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ヒイラギが1歩踏み出したのをシンリが肩を引いて止めた。
「どこに行く気だ」
「決まってるだろ。アキヅキさんと話してくる」
「さっきも言ったけど、絶対に会話で解決するようなことはないぞ。正当性は向こうにある。お前は俺のことを迷惑な客や狂人なんて言ってくれたが、今はお前がそれだ」
「けどっ!」
「落ち着け」
シンリはここのところずっと溜め込んでいた毒をヒイラギに浴びせた。
溜め込むことで濃度が濃くなったりしているのか毒の効きが予想よりも高く、ヒイラギが死にそうな顔になったため慌てて【吸収】で毒を除去した。
「お、落ち着いたか?」
「……死にかけた。でも、落ち着いたと思う」
ヒイラギは口元に流れた血を拭った。
「シンリは……」
「ん?」
「シンリはあの奴隷の酷い扱いを見ても、なんとも思わなかったのか?」
「なんとも思わないわけじゃないけど、『そういうもの』だと受け入れることはできた、かな。文化の違いみたいな」
「そうか」
ヒイラギは数秒目を瞑って、何かを考えた。
自分がおかしいのか、シンリがおかしいのか、それともこの世界がおかしいのか。
どれだけ考えても、何が正しくて何が間違っているのかなんて分からない。
だから、ヒイラギは。
「シンリ、ごめん。自分から言っといてなんだけど、これから先は別々の道を行こう。俺は、自分が間違っているとしても、自分を信じることにするよ。今からやろうとしていることは、一緒にいたらシンリに迷惑がかかるからさ」
うっすらと笑みを浮かべて、静かに言った。
シンリはそれだけでヒイラギがやろうとしていることを理解した。
「そうか……後悔は、しないのか?」
「それはやってみないと。でも、きっとすると思う。結局は俺のわがままで、自己満足なんだから」
「でも、やるんだろ」
「うん」
「じゃあ、ここで解散だ」
シンリはそう言うと、ヒイラギに背を向けて路地裏から出ていった。
路地裏で一人、ヒイラギは呟いた。
「もしかしたら……なんて、幻想だな」
ヒイラギの眼に迷いはなかった。
〇
ヒイラギはすぐに奴隷市場に突撃することはなかった。
路地裏で待って、待って、待って。
太陽が暮れて、夜になるのを待った。
今考えてみれば、真っ昼間から襲撃を掛けようとしていた自分は何を考えていたのだろうと思う。
悪いことをするのは、夜がベストだ。
闇は姿を隠してくれるのだから。
ただ、予想外だったのは夜の奴隷市場の人の多さだろうか。
昼間はちらほらだった客足が、夜になって途端に増えた。
何かイベントでもあるのだろうか。多くの人が奴隷市場の隣にある大きな天幕の中へと入っていく。
そういえば、あのひょろながの男は奴隷の競売があると言っていた。
それが今夜あるのだろうか。
競売、オークション。
それをかつての同級生が行っているのだと思うと、どうしてだと問い詰めたくなる。
ともあれ、そろそろ行動開始だ。
天幕に入る人に紛れ込んで、ヒイラギも天幕の中へと入った。
天幕には防音の魔法でも掛かっているのか、外は静かだったのに対して天幕の中は騒音が大きかったし、外観よりもかなり広かった。これも魔法だろうか。
入場の際にもらった番号札をくしゃりと握りつぶしたが、しかし「無いと怪しまれるな」と思いなおして広げて胸につけた。
中には五百人以上いるだろう。なぜならもらった番号が五百を超えていたから。
人、人、人、人。
様々な人種、大勢の人間がいる。
獣の特徴を持った獣人と呼ばれる者たちや、エルフのような者。
絵に書いたような丸々と肥えている貴族のような男や、奴隷を買う金がどこにあるよと言いたくなるようなみすぼらしい姿の男。
ヒイラギの【蛇眼】はそのみすぼらしい姿の男自身が奴隷だということを見抜いていたが。
本当にたくさんの人がいる。
ここにいる全員が奴隷を求めてやってきているのだと思うと、なんともいえない気分になる。
人が人を売買するなんてことに何も感じないのだろうか。
感じないのだろう。感じないから、奴隷を買いに来ているのだろう。
そういえば、売られる奴隷はどんな気分でいるのだろうか。
奴隷たちがどのような経緯で奴隷として売られることになったのかヒイラギは知らない。
誘拐された、とかは流石に犯罪だろうから、恐らくは家族に売られたとか、犯罪者への罰とかそういうものだろう。
犯罪者はともかく、家族に売られた奴隷は少なくともいい生活をしていた訳では無いはずだ。
なら、新しい主人に買われて、もしかしたらいい生活ができるかもしれないと、そんな希望を抱いたりしているのだろうか。
分からない。
ヒイラギは、人が人を道具として扱うというのが間違っていると思っているが、その人が人として扱われないことを嘆いているのかは分からない。
奴隷だって全員が全員酷く扱われるわけじゃない。きっと大切に、それこそ家族のように思われて、そのまま幸せな人生を送る人だっているのだろう。
今から自分がしようとしていることが、誰かの幸せになる未来を壊すことになるんじゃないのか。
最初から間違っているのは自分だけなんじゃないかと、ヒイラギは自分の気持ちがわからなくなった。
そんな時、マイクのような、拡声の魔法でも使っているのか、大きな声が天幕の会場全体に広がった。
『えー、皆様お集まりいただきありがとうございます。今宵はきっと忘れられない夜になるような商品をご用意させていただきました。奮ってご参加ください……それでは!まず最初の商品から!』
ひょろながの男が会場の一番前の壇上で言った。
会場が湧き上がる。
「……アキヅキさん」
ヒイラギは【蛇眼】で男のステータスを見たが、彼がアキヅキであるという証拠も、アキヅキでないという証拠も見つからなかった。
いや。
「ステータスに【異界人】の称号がない」
これは……どうなのだろう。
アキヅキではないからその称号がないのか、それとも転生してこの世に生まれ落ちたからその称号がないのか。
ただ分からないことが増えただけだった。
オークションは進んでいく。
ひょろながの男が軽く説明をして、値段を提示する。
そして客が自分の番号と出せる金額を言う、という形だった。
奴隷は手足に手錠を嵌められていたり、大きな檻の中に入れられていたりだった。
暴れている人もいれば、諦めている人もいる。
しかし中にはやはり笑っている人や、少しでもよく見せようと努力している人もいた。
そんな人はあまり多くはなかったが。
『次の商品は月狼族の戦士、ウルフェンです!この銀色に輝く体毛はちょっとやそっとのことでは傷ひとつつきません!身体能力も高い上、今宵のような満月の夜などもはや敵無しです!加えてこの美形!これは女性の方々に嬉しいのではないでしょ……』
「ウルフェン!」
ひょろながの男の言葉を遮って、壇上に一人の人間が飛び上がった。
「ま、まさかフォールか!?やめろ手を出すな!関わるな!こいつは……」
「ウルフェン待っていろ、今助けるぞ。人間風情が。我ら月狼族に手を出したことを後悔するがいい」
人間の身体が膨れ上がり、3メートルはありそうな狼男へと変貌する。檻の中に入れられている狼男と同じ種族だ。
『手を出した、ですか?一応、ウルフェンさんは借金の代わりに貰った物ですけど』
「黙れ!その借金も貴様らが騙して増やしたものだろうがッ!」
『騙したなど人聞きの悪い。商人の言葉なんて常に自分の利益を優先してるんですよ。騙したつもりはありませんが、あえていうなら騙される方が悪い』
「貴様ァ!」
狼男がひょろながの男に掴みかかった。
ひょろながの男は宙に浮かされて苦しげな表情を浮かべた。
『すぐ力に頼る。暴力に訴える。脳筋な種族ですね、月狼族というものは。だから騙されるんですよ。自業自得で……ぐあぁっっ!!!』
怒り狂った狼男は男の片腕を引きちぎった。
血が吹き出す。悲鳴がところどころで上がった。
「黙れ黙れ黙れ!人間風情が我らを愚弄するか!今すぐその喉元を喰いちぎってやろうかァ!」
『……くくく』
男は宙に持ち上げられ、片腕を失って、なぜか笑った。
その笑顔は狂気に満ちたもので、本当に嬉しそうだった。
『善良な商人を殺人未遂。これで貴方も晴れて犯罪者だ。ようこそ、奴隷の世界へ』
男は残ったもう片方の手を掲げた。
壇上の奥の方から何かが飛んできて狼男の腕を掠めようとした。
狼男はひょろながの男を慌てて放す。
『これで、終わりです』
頑丈そうな縄が狼男の身体に巻き付いた。
まるで縄自体が意思を持っているような動きだった。
『すみません。最近は魔物も商品に加えておりまして、いくら満月の夜の月狼族でも千切れない縄くらいは用意しているのです』
拘束して動けなくなったところをウルフェンが入れられている檻と同じものを何人かが奥から担いで持ってきて、狼男をその中に投げ入れた。
『お騒がせしました。それでは続けましょう』
片腕しかない手を広げて、男は言った。
予期しない見世物に会場全体に歓声が湧く。
ヒイラギには少し違うものが見えていた。
感情を偏らせるという《スキル》で自らに怒りを向けて手をあげさせ、相手を犯罪者へと堕とす。
よく分からないが、犯罪者はその場で奴隷としてもよいものなのだろう。
男の腕は治療されて、すでにくっついていた。
実質の損失はゼロで、商品を一つ増やす。
実質ゼロとは言ってもそれは結果論で、心臓を一突きされていてもおかしくはなかった。ヒイラギがあの男を殺そうとしたみたいに。
腕を引き千切られたのも、相応の苦痛が伴ったはずだ。
しかしそれを平気な顔でやり遂げたことに、ヒイラギは恐怖を抱いた。
そして今の出来事はヒイラギの決意を鈍らせた。
犯罪者になってでも奴隷というものを認めたくなかったが、何も出来ずに犯罪者になって奴隷に堕とされる可能性もあるのだと思うと、つい尻込みしてしまう。
『続きましては、先程も言ったように魔物の商品のご紹介です!安心してください、ちゃんと牙は抜いてありますよ。あ、もちろん言葉通りの意味ではありませんけどね』
会場が笑いに包まれる。
ヒイラギにはジョークの笑いどころがわからなかった。
どうやら、調教はしてあるという意味らしかった。
奴隷と同じように、魔物にも需要はあるらしく、次々に商品が売れていく。
ヒイラギには見ていることしかできなかった。
フォールという狼男のように突撃することもできなければ、諦めて帰ることもできなかった。
『そして、最後にして最大の目玉商品のご紹介!』
「もう終わりか……結局、俺は何をするためにここに……」
すでに数時間経っていた。
ずっと迷っていて、迷っていて。迷っていることで思考停止しているわけじゃないと、誰にでもなく自分に言い訳していただけだった。
何も出来ない自分は、いったい……。
そんな自分が嫌で、ヒイラギは下を向いた。
『なんと!人化した魔物です!見た目は普通の少女のように見えるでしょうが……』
男の声が聞こえてくる。
熱狂する客たちの声が聞こえてくる。
結局、あの男はアキヅキだったのだろうか。
アキヅキなら、どうして奴隷商人なんてしているのだろう。
違うのなら、どうして名前が……。
「もう、どうでもいいか」
何を知ったところで、自分に出来ることは何も無い。
犯罪者にはなっても、奴隷にはなりたくない。そう思ったということは、結局のところヒイラギ自身も奴隷を下に見ていたということ。
「帰ろう」
そのまま振り返って、人混みを分けて出口へと向かう。
「やだ!やめてぇ!」
『人の言葉を話す魔物なんて聞いたことないですよね!これを聞いて、ただの少女だと思った方も多いはず!』
が、なんとなく聞いたことがある声が聞こえて、顔を上げた。
そこで見えたのは、ひょろながの男が『人化した魔物』に着せていた服を剥いだところだった。
「いやぁ!いやぁああああ!!」
『見てください!この姿をっ!!』
少女の身体はまるで宝石のようなものに包まれた。
いや、包まれたというよりは、肉体そのものが変化しているようだ。
『人化したクリスタルゴーレム!お値段はーーー』
男の声はヒイラギには聞こえていなかった。
ヒイラギの目に映っていたのは、秋月 三日月という少女だったのだから。
絶対どこかに矛盾してるところとかおかしいところがある気がする。




