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「ど、奴隷?」
「そうっ!奴隷です!」
ひょろながの男は身を乗り出して言った。
「例えば貴方の剣に、貴方の盾に。貴方の妻に、貴方の子供に。ペットとして買う人もいれば、道具として買う人もいます。もちろん召使いとして、あるいは家族として。どう扱うかは貴方次第。どのように扱おうが、奴隷は貴方の所有物。誰にも文句を言われません。少し……見てみます?」
ひょろながの男が手で指した方向を見た。
馬車の積荷に掛かっていた布がほんの少し開かれる。
「っ、」
ヒイラギは反射的に口元を押さえた。
積荷の中はうす暗く、距離も離れていたためはっきりと見える訳では無い。
頑丈そうな巨大な檻。
その中には生気を失った死人のような顔の人が何人も押し込められるように入れられていた。
ボロボロの服を着せられ、薄汚れていて、傷だらけの人もいる。
人を人とも思っていないような、そんな扱いを受けているのではないかと、そう思ってしまうくらいには酷い光景だった。
「おしまい」
男がそう言うと布は閉じられた。
「貴方は実力もあり、その上まだお若い。英雄色を好むと言いますし、どうです?『色』、買ってみませんか?」
「……るな」
「はい?」
「ふざけるなよ!なんだよ奴隷って!知ってるぞ!酷い扱いは法で禁止されてるんだろ!あれはどう見ても酷いだろ!傷だらけで体調も悪そうで!今にも死にそうな顔をしてた!それとも、あれは『酷い』の内に入らないって言うのか!?」
「入りませんよ」
激高して叫ぶヒイラギに対して、男は何の気なしに言った。
「は?」
「そもそも貴方の言う法は所有者に対してのものであり、奴隷商である私が奴隷をどう扱おうが、私を罰する法律はありません。違法性があるのなら衛兵がいる場所で話はしませんよ。彼らは奴隷である前に商品であり、人である前に道具です。貴方に見せた者たちは……いえ、物たちは安物です。言わば在庫ですよ。私だって全てあのように管理しているわけではありません。目玉商品は個別にし、健康管理もきちんとしています。それはなぜか。それだけのことをする価値があるから。では先ほどの物たちは?そう、価値がない。全部を全部、健康や体調に気を使っていたら赤字ですよ。私の体調が悪くなってしまう」
……こいつは、何を言っているのだろうか。
「さらに言えば、法律なんてあってないようなモノですよ。奴隷を殺しさえしなければ法には触れません。不要になり、処分したいのであれば、適当な魔物に殺させるなんてことは案外誰でもやっています。もちろん、それで罰せられる人はいません。むしろお客様に『お前らのところで買った奴隷が死んだから金を返せ』なんて、こっちが言われることもあるくらいですよ」
ヒイラギは目の前の男が理解できなかった。受け入れることができなかった。
すぐ近くで聞いているはずなのに、随分と男の声が遠くに聞こえていた。
「それに、ああいう安物にも需要があるんですよ。お金はないけど奴隷は欲しい、なんて人は沢山いますし、貴方みたいに彼らをを『可哀想』だと思って買う人もいます。ああ、貴方も彼らを買ってあげてはどうですか?彼らは本当に安いですよ。豪勢な食事一食分にも満たない」
「……」
……もう、黙って欲しい。黙らないなら、いっそのこと。
ヒイラギは無言で【蛇眼】を使い、男を睨もうとした。
「騒ぎを起こしたら……紹介者にも責任がいくのでしたよね」
男が言った一言に、ヒイラギは我に返る。
「今、俺は何をしようとしていた……?」
口が渇く。手汗がひどい。
いっそのこと?いっそのこと、どうしようとしていた?
殺そうと、していた?
それを自覚したヒイラギは全身の力が抜けて地面に落ちた。
あまりの気持ち悪さに吐き気がこみ上げる。
「うぇええええ」
「すみません。貴方が気に病む必要はありません。少しやりすぎました。感情を偏らせるだけなのに、まさか殺意にまで昇華するとは。おかしいくらいに面白い。ええ。本当に貴方たちは面白いですね。なぜそこまで奴隷を受け入れることができないのでしょうか。いったいどのように暮らしてきたのか……とても興味深いです」
男は「よければ奴隷の競売でも覗いてください」と言って去っていった。
残されたシンリたちは、うずくまっているヒイラギを見て駆けつけたゴアイが来るまでその場から動けなかった。
〇
ヒイラギは衛兵の詰所でしばらく寝かせてもらうことになり、シンリは観光でもしようと街に向かった。
お金なんて持っていないし、そもそも文字が読めないため、本当に見歩くだけの観光だが。
シンリも奴隷について何も思わないではないが、ヒイラギのように感情を昂らせるほど何かを思うわけでもない。
それが元々のシンリの性格なのか、それとも聖霊になったことで人間味のある感情が失われてきているからなのかは、シンリには分からなかった。
「奴隷……奴隷、ねぇ」
奴隷。
最近のマンガや小説ではよく見るし、現実でも昔はあったものだ。現代でもその制度がある場所もあるのではないだろうか。
バラモン?バラモス?なんか、そういうの。
シンリがあの奴隷たちを見た時、確かに嫌悪感があった。扱いの酷さに、怒りも沸いた。
しかし、『そういうもんだろ』という気持ちがあったことは否定できない。
なんというか、予想の範囲内だったのだ。
奴隷の扱われようや、奴隷の命の価値が。
なんてことを思って、不意に頭を振った。
「あー、マンガとかにだいぶ毒されてるかも。ヒイラギの反応が普通なんかな。てか、人が多いのに俺にぶつかる人とかいないのな。実は見えてんじゃないの?」
人の往来が激しい街中を歩いていても、シンリは誰かと袖がふれることすらなかった。むしろ、シンリが通ろうとしている道を人が避けており、シンリは快適に歩けていた。
「ん?」
ステフォがポーンと通知を知らせてきた。
ヒイラギから個別でチャットが来たらしい。
「んん?」
ヒイラギからの文章はたった一言。
『見つけた』
〇
時間はほんの少しだけ戻る。
ヒイラギはベッドの上で横になり、先程のこと……奴隷商人の男を殺そうとしていた時のことを考えていた。
後先を考えていない、感情による行動。ついカッとなってしまった。
そして、人を殺そうとしたことよりも、殺せてしまう力を自分が持っていることが怖くなった。
引き剥がせない力が自分に纏わり付いていることを自覚して吐いてしまったが、今は大丈夫。
今は冷静だ。冷静冷静。
そう思って、「自分で冷静だと思っているうちは冷静じゃない気がする」なんて思ったが、少なくとも先程よりは落ち着いているはずだ。
落ち着いたら、次は『奴隷』のことについて思考がシフトする。
「あんな扱いが認められてるなんておかしいだろ……」
ヒイラギは【蛇眼】の効果で相手が嘘をついているかいないかがなんとなく分かる。
そして、あの男は嘘をついていなかった。
この世界で奴隷は物として扱われている。
それはもう、事実なのだろう。嘘をついていないのなら認めるしかない。
だが、それが受け容れられるかとなれば話は別だ。
『ああそうか。この世界で認められているのなら間違っているのは自分の方なんだ』と、あっさり納得できるほどヒイラギは理屈で動けない。
けれど、見て見ぬ振りをするには、問題が大きすぎた。
結局のところ、自分が嫌だから。
ヒイラギ自身が受け容れられないから、どうにかしたい。
「はっ……」
ヒイラギは鼻で笑った。
「どうにかしたい、なんて何様のつもりだよ」
なまじ強い力を持っているだけに、なにかできるんじゃないのか、なんて思ってしまう。
やろうと思えば、シンリと二人で、あのひょろながの男の奴隷商隊を解散させることくらいはできるだろう。
二人で、というかシンリだけでも。なんならヒイラギ一人でもできるかもしれない。
ただ、それをして得られるのは自己満足感と犯罪者という十字架。
「くそ……」
自己嫌悪。
嫌な気分のまま、ヒイラギはステフォを開いた。
シンリを呼び戻そうと思ったからだ。
「あれ、この名前……」
個別チャットで送れる者の中に、シンリ以外の名前が記されていた。
とりあえずヒイラギはそのことをシンリに伝えた。




