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オヨミイタダキアリガトウゴザイマス。
悲鳴。
シンリは声のした方向に顔を向けた。
当たり前だが、響いてきたのはこの空間の出入り口からだった。
「今の悲鳴……アキヅキか?」
何かあったのだろうとシンリはすぐに向かおうとしたが、シセルと手を繋いだままだったために、すぐに動くことができなかった。
手を離そうと引っ張るが、シセルの方が離そうとせずシンリはその場から動けない。
「おい、離せよ」
「あは。離せって、バカじゃないの? 君が行ったら意味ないだろう。僕が何のために時間を稼いだと思ってるんだよ」
「時間を、稼いだ?」
「え、何そのあほ面。まさかとは思うけど、あの程度の言葉で……そもそも言葉なんかで、僕の心を動かせると思ってたの? ……だったら、とんだ道化だよ、君は」
シンリの驚いた顔を見て、シセルはくすくすと楽しそうに笑う。
「今、この部屋の外で何が起きているのか教えてあげようか?」
「……ああ」
「疑心暗鬼に囚われた大人たちが、君の仲間を殺してるんだ。あいつらは怪しい、だから殺そう。あいつらは裏切る、だから殺そうってね」
「あのおっさんたちが? いや、それはないだろ。お前が何か仕組んだとしても、そう簡単に他人を疑うような人たちじゃあ……」
「あれ、知らない? 悪魔ってのは惑わすのがとても得意なんだ。種のない疑念を芽吹かせるくらい簡単さ」
シセルは自分は悪魔だというように、『黒』を使って角や羽や尻尾を形作った。
白髪であったり色白であったりするため、悪魔というよりは堕天した天使に見えなくもない。
そんなことを思いながらシンリはシセルの言葉を元に状況を推測する。
シセルは眼帯の男たちに、シンリたちは敵だと囁いてヒイラギたちを襲わせているのだろう。
その、悪魔の囁きがどれほどの効果なのかはわからないが、シセルが嘘をついているような気配はない。
あの人たちは強い。あの眼帯の男は特にだ。
すぐにやられることはないはずだが、戦力的にも多勢に無勢。シンリが早く行かないと取り返しのつかないことになるかもしれない。
シセルが離さない手は、眷族の主という立場から命令すればシセルは逆らえない。
何が起こっているのかはだいたいわかった。すぐにでもヒイラギたちのところへ向かうことも出来る。
だが、シンリはあと一つだけ、彼に聞きたいことがあった。
「……最後に、一つ聞かせろ」
「最後と言わずいくらでも質問してよ。話すと心が軽くなるんだろ?」
笑っているシセルの目を見て、シンリは言う。
「全部演技だったってのか……あの涙も、叫びも」
「いいや。全部が全部、嘘ってわけじゃなかったよ。むしろ、ほとんど本気だった。本物の涙で、本当の叫びだった。だからこそ、君を騙すことができたんだと思う」
「なら、どうして……」
「でもそれだけだ。そしてそれは、僕が他人に抱く殺意を失くす理由にはならない。僕の過去を見た君にならわかるはずだ。もう僕は人を信じることはできなくて、疑うことしかできないってことが。それは死ぬまで変わらないだろう。僕は全てを疑いながら生きて、疑いながら死ぬしかないんだよ」
「そうか……」
シンリは目を閉じて、彼の言葉を受け容れた。
シセルはもう、取り返しのつかないくらいに壊れていて、後戻りできないほどに狂っているのだ。
シンリにはどうすることも出来ないし、シセルもどうにかしたいとは思っていないだろう。
ならばもう話は終わりだ。これ以上話したところでなんの意味もない。
シンリは声に魔力を乗せて『命令』する。
「シセル、その手を離せ」
「うん」
穏やかに、彼は頷いた。
だが。
「……おい」
シセルは手を離すどころか、『黒』を手に集中させてまで力を込めていた。
常人であれば手の骨が砕けているほどの握力。
シンリにしてもそれは変わらない。聖霊の異常な治癒力で砕けた先から修復されてはいるが、それでも痛みはある。
顔を顰めながら、シンリはシセルを睨んだ。
「どうして離さない……いや、どうして握っていられる?」
シンリが口にする当然の疑問。
そう、この状況はおかしい。
眷族であるシセルが主であるシンリの言葉に背くことはできないはずなのだ。
この世界における聖霊の主従とは、人間が創り出した魔術による奴隷使役とはわけが違う。
例えば、ヒイラギとアキヅキは主と奴隷という関係だが、アキヅキはある程度の拒否権を持っている。
極端にいえば『死ね』という言葉には当然従わなくてもいいし、本当に心から嫌だと思っていることは『奴隷の首輪』が感知して拒否できる。
だが聖霊の眷族となれば別だ。
『死ね』と命令されれば、心が拒否する前に勝手に身体が動いてしまうし、どれだけ嫌なことだろうと従わなければならない。
その命令によって精神がおかしくなって、命令遂行に支障がでてしまうようなことがあったとしても、その場合は意識がシャットアウトし、意思のない自動人形になり命令を遂行しようとするだろう。
それなのにシセルは、命令を拒否し、あまつさえ主に危害を加えるという本来有り得るはずのない、有り得てはならないことを平然と行っている。
「離さない? いやいや離してるよ。ほら、ぐーぱーぐーぱー」
「逆の手を開くなんて屁理屈が通ると思ってるのか?」
「ううん。思ってないよ。でもじゃあこれはなんでかな? どうして僕は君の手を離さずにいられているのかな? もしかして君が知らないだけで、屁理屈が通じるんじゃないの?」
「そ、それは……」
有り得ないと思ってはいても、シンリには否定できない。
頭の中で使い方がなんとなく分かるスキルとは違い、聖霊の能力は最低限しか分からないからだ。
相手に血を飲ませれば眷族にできるし、命令もできる。
分かるのはこのくらいで、命令の細かな制約などは全くと言っていいほど知らない。
シンリの知らない抜け道があるのかもしれない。
シンリが黙りこくったのを見てシセルは声を出して笑った。
「あはははは! 本当に!? 本当にそんなことあると思ってるの!? 僕は君が羨ましいよ! 敵の言葉を簡単に信じてしまえる君が羨ましい! 羨ましくて恨めしい。この世界でそんなにも純粋であれる君のことがさぁ!」
「ぐ……」
握り締められる手にさらに力が込められる。
シセルの黒い手の指の間からぽたぽたと白銀の血が落ち、地面に草花を生やした。
「……で、どうして言うこと聞かないのかは教えてくれたりするのか?」
「教えてもいいよ。教えたところで、どうせ何も変わらないからね」
シセルは自分の黒い腕を触りながら言った。
「君の命令には逆らえないってわかってたからね。この腕を捧げたんだ、悪魔に。魂の方が効率がいいし、肉体を捧げると色々不自由があるからやりたくなかったんだけどさ」
「捧げた……つまり、その腕はもうお前の意思で動かせるモノじゃないってことか?」
「まあ、そんな感じだよ。今は僕の『君を離すな』という願いを叶えているのさ。その代償が腕って言うのは、少し欲張りだと思わなくもないけれど」
「……本当に壊れてるよお前」
ただシンリの足止めをするためだけに身体の一部を悪魔に売り渡したシセルに、シンリは心からそう言った。
おかしい。異常だ。壊れている。狂っている。
既に分かっていたことだが、言わずにはいられなかった。
面と向かって言ったところでシセルは気分を害すこともなく、むしろシンリにこの方法が効いていると分かって嬉しそうですらあった。
「君はもう何もすることができないんだよ。ただここで仲間が死ぬのを待つことしかできないんだ」
「……いや。ここでお前の腕を切り離せばどうだ。俺にはそれができるぞ」
シンリは真下に生えた植物を操作してシセルの肩に添えて見せた。
シセルはふぅと息を吐き、酷く軽蔑したような目をシンリに向けて言う。
「やっぱり君も、変わらない。裏切らないと言っておきながら簡単に裏切る。君のことなら信じられるかもしれない、なんて思っていたんだけどね」
「心にもないこと言うなよ。……だが、くそ。悪魔の囁きか。思わず縋りたくなる」
シセルを救うことが出来るのではないかと思ってしまう。
何も信じることができない彼の心を、また誰かを信じられるようにすることが出来るのではないかと思ってしまう。
シンリが聖霊という特殊な立場にあるだけに、『もしかしたら』を否定できない。
そう思ってしまえば、もうシンリに彼の腕を切断することはできない。
悪魔の囁きの効力を実感した瞬間だった。
だからシンリはもう一つの方法を実行に移した。
シセルに何かを囁かれる前に。
何かを言われて実行できなくなる前に。
自分の手首を切り離した。
勢い良く噴き出す白銀の血を浴びて呆気にとられているシセルを見て、シンリは一本取った気がした。
「やられたよ。完敗だ。僕は君を足止めすることすらできなかった」
顔に付いた血を拭いながらシセルは言う。
「君は今から仲間を助けに行くのだろう。だけど僕はそれを全力で邪魔をする」
「もういいだろ。無駄な争いはやめようぜ。お前がやめるって言えば終わるんだ」
「終わらない……僕は君たちを殺そうとしたんだ。その事実は僕への恨みを産んだはずだ。それは僕を殺すまで消えない」
「そんなわけあるか。結果誰も死んでないわけだし、ごめんなさいって言えば許すよ。俺も、あいつらも」
「それじゃあダメなんだよ! 君たちが許したとしても、僕がそれを信じられない! 怖いんだ! この場所が人間にバラされたらと考えてしまう! 子供たちを人質に取られたらと考えてしまう! もう僕が死ぬか君たちが死なない限り終われないんだよ!」
「あああああ! 超面倒だなお前は!」
シンリは何も考えずにシセルを殴り飛ばした。
倒れたシセルが起き上がる前に体を踏みつけ、起きることが出来ないようにする。
そしてシセルが悪魔に捧げたという黒い腕を掴んで『腕に』言った。
「俺の手を返せ。嫌だってんなら無理矢理奪うぞ。刻んで治癒して刻んで治癒して……なんなら毒を流す」
果たしてその脅しが効いたのか、それともシセルの願いの効果が切れたのかはわからないが、黒い腕はその手を広げた。
シセルは自分の手を拾ってくっ付けた。
それからシセルに言う。
「シセル、お前はビビってるだけだ。逃げてるだけだ。さっきまでちょっと同情したりしてたけどな、流石にうぜえ。裏切るだの信じるだの、そんな最初から疑ってたら信じられるわけないだろうが。信じられない奴が信じてもらえると思うなよ。お前は疑うことしかできなくなったんじゃない。信じることを諦めただけだ。信じるって言葉は曖昧で分かりにくいが、疑うのは楽で明確だからな。楽な方に逃げて逃げて……それが今のお前だ」
「お前に、何が……」
「分かんねえよ。俺は壮絶な過去を持ってるわけでもないからな。けど知ってるんだよ。諦めた奴の苦しそうな顔を、逃げ出した奴の辛そうな表情をな。それにそっくりだよ」
言いたいことだけ言ってシンリはシセルの体から足を上げる。
シセルは無言で上体を起こした。
「……どうすることもできないじゃないか。いつ裏切られるかわからない……その恐怖はどうしようもないんだ。悪魔に魂を……心を売り渡しても、それは残った。今も、君に殺されるんじゃないかって怯えてるよ。いつ死んでもいいと思っていたはずなのに。殺されてもおかしくないと思っていたはずなのに。いつも死を恐れているんだ。そんなことを思いながら人を信じられるわけがないだろ。どうしろっていうんだよ……」
「お前はあれだ。信じるってことを難しく考えすぎなんだよ」
シンリは地面に腰を下ろした。
シセルはそれに信じられないものを見る目を向ける。
「なにを、してるの? はやく助けに行かないと、君の仲間は殺されるんだよ?」
「いいや。殺されない。あいつらは殺されず、そして誰も殺さずにここに戻ってくる。俺はそう信じてる」
「信じてる……? そんなの、ただの思考の放棄じゃないか。自分の身勝手な願望を押し付けてるだけだ」
「それも信じるって形の一つだろ。だいたい、信じるってこと自体が他人任せなんだ。自分が介入できない以上、どうしても裏切られることもあるだろう。お前の信じるって理想が高すぎるんだよ。もっと肩の力を抜いて、気楽に考えようぜ」
本当に仲間を助けに行く気がないのか、シセルはシンリを疑っていたが、しばらくしても一向に動く気配がない。
腕を組んで目を瞑っていた。
(意味が、わからないよ)
シセルには何もわからなかったが、ただ一つわかることと言えば、シンリが本気で仲間が死なずに戻ってくると信じているということ。
信じるというにはお粗末で、自分の都合のいいことを想像しているだけだが……。
シセルには、それがとても羨ましく思えた。
もう一度だけ、誰かを信じることができたなら。
あの恐怖から抜け出せることが出来るのではないかと、そう思った。
強引な気はしますが……ちゃ、着地!
_(:3ゝ∠)_




