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紫霧を纏う毒使い  作者: 雨請 晴雨
夢見た世界で少年は
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13.都合の良い夢を見ない②

お読みいただきありがとうございます。

 それが何だったのか、初めは分からなかった。


 ただ森を進んでいると危険センサーが反応して、怖いもの見たさというのもあったけど、確かめないわけには行かないから、トルテに言ってその方向へ向かったんだ。

 不思議とその反応はそこから動く気配もなかったし、森の様子もいつもと変わらなかったから、そこまでの異常じゃないんじゃないかとすら思っていた。


 だけどそれは、想像を超える異常だった。


 森にぽつんと置いてあった、黒い四角形の物体。

 しかしそれはよく見ると、半透明の四角い箱に黒い何かがぎゅうぎゅうに押し込められているものだと分かる。

 それは静かに脈打っていて、未だに膨張を続けていて、今にもその箱を壊して外に出てきそうな『生物』だった。


「……何かが落ちてる」


 未知の物体を前に絶句する僕らだったけど、その箱の前に落ちていた物に気がついた僕がそう口にした。


「……手帳、だね。正直アレに近付きたくはないが、アタシが取りに行くよ」


 トルテはそう言って、箱に近寄った。

 ゆっくり、慎重に。

 いつ箱が割れて、中の何かが飛び出してきてもいいように。


「グァルルゥ……」

「ッ」


 とても低く響く呻き声。

 トルテは咄嗟に武器を前に出して構えたけど、箱が壊れる様子はなかった。

 そのまま武器を前にして近付いて、手帳をひったくるように拾って一度の跳躍で僕の元まで戻ってくる。


「はぁ、はぁ……本当、なんなんだいアレは」

「その中に書いてあるんですかね」


 緊張でひどく疲れた表情のトルテは、箱を警戒したまま手帳を開き、そこに書いてある文字を読み始めた。


『憐れな王国よ』

『貴様らは神に見放された』

『神は我らの目の前に姿を現されたのだ』

『つまりは我らの教えの正しさの証明』

『故にこれは、我らから貴様らに向けての宣戦布告と取るがいい』

『私は神術を複数極め枢機卿を冠する者。もはや名は無い。神の名の元に世界を塗り替える呪鬼だ』

『この手記を拾う者が無辜の民出ない事を祈る』

『世界に救いがあらんことを』


 呪鬼。


「って、呪鬼!? これが!?」

「まずいねぇ……これもうフェイズⅢを通り越してフェイズⅣまで行ってるんじゃないかい」


 トルテ曰く、呪鬼を殺して暴走する前がフェイズI、理性を失うのがフェイズII、腕の筋肉が異常に膨張するのがフェイズIII、身体全体が発達し硬質化するのがフェイズⅣらしい。

 ついでに確認はされていないらしいけど、完全なる鬼になるのがファイナルフェイズとして仮説だけはあるとか。


「ユラ、呪鬼を倒すのは諦めな。元になった人間が複数の神術を使えるだけでも脅威なのに、その上フェイズⅣときちゃ、アンタに相手出来る奴じゃない。素直に騎士に任せた方がいい」

「……いや、トルテさん。どうやらそれ、無理そうです、よ」


 元々結界に限界が近付いていたのか、それとも誰かが近付くことがキーになっていたのか。

 たぶん、後者だ。あの手帳に書いてあったのはそういう事なのだろう。


 結界はぴきり、ぴきりと音を立てて崩れ去り、抑圧されていた肉体が解き放たれた。

 そして、『鬼』が立ち上がる。


「……ゥゥウ」


 体温が高いのか、黒いその肌は熱した鉄のように赤みを帯び、うっすら蒸気が昇ってた。

 その全長は優に3メートルは超え、腕は木の幹のように太い。

 僕らを見下ろす呪鬼は、その瞳に憎しみと恨みと怒りを宿していた。


「ッッッグゥウウウゥルァアアア!!」


 肌をピリつかせる咆哮。

 それは僕とトルテの足を竦ませる。


 呪鬼の身体が一瞬ブレる。

 動体視力が追いつかないまま、次に僕が認識したのは呪鬼の拳を槍で受け止める自分だった。


 急な動作で身体が痛み、それ以上に攻撃の重さに身体中が悲鳴をあげる。


 勢いを全て殺すことは出来ずに身体が宙に浮き、弾き飛ばされた。

 槍は僕の身体を操り飛ばされながらも態勢を整え、木に垂直に着地する。

 そしてすぐに跳躍し、呪鬼の心臓目掛けて思い切り槍を放った。


 ガギィッと、金属を削るような音がする。

 槍の先端は呪鬼の身体に届くことはなく、先程まで呪鬼を囲んでいた結界のようなものに阻まれていた。


 僕はすぐ隣にいるトルテを掴んで後退し、言った。


「やばいですコレ! 殺すとかそんな問題じゃない! 精々足止めが精一杯です!」

「何言ってんだい! 早く逃げるよ! アタシたちの敵う相手じゃない!」

「どこに逃げるんですか!」


 僕は叫んだ。


「奴はどうせ僕らを追ってきます! 村に逃げれば、みんなが殺される! なら! 僕が逆方向に誘導させておくから、トルテさんは村に戻ってこのことを伝えておいてください!」

「ユラ……っ」


 きっとこれは運命だ。

 呪鬼が目の前に現れたのを運命以外のなんと言おう。


 僕の気持ちの問題を除けば、呪鬼に遭遇することが最大の問題だったのだ。

 ここで、もう逃げられず、戦うしかない状況に至ってしまったのなら、死ぬ覚悟とか、死ぬ勇気とか、そんなもの考えても仕方がない。


 呪鬼と戦い、呪鬼を倒し、呪鬼を背負う。

 その役割は、僕一人だけでいい。


 それに、お世話になった村の人たちを守れるのなら、それが僕の恩返しだ。


 呪鬼の伸ばしてきた手を弾きながら言う。


「早く行ってください!」

「だがっ!」

「どうせ、今の一瞬で僕の足は少し壊れました。そんな遠くまで走れそうにない。だったら、ここで最後まで抗いますよ」

「……、……っ! くそっ! 村に伝えたらすぐに戻ってくる! それまでくたばるんじゃないよ!」


 トルテはそう言い、呪鬼と僕に背を向けて走っていった。


 しかし、それを呪鬼が許そうとするはずもない。

 呪鬼は木を雑草のように引き抜くと、トルテ目掛けて投げようとする。


「させるかぁ!」


 僕の想いに呼応するように、槍は妨害のために身体を動かす。

 僕を蔑ろにしている呪鬼に近付き、振りかぶった奴の腕に槍の先端を突っ込んだ。

 そして肘の内側から手のひらに掛けて、呪鬼の肉を引き裂いた。


 呪鬼の手から離れた樹木は砂埃を立てて地面に落ち、今の間にトルテは呪鬼の視界から姿を消すことに成功する。

 しかし、それは呪鬼のターゲットが僕だけになることを意味していた。



 あれから何分経った?

 一時間? 三十分? 十分?

 もしかすると五分も経っていないかもしれない。


「はあ、はあ、はあ。……っ!!」


 僕の身体が自動で動く。

 呪鬼の攻撃は見えない。

 けれど、なぜか当たる気がしなかった。


 危険センサーが致命的な攻撃に警鐘を鳴らし、槍がそれを感じ取って攻撃を避ける。

 僕は何もしていないけれど、それが今僕の命を繋ぎとめている全てだった。


 だけど。


「くそっ」


 槍が弾かれる。

 呪鬼の身体に攻撃が通らない訳ではない。

 結界が邪魔をするのだ。


 どうやらこの呪鬼の能力の一つは結界を自由に出現させることらしい。

 しかしまたこれが厄介で、あの腕を切り裂いた以降、一度として呪鬼に攻撃が通っていなかった。


 結界に阻まれたことで一瞬僕の身体の動きが止められる。

 止まった僕を捕まえようと伸ばしてきた呪鬼の手を後ろに跳んで避けた。


「ぐぅっ」


 呪鬼という人を超えた化物の攻撃を避け続けているのだ。

 僕の身体は既にボロボロで、僕自身どうして動けているのか分からない。

 既に痛みを通り越して感覚はなく、攻撃するにもない筋肉を無理やり使うから腕も酷いものだ。

 僕は体力もかなり消耗しているのに、呪鬼にはほとんど傷がついておらず、疲労の色も見えない。


 だけどそれでも倒れない。倒れられない。

 ただの意地かもしれない。でもそれでいいんだ。

 僕が自分で決めたんだから。

 彼女を、守りたいって……。


「グゥゥゥ、ラッ!」


 呪鬼がまた攻撃を仕掛けてくる。

 慣れたものだ。

 僕の身体は少し後ろに下がるだけでその攻撃を避け……


 トン


「なあっーー」


 油断していた。変わらない攻撃だと思っていた。

 呪鬼は暴走しているから、知能がないとか思っていた。

 そんなはずが無い。

 強靭な肉体に、戦闘経験も引き継がれるから呪鬼は恐れられているのだから。


 結界が後ろに張られていたのだ。

 もうどこにも逃げ場はない。


 今まで一度も目が追いつかなかった迫る拳がゆっくりと見えていた。

 スローモーションの世界で、走馬灯が流れ出す。


 家族のこと、友達のこと、そして彼女のこと。

 一番輝いて見えた。

 どの思い出よりも綺麗で、色鮮やかで、けれど儚くて。

 それでも一番存在感があった。


 涙が溢れてくる。

 どうして僕は、こんなにも何も出来ないのだろうか。

 どうして初めて好きになった女の子一人守ることが出来ないのだろうか。


 あと数センチ。

 僕を殺す拳がもう間近にあった。


 なのに。


「はぁぁぁあああああァア!!」


 その掛け声と共に、空から何かが飛来した。

 それは、咄嗟に反応した呪鬼の結界ごとぶち抜いて呪鬼を貫く。


「グッガアアアアアァァァッ!?」


 目の前にあった呪鬼の拳は逆再生のように離れていって、呪鬼は面白いくらいに吹っ飛んでいった。


 ザリッと、地面を踏んで、彼女(・・)は僕を守るように前に立つ。

 彼女は僕を振り向くことはなく、呪鬼を警戒して砂埃立つ前だけを見据えていた。

 しかし、顔など見なくとも、声など聞かなくとも、彼女が誰なのかなんて僕には分かっている。


「間に合って、良かったよー。……本当に」


 アルエが、僕が守りたかった少女が、そこにいた。

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