あの人はいま 〜シンリ〜1/3
お読みいただきありがとうございます。
ユラ編途中で時系列バラバラですが、シンリの話です。
ヒイラギたちと別れて数日後ぐらい。
この話を読むにあたっての事前情報として6話くらいにあった木刀(杖)の説明文をコピペしました。
『霊樹杖 リ=グロウ』
『1000年生きたエルフの森の王の墓から生えてきた聖霊樹ミルネアシーニの枝を削って創られた杖。森のエルフ達の聖なる力が込められている』
……。
……。
……。
やあ、俺。
随分疲れた顔をしてるじゃないか。
人を殺すのに疲れたか?
人を憎むのに疲れたか?
人を恨むのに疲れたか?
……。
いいや。
分からない。
自分が何に疲れているのか。
自分が何に苦しんでいるのか。
自分が何に怒っているのか。
何も分からないよ。
ははっ。
それは違うだろ。違うはずだよ俺。
オレが分かってるんだ。俺に分からない道理はねえよ。
俺は知ろうとしてないだけさ。
俺は分かろうとしてないだけさ。
答えはずっとオレの中に、俺の中にあるんだから。
なら教えてくれよ。
俺は人間が憎い。
あの人たちを殺した人間が憎い。
あの子たちを殺した人間が憎い。
あの村を燃やした人間が憎い。
……。
あの人たちはいい人だっただろ。
あの子たちには未来があっただろ。
俺が悪いなら、俺を殺せば良かっただろ。
どうして俺が生きていて、関係ない人たちが死なないといけなかったんだ。
……。
この前、人を殺したよ。
人を殺す人間の気持ちを知りたかったんだ。
でもダメだった。
当たり前だよな。
だって俺はもう、化物なんだから。
なあ、俺。
心にもないことを思うから疲れるんだ。
オレは俺で、俺はオレだ。
隠しごとなんて必要ないんだ。
俺には、お前が何を言っているのか分からないよ。
さっきも言ったが、それは俺が分かろうとしていないからだ。
答えは既に俺の中にあるんだ。
それでも、まだ分からないか?
……ああ。
なら教えてやるよ俺。
俺が何に苦しんでいるのか。
それはさ、俺
本当は、何も思ってないんだろう。
何も感じてないんだろう。
人間が憎いと言いながら、人間を殺したいと思いながら。
そう信じきかせてるだけなんだろう。
ただ、『人間らしく』悲しみに浸ってるポーズを取ってるだけなんだろう。
憎くないのに憎んでいる振りをして、苦しくないのに苦しんでいる振りをして、悲しんでいないのに悲しんでいる振りをする。
そりゃあ疲れるさ。
無駄なことだし。無駄以外の何物でもないし。
そんな、ことは……。
ない訳ないって、もう気付いただろう。
スゼ爺が自分のせいで殺されたのに、何も感じていないって。
エルゼが自分のせいで死んだのに、何も悲しくないって。
自分を救世主だと崇めていた村人たちが焼き払われたのに、全てがどうでもいいって。
気付いただろう。
……ああ。
そうだな。
悲しいも憎いも辛いも苦しいも、全部俺が作り出した偽物の感情だった。
疲れるはずだ。
ああ、でも。
それでも、俺は悲しんでなきゃいけない気がする。憎んでいないと、辛いと感じていないと、苦しんでいないといけない気がする。
やめとけやめとけ。
疲れるだけだ。
お前はもう休んでいろよ。
後はオレに任せて休んでいろよ。
この先、僅かにでも人間性が残ってる俺にはずっとしんどいだろうけど、純度百パーの化物なオレなら余計なこと考えずに上手くやれるからさ。
そう、か。
その方がいいのかもな。
俺はきっと、何かする度に精神すり減らして感情作って、まだ残ってる人間性を守ろうとするだろう。
ならもう、眠っておく方がずっといい。
じゃあ、頼むよ、俺。
俺はしばらく、休んでおくから。
ああ、安心して休んでろ。
おやすみ。
ああ、おやすみ。
〇
ザァー、と土砂降りの雨が痛いくらいに頬を打っていた。
数メートル先も見通せないような豪雨の中、足元にある物体にシンリは目を向ける。
「化物、がぁっ!」
雨の音が強すぎて、その声はシンリには届かなかったけれど。
そう言って絶命した男性の心臓には、木刀が突き刺さっていた。
そのすぐ近くには、似たような死体がいくつか転がっており、少し進んだ先には馬車が停まっている。
それは、不幸にもシンリの気まぐれによって殺された商人の物であり、最後に殺それた男はその護衛として雇われた人間だった。
「……」
シンリは酷く濁った瞳でふらふらと前に進み、木刀を抜く。
そして馬車に近づくが、馬が逃げようとしたため風魔法でカマイタチを飛ばし馬の首を飛ばした。
馬車の中に入り込み、中にあった積荷を外へ放り投げると、シンリは荷台で横になる。
雨が止むまでこうしていよう。
聖霊には睡眠は必要ないが、自発的に意識を切ることで睡眠に似たようなものはできる。
シンリはゆっくり瞳を閉じた。
ぺたり。
意識を切る前に、顔面に何かが乗った感触がした。
シンリが煩わしそうにまぶたを持ち上げると、そこには一人の少女がシンリを見下ろして立っている。
少女と呼ぶにもさらに幼い、十にも満たないであろう見た目の幼女。
衣類は身につけていないようだが、新芽のような薄緑色の異常なくらいに伸びた髪がかろうじて色々隠している。
だがその髪よりも目立つ特徴は、やはり耳だ。
人間の耳とは明らかに違う、尖った長い耳。
言うなればそれは、まるでファンタジー小説に出てくるエルフの外見に合致しており……というか、エルフそのものだった。
「誰だ」
「くはははっ。この状況で驚く様子一つ見せんとは、流石よのぅ我が勇者よ」
「誰だって聞いてんだよ」
シンリは自分の顔の上に置かれた足を掴もうと手を伸ばすが、それは握ろうとした瞬間に雲を掴んだようにすり抜ける。
そこからこの幼女がただ者ではないと感じ、すぐに距離をとった。
「そう怯えんでも良いではないか。かわいいのう」
「っ!?」
肩に手を置かれ、耳元で囁かれた。
距離を置いたはずが、いつの間にか後ろに回り込まれていたのだ。
それには驚いたが、思考は止めない。
肩に置かれた手を剥がし、振り向きざまに木刀で切りつけた。
が、木刀は幼女の身体が存在しないかのように虚空を切りつけるだけに終わってしまう。
それは半ば予想していたことだったので、取り乱すことはなかったが、雨に混じって一筋の汗が流れた。
幼女は宙に浮きながらからからと笑う。
どうやら幼女は実体の有無を自分の意思で変えることが出来るらしい。
少なくとも、シンリを踏んだ時には実体があったし、肩に触れた時もあっただろうう。
そして何より、目の前の彼女は雨に打たれたせいか、張り付いた髪の毛のせいでミノムシのようになっていた。
「ええいっ! 鬱陶しい! 鬱陶しいではないか! せっかくのわしの晴れ舞台……何が晴れ舞台じゃ! 大雨模様じゃ!」
幼女は喚きながら頭をぶんぶんと振って髪を広げるが、それでも戻ってくる前髪が煩わしかったのか、シンリのような風魔法を使って適当に髪を切りそろえた。
満足したように頷く幼女だが、しかしそのか細い肢体を隠すものはなくなった。
雨に濡れる少年と全裸の幼女。
この場面が現代日本であったなら、その時点でシンリの人生終了である。
いやこの世界でも、他の誰かに見られようものならその結末は日本と変わらないような気もするが。
だが幸い、この大雨の中で出歩くような愚か者は最初にシンリが殺した一行以外いないらしく、この場には二人しかいなかった。
「もう一度聞くぞ、お前は誰だ」
「そのような些事、どうでも良いじゃろ我が勇者よ」
「あ?」
かろうじて声は聞こえるが、大雨のせいでシンリから幼女の表情は読むことはできない。
しかしその声には、明らかに嘲るような感情が混じっていた。
「じゃが……うむ、そうじゃな。一応、わしを現界させるに至った勇者への褒美として語ってやろう」
どこまでも不遜で、どこまでも尊大で、しかしどこか威厳のある声を響かせながら、幼女はシンリの持つ木刀に指を差し言った。
「わしの名は旧きエルフの王ミルネアシーニ。死して霊樹に宿ること幾数百年、数奇な形ではあったが、ついに我が勇者の手に渡り、その魔力を取り込むことで在りし日の姿を取り戻した者であり……」
エルフの王、ミルネアシーニは大仰に天を仰ぎながら、言った。
「生前至れなかった聖霊へと、昇華する者じゃ」
言い終わるが否や、ミルネアシーニは空中に魔力で描かれた文字を踊らせる。
「悪く思うなよ我が勇者。主には感謝しておるが、主が聖霊であった奇跡にはさらに感謝しておるのでな!」
ミルネアシーニが発動させるのは太古の魔術。
それはもはや魔術と言っていいのかすら分からない代物であり、魔法陣、詠唱とプロセスを踏まなければならない今の魔術とは根本からして違っていた。
文字が円を形成し、それが砲門となってその中心にエネルギーが集められる。
黒く邪悪な塊が、まるで雷のように放電を繰り返しながら次第に大きくなってゆく。
バチバチと飛び跳ねたそれがたまたま地面に直撃すると、そこにあった土は跡形もなく消滅した。
上空にも何らかの力場が発生しているのか、シンリとミルネアシーニのいる場所だけ空に穴が開き、一時的に雨が止んだ。
しかし、確かに強大な技らしいどうやら発動に時間がかかる類のものらしい。
それでも、あと十秒程だろうが。
シンリはどうするべきかを頭の中で頭の中で考え、自分の持つ木刀に視線を落とした。
「オレを殺すのはいいが、コレはお前だろ。一緒に死ぬか?」
「ふんっ、とうに一度死した身じゃ。もはや死なぞ恐れるものか。たとえまた死のうが、その時はその時! 今回は聖霊を殺し、聖霊となって死ぬまでよ!」
「自滅覚悟か。エルフの死生観どうなってんだ」
シンリは吐き捨てるように言って再び思考する。
撃たせないようにするのが一番だが、どういう理屈で発動しているのか分からないし、力ずくで止めようと近づいたところで撃たれれば意味がない。撃たせないというのは不可能に近いだろう。
ならば次点で、避けることに全力を出す。
ただ範囲が分からないことや、雰囲気からしてないだろうが追尾式だったことを考えると、不確定要素が多い。
そもそもとしてミルネアシーニ本体の持つ機動力も問題だ。
あのまるで瞬間移動のような動きをされれば、あっちから近づかれてゼロ距離で喰らわされる可能性もある。
最後の選択肢として、スキル『破魔』を使う。
魔力的なモノを確率で無効化するというスキルだ。
使ったことは、だいぶ前。シンリが聖霊となる一因となったゴーレムとの戦いだけだが、その確率はとても低かったように思える。
少なくとも、生きるか死ぬかのような場面で使っていいスキルではないだろう。
だがそうなると、打つ手がない。
忌々しい、とシンリは木刀を持つ手に力が入る。
武器が持ち主に逆らうんじゃねえよ。
何一ついいとこないな武器ガチャ。
と、ふと。
一つ、閃いた。
この木刀は、ミルネアシーニの依り代みたいなものだろう。
で、彼女自身は半分幽霊みたいなもので、さっきみたいに透けることもできる。
ならたぶん、消えることだってできるだろう。逆に、姿を現すことも。
先ほどの瞬間移動も、タネはこれと同じなのではないだろうか。
木刀を失えば死ぬという言質を取った以上、木刀を中心に彼女が存在していることは明らかだ。
ならば、彼女は木刀から遠くへは離れられないし、近くにしか出現出来ないのではないだろうか。
これは推測に過ぎない。
これを信じることは博打に近いし、なんなら確率で発動する『破魔』と大差ないだろう。
だがこれは、信じて待つだけの宝くじのような博打ではなく、自分で考えて至った決断、言ってみれば投資のような博打である。
身も蓋もないことを言えば負ける時は負けるのだがそれはいい。
仮定を真実とするなら、あと一つの要因でこの場面を乗り切ることができるかもしれない。
シンリは口で息を吸って、吐いた。
「なあエルフ。一つ賭けをしないか?」
「なんじゃ我が勇者よ。言うて見るがよい。興が乗ればやってやらんこともない」
会話が成立したことに、わずかに口角が上がりそうになるのを必死に抑えた。
「その前に聞いておくことがある。今から放とうとしてるそれは、お前が使う最大の技か?」
「いかにも。咆哮一つで世界を割った、かの邪龍の一撃を再現したものよ。いかなる存在もこれを前には消え失せるしかないじゃろうな」
「それを聞いて安心したよ」
「なんじゃと?」
「その一撃、オレが片手で止めることが出来たら、オレの命を狙うのをやめろ。その代わり、オレは手を前に突き出した状態から動かない」
「正気か? 我が勇者よ」
「ああ、もちろん。オレの持ってるスキルの中に、『破魔』ってのがある。確率で魔力を無効化するスキルだ」
「くはははっ! いいぞ! 乗ってやろう我が勇者よ! 博打に全てを賭けるその愚かさ、実にわし好みじゃ!」
シンリは隠そうともせず、笑みを浮かべた。
既に勝ったと、余裕の表情をミルネアシーニに見せつける。
「なんじゃ、その顔は」
「別に。ただ、エルフって馬鹿だなーって」
ミルネアシーニの眉がピクリと動いたが、気にせずシンリは続ける。
「確率ってさぁ、お前どのくらいだと思ったんだよ。1パーセントとか? 高くて10パーセントとか? ちげぇよ。100パーセントだって確率だろうがよ」
「なんじゃと!」
「さぁ撃てよ馬鹿エルフ。撃ってとっとと森へ帰れ。オレはこれでも忙しいんだよ。それとも撃たずに、逃げるか? それも選択だよ。結果の分かってる勝負ほどつまらないものはないからな。大丈夫だよ、エルフの王。オレは優しいからな。オウサマが逃げたなんて誰かに言ったりはしないさ」
煽られて、激昂して視野狭窄となったミルネアシーニには、もはやシンリの言葉が真実か嘘かなど考える余裕はない。
ただシンリにこの一撃を当てることだけを考えていた。
シンリの『破魔』が100パーセントだと信じている彼女が馬鹿正直に正面から放つことは無い。
なら、シンリが反応できない背後から直接当てればいい。ミルネアシーニにはそれが出来るのだから。
そこまで考えが至って、ミルネアシーニは少し平静を取り戻した。しかし、表面は怒ったままで、勝ちを確信しているシンリを内心で馬鹿にした。
しかしその慢心が彼女の敗因だと言えるだろう。
もう一度考え直して、おかしな点を見つけていたら。
例えば、シンリの言葉が嘘か本当か以前に、『破魔』の効果範囲が手だけなのかを疑問に思っていたら、とか。
本当に確実に『破魔』が発動するなら、どうしてシンリは賭けを提案していたのかとか。
どうしてすんなりとシンリの言葉を鵜呑みにしてしまったのだろうか、とか。
何か一つ、疑問でなくとも、少し他の思考で今の思考をリセット出来ていたなら、彼女はこのまま魔術を放っていたはずだ。
シンリですらこんなに上手くいくとは思っていなかっただろう。
ちょっとでも失敗したのなら、シンリは自分の持つ力を全て使ってでも逃げるつもりだった。
賭け? なにそれ。
けれど、ミルネアシーニはその姿同様、中身があまりにも幼すぎた。
それが身体に引っ張られたのか、生前からだったのかは分からないが。
雨に切れるくらい、短気だったのも彼女の欠点だろう。
だからこの結末は、シンリが思い描いていた通りのものだったと言っていい。
「行くぞ我が勇者! いや、聖霊! あの時代、神すら滅した破壊の一撃を受けてみよ! 『黒き邪龍の破滅』!」
ミルネアシーニはその瞬間、木刀を持つシンリの背後に出現し、無警戒の死角から一撃を放つ。
はずだった。
しかしこれはシンリによって誘導されたものであり、ならば必然、シンリはこの状況の対処法を考えていた。
ミルネアシーニが転移するその直前、シンリは木刀をほとんど予備動作のないまま上に投げていたのだ。
もしも少しでもタイミングがズレていれば即死は免れなかっただろうが、彼女の一挙手一投足に細心の注意を払っていたシンリにその心配はなかった。
それに気づけなかったミルネアシーニが出現する先はシンリの背中ではなく、シンリの真上。
そこから放たれた最悪の一撃は、今見える地平線の彼方までを消し去っていた。
「なぁっ!?」
何が起こったのか分からずに間抜けな声をだすミルネアシーニ。
シンリは飛んで彼女の足を掴み、霊体化される前に地面に叩きつけ、時間差で落ちてきた木刀でその身体を突き刺す。
確かな手応えを感じながら土煙が晴れるのを待っていると、それらを吹き飛ばす程の突風がシンリを襲った。
抗えず空を舞ったシンリは風魔法で自分を押し返すが、さらに正面からミルネアシーニが追撃してくる。
彼女が使っているものも、シンリと同じ風魔法だった。
不可視の風槍がシンリを襲うが躱して横腹を掠めるだけに留め、カマイタチを十数個出現させ飛ばす。
しかし彼女は霊体化でそれをやり過ごし、己に刺さった木刀を引き抜いてそのままシンリを弾き飛ばす。
幼女の身体に見合わぬ腕力で、シンリはガードしたにも関わらず吹き飛んだ。
「やってくれたな我が勇者ァ!」
腹の中心から大量の血を流しながら、彼女は叫んだ。
その血を触媒に、新たなる魔術を発動させる。
「『白き聖龍の……」
「させるかっ!」
どんな魔術だろうと、あのレベルの魔術を発動されれば次はない。あくまで最初のはいくつもの偶然が重なって回避できただけなのだから。
魔術を使う際は霊体化できないのか、何も考えず接近したシンリのグーパンをモロに腹に喰らった。絵面がやばい。
シンリもまさかすんなり喰らわせられるとは思っていなかったが、棚ぼた的な一撃でも一撃は一撃だ。
先程木刀で貫いた傷口に手を突っ込み、適当に掴んで引き摺り出した。
「ぐああああァァァ!」
叫ぶ幼女もお構い無しに、シンリはもう片方の手も彼女の中に入れ、今度は毒を放出した。
人間を百人殺しても殺し足りないほどの致死量を上回った猛毒。
既に致命傷を負っている彼女にとっては泣きっ面に蜂なんて言葉では足りない。
ミルネアシーニはシンリに掴まれた腸を自ら切り離し、ふらふらと揺れながら地面に墜落した。
シンリがとどめを刺すため彼女に近づいた瞬間、ミルネアシーニは叫ぶ。
「阿呆めっ! 『紅き炎龍の業火』!」
「なっ……あ゛づあ゛ァァァああああああっ!」
ミルネアシーニは空中で、自分から落ちる血液の落下地点を考え地面に魔術式を描いており、それに気付けなかったシンリは地獄の炎に包まれた。
肉体は一瞬で炭化し崩れてしまうにも関わらず、聖霊としての生命力、再生力がその命を繋ぎとめる。
終わることのない永遠の苦しみの中、シンリは叫び続けることしか出来なかった。
ミルネアシーニはシンリが動けないその間、傷を癒すために先ほど中断させられた魔術を再度使用する。
「『白き聖龍の福音』」
失った臓器は修復し、外見的な損傷はなくなった。
そして、ここまで煮え湯を飲まされた以上、シンリに対して油断することは無く、徹底的にその命を奪おうとする。
「『黒き邪龍の……っ、ちぃ、ここらの魔力を使い過ぎたか」
心底忌々しそうに舌打ちをした。
魔術とは自分の魔力どはなく、大気中の魔力を使う技だ。
それは今も昔も変わっていない。
通常であれば一瞬でも魔力が無くなることなどないが、常識外れの魔術を使った上に、その魔術が近くの魔力を消滅させてしまったため、この場所にはまだ魔力が溜まっていなかったのだ。
これは、魔力をシンリから(勝手に)受け取っていたミルネアシーニにとって不利な状況と言える。
自分の身体すらを魔力で顕現させているため、今持っている魔力を全て使ってしまえばその存在は消えてしまうだろう。
だが、魔術が使えない今、自身の魔力を使用して攻撃しなければシンリを殺すことは出来ない。
どうシンリを殺すべきか、その一瞬の逡巡は彼女にとって大きな隙となった。
シンリは獄炎の中からミルネアシーニに手を伸ばす。
まさか炎に包まれたまま動けるとは思わなかったのだ。
決して油断などではない。
聖霊と言えど元は人間。感覚は人間と同じであり、人間とは脆い生き物だ。簡単に壊れてしまう。
この永遠の苦しみは人間に耐えきれるモノではなく、生命までは奪えなくともその精神は殺すことが出来るはずだったのだ。
普通なら。
ただミルネアシーニは知らなかった。
既にシンリの心は疲弊して、摩耗して、崩れてしまっていたことに。
それが唯一の誤算で、敗因だった。
シンリに掴まれたミルネアシーニにもその炎が伝い、燃える。
叫びにならない叫びを繰り返すが、今の彼女は生物ではなく魔力によって現界している存在。
その魔力が全てなくなるまでこの苦しみは無くならない。
例え霊体化しようとも、自身を燃やす炎すらも同じように実体を無くすだけで、根本的な解決にはならない。
発動した魔術を消してしまえば、この苦しみから解放されるが、それは同時にシンリをも解き放つことを意味している。
ならばこれは我慢比べだ。
シンリの精神が死ぬのが先か、ミルネアシーニの魔力が尽きるのが先か。
「なあエルフ、取り引きしないか」
「またそれか、我が勇者!」
「まあ聞けよ。たぶん、悪い話じゃないと思うけどな」
「この炎の中でよくもまあ悠長に話せるものよなぁ! 何も感じないのか、この化物が!」
「化物に化物って言われるとか、ね。まあ、もう、慣れた」
「慣れ……だとっ!? 主は元人間であろう!? どうしたらそこまで壊れることが出来る!」
「分かってるだろ? 化物だからだよ」
もはや炎を意に介さず、シンリは言った。
「で、取り引きなんだけど……オレの命をお前にやるよ」
「……なんじゃと?」
「もちろん今すぐにじゃない。俺がやるべきことを全部終えたら、オレはなんの抵抗もせずにお前に殺される。きっとそう長い時間じゃないさ。エルフからしたら、特にな」
「……」
黙りこくったミルネアシーニの反応を伺おうとしたが、炎の壁が邪魔をする。
だからシンリはまた言葉を紡いだ。
「その代わり、協力してくれよ。お前の力を俺のために使ってくれ。俺はとても弱いんだ。一人で全部背負い込んで、潰れてしまって、オレを作っちゃうくらいに、とても脆いんだ。だから、頼むよ。ミルネアシーニ」
シンリは初めて彼女の名前を呼んだ。
空に開いた穴が、向こうからやってきた雨雲に埋められて、また先程のような大雨が降り出した。
滝のような雨が炎にも当たり、鎮火させる。
消えないはずの猛火が消えた、それが答えだった。
黒焦げた炭人形の差し出した手を、小さなエルフの幼女が握り返す。
「そうさな。まあ千年以上も待ったのじゃ。もう百年二百年伸びたところで誤差じゃろうて」
孤独な化物は、こうして一人の仲間ができたのだった。
不死身同士って決着つかねーなって途中から思いました。
1/3ってありますが、次はユラ編に戻ります。
あとめっちゃどうでもいいですが最後の場面両方全裸ですが、最初に死んでいた人たちの服を拾ってます。




