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お読みいただきありがとうございます。
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日付的には本日ふたつ目です。
仲間たちが、子供たちが襲われている。
それを聞いた眼帯の男は、ほとんど反射的に、拠点のある方向へ目を向けてしまった。
それはきっと、仕方の無いことだろう。
ただでさえ戦力が割かれているというのに、その上圧倒的な強さを持つ騎士たちが攻めてくるとなれば、その未来は簡単に予測できてしまうのだから。
すなわち、全滅。
だが、今この場所において、一瞬でも意識を逸らしてしまうというのは致命的と言える。
男が相対しているのは王国の誇る最大戦力の一角である『王宮騎士』なのだ。
使用する武器は、『本』。
その本の能力の一つに……いや、普通に本としての役割として魔物の情報が書かれている。
そして男、ひいてはシンリたちが知る由もないが、あの『裏口』と会った場所で、既に彼らの能力は知られていた。
だから、これはもう、避けられない未来だったのだろう。
「ああ……ようやくスキを見せた」
男は、驚きに目を見開く。
胸に、心臓にすとんと突き立てられた一本の短い『銀製』のナイフ。
「吸血種。不老不死などと言われるが、それはどちらも正しくない。成長が遅いだけで、不老じゃない。再生力が強いだけで、不死じゃない。奴らを表す言葉はきっと、『不衰』だろう。あいつらは衰えない。鍛えれば、さらに強く。傷付けば、さらに強く。生きているだけで強くなる彼らは、必然、歳を経るごとに強くなる。その点、お前は弱かったよ。まだ百年も生きてないだろう。始祖……千年以上を生きた化物と比べれば……」
さらさらと身体中が灰になっていき、文字通りに崩れる。
ムーサはそんな男を見下しながら、口を開いた。
「あいつ風に言うなら……あれだ。赤子の手をひねるようなものだった、っと、もう聞こえてないかぁ」
不老不死である吸血種の能力を持つ男をこの世から消滅させたムーサは思う。
ーーああ、だるい。
こいつらがこの街に来なければ、戦力を分散させること無く奴らの拠点で一網打尽に出来たのに。
こいつらにしても、こんな場所で殺されるよりは仲間と一緒に死んだ方がよかったのではないかと。
化物を殺さない理由はない。
『王宮騎士』は化物に対抗するための人間で、その騎士団は化物との戦闘を想定して設立されている。
一から九までの序列の中、六位というのは決して高い方ではないが、それはある意味当然と言えるのだ。
なぜなら、ムーサ・テラーは騎士である前に研究者なのだから。
専門とするのは魔物の研究だ。
それは、人類の英雄とも言える四人の中の、帝国に所属する『博士』が何歩も先を行っていたが、所詮は他国の成果であり、王国の知識にはならない。
というのはもうどうでもよかった。
吸血種に着いてきていた少年二人。
もちろん対策はしてある。
『バジリスク』の毒を中和する丸薬を飲んでいたり、『オロチ』の眼にはフルフェイスの兜を被らせ、目を合わせないことで効力を最大限弱めたり。
他にもいくつか魔物スキルの反応は出たが、取るに足りないと切り捨てていた。
ムーサの予想では既に戦闘は終了していると思っていたが、どうやら随分と粘っているらしい。
その戦闘の光景を見た時、ムーサは眠そうな半開きの瞳を、まぶたがはち切れんばかりの速さで見開いた。
いくつもの木が乱立し、その中に部下である騎士が取り込まれ、身動きの取れなくなったところで心臓を植物に貫かれている。
もはや騎士も半分以下になっている。
だが、注目するのはそこではない。
白銀の血。
少年の一人が流しているその血は、過去の文献によれば『聖霊』という上位存在が流すもののはずだ。
信仰を失った神が堕とされる天下り先のようなもの。
しかし、逆に言えば、それはもっとも神に近い存在とも言えるのだ。
聖霊というものが神であったと言うのであれば、聖霊から神になることも理論的には不可能ではないはず。
そして目の前に聖霊がいて、見るからにそれが『生物』として存在しているのであれば……。
それは、一つの結論を導き出す。
人間は神に至ることができる。
「あははははっ! いい! 実にいいぞ! かつてこれほどまでに感情が昂ったことがあっただろうか! いやない! あはははは!」
望外の獲物に出会えたことで、思わず声高々に笑い声をあげたムーサは、未知の敵に対して全力で挑み、『捕獲』するために自身の武器である『本』を喚び出した。
距離も場所も関係なく、一瞬で大きな本がムーサの手の中に収まる。
この本の真骨頂、それは殺した魔物、あるいは『古き血』のスキルを取り込み、自由に使えるというもの。
もちろんスキルレベルは殺した相手によるが、同系統のスキルは統合され、蓄積されればレベルも上がるため、高性能なヒイラギとも言える。
「7、82、103、172、196、318」
聖霊を倒すため、必要なスキルが取り込まれているページを紡ぐ。
騎士たちとの戦闘を見て、その戦い方を、癖を、パターンを、弱点を分析し、解析する。
何一つ見逃さない。
どんな些細なことでも戦略の糧とし、自分がどう立ち回るべきかを頭の中で組み立てる。
騎士の数は残り六人。
剣でも切れず、避けても四方八方から迫りくる植物に最終的に捕まり、捕えられたが最後、心臓を貫かれて死ぬ。
部下が死ぬことにはなんの感情も沸き起こらない。
ただ、あれが聖霊の戦い方なのだと、興奮するばかりだ。
自動で捲られるページが止まり、スキルが全て発動したことを教えてくれる。
ムーサは勢いよく本を閉じ、いざ、戦闘に飛び込もうとしたところで、気付いた。
本が、血に濡れていることに。
正確には最後のページ、まだスキルが埋まっていないために白紙であるはずのページだ。
もちろんこの本はただの本ではないため、魔力を流せば汚れは取れる。
だが、何かあれば最後のページに伝言を残すよう部下に言ってあったため、それを思い出した今無視はできない。
水を指された気分で不満そうに裏表紙を捲ると、そこにはこう書かれてあった。
『3〉関わるな。……』
未だ、書いてある最中に召喚してしまったのか、何か書こうとしたようだが文字は途中で切れていた。
そもそも書いてある部分も相当読み辛く、震えながら焦って書いていることが伺える。
「なん、だとぉ……」
部下が脅されて書いた訳では無いだろう。
自分の命を省みるような者をムーサは騎士団に入れていない。
ならば、この文は、この言葉通りの意味で受け入れなければならない。
『3』。すなわち、第三王子か、第三王女。あるいは、『王宮騎士』第三位。
いずれにしても、ムーサよりも上に位置する者たちだ。
下手に逆らえば、それはそれは命令違反となり、『王宮騎士』の権利すらも手放さなければならないかもしれない。
それは非常に困る。
ムーサの研究費用は全て国から出ており、『王宮騎士』の権利を剥奪されてしまえば『聖霊』の研究どころではなくなる。
この伝言が、同僚とも言える三位からのものであれば、いくらかやりようはあるが、もしも王子や王女からのものだった場合、最悪国を追放される可能性がある。
ムーサは詳しく書かなかった部下を恨むが、今となっては仕方の無いことだろう。
「最高の研究材料を、目の前にして……っ。くそっ、くそっ!」
血が流れるほど強く歯を噛み締め、悔しさを顔に出す。
普段のムーサを知っているものであれば、いつも眠そうだったり疲れていたりで感情の機微がほとんどない彼の百面相に驚いたり指を指して笑ったりするだろうが、生憎ここには誰もいなかった。
気持ちの整理がつかないまま、ムーサは声を荒らげて言った。
「終わりだっ! 俺たちは帰る!」
何も得られない戦いで、これ以上部下を失うのも馬鹿らしい。
大切だとかそういう意味ではなく、主に補充が面倒だという点で。
ムーサが叫んだ途端、残った三人の騎士は持っていた武器を地面に投げ捨て、降伏を示すように両手を挙げた。
シンリは気にせず殺そうとしたが、ヒイラギが慌てて止める。
「形勢が悪くなったから帰るって言うのは都合が良すぎないか」
シンリがムーサの目を見ながら静かに言った。
「形勢が悪いだぁ? 俺がいる限り、お前らに勝ち目はない。見逃されるってことをちゃんと認識……」
ムーサの言葉の途中だが、シンリは気にすることなく植物で攻撃する。
ムーサはため息をつきながら、虫を払うように手を動かした。
その瞬間に、シンリの植物以外も含めた植物が一斉に枯れ果てる。
武器を捨てた騎士たちも、再び拾ってヒイラギを人質に取るように囲んだ。
「分かるな? 俺は、お前らを、見逃す。殺そうと思えば殺せるし、捕まえようと思えば捕まえられるんだ」
ゆっくりとシンリの前まで歩いて行き、手に持っていた銀製のナイフでシンリの腕を切り付けた。
動けばヒイラギと彼が抱いている子供が殺されるかもしれないので、シンリは抵抗できない。
「これはせめてもの対価として貰っておく。タダ働きなんて、大嫌いだからなぁ」
流れた白銀の血を、試験管のようなものを取り出して中に入れる。
「最後に。聖霊、お前が『シンリ・フカザト』か?」
「……ああ」
「そうか」
ムーサはシンリの胸ぐらを掴み、顔を近付けて言った。
「俺は化物を殺すが、それとは関係なく誰かを殺したいと思ったのはお前が初めてだ」
隠しきれない怒気をシンリにぶつける。
「俺がなぜこんな場所にいるのかを考えろ。俺が何をしにここに来たのかを考えろ。お前が何をしたのかを、お前の罪を忘れるな」
ムーサは乱暴にシンリを突き放す。
三人の部下を連れて、彼らはシンリたちに背を向ける。
シンリとヒイラギは、ただ黙ってそれを見届けた。
先程言われたように、見逃されたのだということが分かっているから。
いつの間にか、鳥籠の結界は消えていた。
〇
場所は、盗賊の拠点。
その空間にいるのは数十人の騎士と、一人の少女だ。
その少女、アキヅキは生身の状態で、なす術もなく剣で斬られたはずだった。
しかし、アキヅキに触れた剣は、根元から『取れた』。
硬いものを切って『折れた』というものではない。
ただ、なんの抵抗もなく、刃と柄が別々に離された。
言葉で表すのは難しいが、強いて言ってみるなら、アキヅキに触れた部分以外が、『拒絶』されたように。
刃は、からんと虚しい音を立てて地面に落ちる。
「……どういうことだ?」
アキヅキは、既に人の形をしていない。
液体のようで、固体のようで、しかし一部気体のようでもあって。
グネグネと、灰色の物体と化していた。
騎士たちの困惑はおそらく正しい。
この状況は、どんな言葉でも説明できるものではないからだ。
魔力が切れた状態で、身体を変質させることが出来るなど、あってはならない。
いくら化物と言えど、世界の理に逆らうことはできないのだから。
では一体、これは……。
騎士たちが答えを出す前に、物体は人の形をかたどる。
しかしそれは、少女ではあってもアキヅキでは無かった。
全体的に小柄なアキヅキとは対照的に、女性にしては背が高く、美少女というよりは美人や美女といった言葉が似合う風貌。
肌、髪色、服に至る全てが銀色をした物体で出来ており、人間の彫像を見ているようだ。
少女は騎士など気にしていないような感じで、首に手を当て「元凶はこれかぁ」と呟いて、腕力で首輪を壊す。
次いで、思いだしたように騎士たちに顔を向けた。
「あんたたちはもう帰りなさい。相手との実力差も分からないほど雑魚じゃないでしょ」
やはりその声もアキヅキとは違う。自信のある気の強そうな声だった。
騎士たちは、その言葉に動くことは出来ない。
目の前の少女が、下手をすれば『王宮騎士』と同等の、あるいはそれ以上に理不尽な強さを持っているということが、『実力が分からない』ということから分かってしまったから。
騎士たちは次々に武器を下ろした。
「ええ。あたしも無駄に殺したくはないし、その判断は正しいわよ」
満足気に少女は頷く。
少女の周りには球状の物体がいくつか浮いており、それを操作して、一つだけ壁の前に移動させる。
音もなく。
次の瞬間には、壁は消え去り、その直線上に外の風景が見えていた。
「ほら、出口を作ってあげたわよ。こっから出なさい。あ、でもそこのあんた、ちょっと待って」
「お、おれ?」
「そうそう、おれおれ」
少女はにこりと笑って、一人の騎士に指を向ける。
「この娘に傷を付けた報いは受けなさい」
「えっ……」
洞窟の壁と同じように、騎士の腹には大きな穴が開いた。
何が起きたのか分からないまま、騎士はその命を散らす。
「ちょうど、血が出来たことだし、六番に伝えなさい。いや、もう何なら国全部に伝えなさい。これは、三番の言葉として伝えることよ」
突然明かされた、正体不明の少女の情報。
騎士たちは身をこわばらせ、本を持っていた騎士は、しゃがんで指に血をつける。
「この娘に関わるな。この娘に手を出すな。でないと、殺す」
騎士が端的に、『3〉関わるな』と書いて、続きを書こうとした所で本は消えた。ムーサに召喚されたのだ。
「うん。言いたいことは言えたし、もういいかな。あー、あの子も助けとくか」
それだけ言うと、彼女は洞窟に溶け込むように消えてしまう。
そこには、呆然とした騎士たちしか残っていなかった。
〇
「※※※※※!!」
暗い地下で、もはや理性の欠片も残っていない哀れな悪魔が、人間には出せない声で叫ぶ。
それはどこか悲しそうで、泣いているようだった。
「いたいた。死んでなくて良かったわ」
突然、どこからとも無く現れた少女に悪魔は襲い掛かるが、一瞬のうちに理解できないまま地面に転がされた。
見えない力に押さえ付けられ、暴れても起き上がることは出来ない。
「【悪魔】とか、もっとスキル名ひねりなさいよって言いたくなるわね。どうでもいいけど……封印っと」
力の源泉が断ち切られ、悪魔は線が切れた人形のように意識を失う。
少女は彼を担いで、暗い道を進んでゆく。
出口には、子供たちが待っていた。
それが見えたからか、少女はぽつりと呟く。
「今度は、ちゃんと会いたいなぁ」
すぅ……と。
なにかが抜け落ちるように、少女は次第にアキヅキへと戻る。
暗い通路にシセルとアキヅキが倒れ込む音が響いた。
生存者
シンリ、ヒイラギ、アキヅキ
シセル、子供十人




