あの人はいま 〜シンリ〜2/3 (三)
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その部屋にいたのは、中学生くらいの少女。
今は寝ているのか、小さな寝息だけが聞こえる。
衣服の類は身につけておらず、寝相ゆえか毛布から露わになっている肢体には無数の傷跡が刻まれていた。
「これを見て、どうじゃ我が勇者よ。なにか感じることはできるかの」
「胸糞悪い、それだけだ」
「そう思えるのなら、主はまだ人間じゃよ」
彼女はそう言って、寝たきりの少女の頬に触れる。
一緒に地下の部屋に来て、暗い部屋を光魔法で照らしているロザリンデは、少し不満そうに口を開いた。
「シンリのお兄ちゃーん、真っ暗なんだけど☆」
「王女様が見るもんじゃないからな。我慢しろ」
ロザリンデの目を手で隠しながら、シンリはそう言った。
この少女と同い年くらいの彼女には、この光景はあまり見せていいものではないだろう。
明らかに死のうとした痕跡が残り過ぎている少女。
手首や首筋にある切り傷や胸部の刺傷をこの少女はどんな気持ちで負ったのだろう。
「言い訳することはあるか」
シンリは貴族に詰め寄る。
彼は諦めたように、目線を下に向けながら言った。
「信じてもらえるかは分からないけれどね。これは娘を守るためだよ」
「そうだな。信じられるはずもない」
「分かっているよ……でも、君に問わせてもらうよ第四王女、いや、ロザリンデ・ミーディアとしての君に」
「なにかな☆」
「もしも……もしも私の娘が『普通に』生活をしていたら、君たちは私の娘をどうしていた」
ロザリンデはその問いに、深く考えることもなく即答した。
「研究材料として『保護』するだろうね☆『魔力を一切持たない』なんて未知の存在は、死なないように調べ尽くして、死んだら死んだで解剖され尽くすと思うよ☆」
目隠しされて見えていなくとも、そこにある『物体』に魔力が宿っていないことくらい、魔力に長けている彼女には手に取るように分かる。
「ああ……だから私は、こうするしかなかったんだ」
貴族は随分とくたびれたように言った。
この世界に疎いシンリが、よく分からないといった表情をしていたため、ミルネアシーニが補足する。
「つまり、じゃ。どんな生物でも、無機物でも死体ですら持っている魔力を持たない存在、それがこの娘という訳じゃよ。そして、それがどんな理由で魔力を持たんのか判明し、それを人為的に作り出すことが出来るのであれば、通常の手段で感知出来ない人間を作り出すことが出来るのじゃ。要するに……スキルでは見つけられん暗殺者、とかの」
「他にも、使い道は色々あるだろうね☆」
それを聞いて、人間に対する嫌悪感が強くなる。
貴族のしていることが正しいとは決して言わないが、それは彼なりに彼女を守ろうとした結果なのだろう
「……ぁ」
シンリたちが側で話をしていたからか、少女は目を覚ましたらしい。
視線を一人ひとりに向けていき、シンリを見た瞬間身体がビクリと震えた。
「えっ……」
少女は目に見えて笑顔になり、しかし、その顔を隠すように毛布を被った。
と思ったら今度は勢いよくベッドに立ち上がり、シンリに告げる。
「好きです! あ、いえ。愛してます!」
「は?」
「結婚を前提に婚約してください!」
「は?」
人間らしい感情の薄まっているシンリですら面食らい、状況が飲み込めず硬直する。それは、ロザリンデもミルネアシーニも貴族だって同じだ。
ただ少女だけが、まくし立てるように言葉を紡ぐ。
「エンテ・フールバートと申します! 歳は、えっと……5歳とプラスアルファ、フールバート家の次女でございます! 5つの頃よりこの部屋で過ごして数年、自らが生きながらえる理由を見い出せず、幾度もその命を散らそうと試みその度に妨げられましたが! きっとそれは運命だったのですね! わたくしの全ては今日、この日、貴方様と出会うこのためだけに存在したのです! わたくしの全てを貴方様に捧げます。この身、この心、この命、どうか、どうか貴方様のためだけに費やすことをお許しください」
土下座である。
柔らかそうなベッドの上で頭を下げる少女に、シンリは掛ける言葉が見当たらなかった。
というか、まだ状況の把握が出来ていない。
固まったシンリの手を退かして、目の前の少女を見たロザリンデは、その『魔力を持っていない』という珍しい存在に手を伸ばす。
が、パチンとその手を叩かれた。
「触らないで貰えますか。この身は既にこの方の物。この方の許可なく誰かに触れさせるなど、この方の所有物として相応しくない行動は取れませんので」
「……シンリのお兄ちゃん☆」
割といつも笑顔を崩さなかったロザリンデの表情にぴきりとヒビが入ったが、エンテはそんなの関係なしに舞い上がる。
「まぁ! まあまあ! シンリ様と申されるのですね! ああ素敵な響き……まるでその一文字一文字口にするだけで、エンテは天にも昇ってしまいそうな心地です……」
うっとりと頬を染めてシンリを眺めるエンテに、シンリは底知れぬものを感じて数歩後ずさった。
だが、ここまで言われて何も言わない訳にもいかない。
とりあえず丁寧にお断りの返事をと、シンリは彼女の名を呼んだ。
「そ、その、エンテ……」
「いやあああああ!! きゃあああああ!! シンリ様がわたくしの名前を口にされるなんて!! わたくしもうこの生涯に一片の悔いすらありません!」
名前ひとつ呼んだだけで、きゃあきゃあ騒がれて話が進まない。
ベッドの上でゴロゴロ悶えながら転がっている少女を見下ろしながら、シンリは思った。
……帰りたい。
魔力がないということは、既に『古き血』ではないということは分かっている。ならば、もう用はなくなった。
だが、なんだこの帰りにくさは。
「え、エンテ」
娘の奇行に、一番硬直が長かった貴族は我を取り戻す。
娘をこの部屋に閉じ込めてもうすぐ八年。その間、彼はこの部屋に入ることは無かった。
彼は、本当に娘を守りたかったのだ。
いつか『魔力を持たない存在』の前例が現れて、娘が異常ではなくなるまで、人の目に触れること無く隠し続けようとしていたのだ。
方法が間違っていたのはずっと昔から分かっていた。
閉じ込める代わりに、望むものを何でも与えていた。
しかし、いつからか、娘は与えたもので自殺を図るようになり、部屋から全てを取り去った。
本を与えれば頁で傷を作り、ぬいぐるみを与えれば綿で首を絞める。
食事にナイフやフォークは当たり前のように自殺行為に直結した。
知る者は少ない方が良いため、信頼できる使用人の一人に全てを任せていた。
自らは、娘の顔を見るのが怖くてこの部屋に入ったことは今日が初めてだ。
報告で、娘が死にたがっていたことは知っていた。
しかし娘の為だと自分に言い聞かせ、今日まで過ごしてきた。
八年。八年だ。
久しぶりに見る娘の顔は、幼きあの日の面影が残っている。
傷だらけの身体、やせ細った身体は、何もしてこなかった自分の罪だ。
目を背けようとも、まぶたに焼き付いて離れない。
「私はお前の事を考えていたつもりで、何一つ考えてはいなかった! 悲しみを知ろうとしなかった! 苦痛を理解しようとしなかった! いつか、来るかも分からない救いの日をただ信じて待つことしかしてこなかった! 恨んでくれていい! 許してくれとは言わない! ただ、済まなかった! そして、頼む、都合の良い話だとはわかっているが、どうか、元に戻ってくれ!」
狂ったとしか思えない娘の奇行。
貴族は泣きながら、懺悔するように叫んだ。
対して、娘は。
「え、あ、はい。お父様お久しぶりです」
非常に白けたように返した。
「別にわたくし、お父様を恨んではいませんし、憎んでもいません。許すもなにも、本当何も無いです。むしろ、シンリ様と出会えたこの奇跡に感謝させて頂きたいくらいで」
そう、淡々と告げる。
「それと、今日をもって、わたくしはこの部屋を出て行きます。愛するシンリ様と添い遂げなければならないので」
「いや連れてかないからな」
「えっ……」
ようやく口を挟めたシンリの言葉に、エンテは驚きを通り越して絶望の表情を浮かべた。
「……そう、ですか。分かりました」
予想に反して、彼女はすんなりと諦める。
そして、シンリの手を両手で包み、こう懇願した。
「では、どうかわたくしを殺してくださいませ」
一切の冗談もない、偽りのない本音。
絶望に染まり、酷く濁りきった瞳がシンリを見つめる。
エンテはゆっくりと自分の首にシンリの手を近づけた。
シンリに触れたことで若干喜色が見られ、頬を染めている。
シンリが少し力を入れれば折れてしまいそうな細い首。
エンテの手を振りほどくのは簡単だ。
このまま首をへし折ることも容易い。
エンテの首筋から伝わる脈を感じながら、シンリは言った。
「ロザリンデ、何をしているんだ?」
「え、殺してあげようと思って☆」
横で、火球をエンテに向けていたロザリンデは、躊躇うことなくそれを放った。
彼女たちの間にほとんど距離はない。
エンテに手を掴まれていたシンリもそれを防ぐことは出来ない。
貴族に至っては、何が起きているのか認識すら出来ていないだろう。
「室内で使う魔法ではないの」
唯一行動できたのはミルネアシーニだ。
彼女はエンテの眼前に転移し、ロザリンデの魔法をその身に受ける。
無傷ではないが、皮膚が少し焦げたくらいのダメージしか負っていなかった。
エンテを庇うように彼女の前に立ち、ロザリンデに向き合ってシンリは言った。
「お前、自分が何をしようとしたのか分かってるのか?」
「望み通りに殺してあげるんだよ☆人の願いを叶えるのが、正義の味方のやることだからね☆」
「あ、貴方に殺されたいとは思っていません! わたくしはシンリ様に殺されたいのです!」
「死んだら変わらないでしょ☆」
ロザリンデはくすくすと笑いながら言った。
「なにが正義の味方だ」
「ああ、シンリのお兄ちゃんたちには言ってなかったかな☆タイミングもいいし、改めて自己紹介してあげるよ☆」
ロザリンデが首に下げた結晶を握りしめると、彼女の身体は光に包まれる。
次に光の中から出てきた彼女の姿は、先程とは服装が違っていた。
彼女の髪色と同じピンク色のドレス。多くのリボンなどがあしらわれたゴスロリファッションとでも言えばいいのだろうか。
握りしめた結晶は、彼女の瞳の奥にある『☆』と同じようなモノが先端に付いてある杖に変貌していた。
その姿を言い表すのであれば、一つしかないだろう。
「ある時はさすらいの旅人ローザさん、またある時はミーディア王国第四王女ロザリンデ・ミーディア様、しかしその正体は……っ☆」
ロザリンデが杖を振るうと、彼女の背後にいくつもの魔力の塊が現れる。
火球、水球、氷球、風球、土球、電球、光球、闇球……。
他にも、魔法によって生み出される、およそ全ての属性の魔球が彼女の後ろにはあった。
それによって、シンリとミルネアシーニは理解させられる。
目の前の存在が、膨大な魔力にものを言わせて、無尽蔵に魔法を振るえる理不尽極まりない存在であるということを。
彼女はポーズを決めて言った。
「王宮騎士第九位、正義の魔法少女ロザリーちゃんなのでした☆」




