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紫霧を纏う毒使い  作者: 雨請 晴雨
夢見た世界で少年は
72/124

15.都合の良い夢を見ない④

お読みいただきありがとうございます。

 ……。

 …………。

 ………………。


「……目を、覚ましたか」

「ディナさん……?」


 曖昧な意識のまま、目に入った女性の名前を口にする。


 身体の痛みは感じない。見れば、あれほどボロボロだった身体に傷一つなかった。

 どうやら、また治癒魔術とやらを使ってくれたようだ。


「はっ、僕は、寝て……。違う! アルエは!? どのくらいの時間が……っ」


 意識が覚醒した僕は、目の前のディナに迫りながらそう尋ねた。


 しかし彼女は僕の手を払い除け、手に持った槍を僕に向ける。


「なに、を……」


 なんだ。なんなんだ。意味がわからない。どうして僕は今、ディナに殺されかけている?


「……、……。……記憶喪失、か」


 微かな怒りを宿した瞳が僕を見据えること十秒と少し。

 ディナは何かを小さく呟き、槍を下ろして深く息を吐いた。


「……先に、アルエとの約束を果たそう。受け取れ。これはお前のモノだ」

「……槍?」


 ディナが次元の裂け目から取り出し渡してきたのは、一本の蒼い槍。

 形状は僕の使う全自動槍(仮)とよく似ていて、細く、そして鋭い。


「これは?」

「私は部下への褒美として槍を造り、それを渡す。これはアルエの呪鬼討伐の報酬分だ。あいつからお前のために造って欲しいと言われたのでな」


 ディナは淡々と答えた。


「……」


 気のせいではないだろう。

 彼女の僕への対応が、以前のもの比べて悪い方へと変化しているのは。

 僕は何かしただろうか。

 ……。

 いや、考えても仕方ない。

 それよりも、今はアルエのことだ。

 そう遠くない場所で戦闘音が聞こえることから、まだ彼女は戦っている最中のはずだ。まだ間に合う。


「ありがとう、ございます」

「礼は不要だ」


 ドンっと、大きな音がした。

 反射的に、僕らはその音の方へ顔を向ける。


「……行かないと」

「ダメだ。お前はとっとと去るがいい。今回だけは見逃そう」

「っ」


 無意識に動かしていた足の先の地面が爆ぜた。

 もちろん、そんなことが出来るのはこの場には一人しかいない。


「何をするんですか!」

「それはこちらのセリフだたわけ者。どこへ行こうとしている」

「アルエのところへですよ! 呪鬼を僕が殺すために!」

何のために(・・・・・)?」

「は?」


 どういうことだ?

 これは、どういう意図での発言だ?

 分からない。

 僕にはもう、ディナの考えていることが全く理解できない。


「さっきから、なんかおかしいですよ。何のためって、アルエを助けるために決まってるじゃないですか」

「本当に?」

「それ以外に何があるんですか」

「本当は、呪鬼の力を欲しているんじゃないのか?」


 この人は、何を言っているのだろうか。

 意味の分からない問答にこれ以上時間を割くわけにはいかない。ただでさえ時間が無いのだ。


 僕はディナの言葉を無視して、激しい音のする方へ足を向けた。


「動くなッ!」

「なぁーー!?」


 神速の槍が。

 距離を無視した刺突が。

 一瞬の内に、百に近い数を伴って僕に襲いかかる。


 何一つ見えなかった。

 ディナが僕を殺す気だったのであれば、僕は今頃自分でも気づけない内に死んでいただろう。

 僕を避けて穿たれた槍が、後ろの木を人型だけ残して倒していた。


 ディナにとって、次元を貫く槍というのも、その身に宿る龍の力というのも、ただのオプションでしかないのだろう。

 彼女の最大の武器は、もはや人を超えるまでに至った槍の技量、その極地。


 それが今まさに、僕に向けられている。


「今なら見逃すと言っている。死にたくなければ、失せろ」


 必死に自分を抑えるように彼女は言った。

 相変わらず、僕に今の彼女は理解できない。理解できないし、だけど多分理解する必要はない。

 僕が今相手すべきは、ディナではなくアルエなのだから。


 ギリリと、強く奥歯を噛んだ音が脳に響いた。


「死んでもいいと、言っているんだ!」


 もうディナに対しては、恥も外聞も無く、情けなくても、どんなに惨めでもいい。全てを晒してでも通してもらおう。

 僕は叫ぶ。


「好きな女の子を守るためなら! 好きだと言ってくれた女の子を救うためなら! もうこの命なんて捨てられると言っているんだ! 呪鬼を殺す理由なんて、最初から最後までたった一つしかない! アルエに死んで欲しくないから! 僕が代わりに呪鬼を引き受けようとしてるんだよ!」

「大した演技だ。そこまでして力が欲しいか」

「本心だ! これが僕の本音で、望みだ! どうして信じてくれないんだよ! どうやったら信じてくれるんだよ!」

「お前たちの吐く言葉など、信じられるはずもなかろう。記憶喪失か何だか知らないが、それで貴様の本性が変わるとでも思っているのか」

「だから、さっきから何を言っているんだ! 意味がわからないんだよ! あんたには分からないのか!? 大切な人が死ぬくらいなら、自分が死んだ方がマシだという気持ちが! 何も出来ずに残されるだけの者の気持ちが!」

「……」


 その時、初めてディナが口を噤んだ。


 僕はその間に言葉を畳み掛けようとしたけど、その前に彼女が口を開く。


「残される者の気持ちだと? 私を前に、それをお前のような小僧が語るか」


 ディナはその綺麗な髪を雑にかき上げる。

 そして僕を見下すような視線を向けながら言った。


「龍の力を受け継ぎ、幾つもの年を越えた。その中で数え切れぬ程の者たちと出会い、そしてそれだけの別れがあった。理由は様々だ。人には逆らえぬ時の流れ。人ゆえの脆さ、弱さ。分かるか? 人を外れた私は常に残される者であり、それはこれからも変わらんだろう」


 きっと、『竜殺し(ドラゴンスレイヤー)』であるディナは見た目通りの歳ではないのだろう。

 その長寿ゆえに先立たれ、その強さゆえに生き延びた。


「残される者の気持ちだと? 分かるに決まっている。その辛さも、その悲しみも、その苦しみも、絶望も、感傷も。分かるともさ。お前がこれから味わうであろう全ての痛みを、私は既に身をもって経験しているのだからな」


 ああそうなのだろう。

 ディナの言葉は真実で、彼女は僕には想像出来ないほどの痛みを背負って来ているのだろう。

 僕の言葉なんて鼻で笑って棄てられるくらいに。


「ならーー」

「だが、だからどうしたというのだ。残される者の気持ちが分かるのかとお前は問うたな。分かると私は言った。で、それがどうした。私にとって、お前が苦しもうが傷付こうがどうでもいいことだ。それに……お前がしようとしていることは、アルエにその痛みを背負わせることになるんじゃないのか?」

「分かってる!」


 そんなこと、言われるまでもなく分かっているんだ。

 だって、最初からこれは、アルエを守るため救うためだと言っていても結局は僕の自己満足に過ぎないのだから。


 だけど、それでもーー。


「それでも僕は! アルエに死んで欲しくないんだよ!」

「話が進まんな……そして、終わらん。もういいだろう。お前が何を言ったところで私はお前を呪鬼の元へと行かせはしないし、私が何を言ったところでお前は諦めないのだろう。ならばーー」


 ディナは槍を両手で持った。

 構えでも何でもないはずなのに一切の隙が存在しない、完成された姿勢とでも言うべきか。


(これ)で決着を付けるとしよう。言葉で決まらないというのであれば、他のモノで決めるしかないだろう。さぁ、構えよ」


 その瞬間、僕の敗北が決まった。

 強さの上限が見えなさ過ぎて危険度が分からず、危険センサーが反応しない相手にどう勝てと言うのか。

 呪鬼なんかとは比べ物にならない、正真正銘の怪物。


 けれど、構えないわけにはいかない。

 戦わないわけにはいかない。


 たとえ狡いと言ったところで、卑怯だと非難したところで、彼女は僕に向けた槍を下げることはしないだろう。

 逃げようと背中を向けたところで、その背中を容赦なく貫き通すだろう。


 だったらもう、負けるとわかっていても全力で戦うしかないのだ。

 全てが終わったあと、全力を尽くしたけどダメだった、そんな言い訳を自分にするために。


 ああ、最低だ。

 ああ、最悪だ。


「さらばだーー化物」



 勝負は一瞬で着いた。

 いや、二人の力量差から言えばそれはもはや勝負とすら言えないだろう。

 ユラが槍を構えディナに敵意を向けた瞬間、彼女はそれを開始の合図だと判断し腕を動かした。

 傍目に見れば、届かない場所に一突きしたようなディナの動作。

 しかしその実情は、空間を超えた無数の刺突がユラの肉体を貫いていた。


 ユラの身体は崩れるように地面に落ちた。


 死んではいない。

 直接死に繋がるような急所は外しているからだ。

 だがそれも時間の問題で、血が流れ続ければショック死するだろうし、損壊した四肢では身動き出来ずに森で野垂れ死にするだろう。獣に生きたまま食われるかもしれない。


「……」


 ディナは静かに奥歯を噛み締め怒りを抑えていた。


 普段、感情を平静に保つことを心がけている彼女は、感情の発露時にそれを爆発させる傾向があるのだが、だからこそ、耐えるという状況は珍しい。


 ディナはそのままユラに背を向け、近くの木の裏に背中を預けた。

 ユラが起きても、彼から見えないように。


 静かにしていると、音が聞こえる。

 金属音、爆発音、雄叫びに悲鳴。

 アルエがまだ戦っているのだろう。

 ならば、自分がこうしている事の意味はまだある。


「……手間が省ける。だがーー」


 そう零して、ディナは口を閉じた。

 背中から音がしたからだ。


 呻き声、困惑、立ち上がり、そして一言。


「行かないと」


 見なくても分かる。

 ユラが立ち上がり、アルエと呪鬼の元まで行ったのだ。

 証拠に、木から顔を覗かせても、そこにユラの姿はなかった。


 動けるはずがないのに。

 筋を、腱を、靭帯を。骨だろうが関節だろうが執拗に壊したにも関わらず、ユラは立ち上がり、そして行った。


 呪鬼との負傷が自然に治った時と同じなのだろう。

 いやあれは治るとかそんな良いモノではない。再生、再構成……これらも違うだろう。

 アレは、傷だけでなく、流した血さえも消えていた。


 まるで、怪我をしたことがなかったことにされていたように。


 ディナは、ユラに治癒魔術を使ったことなど一度もないのだ。

 そもそも治癒魔術というものはそれほど便利なモノではなく、ユラほどの重症を一瞬で治す力などない。


 人は致命傷を克服出来る術など持っていない。

 それはもはや不死の領域であり、しかしそれなら似たようなことを出来る生物は存在する。


 魔物(ばけもの)だ。


「私は間違えたのだろうか」


 少なくとも正しい判断ではなかった。あの場で殺すべきだったのだろうか。

 情に引っ張られなかったと言えば嘘になる。

 記憶喪失だと言っていた、自分を人間だと思っているの化物。

 あまりにも人間のようだった。

 あれでは、ただの恋する少年ではないか。


 何年も姿の変わらない自分よりもよほど人間らしい。


 それでも与えられたのは少しの猶予だ。

 呪鬼に殺されるならそれでいい。

 ユラが呪鬼を殺せたならば、アルエの役割は変わらない。

 彼女が(ばけもの)を殺すだけ。


 泡沫の夢を見るがいい。

 だがーー。


「誰も報われんではないか……」


 ディナは空を見上げながら、少し悲しそうにそう言った。

あんま関係ないですけど、ユラくんがこの世界に来たのはヒイラギよりも後です。はい。

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