9.小さな一歩を踏み出した
お読みいただきありがとうございます。
目を覚ますとベッドの上だった。
なんてことはない。慣れ親しんだおじさん宅の、僕に宛てがわれた部屋である。
いや慣れ親しんだとか言ってもこの世界歴まだ6日目なんですけどね!
え、そんだけしか経ってないの?
時間の流れを遅く感じた。それだけ濃密な時間だったのだと言えるだろう。少なくとも、日本では体験できないような。
ともあれ身体は万全。例によって魔法やら魔術で治療されたらしい。
と、そこでアルエを連想して、昨日のことを思い出す。
微妙に記憶がおぼろげだけど、なんかやらかしてしまったことだけは確かに覚えている。
顔を合わせづらくはある……というか普通に合わせづらいけど、とりあえず一言謝っておくべきだろう。
あとついでに、連れ帰って来てくれたこととかのお礼も。
ひとまず起きたことをおじさんか奥さんに報告しておこうと扉を開けた。
「あ、ユラっちくん起きたんだねー」
とりあえず閉めた。
心の準備ができていない。
唐突過ぎるエンカウントに僕の心はロックンロール。何が言いたいんだ僕は。
「なんで閉めるのー?」
「い、いやなんか驚いちゃって……」
アルエの腕力に負けて扉を開かれた僕はそう答えた。
どうしてアルエがこの家に……しかも寝間着のような簡素な服を着て居るのかは分からないけれど、この際ここで謝っておこう。
引き伸ばしても仕方ない。
「あの、アルエ」
「んー?」
「その、昨日はごめんね。ほら、えっと……」
言いづらそうに言葉を濁していた僕の態度で察したのか、アルエは顔を赤くして、それを隠すように手のひらで顔を覆った。
「い、言わないでよー。思い出さないでよー。恥ずかしいからー!」
そう恥じらわれると、僕も悪いことをしている気分になってしまう。いや悪いことしたんだけど。
しばらくアルエが「ひー」と恥ずかしがっているのを放置することもできず、僕は居心地悪い状態で立ち尽くすしかなかった。
「はい終わりー。この話終わりー。いーい、ユラっちくん」
「い、いえっさ」
騎士の威圧。
それを至近距離で喰らって肯定以外の返事が出来るはずもないよね!
〇
どうやら、アルエはしばらくの間、この家に居候するらしい。
そう食事の席でおじさんから伝えられた。
それに伴い『年頃の男女がひとつ屋根の下云々』という問題をおじさんが言い出し、危うくも僕は追い出されて野宿をさせられそうになる、という事件が発生。
そんなことを言われた僕は溜まったものじゃない。
だから、アルエが騎士でありとても強いこと、そして僕が薪割り程度で筋肉痛になるほど貧弱なことをこれでもかと言うほど熱弁した。
だがしかし、アルエの『ユラっちくんに負けたけどねー』という発言が僕を劣勢に立たせ、あと一歩まで追い詰められる。
議論は白熱、なんやかんやあったけどそれは割愛して、なんとかこの家に留まることを死守できた。
ぜえぜえと息を切らす僕とおじさんを見て『賑やかで楽しいわねぇ』と微笑んだ奥さんはある意味すごいとおもいました。
そんな僕とアルエのドキドキ✩同棲生活は、こうして始まり、特に何も起きないまま二週間が経過した。
正直この二週間、語るほどのことは特に何も無い。
アルエに槍の手ほどきを受けたり、体力を付けるため走ったり筋トレしたり。ぶっちゃけ僕自身覚えていなかった『何でも屋』として森に薬草を取りに行ったり。
ほのぼのと村でスローライフというか、そんな感じに過ごしていた。
最初は、よそ者であるアルエに(僕もよそ者だけど)不審……とまでは言わないけど訝しむような視線を向けていた村人たちも、今では笑顔であいさつを交わす仲である。
騎士としてか、困っている人を助ける彼女は、もはや先に来ていた僕よりも人気者となっていた。ほとんど一緒にいた僕の株もそれなりに上がっているとは思うけど。
充実していた。楽しかった。
心からそう思えるほどに、心地がよかった。
しかし今日、その幸せな時間は突然終わることとなる。
いつものように、少し村から離れた平原で、模擬戦のようなものをしていた僕とアルエの前に現れた一人の人物。
「アルエ、探したぞ」
その人はそう言って、アルエの肩に手を置いた。
王宮騎士第二位ディナ・メネシス。
彼女は初めて見た時と見違えるような……いや人違いかと疑いたくなるレベルでやつれていて、綺麗な蒼く長い髪は薄汚れてくすんでいる。
泥だらけの砂まみれ。生傷は絶えず、近くには虫が飛んでいて、女性に言うのもなんだけど、正直少しにおう。
それでも一定の美しさを失っておらず、こんなナリでもため息が漏れてしまうほどに綺麗だと思った。
腐っても鯛、その諺の意味を初めて理解した瞬間でしたね、はい。
「本当に……本っっっっっっっ当に! 探したんだぞっ、アルエぇ……」
涙声で、むしろもう半泣きレベルで心からそう言ったディナは、とても化物と呼ばれる王宮騎士だとは思えない。
ディナはアルエに抱きついて、アルエは子供をあやす様に、慣れた手つきで頭を優しく撫でていた。
僕はいま、なにを見せられているんだ……っ!?
「やっと帰ってきましたねー」
「気付いたら、帝国でっ、国境超えてて……ぐすっ。もう自分がどこに居るのか分からなくなってっ。アルエはいないしっ! アザンも、モアも、フィーも、誰もいなくてっ!」
「今回同行してるのウチだけですからねー。先輩方は王都でしょうねー」
「任務は終わってないし、帰れないし、どう進めば王国に戻れるのかも分からないし! お腹は空くし、お風呂は入れないし、着替えもないし! お金だって全部アルエに渡していたしっ!」
「え、渡されてないですけどー?」
「え」
ディナが虚空に手を伸ばすと空間が割れ、ディナはその中に手を入れる。
よくある時空魔法みたいなものだろうか。あるいはアイテムボックス。たぶん似たようなものらしく、次元の裂け目からはじゃらりと見るからにたくさんお金が入ってそうな袋が出てきた。
「……」
「……」
「……ぐすん」
まあ、突然終わる、なんて言ってみたけど、アルエはいつの間にかどこかに消えたディナが戻ってくるのを待っていただけなのだ。
とある理由から極度の方向音痴、というか迷子体質であるらしいディナはことある事に居なくなっては部下を見つけるまで探し続けるという奇行に走るらしい。本人は至って真面目らしいけど。
任務以外では割とすぐに王都に戻る(それでも数日はかかる)のだけど、任務となるとディナの自分ルールか、遂行するまで帰らないというのがあるらしく、最後にいた村で待機するしかない、とはアルエの弁だ。
「ユラっちくんー、ちょっと先に戻ってお風呂とご飯の用意をしてもらってていいかなー」
「あ、うん分かった」
なるべく急いだ方がいいだろうと思い、僕は槍の力を使う。
普通に僕が走るよりも、槍が最善を尽くして走った方が早いというのが分かっているからだ。
槍に身体を委ねている僕は、勝手に進む景色を眺めながらふと考える。
この二週間、努めて考えないようにしていたことを考える。
『代わりに死んでくれ』と言っていた彼女のことを、その意味を。
考えたところで答えは出ない。何も聞いてないから情報もない。
ただ、この日々が終わってしまうことだけは確実で、それは少しさみしいと思った。
〇
「先程は情けない姿を見せたな、ユラ」
「い、いえいえ」
場所は変わっておじさん宅。
水を浴びてさっぱりしたディナが、ご飯を頬張りながらそう言った。
そんなわんぱく小僧みたいな姿を見てもやはり美しく思えて、人間ではなく他の何かを見ているような気分になってくる。
それはそれとして、はじめ見た時は『できるお姉さん』ってイメージだったんだけど、さっきの姿や今の姿を見てると、もはやそんなイメージは崩れさってしまっていた。
残念系美人とでも言えばいいだろうか。
なんてことを思いながら、自分がご飯を食べるのも忘れてディナを眺めていると、見すぎていたのか目が合った。
「なんだ?」
「い、いやよく食べるなぁ、と」
「二週間振りの食事だ。それに、前回はワイバーンを焼いただけだったもぐもぐ」
「あ、はい」
……この人本当に人間なのかなぁ。
「ああそうだ。忘れないうちにこれを渡しておこう」
ディナは思い出したように次元を割り……字面すごいな。
僕は呆れつつも、次元の裂け目でゴソゴソしているディナを見ていた。
取り出したのは、先程も見たお金の入った袋。
それをまるごと僕に渡してきた。
「こ、これは?」
「金だ」
「それは見れば分かるんですけどね!?」
当然の行動に奥さんもアルエも驚いている。
ちなみにおじさんはいつも昼はいません。
「なに、アルエが世話になった礼だ」
「いや、僕なにもしてないんですけど……」
「何もしていない、か。それでもいい。お前と過ごしたことで、この娘は笑えていた。それはきっと、金などよりもずっと価値のあるものだ」
ディナは隣に座るアルエの頭に手を乗せて言った。
僕がアルエに目を向けると、彼女は少し照れくさそうに笑う。
「あとご婦人、こちらを受け取ってください。アルエの宿代と、今回の食事代と思っていただければ」
「あらあら、頂けないわこんなに」
「遠慮なさらず。騎士共にとって金などあっても貯まるだけですから」
立場上はディナの方がずっと上だろうけど、年長者は敬う質なのか、ディナは敬語を使っていた。
奥さんはそう言われても……といった風な困った顔をしている。
というかこの人、金の存在を思い出した端からバンバン使うな。
「さて、アルエ。そろそろ行くぞ。残り八つの都市と十六の村を回らなければならん」
「ほぼ全部ですねー。いくつか手遅れになりそうですー」
「どうだかな。その時は、頼んだぞ」
「……。はいー」
空になった皿をてきぱきと重ね、荷物をまとめながら二人は会話する。
騎士たちの仕事の話だ。僕も奥さんも差し込める口はない。
「世話になった」
「さようならー。おばさん……それと、ユラっちくん」
そのさようならには、もう二度と会えないという意味が含まれているのだろう。
最後まで彼女は笑っていた。ロクな弱みも見せることなく笑顔だった。
本当に、アルエは死んでしまうのだろうか。
そう思うと怖くて、返事はできないまま、彼女たちは家の外へと出ていってしまった。
残ったのは僕と奥さんだけ。
二人が出ていっただけだと言うのに、随分と広く、そして寂しく感じてしまう。
「あっという間だったわねぇ」
奥さんは感慨深そうにそう呟いて、テーブルの上のお皿を片していた。
あっという間。
そう、あっという間だった。
流れるように過ぎていったこの二週間。いつまでも続くと錯覚してしまいそうな程に平穏で、楽しくて、賑やかだった二週間。
やりたいことがあった。やろうとしていたことがあった。やり残したことがあった。やるべきことがあって、やらないといけないことがあった。
とても全部はできなくて、終わったあとに『こっちをしとけばよかったな』と思うのは夏休みと似ている。
僕のやりたいことはなんだろう。
やろうとしていたことは、やり残したことは、やるべきこと、やらないといけないことは。
違う。
僕は何もしていない。
考えないようにしていた。知りたくなかった。
見ないようにしていた。目をそらしていた。
でもいま、何もしていなかったことを後悔しているか自分がいる。
僕は考えないといけなかった。知るべきだった。目をそらさずに受け入れて、向き合う必要があったんだ。
今からでも間に合うだろうか。遅くはないだろうか。
いやたとえ手遅れなのだとしても、ここで動かないのは、違う。
ここで踏み出さなければ、僕はずっと進めない。止まったまま、いつまでも後悔し続けるだろう。
アルエに聞かなくちゃいけない。
本当に死ぬのか。どうして死なないといけないのか。他に方法はないのか。
そして考えよう。
誰も死なない方法を。誰も泣かない道を。みんなが笑って、幸せになれる結末を。
「ユラくん、早く行かないと。アルエちゃんたち行っちゃうわよ」
奥さんが優しく微笑みながらそう言った。
そんなに未練がましそうな顔をしていただろうか。
だとしたら少し恥ずかしい。
「はい、行ってきます!」
「がんばってね」
僕は勢いよく飛び出した。
どうでもいいですけど、ユラくんがこの世界に来て20日。さらっと数えたところ、シンリ編の合計日数もそんくらいでした。どうでもいいですね、はい。




