17.都合の良い夢を見ない⑥
お読みいただきありがとうございます。
槍を投げた瞬間、右腕が二の腕から破裂した。
人間の脳が掛けているというリミッターを無視して力を使った代償だろう。
限界を超えたからか、痛みは感じなかった。
だけど足は止めない。
呪鬼に向かって走り続ける。
投げた槍を前に呪鬼は壁のような結界を3枚作り出す。
槍はその結界を1枚貫き、2枚貫き、3枚目を貫いたところ、勢いの止まらない槍に流石に呪鬼も驚いたのか、一歩横にずれた。
それと同時に色の変わった左腕で槍を掴み、勢いに任せて身体を半回転させ僕に槍を投げ返す。
ガギンッ!
僕の身体は、目の前に迫ったその槍を自動で迎撃し、上に弾く。
しかし僕の全力に呪鬼の力が上乗せされた形で放たれた槍は人間の身体が耐えきれるものでは無かったらしく、右手同様に左半身も爆ぜるように壊れた。
しかし右手と違ったのは痛みだ。
想像を絶する痛みが僕を襲う。
あまりの痛さに気を失いそうになる。いや、気絶できたならどれだけ楽になれただろう。
皮肉にも痛覚が神経を刺激して、逆に意識を覚醒させていた。
それでも足は止めない。というか止まらなかった。
壊れた左手には槍が握られていたから、僕の意志が折れない限り、この身体は進み続ける。
身体が損壊していたとしても、関係ない。
だって、どうせ。
「直るんだろ」
治ると言うよりも、直る。
僕の身体は元通りに戻っていた。
傷はなく、痛みもなく、破裂したはずの右腕もある。
意識的に負傷を直したことで、この身体に何が起きているのかを、理解させられた。
正体不明だったスキル【※※】の情報が頭の中に流れ込んでくるようだ。あるいは、元からあった情報に僕が気付いたのか。
最低限の情報しかなかったけれど、分かったことはいくつかある。
これは決して『直す』という使い方のスキルではないこと。
それと、このスキルの発動に際して代償が発生しており、しかしその代償は僕以外の何かから支払われているということだ。
まあ、この際、何を代償に僕が全回復しているのかなどどうでもいい。
使えるものはなんでも使う。
呪鬼を殺せるのならば、それ以外の全てはどうでもいいんだ。
呪鬼が槍の間合いに入ったところで、僕は槍を両手で持った。
呪鬼も、接近してきた僕に対し拳を振るうけど、それよりも速く、僕の身体は腕を動かす。
想像するのはディナの槍術。
あの時、僕の身体を壊した槍捌きを僕の目は追うことが出来なかったけど、確かに見て、この身に受けた。
ならばこの、全自動槍の力をもってすれば、模倣できないはずもない。
繰り出されるのは、人の域を超えた神速で放たれる無数の刺突。
呪鬼は結界で防ぐ暇もなく、されるがままにその身体に穴を開ける。
いや、貫通はしていなかった。
結界ではない他の何かに、槍の威力は減らされていた。
「グッ、グウウゥ……」
「ああああああああっ!!!」
呪鬼の痛みを堪えるような呻きと、僕の叫びが重なった。
人の体で人を超える動きをした僕の身体は、融けていた。
それはもう、どろりと。
肩を中心部として、まるでロウソクや汗と同じように肉が地面に落ちていた。
筋肉がオーバーヒートを起こしたのだろうか。そんなことがあるのか。有り得るのか。有り得たのだからどうしようもない。
身体の内側に熱した鉄を流し込まれたような苦しみが僕を襲う。
呪鬼と僕のダメージ量で言えば、圧倒的に僕の方がダメージを受けている。
捨て身どころか自爆だ。自滅技だった。
それでもある程度冷静に物事を考えることが出来るのは、直ると分かっているからか、あるいは【※※】の効果なのか。
とりあえず直すことで苦しみは消えた。
「ぅ、……」
呪鬼の後ろで、アルエが倒れた。
血塗れで、ボロボロで、立っているのも限界だったのだろう。
意識は手放したようだけど、生きているのならそれでいい。
僕は後ろに跳んで、地面に刺さっていたもう一本の槍を回収し、呪鬼に向けて言った。
「来い。今度こそ、僕はお前を殺す」
最後の戦いが始まった。
〇
戦場は変わらず、森。
しかし、場所はいくらか移動していた。
ユラが、アルエを巻き込まないようにと考えた結果だ。
「ッッづああああ!!」
悲鳴と雄叫びが混ざったような掛け声を発しながら、ユラは二本の槍を振るう。
彼の槍の技量とは無関係に、彼の持つ槍の効果で一流以上の槍術が繰り出されていた。
その槍は人間の本来のリミッターなどお構い無しにユラの身体を酷使しており、一動作する度に彼の身体は壊れてしまう。
だが、人間を外れてしまった存在である呪鬼に対し、人間の限界を超えた攻撃は確かに有効だ。というか、ユラの身体を気遣うような攻撃では、呪鬼の防御を貫けない。
ユラの突き出した槍は結界によって阻まれるが、強度限界がきたのかその一撃で魔力へと霧散する。
がら空きとなった呪鬼へ、もう片方の槍で追撃した。
だが、呪鬼の武器は何も【結界術】だけではない。
もう一つの神術である【纏魔術】により、更に硬度を増した呪鬼の皮膚は、ユラの全力を持ってしてもそう易々と傷つけることはできなかった。
ほんの少しの刺傷から黒い血が滴るが、それだけだ。
それに対してユラの身体は、反動で折れた腕の骨が皮膚を突き破っており、苦悶の表情を浮かべていた。
すぐに距離を取り、傷を直す。
「……埒が明かない」
呟きながら、呪鬼の攻撃を避ける。
先程から、この繰り返しだ。
どれだけユラが捨て身の攻撃をしようと、呪鬼に与えられるダメージは微々たるもの。
それも、自然治癒力が高いのかすぐに塞がっており、めぼしい傷といえば、最初に付けたディナの模倣技だけだ。
あれだけは、確実に呪鬼にダメージを残していた。
「……覚悟を、決めないと、かな」
肉が潰れる痛みや、骨が折れる痛み。
あれらも何度も繰り返されれば発狂してしまう程の苦痛だが、まだ我慢出来ていた。
我慢というか、『いつ肉が潰れて』『いつ骨が折れたのか』が分かりやすいため、最低限の痛みだけで傷を直せるのだ。
だが、あの肉と骨が融けるのは違う。
攻撃が終わった瞬間直すのは当然としても、肉の融解は攻撃の途中から始まっているのだ。
攻撃中、肉が潰れ骨が折れ、その痛みが臨界点に達した時に身体は熱を持ち融け始める。
だが直せない。直せば、攻撃が止まってしまうから。
それは、呪鬼に対して決定的な隙になってしまう。
「痛くない痛くない痛くない……」
我慢するしかないのだ。
痛みを我慢すれば、呪鬼にダメージを与えられる。
呪鬼を殺すまでに、何度あの痛みを我慢する必要があるのかだけが気になるが。
「……痛みを覚悟するのって、予防接種くらいだったのに」
あまりの比較対象に、笑ってしまう。
なんだか、久しぶりに笑った気がした。
気が付けば、彼は蒼槍を地面に突き刺して、紅槍を両手で構えていた。
〇
それからはただの作業だった。
放ち、直し、放ち、直し、放ち、直す。
いつの間にか、ユラは融ける苦痛すらも慣れ始めていた。
呪鬼の攻撃も避けることなく、受けて、直す。
ただ、一撃で死ぬような攻撃は流石に対処していた。
失われた命を『直す』ことが出来るのかは分からなかったからだ。
無傷のユラに相対する呪鬼は、もはや穴だらけであった。
夥しい量の黒い血液が地面を濡らす。
反則的な相手。不利な状況。
しかし、呪鬼がユラを無視して逃げるような気配はない。
死してなお受け継がれるのが『呪鬼』であるため、死を恐れる必要がないからだ。
だから力の限り、本能の赴くままに暴れ続ける。
だが、それももう終わりに近い。
血を大量に流し体力を失い、神術の使い過ぎで魔力もほとんど尽きている。
いくら人間を超えた化物と言えど、その力にも限界はあるのだ。
【纏魔術】で作った魔力の腕は、とうに消え去っている。
身体に纏う僅かな魔力の鎧も、おそらく次の攻撃を防ぐのがやっとだろう。
呪鬼は、目の前の小さな人間を見据えた。
彼が槍を構える。
まただ。
見えない攻撃が、呪鬼を襲う。
【結界術】で勢いを殺し、【纏魔術】で防御力を上げてなお、呪鬼の強固な肉体を貫く連撃。
人間は泣き叫びながら、呪鬼を攻撃する。
「グウウゥゥゥ……」
予想通り、【纏魔術】は解除された。
次はこの命が貫き殺されるだろう。
人間の融けた身体が修復され、彼はまた槍を構えた。
もはや呪鬼に反撃する気力は残っていない。
だが。
呪鬼は不可視の槍に拳を合わせた。
このままなす術なく殺されるのは嫌だと。
そう思ったのは、素体となった人間の想いか、あるいは呪鬼を受け継いだ誰かの残滓か。
何十回何百回と神速の槍を受けた呪鬼は、見えないはずの攻撃を見切ったのだ。
そこで一つの奇跡が起こる。
拳とぶつかり合った槍が、砕けた。
それはある意味当然だったのかもしれない。
ユラの身体同様、あるいはそれ以上に酷使されていたのだ。
全力と全力のぶつかり合いの末、その槍に限界が訪れていたのだろう。
キラキラと紅い破片が舞い散る中、呪鬼はもう一度腕を引き絞った。
そこに、一縷の勝機を見出して。
「ガアアアアアァァァァ!!」
けれどユラにはもう一本の槍があった。
壊れた槍を手放して、傍に刺してあった槍へと持ち替える。
本来ならば、槍の効果で引き出されていたディナの槍術はもう使えないはずだ。
だが、幾多の回数を重ねたユラの身体にはその動作が染み付いており、彼は彼自身の力を持って人を超越した槍術を繰り出す。
「はあああああああっ!!!」
これが本当に最後の攻撃になるのだと、両者直感で理解した。
ーー。
ユラの槍は呪鬼の心臓を貫き。
呪鬼の拳もまたユラの左胸に空洞を開けていた。
「ガッ……」
倒れたのは、呪鬼だった。
地面に横たわり、自分の命が失われていくのをただ感じていた。
ユラは立っていた。
身体は元通りに直っており、もはやその身体に傷一つない。
だが、今のは意識的に直したのではなく、失われた命が自動で修復されたのだ。
死すらも超越していたのだと、ユラは理解した。
「あ、ああ、」
ユラはその場に崩れ落ちた。
「ああああああああ……」
呪鬼が事切れたのか、自分の身体に何か異物が流れ込んできた感触があった。
だがユラには、そのような事を気に止める余裕は微塵もなかった。
「ああああああああああああああああ!!!」
処理しきれない感情が、意味の無い叫びとなって吐き出される。
ユラは理解したのだ。
自分が何を代償に傷を直し、何を犠牲に命を直したのか。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ユラの心はついに限界を超え、意識を手放した。
次、終わります。




