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紫霧を纏う毒使い  作者: 雨請 晴雨
夢見た世界で少年は
73/124

16.都合の良い夢を見ない⑤

お読みいただきありがとうございます。

 激しい攻防が続いていた。


 両者、一瞬でも気を緩めればそれが致命的な隙に繋がる。それが分かっているからこそ迂闊に攻め入ることが出来ず、決め手に欠けていた。


 片や、自身の身の丈程にもある巨大なランスを振り回し、爆炎の魔術を自在に操る騎士の少女。

 片や、人の理を外れてなお人の技、術を巧みに使用し、本能の赴くがままに眼前の敵を殺さんとする呪鬼。


 ランスと拳がぶつかり合い、鈍い音が響く。

 それを中心に衝撃波が生まれ、荒れた森を駆け抜けた。


 騎士アルエが呪鬼の拳をそのまま打ち上げ束の間の隙を生み出す。そこを突き、空中を踊らせていた火球をここぞとばかりに打ち出した。


 火球が着弾することで破裂し、決して小規模とは言えない爆発が起きる。


 アルエはその爆風をに乗って後退し、結果を見守る。

 煙立つ前方から現れたのは、予想通りだが結界で防いだ無傷の呪鬼であった。


 呪鬼は煙を泳ぐように薙ぎ払うと、近くにあった樹木を掴み引っこ抜く。

 そして、アルエに向かってそれを投げた。

 横向きに投げられた木を避けるには、選択肢として跳ぶしかない。

 だが、いくら騎士と言えども人間。滞空中を狙われてしまえばなす術がない。

 ゆえに、避けるのが悪手なら受けるしかないのだが、それもまた悪手だった。


「くぅっ……」


 ランスを斜めに地面に突き刺し、樹木を斜めに逸らす。

 呪鬼の肩力も相まって相当の重量を持つそれは、少なからず彼女の筋肉を痺れさせた。

 次の動作はどうしても一瞬の遅れを伴うことだろう。

 しかし彼女は王国の誇る騎士だ。それくらいで不利になることはない。


「ガアアアァァァッッ!」


 呪鬼が、投げた木とほぼ同じ速度でアルエに迫ったりしていなければ、だが。


「ーーっ、」


 木は退けた。つまり、呪鬼は目の前にいる。

 この体勢からの回避はできない。何をしようにも、呪鬼がアルエを殺す方が早いだろう。

 死。

 充分理解していたそれが間近に迫っているのを、彼女は存外冷静に理解する。

 だが彼女は騎士だ。この程度の修羅場であれば、いくらでも経験があり、なんなら死を感じることもディナの訓練では珍しいことではない。


 だから彼女は諦めず、考える。

 どうするかではない。何をするかはもう決まっている。


 問題は、それが成功するかどうか。

 呪鬼に気付かれないように発動させ、呪鬼を殺すべきか。

 あるいは、呪鬼に敢えて気付かせることで今の状況を覆すか。


 前者には下手をすれば相打ち、最悪自分だけが死ぬことになるというデメリットがある。

 後者は呪鬼を仕留める機会の喪失。決して安くはない手札を晒し、勝率を下げてしまう。


 刹那の思考でアルエは答えを出した。


 呪鬼をここで殺す。


 彼女は火球の一つを薄くさせ、広げ、形を整え、魔法陣を作り出す。たとえばそれは丸い粘土を使って何かを作るのに似ているだろう。

 魔術に必要なのは魔法陣と詠唱だ。

 ならば後は詠唱さえあればその魔術は完成する。


 それは普通の魔術ではなく、アルエが自分自身で編み出した彼女だけの必殺技(オリジナル)

 それを武器にするまでに並々ならぬ努力と時間を要したのは言うまでもない。

 もちろん呪鬼にも初見技であり、本来ならば隙を突いて切り札として使おうと思っていたのだが、奇しくも呪鬼はアルエに対する勝利を確信しており、ならば隙だらけ。絶好の機会となっていた。


「<焔獄・火柱>」


 瞬間。

 アルエと呪鬼の上に広く展開された魔法陣から炎の滝が流れ落ちてくる。

 呪鬼が気付いた時にはもう遅い。

 高熱の炎は辺り一帯を包んでいた。


 だが、もちろんアルエも無事ではない。

 呪鬼の拳を無防備のまま喰らい、受け身など取る暇もなく殴り飛ばされる。そのまま木に叩きつけられることでようやく止まった。


 幸か不幸か自分の魔術によって焼死体となることはなかったが、受けた拳は常人であれば身体がバラバラになっていてもおかしくない程の威力だ。

 全身に衝撃が伝い、口から少なくない血が吐き出される。

 骨が折れ内臓に刺さっているのか、尋常ではない痛みに襲われていた。


 それでも彼女は立ち上がった。痛みを堪えて立ち上がった。

 立ち上がらなければならない理由があったからだ。


「……最悪、だなー」


 未だ炎の滝が流れ落ちてきているその中から人影が現れる。

 言うまでもなく呪鬼であり、しかしその身体は酷く爛れており、左腕に至っては失われていた。


 だがアルエが最悪と言ったのは呪鬼が生きているからではない。いやもちろん死んでいてくれればとても良かったのだがそれはそれ。

 お互いに負傷しているのであれば、まだ戦える。道はある。


 最悪とは、呪鬼の身体を覆っている『何か』のことを言っていた。

 オーラと言えばわかりやすいだろうか。

 自身の魔力を纏うことで身体強化を促し、攻守共に底上げするというスキル。

 王国や帝国では『闘気』と呼ばれているが、神国ではスキルには『〇〇術』と付ける伝統や、ちょっとした特異性を付与していることからこう名付けられている。


「……【纏魔術】。それも、極めてるとなると……」


 呪鬼の左半身に視線を移す。


 呪鬼には確かに腕がなかったが、腕のあった場所には別のものがあった。

 それは魔力で形作られた腕だ。

 呪鬼の自前の腕には及ばないが、その強度は高いのだろう。少なくとも、今の弱ったアルエの脅威になるくらいには。


 おそらく、呪鬼はそれをアルエにとどめを刺す切り札として隠していたのだろう。

 アルエが魔法陣を即時展開出来ることを隠していたように。


 確かに、万全の状態で戦っている時に【纏魔術】を使われていても、驚き、対処に手間取ることはあっても、結局はなんとか防いでいただろう。

 アルエが不意打ちで即時展開していたとしてもそれは同様だ。


 だがもう手札を隠す必要は無くなった。

 不意打ちなどしなくとも、殺せるのだから。


 こうなればアルエは圧倒的に不利だ。

 身体は上手く動かせず、魔術を使うにも痛みが思考の邪魔をする。


 けれど彼女は諦めない。

 持つのも辛い槍を構えて、ゆっくり歩いてくる呪鬼を見据える。

 騎士の矜持。いや、意地だ。


「……よしっ」


 小さく気合いをいれて、最後の戦いに挑んだ。



 ユラは森の中を走っていた。

 ただアルエのことだけを考え、他のことは何も考えずに走っていた。

 いや、考えたくなかったのだ。

 自分の身体に何が起きているのかを。ディナが自分を化物と呼んだ意味を。

 現実から目を逸らしたかったのだ。

 そしてそれは、アルエのことを考えていると不思議と薄らいでいた。


 自分はどうして彼女を好きになったのだろうか。

 そんなことを考える。

 一緒に過ごしたから。笑顔が可愛かったから。

 それもある。でもそれは多分後から付いて来たもので、もっと一番最初、初めて見た時、惹かれた何かがあったのだ。


 自分はきっと、彼女の強さに惹かれていた。

 この世界に来て、自分の無力さに焦っていた時に彼女の強さを見せられた。

 自分にはない、『強さ』という輝きはとても眩しく輝いて見えたのだ。


 きっかけはたったそれだけ。

 何かが少しでも違っていれば、トルテや、あるいはディナに惹かれていた今もあったかもしれない。

 そこでは多分、命の危険などなかっただろう。


 けれど今、ユラが好きになったのはアルエなのだ。

 そこに間違いも後悔も存在しない。

 例え、自分の命を差し出すことになろうとも、間違っていたなど誰にも言わせはしない。


「ああ、僕は幸せだなぁ」


 人を好きになって、その人のために全てを費やす。

 これ以上に幸せなことは、きっと無いだろう。


「音が近い……間に合った」


 打ち響く戦闘音はもうすぐそこだった。

 ユラは手に持つ二本の槍に力を込めて、更に加速する。


 近付くにつれ、森の木々は焼き焦げており、地面は酷く蹂躙されていた。

 燃えて倒れ落ちてきた木を自動で切り裂き、音のする中心部に辿り着く。


「アル……っ!」


 そこでユラが見たのは、半ば意識を失いつつも、呪鬼の攻撃を紙一重で防ぐアルエの姿だった。

 片手は力なくぶらりと下がり、目は見えているのかいないのか、虚ろな状態で呪鬼を見ている。

 呪鬼は面白がるように、嬲るように、今のアルエがギリギリ反応出来るくらいの早さで、彼女が死ぬことのないように弄んでいた。


 これは魔物としての本能だ。

 これは呪鬼としての本能だ。


 人間をひどく敵視し、苦しめることを悦びとする魔物の本能。

 そしてもう一つ、強い者に殺されようとする呪鬼としての本能。


 本当はディナがアルエを助けに来ることを、呪鬼は望んでいたのだろう。

 ユラの存在に気付いた呪鬼は、心なしか期待はずれそうな顔をした。

 だがユラにはそんなこと関係ない。

 そんなこと、どうでもいい。


 頭が真っ白になった後、呪鬼への殺意が湧き上がる。


「死っねえええええ!!」


 蒼い槍を、全力で呪鬼に向かって投げた。

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