってはいないはずだ。


 自分が文字が読めないということを失念していなければ。


 頬ずえをつきながら読めない言語の本のページをパラパラとめくり、最後のページにたどり着いたところで硬い背表紙を閉じた。

 やるせなさに机にうつ伏せて、意味もなくもう一度ページを最初から最後までめくる。

 なんとか読めないだろうかと十数分くらい本と睨みあっていたが無理なものは無理であった。


(……なにやってんだか)


 深い溜息をつきながらそう思う。


 やっと、探している『東の神童』の手がかりが見つかると浮かれていたのか。

 それに加えて会話が問題なく出来るというのと、生活に支障がなかったのもシンリ自身が文字を読めないことを忘れていた原因だろう。

 シンリが読めずとも、エンテもミルネアシーニも普通に読めたし、そもそも文字を読まなければならない機会も少なかった。


 まあ、文字については追々どちらかに教えてもらうとして。


「帰るか」


 シンリは机の上にある本をステフォに収納する。

 後は文字の読める二人に任せればいいだけの話だ。


「あら、もうお帰りですか?」


 図書館を出ようとしたところで声をかけられる。

 見れば、『東の神童』関連の書物を集めてもらった職員であった。


 そう言えば姿を消してなかったなと思いながら、シンリは彼女に言う。


「ああ。やるべき事は終えたからな」

「学生の方ですよね。課題ですか? 神童について述べよ、みたいな」

「まあ、そんなところだ」


 否定して設定を考えるのも面倒なので、適当に肯定する。

 職員は何度か頷くと、更に口を開いた。


 学術都市ステンドに住む人々は基本的に誰しもが勤勉であり、知的探究心が強い。


「謎ですよね、東の神童は。私も学生時代に研究対象にしてたんです。だって、同じ時代に生きていたんですよ。それが歴史的偉業を成し遂げたなんて、知ろうとしない人は人間じゃあないです!」


 だからこのように、自分の意見を聞いてもらえそうな機会があれば、それが見ず知らずの他人であろうと話に付き合わそうとする。


 聞いてもいないのにペラペラと喋り続ける職員に対し、シンリは好都合だと考え『東の神童』の情報を引き出すことにした。


 が。

 聞くまでもなく、彼女は今シンリが一番必要としている情報を口にした。


「あの子が死んでからまだ十年も経っていないって言うのも驚きですよね。教科書にも載っているのに」


 ……………………は?


 いま、このおんなは、なんといった?


「死ん、だ?」

「あ、もしかして生存説派ですか? いや分かりますよ。私も一時期そっちでしたから。死体が残ってないって言うのは色んな想像が膨らみますよね」


 でも、と。

 職員は楽しそうに自分の見解をシンリに聞かせる。


「知れば知るほど死亡説が濃厚になるんですよね。だって考えても見てくださいよ。王国から全王宮騎士団が。帝国から万を超える戦士たちが。神国から教会に所属する神術師たちが。三大国家が一丸となって、彼女の暮らしていた国ごと攻め滅ぼしたんですよ? そりゃあ死体も残らないでしょう。あの辺は今でも草一本生えない荒野だって聞きますし。そう、聞いてるだけなんですよねー。いや行きたいんですよ? 私も自分の目で見て地面を踏んで、そこの空気を吸って『ここにあの神童のいたのか!』とか叫んでみたいんですよ。でもお金とかの問題も……」


 彼女の言葉は途中からただの雑音としてシンリの耳から耳へと抜けていった。

 どうでもいい話を聞く余裕は今のシンリにはなかった。


「……もういい」

「そんなこと言わずに……え?」


 一瞬、彼女の視界が藍色の霧に遮られたと思えば、シンリの姿は跡形もなく消え去っていた。


「あれ、あの子は、どこ……に」


 強烈な眠気に襲われ、彼女は言い切る前にその場で意識を失い倒れてしまう。


 それと同時に、誰もいないはずの図書館の扉が開き、そして閉じていた。



 真っ昼間。大通りで人の多い道をシンリは今にも自殺しそうな顔をして歩いていた。

 しかし彼を心配して声をかけるような者は誰一人としていない。なぜなら彼の姿が見えている者もまた一人もいないからだ。

 にも関わらず、シンリの進む道は不自然なほど自然に人垣が割れており、茫然自失としている彼が他人とぶつかるようなことは無かった。


「東の神童が、死んだ。死んでいた」


 シンリは混乱していた。

 少なくとも冷静ではなく、これまでにないほど感情が揺さぶられており精神的に不安定であった。

 聖霊となって以来、人間性が薄れ、それに伴い感情の起伏もほとんどなくなっていたはずなのに。

 それほどまでにシンリは『東の神童の死』に衝撃を受けていた。


「神童は、ミトリ。もう、会えないのか」


 そう呟いて、首を振る。

 神童が香取 看取だと言うのはシンリの憶測に過ぎないのだ。

 証拠はない。根拠もない。ただその偉業、才能、行動がどうしようもなくシンリの知る従妹を想起させる。

 確証はなくとも、シンリはほぼほぼ確信しているのだ。神童が彼女であるのだと。


「何か、目的があって……」


 彼女は天才だった。化物だと言える程の天才であり、彼女以外に彼女を理解できる存在はいないと言える程の天才だった。

 そんな彼女にかかれば自分の死を偽装することなど容易いことのはずであり、もしその通りでそこに理由があったのならば、凡人であるシンリにその思惑を読み取るなど不可能だ。


 だが彼女は天才であるが、あくまで知力方面での天才なのだ。

 もちろん生前でもいくつかの武術や動作を極めており、銃火器を所持した複数の手練を相手にしそれらを撃退していた。転生して身体が幼くなっていたとしても、ある程度の相手なら倒すことが出来るだろう。


 しかし、あの図書館の職員は3つの国が全戦力を賭して国ごと攻め滅ぼしたと言ったのだ。それは流石にあのミトリだとしても『ある程度の相手』とは一笑に付せないだろう。


 王宮騎士の強さはシンリだって身をもって知っている。

 それの数百倍と言って足りるかも分からないほどの戦力を個人に対して向けられたのだ。

 東の神童が生きていると言うには流石に楽観が過ぎるだろう。


「……そうか、死んだのか」


 半身を削られたような喪失感。

 もう悲しみを感じないのは聖霊だからだろうか。


 シンリは足を止めた。

 エンテたちの待つ宿屋に着いたからだ。


 とりあえず彼女たちに本を読ませて情報を集め、それからこれからの事を考えようと考えながら、シンリは宿屋に入って階段を上がる。


「……これからのこと、ねぇ……」


 自分は、どのような思いでヒイラギたちの元を去ったのだっただろうか。

 確か、あの時はエルゼを、ネイロ村の人たちを皆殺しにされて、激情に駆られ、人間に対する憎悪で飛び立った気がする。

 ヒイラギやアキヅキ、シセルや残った子供たちにヒトを殺す自分を見られたくなくて、独りで行くことを選んだのだ。


「……あ」


 と、ふと今まで努めて考えないようにしていたエルゼのことを思い出す。

 ミトリだけでなく、自らの行いが原因で失ってしまった少女のことを。


「…………」


 部屋の前に立ち、ドアノブに手を掛ける。


 ──もしかするとミルネアシーニや、特にエンテなどはミトリやエルゼの代替品だと、そう思っているのではないだろうか。

 そんな思考が頭を掠めた。


 そうだとしても、せめて。

 いや、そうであるならばこそ、この扉の向こう側にいる彼女らだけは、死なせないように、もうこれ以上失わなうことのないようにしなければならないのではないか。


 そう思いながらドアを開けた。


 だが、その部屋には誰一人としていなかった。

 代わりに、部屋の真ん中に少し発光している文字が浮いている。


「……っ、」


 『東の神童』ミトリが死んだということを知り、これまでにないほど精神的に不安定である上、自分のせいで死んでしまったエルゼのことを思い出し、最後に残ったエンテまでもがいなくなっていた。


「読めねぇっつってんだろうがッ!」


 多大な精神的負荷(ストレス)がいっぺんにのしかかり、感情が爆発してしまうのは仕方の無いことだろう。


 屋内であることもお構い無しにシンリは片手で空を切り、かまいたちを文字に向かって飛ばす。

 かまいたちは文字を透過し、そのまま壁を壊していった。


「ちっ」


 舌打ちをしたシンリが文字を握り潰そうと触れると、頭の中に直接言葉が入り込んでくる。

 それは幼い少女の声で……というか、ミルネアシーニのものだった。


『少々事情があり、その部屋を移動した。詳しいことは合流してから話すゆえ、これを聞いたのならすぐに来てくれ。場所は西の郊外じゃ。では、待っておるぞ』


 声が聞こえなくなると同時に文字は霧散した。


 静かな部屋の外で、ざわざわと騒がしい声が聞こえる。

 シンリの壊した壁が原因だろう。

 その雑音すらシンリをイラつかせる要因となっていた。


「……明日でいいか」


 自分が冷静ではないと理解していたため、頭を冷やすためシンリはベッドに横になる。

 ドタバタと階段を駆け上がる足音を聞きながら、シンリは意識をシャットアウトした。



 翌日、学園都市ステンドの中の、廃棄された研究所のような場所。その地下。

 人が1人入りそうな、縦長の試験管らしきものがいくつも並んでおり、その全てが割れ、破片と謎の液体がそこかしこに散乱している。

 地下であるためもちろん陽の光は届いてはいないが、魔術的な電灯が設置されており、怪しい光を放っていた。


 そのような場所で、ミルネアシーニは傍らに眠るエンテに目を向ける。

 シンリの着ていたローブを布団替わりにくるまっているからか、彼女の表情は幸せそうだ。


 念の為、ミルネアシーニは自分の半身とも言える木刀をエンテの側に置き、ふよふよと浮きながら移動して外へと続く階段を昇った。


 眩しい陽の光に目を細め、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んでからミルネアシーニは叫んだ。


「あやつ来ないんじゃが!」


 じゃが……じゃが……と言う声が、人気の全くない寂れた場所に響いていた。

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