-94- 夢/現
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「終夜」
「終夜ちゃん。まだ? 何をしているのかな」
前を歩いていた2人の男女が振り返って、私の名前を呼んだ。
「ご、ごめんなさい。靴紐、解けちゃって……」
「いや、怒ってないよ。そんなに萎縮されると傷つくな……」
「看取は言い方がきついんだよ」
「あ、しぃ君。いま私は傷付いた。その言い方にすごく傷付いたよ。泣いちゃうぴえん」
「はいはい」
「雑だねぇ。従兄ってのは、彼女ができた途端に従妹に冷たくなるものなのかい」
「いや、大して扱い変わってないだろ……」
やれやれと、疲れたように少年はため息をついた。
靴紐を結び終えた私は、小走りで2人に近付いて、『彼氏』の隣に並び立った。
「しぃ君、両手に花だね。ねぇねぇ今どんな気持ち?」
「彼氏彼女の時間に余計な邪魔が入ってるなぁって思う」
彼の口から『彼女』という言葉が出て、幸せな感情が湧いてくると同時に少し恥ずかしくなって顔が赤くなるのをかんじた。
そっか、告白、成功したんだよね。
「む。しぃ君は私が空気が読めないおじゃま虫だと思ってるね?」
「看取……お前まさか、心が読めるようになったのか!?」
「あ、あ、違うの真理君。私が……私が頼んだのっ。2人きりは、まだ、ちょっと恥ずかしくて……」
「あぁ……、そっか。確かに、俺も、2人きりだったら……照れくさくなる、かも」
「だ、だよね……」
「……」
「……」
お互い、なんだか気まずくなって、私は地面に視線を落として、彼は空を見上げていた。
無言がしばらく続いてから、その空間に耐えきれなくなった香取さんが「うへぇ」と声を漏らした。
「無理無理無理無理。こんなの独り身の私には耐えきれないよ。おじゃま虫は先に帰りますさようなら。……しぃ君、襲っちゃダメだぞ☆」
「こっ、こら、ミトリ!」「か、香取さん!?」
「しぃ君は遅くなるかもっておばさんに言っとくから安心して遅くなってもいいよ〜」
余計なセリフを残してその場を後にした香取さんのせいで、私たちの間に余計に気まずい雰囲気が流れる。
「と、とりあえず帰るか」
「う、うん。そうだね」
その後も会話はないまま、歩く速さに比例して景色は流れていく。
気まずいけれども、居心地の悪さはなかった。
むしろ、ずっと続いて欲しいと思えるくらいに幸せな時間で……。
「……?」
なぜか、胸の奥がもやっとした。
なにか足りないものがあるような、そんな感覚。
それがなんなのか思い出そうとしていると、後ろから元気な男の子の声が掛かった。
「お二人さん、熱いねぇ! なぜ俺には彼女ができないんでしょう当て付けかフカザトゴラァ!」
「なんだお前」
「鬼灯だ。ふと思ったんだけど、もうチューしたん?」
「「ブッ!!」」
突然の言葉に、私たちは同時に吹き出した。
「ふむ。その反応はしてないですな! チューしろチューしろ! キッス! キッス! キッス!」
「お前もうどっか行けよ!!」
「きゃーフカザトくんがおこったー! 明日、黒板に相合傘書いとくから覚悟しとけよ」
「死ねくそ坊主ッ!!」
「はっはっはー! あでゅー!」
笑いながら去っていく鬼灯君を、私はただ呆然と見送ることしかできなかった。
「な、なんか、ごめんな」
「ううん。こ、困るよねっ。高校生にもなって、あんな……」
「ん? 何を言っているんだ?」
彼は不思議そうに首を傾げた。
「俺たちは──小学生だろ」
〇〇〇
それから時は経って、私たちは別れることなく高校生になった。
喧嘩することもあったけれど、その度に仲直りして、その度にさらに仲良くなって。
けれど、何か足りないという違和感は、ふと思い出したようにまとわりつく。
その時はモヤモヤして気になるけれど、いつの間にか消えて、また思い出しての繰り返し。
この感覚にも慣れたものだ。
「もうすぐ修学旅行か」
「だね。何か、回りたい所はある?」
「班決めはくじ引きだぞ。一緒になれるか分からないぞ」
「愛の力できっと同じ班になれるはずっ」
「っ、お、お前、よくそんなこと素面で言えるな」
「今更でしょ。ふふっ、照れてる真理君は可愛いですねー」
「や、やめろ! 頭を撫でるなっ」
「と、言いつつ強くは拒絶しないムッツリ真理君であった、まる」
他愛ないけれど、たまらなく幸せで愛おしい日常。
好きな人が自分を好きでいてくれる幸福。
こんなに幸せでいいのだろうか。
私はこんなに、幸せ者だっただろうか。
「私、真理君は香取さんのことが好きなんだと思ってたんだ」
「どうした、急に」
「真理君は私のこと、好き?」
「お前、そんなこと言うキャラだったっけ?」
「私は好き。真理君が大好き。告白した時からずっと、今ではもっと好きになってる。……ねぇ、私のこと、好き?」
茶化そうとした彼を、私は真剣な目で見つめた。
私のその表情から真面目な話だと感じ取った彼は、表情を引き締めて言葉を紡ぐ。
「好きだよ、ヨスガラ」
そう言って、彼は私を抱きしめてくれた。
彼を見る瞳が、彼の声を聞く耳が、匂いを嗅ぐ鼻が、手を添えられた髪が、彼の鼓動を感じる身体全体が悦びを感じる。
私はこんなにもこの人が好きなんだと、再認識する。
満足して、満たされる幸福をその身に感じながら、私は思う。
違う。
私に足りないのは、幸福じゃなかった。
なにが足りないのだろう。
彼をまだ……信じきれていないのだろうか。
「香取さん、よりも? 私の方が、好き?」
彼を信用していない訳では無い、はず。
それに、たとえ彼になら、騙されてもいいとすら思っているのだ。
それでも聞きたい。聞いて、安心したい。
彼の1番近くにいる女の子よりも、自分の方が愛されていると、彼の口から聞きたかった。
「なんでお前がミトリと比べたがるのかはよく分からないけど──もちろん、お前が1番好きだ」
「ありがとう……。私も真理君が1番好きだよ」
その言葉で、足りない何かが埋まった訳では無いけれど。
感じる幸せが、違和感をかき消してくれる。
彼は少し苦笑いしながら言った。
「ていうか、ミトリとお前を比べられるわけないだろ。あいつは妹みたいなものって言うか、もう妹そのものとしか思えねえよ。家族に恋愛感情は抱かないだろ?」
「そんなの、分からないじゃない」
「いやわかって欲しかったな今の。俺も不安になるぜ。ヨスガラにも■がいるだろ」
「え?……?」
「だから、■だよ、■。■ ■■……て、おい、ヨスガラ!?」
■? ■って?
思い、出せない。
なにか忘れてる……うぅっ!
頭が……痛い……。
視界が暗くなる。
彼の声が聞こえる……。
「……ガラっ! ヨス ラ……ヨスガ……」
「終夜」
「終夜ちゃん」
前を歩いていた2人の男女が振り返って、私の名前を───────────────
〇
『30.29……』
ガラスが割れる音をたて、幾層にも張られた結界は儚く消え去った。
ヒイラギは、妹が縛られている十字架の下まで来ると、彼女をその瞳に映す。
パキリ、ミシリと彼女を縛っていた神狼の鎖は崩れた。
支えを失い落ちてくる妹を、ヒイラギはその腕で受け止めた。
「ヨスガラ」
「……兄、さん?」
意識のなかった少女が目覚める。
それは、アリスの掛けた能力が解かれたことを意味していた。
「幸せな、夢を見ていたの。もう、どんなのだったか思い出せないけど、とても……とても、幸せだったわ」
「そっか」
「でもね。兄さんだけがいなかった。なんでだろう。──あぁ、私が幸せだったから、か」
ヒイラギが妹のいる学校へ編入した理由は、いじめられていた妹を守りたいという思いからだった。
そのいじめが起こらなければ、きっと彼がシンリたちのクラスメイトとなることはなかっただろう。
「お兄ちゃんがいなくて寂しかったか?」
「ううん。いないことにも気付けなかった」
「ははは。お兄ちゃん泣きそう」
「………………。兄さん、泣いてるの?」
「────」
自分でも気付いていなかった涙を指摘されて、ヒイラギは一瞬言葉につまる。
でも、一瞬だ。
無駄にできる時間は1秒足りとも存在しないのだから。
『15.14……さぁ、あと一匹だ』
伝えたい想いがあった。
言わなければならない言葉があった。
「愛してるよ、ヨスガラ。ごめんな。ダメな兄ちゃんで、本当にごめんな。結局、ヨスガラを守れなかった」
「────」
何のことを言っているのか分からないだろう。
長い眠りから目覚めたばかりで意識も朦朧としているはずだ。
そんな、状況についていけていない妹を力一杯抱きしめて、ヒイラギはヨスガラの目を見つめる。
── ヨスガラちゃんを殺さない方法、教えてあげようか?
昨日の夜、ローブの少女がヒイラギに提案した方法は、とても簡単なことだった。
──フェンリルは72匹、これは絶対だ。仮に73匹目のフェンリルが現れた場合、72匹のうちのどれかの個体は【神狼】としての力を失い、その恩恵を受けられなくなる。
その言葉を最後まで聞くまでもなく、ヒイラギは目の前の少女の言う『方法』を理解してしまった。
これは他の誰にもできない方法だ。
誰でもない、ヒイラギだからこそ選べる選択肢。
魔物スキルすら模倣するスキル【見真似】。
普段は、模倣したスキルはレベルが1になり、成長しないという劣化コピーのスキルに過ぎない。
つまり、たとえ劣化コピーだとしても、【神狼】スキルすらもコピーできるということだ。
そして、71匹のフェンリルが死亡している今、【神狼】の力を失うフェンリルは一人しかいない。
『──シンリ、妹を頼むよ』
一方的にそう言って、ヒイラギは妹の瞳の奥の自分に能力を使った。
たった60秒の短い戦争は、こうして幕を閉じた。