あの人はいま 〜シンリ〜(四)
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「王宮騎士、だと……」
それを口にし、無意識にシンリの顔が引き攣る。
かつて、手も足も出ずに見逃された相手と同格という事だ。
序列が強さを表しているのであれば、前回よりは弱いということではあるが、それに縋るのは少し楽観が過ぎるだろう。
「あれ、もしかして本当に気付いてなかったのかな☆化物が、偶然、王宮騎士と、出会えて街に入れたなんて、本当に思っていたのかなっ☆」
「最初から、分かってたってのか……」
考えてみれば、出来すぎた偶然だ。
そもそも、ロザリンデが王女だと言うのが真実であるのなら、いくらお忍びと言えども王女が単独で行動することは有り得ないだろう。
そこにはきっと理由があったはずなのだ。守られるべき王女であるにも関わらず、単独行動が許されるだけの理由が。
王宮騎士第九位。強さでいうのなら、それは国の折り紙つきだろう。
そして、王宮騎士であるのならば、シンリの情報をムーサから聞いていてもおかしくはない。
「まあ、出会えたのは本当に偶然なんだけどね☆」
ロザリンデは言い終わるや否や、停止させていた魔球を全てシンリに放つ。
避けることができない訳では無い。だが、当たる標的がいなくなれば、この魔球たちは後ろにいるエンテや貴族を殺し尽くすだろう。
所詮は人間の命だ。今のシンリは容易に切り捨てることが出来る。
だが、エンテがシンリに向けた異常かつ純粋な好意は、シンリにその判断を迷わせるだけの理由になっていた。
おそらく、ロザリンデにしてもシンリがエンテたちを守ることを見越しての、このタイミングなのだろう。
シンリは【結界術】で迫り来る魔球を防ぐが、その一つ一つが人間を殺すには余りある威力を持つ魔球だ。
結界はあまりの威力に耐えきれずに砕け散る。
シンリが魔球を防いでいたのはほんの数秒だ。
しかしその数秒で、ミルネアシーニの魔術は完成していた。
「『蠢く飢蟲の悪食』」
空中に踊る文字が象るは、かつて概念すらも喰らい尽くしたと言われる神代の魔蟲の幼体。
芋虫のようなそれは空中を泳ぐように進み、いくつもの魔球を飲み込みながらロザリンデに迫った。
喰い足りない。喰い足りない。
ロザリンデを喰らおうと、口を開けた魔蟲に彼女は手をかざし、大量の魔力の塊を放出する。
その魔力を飲み込み、喰らう魔蟲は次第に大きくなり、限界に達したのか破裂した。
キラキラと霧散する魔力が満ちる部屋の中、膨大な魔力を消費したはずのロザリンデに疲弊の色は見えない。
「あ、少し減っちゃったかな☆」
「千人以上の魔力を少し、か。化物じゃな」
「やだなぁ☆化物はそっちでしょ☆」
「そうだな」
ロザリンデが魔蟲に気を向けた一瞬の隙に、シンリは姿を消して彼女の背後に回り込んでいた。
木刀に風を乗せ、切れ味の鋭い一撃をロザリンデに振りかぶる。
が、そう易々と勝てるほど王宮騎士は弱くない。
死角だろうが、不覚を取ろうが、王宮騎士には、特にロザリンデには不意打ちは効かない。
彼女は常にその膨大な魔力を自身の周囲に展開している故、目を瞑っていても、その全てを感知できる。
そしてその範囲は、一キロを下らない。
シンリの木刀は突然現れた氷の壁に阻まれ、そこからさらに床から火柱が上がったため後退を余儀なくされる。
火柱は天井を貫き、ロザリンデはその穴を通って一階に上がった。
「んー、ミルネアシーニちゃんが予想外だったね☆シンリのお兄ちゃんだけならなんとかなっただろうけど……」
言い終わる前にシンリは風を使って、顔だけ出しているロザリンデに突っ込む。
予期せぬ行動にロザリンデは驚きの表情を浮かべたが、土魔法を使ってその穴を塞いだ。
穴を壊し、顔を出したシンリに容赦なく魔法を浴びせるロザリンデ。
なす術なくシンリは屋敷の壁をぶち抜いて外まで飛ばされた。
「シンリのお兄ちゃんは、あれだよね☆戦い慣れてないでしょ☆」
シンリが立ち上がるよりも早く魔法を放ったロザリンデは、シンリを地面に縫い止める槍をいくつもの彼に突き刺した。
両手両足と胴、心臓や頭は外している様だが、計二十二本の様々な属性の魔法槍がシンリの身動きを封じていた。
煙立つ屋敷の中から姿を現したロザリンデは、無様なシンリをくすくすと嘲笑う。
「力だけあっても、技術がないと強者には勝てないんだよ☆」
「……」
シンリは相手にせず、地中に染み込んだ血から生やした植物を操作し、ロザリンデに攻撃した。
しかし……。
「だーかーらー、やるならやるで、殺気を隠そうよ☆」
植物は地面から出る前に、地面の中で燃やし尽くされた。
「……くそっ」
他の騎士たちがいない内にロザリンデを仕留めようとしたが、手も足も出なかった。
バレないように散布していた毒も、いつの間にか吹き飛ばされている。
完敗だった。
「ま、シンリのお兄ちゃんを倒せても、ミルネアシーニちゃんがいるからこれ以上どうしようもないんだけど☆じゃ、さよならかな☆」
ロザリンデにとってミルネアシーニは天敵だった。
膨大な魔力を使い魔法で攻める彼女が魔法を封じられてしまえば肉弾戦になる。
もちろん、魔法で強化された身体能力は王宮騎士の名に恥じるものではないが、わざわざ不利な勝負をする必要もないだろう。
本来であれば、彼女以外にも百人の騎士がいるのだから。
シンリに背を向けるロザリンデは、思い出したようにシンリに言った。
「あと、あの娘のことも報告するからね☆殺した方があの娘のためになると思うな☆」
ロザリンデは手を振って去っていった。
残されたシンリの元にやって来たミルネアシーニに魔法槍をどうにかしてもらう。
「幸運じゃったな」
魔術とは、自らの魔力を消費して発動するわけではないため、基本いくらでも使えるものである。
そのため、ロザリンデもその常識に則りミルネアシーニとの戦闘を避けた訳だが、彼女の魔術はそう何回も使えるものではない。
実際に戦っていれば、敗走か敗北かのどちらかだっただろう。
「負けたな」
「完敗じゃ」
「相手が強かったからか?」
「……」
ミルネアシーニが目を閉じて息を吐く。
分かってる。聞いてみただけだ。
自分が弱かったからだ。
力任せ。少ない手数。同じような戦法。
足りないものを挙げれば限りがない。
「我が勇者よ。主は決して弱くはない。掠りさえすれば相手を死に追いやるその毒、そして聖霊としての不滅の身体。死を敗北とするのなら、主にその機会はほとんど訪れんじゃろう」
ミルネアシーニの言葉を黙って聞いていた。
「ロザリンデ。あやつは決して強くはない。あの膨大な魔力は脅威と言わざるを得んが、所詮はそれだけじゃ。いくら魔力が有ろうとも、身体は人間。少し小突けばそれだけで弾け飛ぶ」
それはきっと、どちらも真実なのだろう。
シンリの毒が体内に入れば、対策していなければほぼ確実に死に至る。
ロザリンデにしても、毒を使わずとも少し力を入れればその身体をへし折ることは容易いはずだ。
シンリの身体は、並の攻撃では死なず、すぐに再生する。
しかし、それは死なないだけであり、再生するだけであり、今回のように拘束されてしまえばどうにも出来ない。
ロザリンデは人間の身体の弱さを理解しており、魔力による攻撃の見切り、さらには強化で防御面を上げている。
そして引き際を弁え、危険な勝負をしようとはしない。
「どうすれば勝てる……」
それは、シンリにとって無意識に出た独り言だったが、そばにいたミルネアシーニには聞こえていた。
ミルネアシーニは諭すように言う。
「我が勇者よ。主がどのような経緯で人間性を要らぬと切り捨てたのかは理解できる。確かに、余計な感情は不要じゃ。同族殺しは、次第に精神を蝕み、病ませ、腐らせる。重しになるくらいなら、早めに捨てた方が良い」
「何の話だ……?」
シンリの言葉には答えず、彼女は続けた。
「人間性を捨てたことで、主はより聖霊に近付いた。聖霊とは完成された存在じゃ。故に不変であり不滅。これ以上の成長はないと思った方が良いじゃろうな」
「……っ」
これ以上強くなることはないと言われ、シンリ表情は強ばった。
何をするにも力は必要だ。
こんな、『古き血』が生き辛い世界なら特に。
「じゃが、主は元は人間じゃ。どれだけ薄まろうとも、確かに人間であった事実は失われん。ならばきっと、まだ取り戻せるはずじゃ」
「取り戻したら、何になる」
「強くなれる。成長、向上心。それこそが人間の持つ強みじゃからじゃ」
人間という種は、脆く弱い。
獣人ほどの身体能力は無く、エルフほどの魔術技術は無く、その他亜人や魔物をとって比べても優れた部分を挙げることは難しい。
だが、その弱さを持ってして、これまで繁栄し続けた種族でもある。
弱さ故に、脆さ故に数で戦い、知恵で抗い、勝利を得て生き長らえてきた。
その生き汚さこそが、人間の有する強みであるとミルネアシーニは語った。
「負けたくない。強くなりたいと思えたなら、やはりまだ主は人間じゃよ。さあ立ち上がれ、我が勇者よ」
「……ああ、ありがとう」
礼を言って、ミルネアシーニが差し伸べた小さな手を取る。
「まさか、一番初めに要らないと思ってた物がな」
「いずれは自然に消える物じゃ。それまでに強くなるがいい。時間はそう長くはないぞ」
「分かってる」
シンリは額に手を当てて深呼吸した。
〇
「シンリ様っ、ご無事ですか!?」
あー、完全忘れてたわ、と思いながら、シンリは駆け寄ってくるエンテを眺めた。
例によって衣服は身につけておらず、もちろん靴も履いていない。
瓦礫の散った地面を歩くのは少々危険だろう。
案の定、破片を踏んだ足からは血が流れていたが、エンテは気にせずシンリの元まで来た。
本当に心配しているような、そんな瞳で見つめられる。
「俺は大丈夫だ。それよりも、お前の方が酷い」
ふわりとシンリはエンテを抱き上げた。
俗に言うお姫様抱っこである。
人間性を取り戻す一環として、聖霊では絶対にやらないことをやってみたのだが、なんか違うというのは分かった。
「っ、え!? えぇー!?」
「ミル、治してやれ」
「了解じゃ。『白き聖龍の福音』」
白い光がエンテを包む。
足の傷だけでなく、身体中に付いていた全ての痛々しい傷が癒される。
「ふみゅぅ……」
思考が状況に追いつかず、意識を手放したエンテを見てシンリは思った。
ーーやっぱりなんか違うな。
〇
「今、なんと?」
「エンテを連れて行きたい」
半壊した屋敷の中で、シンリは貴族に言った。
「……、……」
貴族は肯定も否定も言えず、何かを言おうとしては口を閉じてを繰り返していた。
娘をこのままここに置いていても、死よりも辛い研究対象として連れていかれてしまうのが分かっているのと、目の前にいる少年が化物だということを理解しているからだ。
どちらを選んでも、娘は不幸になるだろう。
『古き血』の末路は誰でも知っている。その『古き血』に味方した人間の末路も。
一切の例外なく、その先に待つものは死だけだ。
だが、娘を見ず知らずの研究者に弄り回されるのももちろん許せない。
いくら悩んでも答えは出せなかった。
「……君がなぜエンテを連れていきたいのか聞かせてもらえるかな」
「必要だからだ」
人間が近くにいた方が、人間性の指標にもなる。
それに、エンテがシンリに向ける好意は色々と使い道が……違う、これは人間の思考じゃない。
シンリが心中で葛藤している中、貴族も心中で考える。
シンリに尋ねたのはただの時間稼ぎだ。
考えが纏まらない。いっそのことエンテ自身に投げてしまいたいが、彼女はきっとシンリについて行くと即答するだろう。
貴族は覚悟を決め、ため息を着く。
「君は娘を守れるか」
貴族のまっすぐな視線に、シンリも応える。
「ああ。必ず守ると約束しよう」
人の命を大事にすることはきっと人間らしいはすだ。
故に、その言葉に嘘はない。
貴族はしばらくシンリと見つめあった後、椅子に背中を持たれ掛け、大きく息を吐いた。
「娘は化物に攫われた。これでいくが構わないね」
「それでいいさ。全面的に俺を悪人にしてくれ。どうせこれ以上下がりようもない」
「では遠慮なくそうさせてもらおう。ついでに馬と馬車と、いくつか物資も奪っていくといい。閉じ込めていた私が言うのもなんだが、娘は身体が弱くなっている。十分に気を使ってくれよ」
「悪いな。最後に屋敷を壊したことも謝っとくよ」
「今更だね」
話はまとまった。
エンテは未だ気を失っているが、この決定を嫌と言うことはないだろう。
こうして一人仲間を増やし、シンリは街を出た。
次はユラくんの話に戻ります。




