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紫霧を纏う毒使い  作者: 雨請 晴雨
夢見た世界で少年は
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14.都合の良い夢を見ない③

お読みいただきありがとうございます。

 時間は少しもどる。


 ユラに言われた通り、トルテは森を出て村へ走っていた。


 新調した武器は重いのでどこかに捨てた。

 勢い余って本当にポイと捨ててしまったので、後で探さないといけない。いやあれ結構高かったから。


「それもこれも、全部終わってからだけどねっ」


 終わったあと命があるかは分からない。

 少なくとも今、ユラの命が危険に晒されているのだ。

 逃げている自分の代わりに、犠牲になっている少年。


 そう、自分は今逃げているのだ。

 絶対に勝てない相手だと瞬時に分かった。戦えば殺されることも。

 だから撤退という選択肢は間違ってはいないはずだ。


 だけど彼はあの場に残った。

 確かに両方逃げたとしても呪鬼は追ってくるだろう。

 魔物は人間を襲う。それが習性だ。

 自分以外の命のことを考えるのなら、ユラの選択肢もまた間違ってはいないのだろう。


 ならばその役割分担も間違っていないのだろうか。

 トルテは数日前の、戦いの『た』の字も知らないようなユラを見ている。

 見ているこっちが情けなるような、体力も知識も経験もない少年を。

 しかし数日の間に何かあったのか、見違えるほどの実力を持っていることもまた理解していた。


 だがそれは呪鬼と戦えるほどではないはずだ。

 呪鬼に勝てないという点では自分と同じだと言えるだろう。

 なら、どちらが残っても良かったのだ。


 それでも自分は今、逃げている。


 騎士に憧れ、騎士を目指している自分はそれに準じる実力を持っている。

 なのに、その力を使うことなく逃げている。

 自分はいったい何のために身体を鍛え強くなったのだろうか。


「くそっ」


 トルテの鍛えた脚力は常人には出せない速さで大地を駆る。

 自分は逃げるために鍛えたのかと、トルテは悔しさに唇を噛んだ。


 村に着くやいなや、トルテは叫ぶように言った。


「呪鬼が森に現れた! 必要な物だけ持ってさっさと逃げな!」

「は……? トルテ、お前何言って……」


 いきなりそんなことを言われても、村人たちもそう簡単に飲み込めるはずがない。

 だが余裕の無いトルテは、そう言った村人の胸ぐらを掴んで言う。


「呪鬼がいたんだよ! 森に! 今はユラが足止めしてるが、いつまで持つか分からない! だから逃げろって言ってんだ!」


 その必死な形相に、ようやく村人たちも嘘や冗談ではないことを理解し始める。

 そして、次に訪れるのは混乱だ。

 村は一瞬のうちに狂乱に陥った。


 騒ぎ、喚き、大勢の人間が我先にと動き回る。

 子供と大人がぶつかって、転んだ子供が泣いていた。

 けれど、それを気にする余裕のある者は誰もいない。


 地獄絵図。

 しかし、呪鬼とはそのような災害なのだ。

 死と破壊を象徴する災害。


 一生に一度遭遇すれば『最悪の人生だった』と言われる。

 通常であれば、呪鬼はどこかの国が管理しているものであるからだ。

 しかしそれ故に、人里に現れる呪鬼とは『国が管理し切れなかったもの』を指す。

 つまり、とてつもなく強力であるという事。


 呪鬼の恐ろしさは伝聞で伝わり、恐怖だけが異常に肥大して広まっているのだ。


「お、落ち着きなっ!」


 慌てる村人たちを前に、冷静さを取り戻したトルテはそう叫んだが、その言葉は彼らの耳には届かない。


 考えなしに呪鬼のことを伝えれば、こうなることは簡単に予想出来たのだ。

 この村で一番強いトルテが切羽詰まった表情をしていたことも原因の一つだろう。

 どうすることも出来ない災害が訪れようとしている。

 それは、人が我を失うのに十分な材料だった。


「静まれぇい!」


 この村で一番偉い者、つまり村長が持ちうる限り全ての声を振り絞って叫んだ。

 屋根の上から。全裸で。


 声のした方を向いて、思わず二度見してしまう光景を目にして村人たちは一瞬冷静さを取り戻す。

 その一瞬を見逃さないように、村長は捲し立てるように言った。


「落ち着けい馬鹿どもが。呪鬼が出たことなぞ、既に王都から通達が来ておる。無論、その対処法についてもな」


 そう、ディナとアルエは様々な街や村に呪鬼の注意喚起だけでなく、もしも呪鬼が出た場合どうすればよいのかということを、そこの権力者に伝えていたのだ。


「トルテ、呪鬼が出たことに間違いは無いのだな?」

「あ、ああ。間違いない」

「そうか」


 村長が手に持っていたそれは、破片だ。

 5センチにも満たない、金属のものらしき破片。


 しかしそれはもちろんただの破片ではなかった。


 ディナの持つ槍……次元を切り裂き次元を貫き通す、王宮騎士に与えられし最上級の槍の破片である。


 一度限りの使い捨てではあるが、王宮騎士の元へと空間を繋げることの出来る代物だった。


 村長はその破片で虚空に円を描く。破片は砕けて霧散した。


 風景が切り取られるかのように現れた穴。

 その中から、二人の人物が姿を見せた。


「ふむ……………………ふむ?」


 王宮騎士第二位ディナ・メネシスはいきなり老人の全裸を見せられて首を傾げていた。

 が、その後辺りを見渡し、村の混乱具合から全てを察する。


「この村か……奇縁だな。で、呪鬼はどこだ」

「森だ! 今はユラが奴を足止めしている!」

「ーーっ!」

「アルエ、落ち着け」


 今にも屋根の上から駆け出しそうだったアルエの肩を押さえるディナ。

 共に屋根から下り、トルテの前に立つ。


「簡潔に。分かっていることはあるか?」

「ああ。フェイズはⅣ、複数の神術を極めた枢機卿の呪鬼ってのは分かってる。おそらくは自分の能力で、意図的にフェイズが成長するまで身動きを封じていた」

「ふむ。その能力はどんなものだった。光の輪、あるいは鎖で縛るタイプか? それとも……」

「壁、箱……いや結界か。その中に閉じこもっていた」

「なるほど。最後に、『枢機卿』という言葉はどこから出てきた?」

「自己申告だが、この手帳に……」


 トルテはディナに拾った手帳を渡す。

 パラパラと読んで、ディナは得心がいったように「ふむ」と呟いた。


「複数とは言っているが、枢機卿とは二つの神術を極めた者に与えられる地位だ。そしてその一つは【結界術】。幸いなことにこれは威力で押し切れる。もう一つが気になるところではあるが……やれるな、アルエ」

「やれます! だから、早くユラっちくんの元へ!」


 手に持ったランスを力強く握りしめ、アルエは叫ぶ。

 取り返しがつかなくなるその前に、彼の元へと行くために。


「ああ。飛ぶぞアルエ」

「いつでも!」


 ディナは槍を振るい、次元と次元を繋ぐ穴を開く。

 アルエはその中に飛び込み、軽く飛んで足を浮かせた。


「見つけました!」

「ならば……行ってこい!」


 まるで野球のスイングのように、ディナは槍を振りかぶり、アルエはそれを足場に加速する。


 次元の裂け目の向こう側は、森の上空。

 アルエは呪鬼という目標目掛けて、隕石のような威力で突っ込んだ。


「はぁぁぁあああああァア!!」


 ユラがまだ生きている。

 それだけで戦う理由になり得た。


 アルエに気が付いた呪鬼が結界を張ったが、そんなものは気にしない。

 ただ、殺す。それだけだ。


「グッガアアアアアァァァッ!?」


 呪鬼は渾身の一撃を受けて大きく吹き飛ばされた。

 確かな手応えはあったが、しかし命を奪うまではいっていなかっただろう。


 アルエはユラの前に立ち、未だ生きているはずの呪鬼を見据えながら言った。


「間に合って、良かったよー。……本当に」



「ガアアアアア!! ガアアアアアァァァ!!」


 アルエの登場に、呪鬼は僕と戦っていた時よりも興奮していた。

 まるで、強い個体と出会えたことを喜ぶように。


「アルエ、どうし……」


 僕の言葉は届くことなく、彼女は呪鬼に立ち向かう。

 アルエのランスと呪鬼の拳がぶつかり合い、火花を散らす。


 アルエは呪鬼の張った結界を切り裂き、呪鬼はアルエの放った火球を捻り潰していた。

 呪鬼が僕と本気で戦っていなかったのだと思い知らされる。

 格が違う。


 彼女たちが戦い始めて数十秒。

 戦いの余波で、僕は立ち上がることすら出来なかった。


「よく持ちこたえたな、ユラよ」

「ディナ、さん?」


 アルエと同じように空から降ってきた彼女は、動けない僕を脇に抱えた。


「隊長! 後のことを! あの約束を守ってくださいねー!」

「もちろんだ。アルエ、私はお前という部下を持ったことを誇りに思うよ」

「それは! もったいない! お言葉です、ねっ!」


 今生の別れのような言葉を、彼女たちは交わす。

 事実、最後の会話なのだろう。

 アルエがここで勝っても負けても、彼女はいなくなってしまうのだから。


 ディナは軽く頷いて、僕を抱えたまま木の枝の上に跳び上がる。

 離脱するのだ。

 アルエだけをここに残して。


 アルエが遠ざかっていく。

 呪鬼が遠ざかっていく。


「あと、ユラっちくん!」


 遠ざかる戦場、金属音だけが響く場所から確かに彼女の声が聞こえた。

 アルエにとって、その言葉が届いているのかどうかなど、さして問題ではないのだろう。

 それでも言わずにはいられないから、叫んだ。


「ウチは! ユラっちくんのことが! 大好きだったんだよー!」

「ああああああああああああああああああ!!!」


 僕は守りたい女の子に守られた。

 僕の命は救いたい女の子の命を代償に救われた。

 好きだと言ってくれた彼女に何も出来ず、何も言えず、どうにもすることが出来ないまま終わってしまった。


 こんなにも辛い思いをするくらいなら、いっそのこと呪鬼に殺されていた方がまだマシだった。


 僕が強ければ、アルエは死なずに済んだのに。

 僕が弱いばかりに、彼女が死ぬ運命を変えることが出来なかった。


 僕はディナに抱えられている間、ずっと泣き続けていた。


「……その嘆きは、傷に響くだろう。少し、寝ていろ」


 その声を聞いたのと、僕の意識が失われるのはほとんど同じだった。

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