11.自らの無力をただ嘆く
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「そう、『じゃんけんぽん』と口にする瞬間、私は全員の手の動きを捉えようと……」
「あ、はい。もういいですはい」
僕の渾身の叫びを無かったかのように高度なじゃんけんの解説を続けようとするディナだったけど、僕は適当に話題を終わらせた。
真面目な話をしているんだから、ふざけたことを言わないでほしい。いや本人は至って真面目なんだろうけど。
図らずも、この世界のじゃんけん誕生の瞬間を聞いてしまった。くっそどうでもいい。
じゃんけんなんかで死ぬことを定められたアルエはこれを聞いてどんな顔をしているのだろうと見てみると、そこには真剣な表情を崩していない彼女がいた。
いやこれは怒っていいよアルエさん。
人の命をなんだと思ってるんだよ王国。
「で、負けてしまったディナさんは、どうして自分の騎士の中からアルエを選んだんですか? まさか、これもじゃんけんで決めたとか言いません……よね?」
有り得ないと言いきれないのが怖い。
「アルエを選んだ理由か。言ってみれば、確実性を求めた結果だろうな。呪鬼が扱う神術が分からない以上、手数は多いに越したことは無い。物理が極端に通らない能力だった場合など、魔術もある程度修めているアルエであれば問題はないからな」
「……なるほど」
ああダメだ。
アルエの死を回避する方法が何一つ思い浮かばない。
『僕たち』が何も、誰も失わずに済ませるためには、呪鬼を倒せる少なくとも騎士レベルの実力者かつ、喜んで自分の命を差し出せる聖人のような人物が必要だ。
けれどもちろん、そんな都合の良すぎる人がいるはずもない。いたら逆に怖い。
もしもアルエが、死ぬことが嫌で嫌で仕方がなくて、呪鬼討伐をどうにかして他人に押し付けたくて、隙あらばディナの目を逃れて逃げようとしているのならば、やりようはいくらでもある。
アルエに『逃げよう』と言えばいい。僕は全力でその手助けをするだろう。
しかし、アルエは自分が生きることを諦めている。いや、死ぬことを受け入れていると言うべきだろうか。
この二週間、逃げる機会はいつでもあったのだ。
だけど、アルエは逃げることなくディナの帰りをずっと待っていた。このことから、アルエに逃げる意思が無いことがわかる。
覚悟を決めている彼女を説得できるとは思えないし、その時間もない。
完全に打つ手無しだ。
「アルエ……君は、これでいいの? 他人に命令されて、自分の命を捧げることに、なんにも思わないの?」
その結論に達した僕は、それでも諦め悪くアルエに問いかける。
「ウチもね、死にたくはないよー。でもねー、ウチがやらなかったら、他の誰かが死ぬんだよー」
「でも、だからって……アルエである必要はないでしょ」
「そうだねー。他に代わりはいるだろうけどねー、もしもウチが辞退して代わりになった人が、ウチの大切な人かもしれない。そう考えるともう、やるしかないよー。それにさー」
アルエは顔を横に向けて、ディナを見て言う。
「団長は選ばせてくれたんだよー。本当は命令すればいいだけなのに。『人として生きるか、騎士として死ぬか』を。ウチは自分で選んだんだよ。騎士として死ぬことを」
「……それでも僕は、君に生きていて欲しいよ」
「……うん。でも、ウチも騎士として守りたいものがあるんだよー」
アルエは聞き分けのない子供を相手にしているような、優しく宥めようとする口調でそう言った。
僕はもう何も言えなかった。
彼女の意思は変えられない。説得することも叶わない。
そもそも彼女は、死ぬことに納得してここにいる。
騎士ってなんなんだよ。それは生きることよりも大切なものなのだろうか。死んでしまったらなにもかも終わりじゃないか。
アルエの言う守りたいものがなんなのかは分からない。
だけど、守りたいものを、文字通り命を賭して守ろうとする彼女はとても立派で眩しくて、僕は顔をうつむけた。
僕には何もできない。どうすることもできない。
それが悔しくて、悲しくて、奥歯を力強く噛み締めた。
そうでもしないと、泣いてしまいそうで。でも泣いてしまったらアルエを困らせるだけだから、必死に我慢して。
僕が黙り込んだことで、この場に再び沈黙が訪れた。
静かな息遣いだけが聞こえてくる。
「……話は、終わりだな」
ディナはそう言って立ち上がった。
アルエもそれに続いて立ち上がる。
もう二度も会うことはないのだろう。
扉が開く音がした。
それでも僕は顔を上げられない。
最期の別れになるだろうに、顔を見るのが、顔を見せるのが怖い。きっと泣いてしまう。死なないでと、彼女が困る言葉を叫んでしまう。
これ以上、無様な姿を彼女に見せたくはない。
「ユラっちくん」
アルエは僕の名前を呼んだ。
「ウチはね、ユラっちくんにそこまで想って貰えるような人間じゃないんだよー。だって最初、ウチはユラっちくんを身代わりにしようとしてたんだよ。死にたくなかった。死ぬのが怖かった。そこにワイバーンを倒した人がいたから、利用しようとしてたんだー」
それは事実なのかもしれない。
それが目的で僕に近付いたのかもしれない。
「槍の使い方を、戦い方を教えたのもそのため。ユラっちくんの本気を見たかったのも、呪鬼を倒せるような実力があるか確かめるため」
けれど、事実だろうと関係のないことだ。
最初はどうあれ、最後は何も言わずに立ち去ろうとしていたのだから。
「ウチは最低の人間なんだよー。人を騙して、生きようとした。だから、ユラっちくん。ウチのことなんて気にしなくていいんだよー。忘れていいんだよー」
きっと、気に病んでる僕のために、僕に嫌われようとしているのだろう。
そんなことで嫌いになれるはずなんてないのに。
言いたいことは言い終わったのか、アルエは扉を閉めて外に出ようとする。
その前に、僕は立ち上がってその手を掴んだ。
「アルエ!」
驚いたように振り向いた彼女の瞳には涙が溜まっていた。
そこにいたのは強い心を持った騎士ではなかった。
怖くて、傷ついて、悲しくて泣いている、ただのか弱い女の子だ。
けれど僕には、彼女を救うことは出来ない。
目の前で泣いている女の子の涙を止めることも、笑顔を取り戻すことも出来ない。
そんな力も、勇気もないからだ。
彼女が望む言葉を掛けることも出来ない。
何を言っても、何も出来ない僕の言葉は彼女には虚しく響くだけだろう。
だから僕はどこまでも自分勝手に、どこまでも自己満足のために、自分の言葉を彼女に伝える。
ただ一言。
「ありがとう。君に出会えて本当に良かった」
僕はなんて卑怯な人間なのだろう。
自分が後悔したくないがために、自分だけが救われたいがために、心残りを吐き出してすっきりした。
それでもこれは本心だ。
ほかの言葉もあったけれど、一番彼女を困らせない、僕なりの決別の言葉。
アルエはくしゃりと顔を歪めて貯めていた涙を流した。
嗚咽を漏らしながら、必死に言葉を紡ごうとする。
「ウチもっ、ユラっちくんと出会えて本当に良かったよ! 一緒に過ごして楽しかった! 一緒に話せて嬉しかった! 本当に……本当に幸せだったんだよ!」
なんて……なんて嬉しい言葉をくれるんだろう。
僕は何もしてあげられないのに、どうして彼女はこんなにも僕を救ってくれるのだろう。
僕はもう、堪えきれずに泣いてしまった。
アルエは縋るように僕に抱き着いてくる。
こんな時、どうすればいいかなんて経験がないから分からない。
だから、僕も同じように強く抱き締め返す。
「もっとユラっちくんと一緒にいたかったよ……。話したいこととか、やりたいこととか、たくさんあった。死にたくないって気持ちが、ユラっちくんと出会ってから強くなったよ」
僕にしか聞こえないような小さな声で彼女を弱音を吐く。
「アルエ、僕は……」
もしかしたら、情に流されているだけかもしれない。正確な判断が出来ていないのかもしれない。あるいは、格好をつけたかったのかもしれない。
自然と言葉が出た。
「僕は、君のためなら死ぬことさえ怖くないかもしれない。僕が君の代わりに呪鬼を……」
その言葉の続きを、僕は言えなかった。
言いたくなかった訳じゃない。口を塞がれて、言えなかったんだ。
「……」
「えへへー」
ゆっくりと、アルエの顔が離れていく。
唇に触れた柔らかな感触があとを引いて、今の出来事が現実であることを主張する。
言葉を失う僕に、アルエは少し顔を赤くして、照れ笑いを浮かべながら言った。
「ダメだよ、ユラっちくん。ウチは騎士なんだから。好きな人くらいは守らせてよー」
「……君は、とても酷いことを言うんだね」
彼女のために死ぬことを許されず、彼女が死ぬことをただ見ている事しか出来ない。
これ以上に残酷なことが他にあるだろうか。
「アルエ、僕もきっと君のことが……」
また言葉を遮られた。
今度は人差し指を口元に押し付けられて。
「それもダメだよー。聞いちゃったら、覚悟が鈍るからねー。だから、笑って見送ってよ。そしてできるなら……ウチを忘れないで欲しいなぁ」
「うん。絶対に忘れない。忘れられるものか。君と過ごした時間は、僕の人生の中で最高の時間だった」
「ウチもだよー。この思い出は、死ぬまで……ううん、死んでも、絶対に忘れない」
涙を拭って、彼女の目を見て言った。
「さようなら、ユラっちくん」
「さようなら、アルエ」
僕に背を向けて彼女は歩き出す。
その後ろ姿を、僕は忘れることはないだろう。
アルエはディナと二言三言話して頷き、それから振り返ることなく前を向いた。
未練がましく伸ばした手が彼女に見られなかったことは、嬉しかったけれど、それ以上にすごくさみしい。
ディナが槍を取り出して振るい、次元を裂く。
彼女たちは臆することなくその中に足を進め、しばらくすると彼女たちを飲み込んだ裂け目は消え去った。
ワープのようなものなのだろう。
僕は糸が切れたようにその場にへたり込み、大声を上げて泣いた。
村人たちの視線を気にしている余裕もない。
ああ。
僕は無力だ。




