12.都合の良い夢を見ない①
お読みいただきありがとうございます。
アルエが去って三日が過ぎた。
何に対してもやる気が起きず、ただ食べて寝てを繰り返していた。
四日目の朝、いつものように用意されたご飯を食べ終えて、ベッドに潜り込もうとすると、僕の様子を見るに見かねたおじさんがこう言った。
「ユラ。俺は今日街に行くんだが、お前も来ないか? 外に出て気分を変えた方がいい」
「街……」
おじさんやおばさん、この村の人たちは優しい。
いきなり現れた穀潰しを気遣ってくれるのだから。
けど、街か。
僕はこの村と、森と平原くらいしか行動したことないけれど、ステフォのチャット機能によると、街に入るのはとてもめんどくさいと聞いている。
それを読めば、なんか街に行きたくなるような感じだった。
待ち時間もとてつもなく長いらしいし、こんな鬱々とした空気の僕と一緒にいるのはおじさんとしても苦になるだろう。
僕はその誘いを断った。
おじさんは気にした様子もなく、ただ「そうか」と言って、それ以上何かを言うことはない。
部屋に戻って、僕はベッドの上で横になった。
喪失感は未だ癒えない。
僕はたぶん、彼女の事が好きだった。初恋だったかもしれない。
家族以外の異性とあんなにも長く近くで過ごしたことは無かったし、一緒にいて楽しくて、贔屓目無しに可愛かった。
好きになるのは時間の問題だったのだろう。
ただ、それに気付いたのは最後の最後で、その時にはもう、どうにもならなかったけれど。
「……アルエ」
未練がましく彼女の名前を口にした。
目を閉じれば彼女の笑った顔が、怒った顔が、困った顔や照れた顔が浮かび上がってくる。
あの二週間、いつも隣にいた存在を思い出してしまう。
彼女と会うことはもう二度とないのだろう。
この想いを直接口にして伝えることはもう出来ないのだろう。
いつか、この想いが消えてなくなるその日まで、僕は苦しみ続けなければならない。
そんな日が来て欲しいとも、来て欲しくないとも思ってしまう僕は、いったいどうすればいいのか。
「あー……」
ダメだ。
何もやる気が起きない。
アルエがいた頃は毎日していた鍛錬もずっとしていない。
ちょっとずつ付いてきていた筋肉や体力も次第に落ちていると思う。いや、まだ大丈夫なのかな。どうでもいいけど。
寝返りを打つ。
なんとなくステフォを弄って、槍を出して手に持った。
仰向けに腕を伸ばして、槍を眺める。
紅く細いそれをくるくると両手で回した。
「……少し、振ろうかな」
このままじゃダメなんてことはよく分かっている。
身体を動かした方が気分転換にもなるし、少しの間だけでもこの苦しみを忘れることが出来るだろう。
おばさんに少し言って、外に出た。
村はいつもと変わらない。
村を歩いていると、あの日大声で泣いていた僕を心配してか、何人か声を掛けてくれたり、果物をくれたりした。
「お、ユラじゃないか」
「トルテさん」
顔に傷を持つ彼女は、その顔を軽く緩ませて僕に挨拶してきた。
基本森と村を往復しているトルテだけど、あのワイバーン事件以来森には行っていないらしい。
使っていた武器が壊れたからとかなんとか。
「閉じこもってたって聞いてたけど、もう大丈夫なのかい?」
「いえ……少し、身体を動かそうと思って」
「まあ、無理のないようにしなよ」
「はい」
と、少し気になったことを聞いてみることにした。
「トルテさん、呪鬼って知っていますか?」
「当たり前だろう。それがどうかしたのかい?」
「呪鬼にトルテさんは勝てますか?」
「うーん……場合による、と答えさせてもらうよ。今の呪鬼は確か、神国で捕獲してるんだったかい。まだ『術』を極めていない子供ならなんとかなるかもしれないが、大人となると『術』以前に力の差もあるし、難しいかもしれないねぇ」
この言い方からすると、呪鬼が王国内に入って来たことはまだ周知されていないらしい。
アルエやディナは、おそらく街や村の偉い人だけに注意喚起して回っているのだろう。
「で、それがなんなんだい」
「それは……」
なら、トルテに話すのはNGだろうか。
いやいいか。
言ってどうにかなるものでもないし、トルテも言いふらしたりはしないだろう。
言いふらされたら、少し村が混乱するかもだけど。
僕はほかの人には聞こえないくらいに声を潜めて、事の顛末を話した。
「なるほどねぇ。なら多分、あのワイバーン共もその影響だったんだろうね」
「というと?」
「魔物って生き物はどいつもこいつも危険察知能力だけは高いからね。呪鬼の存在にアテられて、いち早く住処を移動させたんだろうさ。そのお陰で死にかけたんだから、勘弁して欲しいねまったく」
そう言ってトルテは笑った。
死にかけても笑えるのはすごいと思う。過去は振り返らない質なのか。
いつまでも引きずる僕とは大違いだ。
「それにしても、呪鬼ねぇ。あのふたりが王宮騎士と騎士だったから何かあるとは思っていたがね」
「一応聞きますけど、アルエが死ななくていい方法とか思いつきますか?」
「それは流石に無理さ。呪鬼に関しては魔物の専門家の『博士』ですら匙を投げたんだ。今のやり方が最善で、他のやり方なん、て……」
トルテは途中で言葉を止めて、口を手で覆った。
そして、少し考えるように黙り込む。
何度か首を振ったりしていたのを僕は不思議に思い、尋ねてみた。
「どうしたんですか?」
「いや……我ながら最低な考えが浮かんでね」
トルテはため息をついて口を開いた。
「何の解決にもならないけどね、あのお嬢ちゃんが死なない方法ならいくらでもある。それはわかってるだろう?」
「アルエが呪鬼を殺す前に、他の誰かが呪鬼を殺せばいい、とか」
それは何度も考えた。
僕自身が呪鬼を殺すことさえ考えた。
けれど、それは現実的ではないのだ。
第一に好き好んで呪鬼を殺す人などいないし、第二に、故意にしても不慮にしても呪鬼を殺した人がいたとして、その人がなんの抵抗もせずに殺されることを良しとするだろうか。
そんなわけが無い。
逃げるはずだ。
ならば、別にアルエの役割は変わらない。
新しい呪鬼を殺して、その強力な身に宿った呪鬼を弱い個体に移すべく殺される。それだけだそれだけだ。
「そう。ユラ。聞いたところによると、アンタは騎士に勝ったそうじゃないか」
「あれを勝ったとは言いませんけどね」
「まあ詳しくは知らないが、戦える術を身に付けて、そんな話が出るくらいには強くなったんだろう。なら、アンタも呪鬼を殺せるのかもしれない」
「そうですね……でも、本当にそれは何の解決にもなってないですよ」
アルエを余計に苦しませるだけだ。
アルエのためになら死ねる。それは本当だ。
けれど、自惚れでなければ、それはアルエを悲しませることになる。
僕が背負うはずの悲しみを彼女に背負わせて、僕が一人満足するだけ。
それはなんか、違うだろう。
「本当に……本当に、アンタが自分自身よりも彼女の方が大切で、命すら惜しくないとすら思えるのなら。好きな娘のために命を投げ出すことが出来るのなら……」
「ちょ、ちょっと待ってください! え、僕、アルエが好きとか言ってませんよね!?」
言ってない。言ってないはずだ。……言ってない、よね?
アルエをどうにかして助けたいとか、何をしてでも救いたいとかは言った気もするけど、好きとかは口にしてないはず……。
そう言うと、トルテは毒気を抜かれたような顔をして、それから笑って言った。
「ははは。ユラ、そりゃアンタ無理があるよ。あれだけ楽しそうに、それこそ恋人のようにいつも一緒にいておいて、分からないはずがないだろうさ。村の連中がみんな微笑ましく眺めていたのに気付かなかったのかい」
「い、いやっ、確かにほとんどいつもいましたけど、それは多分友達とかそんな感じの関係で……」
なんだろう。
すごく顔が熱い。恥ずかしい。
しどろもどろ、恋人じゃないとか友逹なんですとか、言っていたけど、トルテはそうかいそうかいと言ってまるで聞いていなかった。
ぐぬぬ。
「こほん。と、今はその話は置いておきましょう。それよりも、トルテさんの思いついたという案を教えてください」
「そうだね。まあ結局は、アンタが呪鬼を倒せばいいって話さ」
「だから、それは確かに、アルエが死なずに済む方法かもしれません。けど……」
……、さっきアルエと恋人云々で否定しておいて、アルエが悲しむからとか言うのは恥ずかしすぎる。
「……けど、それはただの自己満足じゃないですか」
「自己満足で結構だね。どちらかしか選べないって言うんだから、選ぶしかないのさ。自分が後悔しない方を、ね」
「後悔……」
トルテは「それに」と続けた。
「アンタは呪鬼になった後、逃げればいいのさ。神国でも帝国でも、なんなら他の国ならどこでもいい。とりあえず、王国の外にね。そうすれば、騎士が呪鬼を追う理由はなくなる。そして、もしかするとアンタは呪鬼として暴走すること無く生きれるかもしれない」
「あ……」
正直、盲点だった。
もし僕が呪鬼を殺して呪鬼になったとして、その時はアルエの代わりに殺されようと思っていた。
けど他の道があったんだ。
もう二度と会えないことは変わらなくとも、誰も死なずに済む道が。
「だがはっきり言って、確率は高くない。いや違うね。低い。呪鬼を殺したアンタはいつか暴走して、どこの誰とも知れない奴に殺される」
「でも、0じゃない」
そう、0ではないのだ。
アルエが呪鬼を殺せば、確実に彼女は殺されてしまうけれど、僕が呪鬼を殺して逃げることが出来たなら、僕はそのまま生きていける可能性がある。
それは0か1かの違いしかないのかもしれないけれど、望むには絶対的に足りない数字なのかもしれないけれど、その差は確実に違う。
「……」
アルエが助かる。死ななくていい。
そんな道が見つかったのに、どうしてか僕は怖くなった。
死ぬ覚悟は出来ていたはずなのに、死ぬ勇気が、まだ僕には備わっていなかったようだ。
震える手を押さえつける。
大丈夫、これでいい。これでいいはずなんだ。
その様子を黙って見ていたトルテは、僕の肩に手を置いて言った。
「自分から言っといてなんだがね、やっぱり、このやり方は間違ってると思うんだ。アンタだけじゃなく、あの娘も救われないかもしれない」
「……間違っていても、アルエが生きていられるなら、そのためなら僕は……」
最後まで言えなかった。
心から思っているはずなのに、言葉にすることが出来なかった。
「まあ悩むといいさ。今日はこのまま帰りな。明日、また森に行こうじゃないか。新しい武器が届くんだ」
トルテは手を置いていた肩をぽんぽんと二回叩くと、そのまま振り返らず手を振って去っていった。
残された僕も、トルテに従い帰ることにする。
槍をは振るうなんて気分ではなくなってしまった。
外出して一時間も経っていない内に帰ってきた僕を、おばさんはどう思っているのだろうか。
横になって、考える。
僕はどうしたいのだろう。
アルエを死なせたくないという気持ちに嘘はないはずだ。
アルエのためになら死んでもいいという想いにも。
それなのに、最後の一歩が踏み出せない。
悩める時間はそう多くないはずだ。
王国に侵入した呪鬼が暴走してしまうまでの時間は刻一刻と迫っているのだから。
それに、アルエたちよりも先に呪鬼を見つけなければならない。
なんにせよ、早く行動し始めないと……。
「あ、れ……?」
僕は跳ねるように起き上がる。
口元を押さえ、必死になって頭を回す。
嫌な汗を背中にかいていた。
無駄だった。無意味だった。
気持ちだけが先行して、何一つ具体的なことを考えてはいなかった。
そのことに、気付いてしまった。
「呪鬼を殺すにしても……僕は、どうやって奴を見つけるつもりだったんだ?」
移動手段に車はない。
情報の伝達手段に電話はない。
一方、アルエたちは、距離を関係なくワープ出来るはずだ。
呪鬼が現れたという情報さえあれば、労力なく呪鬼の元に辿り着ける。
ただ、だからといって行動しないのは違う。
それはきっと、行動することで自らの後悔を少しでも薄めようとする自己満足からきたものなのだろうけれど。
〇
だけどまあ運命とは分からないもので、望むに望まないに関わらず目まぐるしく動いていく。
その奔流に投げ込まれた僕たちに抗うすべはなく、ただあるがままを受け入れていくしかない。
僕は、悩んでいる時間は多くないと思っていた。
多くないとは思っていたけれど、逆に言えば少しはあると思ってもいたんだ。
けれど。
翌日、トルテと共に森へ行った僕たちの前に。
呪鬼が現れた。




