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「……血が紅くないなんて、気味が悪い。やっぱり化物じゃないか」
少年は、地面に倒れ白銀の血の海に沈むシンリを見下ろしながら言った。
ヒイラギがこちらを見て叫んでいたが少年がそれを気にすることはない。
「ぐ、ぅ……」
少年はふらりとよろけて地面に手を付いた。
シンリとの戦闘で、やはり相当消耗していたらしい。
顔色は悪く、汗も酷い。目の焦点も合っていないようだった。
「まだ……まだだ。あと一人……。僕が守らないと……みんなを……家族を……」
荒い呼吸を繰り返しつつ少年は自分に言い聞かせるようにブツブツと呟く。
そしてゆっくりと、残るヒイラギの方に顔を向けた。
ヒイラギは半分になったアキヅキを抱きかかえながら、少年を睨んでいた。
けれど少年の目に入ったのはヒイラギではなかった。
少年が目にしたのはその後ろの子供たち。少年の家族だった。
いくつもの怯えたような瞳が、少年が心に突き刺さる。
しかしそれは、いつもと変わらない視線だ。
子供たちが自分のことを怖がっていることくらい知っている。恐れられていることくらい知っている。
「僕だって……」
いつも耐えている視線。いつもなら耐えることができていた視線。ただ、今の疲弊している少年にその視線はあまりにも凶悪だった。
子供たちの視線から逃げるように少年はヒイラギに視線を戻した。
「殺さ……ないと」
少年の身体を『黒』が侵蝕する。
右腕が黒く、そして巨大に膨れ上がる。背中からは黒が羽のようなものを形作っていた。
その羽がゆらりと揺れる。
次の瞬間には、少年はヒイラギに腕を振り下ろしていた。
「っ」
ヒイラギは驚くも【蛇眼】で視ていたため落ち着いて対処することが出来た。
狙いが自分だと理解し、アキヅキと子供たちから離れる。
「シンリは死んだの?」
「……。殺したよ。あの女も、彼もね。そして、君もだ」
「わかった」
ヒイラギは目を瞑り、視界を360°に広げる。そして子供たちと共にいるアキヅキのを見た。
多分まだ生きている。だが、確かにこのままでは死ぬだろう。少年をどうにかしても、アキヅキが助かる方法はあるのだろうかと思う。
次に倒れているシンリを見る。
なぜだかよく分からないが、草花が生えてきていた。ネイロ村でもやっていたことなので別段驚くことはなかったが。
「ふざけるなら早く死ねよ!」
「これが割と本気モードなんだけどね」
目を閉じて応戦されることにおちょくられていると思った少年が激昂し、ヒイラギは困ったように苦笑いした。
その笑った顔を見て少年はさらに怒りを顔に出す。
「なんだそのへらへらとした顔は! お前にとってあいつらは仲間じゃなかったのかよ! どうしてそんな笑っていられる! 死んだらもう会えないんだ! 殺されたらもう生き返らないんだよ! なのに……なのにお前はぁ!!」
少年の怒りを込めた一撃。
さらに速度を上げた動きで、ヒイラギはこれは避けられないなぁと思った。
だが、怒りに任せた攻撃というのは単調で読みやすい。
戦っている当人同士ならともかく、第三者から見ればそれは絶好の隙となるだろう。
「な、んで……」
信じられないものを見た顔で少年は言う。
少年の攻撃はヒイラギに当たる前に止まった。いや、止められた。
少年は身体に巻きついた植物によって自由を奪われていた。
「どうしてお前が生きている!」
傷は癒えて完全回復して目の前に立っているシンリに向かって少年は叫んだ。
「聖霊を殺すには神話武装が足りなかったな」
「ふざけるなふざけるな! 何なんだよお前は! なんで死んでないんだよ! 悪魔の力だぞ!? 僕が何を捧げたと思ってるんだ! 僕が何を犠牲にしたと思ってるんだよ! 死ねよ! 頼むから、死んでく……がっ!」
シンリは少年の口に手を突っ込んで黙らせた。
「うるさい。悪魔がどうしたよ。なにそれ、聖霊よりも凄いもんなの?」
「ふぁにが……! ふぁにがしぇいふぇいふぁ!」
「……なんて?」
「『なにが……なにが聖霊だ!』ってとこだと思うよ。で、聖霊ってなに?」
「さあ」
少年を無視して話すシンリの指を少年は喰いちぎらんと歯を立てて噛む。
「痛っ。あーあ、お前は今、自分から俺の血を求めたな。それは俺を受け入れるってことだ。気は進まないが仕方ない。眷族にしてやんよ」
噛まれたシンリの指から血が滴り、少年の口の中で落ちる。
それでもう少年はシンリの眷族となった。
「放せ」
眷族は主の命令には絶対だ。
少年の意志とは関係なく、少年は口を開いた。
「僕に、なにをした……?」
理解が追いつかない少年は唖然とした顔で尋ねた。
「別に、何も」
シンリはそれだけ言うと少年の横を通り過ぎてアキヅキのもとへ歩いた。ヒイラギもその後ろを着いてくる。
「いいの? あのままで」
「どうせ何もできないからな。少なくとも、俺たちに手出しすることはできないだろうし」
少年はその場から動けなかった。
束縛する植物を引き千切ることは出来た。少年の魔物スキルである『黒』……悪魔の力も自由に使えることも出来る。
なのに何故か、シンリを攻撃しようと思えなかった。殺そうと思えなかった。
殺す、そう思うとその思考を身体が拒否して、塗りつぶそうとする。塗りつぶされた思考は少年の意思を白く染め上げ、結果として瞬間的に何も考えられなくなり、歩くという単純な動作すら簡単にはできなくなっていた。
(こ、ろ、す)
それでもシンリに対する憎しみや恨み、怒りは延々と湧き上がる。悪魔の力は負の感情を原動力とするため、その感情を蓄積し力を増幅させていたが、ただ、それだけだった。
〇
「ちっ、気持ち悪い」
眷族の……少年の感情の一片がシンリに直接流れ込んできて、ドロドロとした不快感を味わったシンリはそう呟いた。
眷族とのリンクを意図的にギリギリまで遮断することで心の平静を取り戻す。
「何か言った?」
「なんにも。それよりも今はアキヅキだろ」
「そうだね……」
二人は目の前に横たわるアキヅキを見た。
右半分のほとんどを失い致命傷だが、全身をクリスタルと化しているため出血などを防ぎ一命を取り留めていた。
しかしそれは彼女の魔力が尽きるまでの時間稼ぎにしかならない。
最悪の事態を防ぐため、シンリはアキヅキに魔力を流す。
「部分だけでも戻せたはずなのにしないってことは、したら危ないってことなのかな」
「だろうな。せめて口だけでも戻れば、何か解決策が聞けるかもしれないが……」
と、そこでシンリのローブを引っ張る者がいた。
それは、アキヅキに懐いていた子供だった。
「なんだ。……いや、お前アキヅキと似たような魔物スキルだったよな。何か知っているのか?」
その子供はこくりと頷く。
そして身振り手振りで何かを伝えようとしていたが、それはシンリたちには伝わらなかった。
「喋らないなとは思っていたが、喋れないのか」
他の子供が言うには、ショックで声がでなくなったらしい。
『古き血』というだけで殺される世界だ。過去何度も酷いことにあってきただろうし、見てきたのだろう。
そういうことがあってもおかしくない。
「……当てるぞ、ヒイラギ」
「もちろんそのつもりだよ」
喋れないことを責めることは出来ない。シンリたちは、ジェスチャーを見破ることにした。
といっても、そう分かることじゃない。
他の子供たちにも協力してもらったが、誰一人として分からなかった。
「だめだ、わからん」
「うん……俺には背伸びの運動してるようにしか見えないし」
「安心しろ、俺にもだ」
アキヅキに懐いていた少年は、ただ両手をめいっぱい広げて、V字に手を掲げているだけだった。
ついでに言うなら手のひらを上にして、なんだかさわやかな表情を浮かべていたくらいだろうか。
とにかく全く分からなかった。
三十分くらい経っても分からなかったので、少年も疲れて地面に横になっていた。シンリたちに背を向けているのは、伝わらなかったことに対して不貞腐れているのだろうか。
「くくく……」
後ろにずっといた白髪の少年は、シンリたちを滑稽だとバカにするように笑った。
シンリたちから見れば、三十分ほどの間ずっと何もせずに立っていた彼の方が滑稽に見えたがそれは別の話。
「どうした、まだ分からないのか? 僕は分かったぞ。なあ、どんな気持ちだよ化物。仲間の命が敵の手の中にあるっていうのはさぁ! あははははっ! このままただそいつが死ぬのを待ってい……」
「分かったことを言え」
「カルトが表現していたものは雨、つまり水だ。っ! 口が勝手に……っ!?」
「ほう、水か。水ならステフォにあったな」
ちなみにカルトというのは、アキヅキと同系統の魔物スキルを持つ子供の名前だ。
シンリはヒイラギと子供たちをアキヅキから離れさせて、ステフォに収納していた水をアキヅキに向けて放出した。
「やば、出し過ぎた」
シンリはすぐに水を止める。
勢いよく放出された水は、アキヅキのいた場所を中心に少し陥没していた。
「お、溺れ死ぬかと思いました……」
泥となった地面から、その泥で身体の不足分を補ったアキヅキが出てきた。
盛り上がった泥が次第に人の形をかたどっていく光景は少しホラーだった。
シンリやヒイラギにしがみついている子供も何人かいる。
「うそだ……」
そんな少年の言葉は、服を失って全裸となっていたアキヅキが騒いでいたため誰の耳にも届くことは無かった。




