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筆舌に尽くし難い痛み。飛び散る血しぶき。甲高く響く悲鳴。
しかし以外なことに、ヒイラギは冷静であった。いや、冷静だったというよりは、取り乱していなかったといった方が正しいか。
――痛い、痛いっていうかもうやばい。死にそう。
だが喚いている時間などない。
叫びたくなるような激痛を前に、ヒイラギはその痛みを利用して思考をフル回転させた。
スキル【思考加速】も相まって、一秒一秒の体感時間は引き伸ばされる。
そしてまず最初にしたことは、【蛇眼】による石化の効果を使って腕を石とし、止血することだった。
軽くなったり、ちょっと重くなったりと忙しい半身をその身に感じながら、ヒイラギは今の状況を整理しようとする。
ちなみに、ヒイラギが突然の出来事にもこうやって慌てずに対処できたのにはもちろん理由がある。
理由は簡単。分かっていたから。
先程、振り向いた瞬間に攻撃されていることを理解していた。視て、獣の腕が自分を狙っていると理解できたからこそ、身体を横にずらして被害を片腕だけに食い止めることができたのだ。
本来であれば、盗賊はヒイラギを一撃で殺すつもりだったのだろう。
その一撃を、最小の犠牲で済ませることができたのは幸運以外の何者でもない。
まあ、それでも、その一瞬で腕を切り捨てることを即座に選択し、その痛みを堪えることができたヒイラギは良くも悪くも『この世界』に染まりつつあることを示していた。
しかし、まだ一撃目が終わっただけに過ぎない。
目の前の獣の身体をした盗賊は再びヒイラギを殺しに来ていた。
ただここで幸いだったのは、その盗賊が以前の戦いで【蛇眼】によって倒せた人物であったことだろう。
【蛇眼】が効かない可能性が低いということだ。ヒイラギは同じように【蛇眼】で睨んで意識を奪った。
ヒイラギは盗賊がいきなり攻撃してきた理由は分からなかったが、少なくともここで大勢に囲まれたまま、まともな話ができるとも思えない。
離脱しようにも道は無く、そもそもアキヅキや子供たちを全員連れてこの場から離れるなど到底無理な話だった。
次の手を考えようと引き伸ばされた時間の中で必死に頭を回すが、いくら引き伸ばされたと言っても時間は無限ではない。いくつかの案を思いついては、アキヅキや子供たちに危険が及ぶと却下する。
そこで、先程意識を奪った盗賊が地面に倒れた。
それはそれだけの時間が流れたことを意味している。
ヒイラギは焦る。
相対的にゆっくりとした世界を視ているヒイラギだが、いくら時間があったところで、どれだけ時間を掛けたところで良い案は思いつかない。
何かを犠牲にすることを極力回避して、自分自身をその勘定の中に入れなかったとしても、この状況を全員で乗り越えられる方法が見い出せなかった。
盗賊たちは仲間が倒れたことで警戒し、明らかに敵意や殺意をこちらに向けている。
向こうがいきなり仕掛けてきたため、いまさら敵対していることなど分かりきっていたが、こちらからも攻撃したことにより、もはや弁明の機会は与えられない。
盗賊の何人かが動き、持っている武器をヒイラギたちに向ける。
それを見てヒイラギは観念したようにため息をついた。
(シンリが来るまでなら耐えられるか……?)
アキヅキが先程発した悲鳴。それはシンリにも聞こえていたはずだ。なら、彼がこの場に駆けつけてくれる可能性は高い。
またシンリに頼ってしまうことにヒイラギは軽く自己嫌悪するが、背に腹は変えられない。これが一番、全員が無事でいられる確率が大きいのだ。
まあ、悲鳴は聞こえていてもシンリはすぐには駆けつけられなかったし、駆けつけることもないのだが、ヒイラギはそれを知らない。
とりあえずヒイラギは目くらましにと、光魔法を放とうとしたが、その発動は一旦保留することとなる。
「ちょっとまって!」
そう言いながらヒイラギの前に立ちはだかったのは後ろにいたはずの子供。
それも、一人ではない。
子供たちが全員、ヒイラギとアキヅキを守るように小さな腕を広げて並んでいた。
危ないから下がっていろとヒイラギは言おうとしたが、それよりも前に言葉を発した者がいた。
「そこを退きなさい」
盗賊の一人がそう言った。
ヒイラギに向けていた武器は、子供たち向けることはせず、下におろしながら。
「だめだよ! いま、シセルの兄ちゃんが向こうで!」
「ああ、知っているとも。あいつが教えてくれたんだから。そいつらは裏切り者だと。その証拠にビラルはやられらてしまった」
地面に横たわっている盗賊……ビラルを指し示しながら言った。
「ちがう! おかしい! おかしいよ!」
「へんだよ! なんでおにーさんたちがわるものなの!?」
子供たちの言葉を聞き流して、盗賊はなだめるように「退きなさい」と言うのみ。
どうやら、盗賊は子供たちに危害を加える意思はないらしかった。
それを確信した途端に、ヒイラギはとるべき行動を決めた。
いつでも発動できる状態となっていた光魔法で閃光を放ち、その場にいた全員の視界を奪う。
一応、子供たちの背後で光らせるという配慮をしたがそれがどれほどの意味があったかは分からない。
ともあれ、完全に隙をついた一瞬だ。
誰もが眩しさに目をやられるか、視界を覆うかしている中、ヒイラギだけがいつもと同じように目をあけて、見ることが出来ていた。
ヒイラギは片手でそばにいたアキヅキを抱える。
そしてまず、スキル【視真似】でコピーしていたシンリの【結界術】を使用し、結界を何枚も重ねて作った。
スキルレベル1でしかコピーできない劣化コピースキルだが、この【結界術】に関しては、足りないレベルを数で補うことが出来る。
通常なら守りに使う結界をヒイラギは足場として利用し、唯一の活路である盗賊たちの頭上を駆ける。
それでもレベル1では展開できる結界の数にも限りがあり、強度も低いらしく、やや危ない場面もあったが、【空中歩行】というスキルもコピーしていたため、なんとか乗り越えることができた。状況的な意味でも、盗賊たちの上的な意味でも。
ただ、その、光に包まれながらの逃亡劇の中、ヒイラギは一人の盗賊と目が合った。
――あ、これ死んだ。
今のヒイラギは割と無防備だ。下から手を伸ばされて足を掴まれれば、逃げることも出来ずに捕まってしまう。
そうなればあとは抵抗もできずに数の暴力でおしまいだ。
しかしその盗賊は動かなかった。
こうして目が合ったのだから、見えていない訳では無いのだろう。
であれば、見逃されたということか。
着地と同時に、ヒイラギは振り返ることなく逃げる。
あの、目が合った眼帯の男の真意を考えながら。
光が収まる頃には、ヒイラギたちの姿はどこにも見当たらなかった。
〇
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」
ヒイラギは乱れた息を整えていた。
今、彼らがいる場所は、洞窟の隠しルート的な場所だ。
どうやってそんなものを見つけたのかというと、アキヅキがこの近辺の大地と一体化したことによる効果だ。
洞窟の内部構造などは完璧に把握しているし、この洞窟内で動いている者がどのあたりにいるのかすら理解することができる。
もちろんシンリの場所も分かっている。
とりあえず、一歩も動かずなにしてんの? と思った。士気に関わる可能性があるのでヒイラギには言わなかったが。
もちろん、誰がどこら辺にいるのかが分かるだけで、何をしているのかは分からない。
会話の内容などは聞こえないのだ。
それでも、手を繋ぎながら男同士で何をしてるんですかねぇ、とか思う。ヒイラギには言わないが。
「……彼らのアジトに隠れてどれだけの意味があるかは分からないんだけどね」
アキヅキがそんなことを考えていると、ヒイラギが言った。
まあここで休んでいるのも、普通の通路で休んでいるよりはいいだろう程度の気休めだ。
それはアキヅキも分かってるし、ヒイラギも口に出しただけだろう。
無意味に不安にさせるだけのようなことを言ってしまうのはヒイラギらしくないのだが、腕を落とし、血を失い、全力疾走によって体力も奪われたヒイラギに通常の思考をしろというのも酷な話だ。
加えてまだ理解出来な眼帯の男の行動もあり、心身ともにヒイラギは弱っている。
弱気になるくらいは仕方ない。
「……あ、これバレてますね」
まあ、そんなこと、敵である盗賊たちには何の関係もないのだが。
アキヅキは言う。
「まっすぐここに向かってきています。ただ……子供たちを遠ざけるためか、何人か減ってますね。それでも10人以上いますけど」
「本当にすごいよね、それ」
「存在を賭けましたからね。なんなら失いましたからね!」
「……」
自虐、ではないのだろうが、不謹慎というかブラックジョーク的な言い方になんと返せばいいのか分からないのでとりあえず流す。
こちらもブラックジョークで返すべきだろうか。
『俺は片腕失っても何も得られなかったけどネ!』とか。
ないな。うん。
「さて、どうしようか。目くらましも、そう何回も引っかかるような相手じゃないだろうしね。次は逃げれない」
「あ、そのことなんですけど、逃げる必要はないです」
「え?」
「ほら私、さっきこの洞窟と一体化したじゃないですか。そのおかげで、今ここにおいては結構強いんですよ」
アキヅキはそう言いながら壁に近付いた。
ヒイラギが首を傾げる中、アキヅキは思いきり壁を殴る。
「えい!」
ドンッ、と。
ヒイラギの目の前を、拳の形をした土が通った。
アキヅキが殴った場所とは逆の壁が盛り上がり、アキヅキが殴った壁に突き刺さったのだ。
そしてそれは、アキヅキが手を引き抜くことで、ずぞぞぞぞ、と元に戻る。
そしてまた。
「えいっ!」
今度はその場で足を踏み抜いた。
すると、上から下にヒイラギの目の前すれすれを土の塊が通り過ぎる。
それも、アキヅキが足を上げることで元の天井に戻った。
「どうですか!」
アキヅキは少し得意気に聞いてきた。
確かにすごい。初見で避けることはできないだろうし、そしてあの質量があの速度だ。当たれば壁に叩きつけられて気を失う。下手したら潰れる。
さらに言えば精度も高い。
それは身をもって知っている。
アキヅキ的にはその精度を見せたかったのだろうが、二度もいきなり目の前を通過されて死ぬかと思った。割と本気で。
「いや、すごいというか、ちょっと言葉にできない。一体化したからできるようになったの?」
「いえ、一応、地面であればどこでもできると思いますよ? でも、その場合は消費する魔力量が多くて何度も連発はできないでしょうけど」
「ということは、ここでなら連発できる、と」
「そういうことです」
「なるほど」
ただ、ここでネックになるのが、アキヅキの四肢は文字通り4本しかないということか。
上手く巻き込めれば全滅を狙えるかもしれないが、そう簡単にいく相手でもないだろう。
敵からすれば驚異だろうが、初撃で仕留めることができなかった場合、アキヅキの手足に注意していれば避けれない攻撃でもないのだ。
もちろんそのあたりは、アキヅキに注意がいかないようにヒイラギも頑張るつもりだ。
ヒイラギも弱くはない。並の相手ならアキヅキの攻撃で、ある程度の強敵でも、ヒイラギを相手取りながらアキヅキの攻撃を避けることは難しいだろう。
だが、相手には眼帯の男がいる。
正直言って、あの男の強さは意味がわからない。
強いのか分からない。いや、間違いなく強いのだろうが、何がどう強いのかが分からないのだ。
これはおそらく、あの男と相対した者にしか分からない感覚だと思うのだが、あの紅い瞳を見ると恐怖が身を走るのだ。
蛇に睨まれた蛙どころの話ではない。
もっと根源的な、原初的な恐怖が体を動かなくする。
それだけでなく身体能力も高い。
さすがに、あのネイロ村で戦ったキメラほど無茶苦茶で理不尽な存在ではないのだが、それでも反則的な強さであることは間違いない。
どうやって勝てと言うのだ。
「いや、でもさっきはあまり怖くなかったような……?」
先程、目が合った時にも確かに恐怖というか死を連想したが、あれは普通に……普通というのもおかしな話だが、能力的なものではなく、ヒイラギ自身の自然な感情だったと思う。
あの男がスキルを使っていなかったのだろうか。
いや、スキルは使っていた。でなければ瞳は紅くなっていないはずだ。
であれば、ほかに理由があるはずだ。
発動条件。あれほどの力なら、そういうものがあっても不思議ではない。というかないと困る。
この前と違う状況……。
前は、仲間と距離を置いて使っていた。
標的を指定できないスキルなのかもしれないが、発動条件には関係ないので一旦置いておく。
……。
思ったより情報がない。
あるとすれば深夜だったことぐらいだろう。
だがそんなことあるのか。時間によって効果が変わるスキルなど。
「ん?」
時間。
魔物スキルはその名の通り、普通であれば魔物が持つスキルのことだ。
魔物なんて言ってはいるが、動物だ。食べるし、寝るし、日本にいた頃の動物と何ら変わりがないだろう。
ならもちろん、夜行性の魔物だっているはずだ。いないとおかしい。
そんな魔物が持つスキルであるのなら、時間帯によって効果が変わってもおかしくない。
【自動化】なんてよくわからないスキルもあるくらいだ。
時間どころか、気分や天気によって変動するスキルもあるのではないだろうか。
「これが当たっていれば、あの人はただ強いだけの人だ!」
道が見えた。
推測に推測を重ねた不確定なものではあるが、可能性はあるはずだ。
「アキヅキさん!」
残り時間で、作戦を立てようと――。
「よく考えたら、今でも攻撃できますよね」
「まさかの」
アキヅキはその場で足踏みをし、まだ見ぬ盗賊たちの元へと土塊を落としたのだった。
ちょっと切るところがなかったので、いきなり切りましたが、もう少し続くと思います。




