-90- 決戦前夜(表)
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前回までのあらすじ
よろしい、ならば戦争だ
夜。
帝国においてクラスメイトに割り振られた一室。
椅子に腰かけた少年は独り窓から夜空を眺めていた。
「…………」
神国の、アリス・イア・ヘルシャフトが帝国に紛れ込ませた内通者、鬼灯灰。
彼は、既にアリスとのテレパシーが途切れたことで、自分が彼女に切られたことを悟っていた。
そのことに怒りはない。
彼女は天才だ。合理的だ。
用済みになった自分と会話するよりも、これからの戦争に備える方が何百倍も有意義だろう。
「……」
おもむろに、自らの手のひらに炎を灯す。
彼がこの世界て手に入れた、炎の魔神イフリートの魔物スキル『灰燼』によるものだ。
最大まで鍛えられたその炎は、全てを燃やし尽くす地獄のが焰。
彼がこの部屋に放り投げれば、瞬く間に火の手は回り、この城内にいる多くのクラスメイトが命を落とすだろう。
そうなれば。
作戦において大部分を担うクラスメイトを排除できたのならば、アリスの勝ちは、きっと揺るがない。
「……」
火の玉を手のひらで転がす。
ゆびさきまで転がり、ポロリと手からこぼれ落ちたところで──焰はぽしゃんと消えてしまった。
「はっ、何度やっても無理だな」
ホオズキは卑屈げに笑う。
クラスメイトを殺すことに罪悪感を覚えた……訳では無い。
シビトに殺され、ゾンビとなった彼では、シビトに不利益になることは実行出来ないのだ。
「アリスの指示とはいえ、殺されたのは失敗だったな。まあ、それ以外にうまく忍び込む方法はなかったわけだが」
深いため息を吐いて、またぼーっと窓の外を眺め始めた。
夜だ。
もう、夜なのだ。
シエラルの作戦会議が終了したのが昼下がり。既に数時間が経過しているが──一向に誰かが来る気配がない。
内通者という不穏分子を放って置くはずがないと、そう思っていたのだが……シビトの配下となったことで、何も出来やしないと見逃されているのだろうか。
「……おっ」
そう思っていたところ、ようやく彼の部屋の扉が開かれた。
予想通りと言うべきか、当然と言うべきか、闖入者は白樺司人、この帝国の支配者であるクラスメイトであった。
「よぅ、遅かったな。待ちくたびれたわ」
「優先順位の問題だぜ。お前は既に殺してたからな」
「……あ?」
シビトの言い方に引っ掛かりを覚えたホオズキは、怪訝そうに眉をひそめた。
その反応をみたシビトは、つまらなそうにため息をつく。
「なんだ、お前もか」
「……何が言いてぇ」
「お前だけじゃなかったんだよ、内通者……アリスと繋がってた奴はな。そいつら全員、他に仲間がいるなんて知らされてなかった見てぇだが」
「────」
「お前らにとってアリスは味方でも、アリスにとっちゃあ、お前らは道具のひとつにしか過ぎなかったんだよ。同情するぜ」
言葉が出なかった。
結局自分はただの駒のひとつでしかなかったのだ。
捨て駒同然に使われ、用済みだと捨てられた駒でしか。
自分だけが彼女の味方であると、ある種の優越感に似た感情を抱いていないといえば嘘になる。
異国の美少女に頼られる自分に酔っていたのだろう。
心を弄ばれた。
さすが天才だ。
自分たちみたいな凡人は、天才の手のひらの上で、糸が切れるまで踊り続けるしかない──
否。
だからどうした?
「道具でもいいさ。捨て駒上等だ。はっ、むしろ約立たずでごめんなさいとすら思うぜ。不甲斐ねぇ」
別に、脅されて従っていた訳では無い。
別に、損得勘定で動いていた訳では無い。
「アリスがいなきゃ、失ってた命だ。俺はアリスに救われた。香取の奴じゃなくてな。だから、俺はアリスについたんだ」
「そうかい」
シビトの反応は、見飽きたものを見るようだった。
きっと、他の内通者たちも同じ理由でアリスについて、似たようなことをシビトに言ったのだろう。
「逆に聞くぞ、シラカバ。なんでお前は香取につくんだ?」
ホオズキの問に、シビトはちらりと天井を見る。
この会話もシエラルに聞かれているのだろうと思っての行動だ。
シビトは少し考える素振りを見せたが、すぐに口を開いた。
「フェンリルを使って世界征服しようとしてるアリスと、曲がりなりにもそれを阻止して世界を救おうとしてる香取。どっちにつくかなんて、考えるまでもねぇだろ」
「クラスメイト殺しまくったお前がら世界平和を理由にするなんて笑えない冗談だ」
「はっ、それを言われちゃ返す言葉もねぇな」
ホオズキの言葉を、シビトは鼻で笑って受け流した。
「なぁ、シラカバ」
ホオズキは真面目な顔をして、シビトの目を見据え、言う。
「本当に、香取に味方するのが正しいと思ってるのか?」
「……」
シビトは答えない。
黙ったまま、目を細くして視線を床にさまよわせる。
「香取は……シエラルは信用できない。日本にいたときからそうだ。理解が及ばない。同じ人間かどうかも疑わしくなる時がある。良いように利用されて、利用されていた事にすら気付かずに、全てが終わったあとで後悔する。柊のいじめがいい例だ。もしも彼女が、あの時自殺でもしていたら──俺たちは全員、心を壊していただろう」
「……」
「今ならまだ間に合う。いや、今しかない。香取を裏切って俺たちに……アリスにつけ。アリスのやろうとしてることは確かに世界征服なんて悪の親玉がすることだが、その世界は絶対、俺たちに都合が悪い世界じゃないはずだッ!!」
だんだんとヒートアップして、声を荒らげて、ホオズキはシビトに手を差し出した。
この手を掴んで、自分たちの味方になれと言うように。
「……」
シビトはゆっくりと自分の手を動かして──
「クソうぜぇ」
ホオズキの首を掴んで持ち上げた。
「ぁぐ、あ、」
突然宙に浮かされたホオズキは、自らの首を締めているシビトの腕に爪を立てて苦しげにもがく。
既にゾンビとなり、死ぬことの無いホオズキだ。しかしゾンビといえども呼吸をする以上、苦しみはある。
血走った目を向ける彼に対して、シビトはそれ以上の怒気を含んだ瞳でホオズキを睨む。
「クソうぜぇ。クソほどうぜぇぞホオズキッ!! テメェは何もわかってねぇ! 好き放題いいやがって! どっちの味方だァ? ラギの妹を利用して世界征服しようとするアリスか? ラギの妹ごと殺して解決しようとするカトリか? んなもんどっちの味方にもなりたいわけねぇだろぅがッ!!」
シビトは怒りに任せてホオズキを投げ飛ばす。
壁に叩きつけられたホオズキは、自らの喉をさすりながらシビトに訴えるように言う。
「なら……っ。アリスに味方しろとは言わない! せめて、カトリの味方に──」
カトリの味方になるな、そう言おうとした彼の言葉は途中で遮られた。
「『黙れ』」
「──、!?」
シビトの命令により、声を発することができなくなったからだ。
「……さっきお前は、どうして俺がカトリに味方するのか聞いたよな。簡単だ。この命を、お前らの命を、帝国民数百万の命を人質に取られているからだ」
「──っ!」
シビトの言葉に、ホオズキは目を見開く。
少し考えれば分かる事だったのかもしれない。
アリスの不利に、視界が狭くなっていたのは認める。
どうしてもシビトをこちらに引き込みたくて、一側面……主観からしか彼を見ていなかった。
シビトが何を思っているのか、何を背負っているのかなど何も考えないで。
「確かに俺ァよ、前まで……それこそお前らに会うまで、いつ死んでもいいと思ってた。お前ら巻き込んで心中しても構わない……むしろ、殺されて解放されてぇ、投げ出してぇって思ってたよ。……けどな」
シビトは、ふぅ、と目を細めて、懐かしむように薄く笑いながら言う。
彼がみているのはきっと、少し前。
シエラルの指示でやらされた、レベル上げと称した特訓。
まるで体育の授業のような、普通の高校生たちの和気あいあいとした日常の一コマの記憶。
「もう、ダメだ。また友達と出会って、馬鹿やって、笑って。たぶん……これもあの天才の手のひらの上なんだろうな。俺はもう死んでやることなんて出来ねぇ。お前らを……また殺すことなんて出来ねぇよ。そのくせ……さっきまた、自分で自分の人質増やしてんだぜ? 救えねぇだろ」
ホオズキは理解した。
彼が言っているのは、自分以外の内通者を殺したことなのだろうと。
そして、シビトがアリスに寝返ることはないということも。
そのやるせなさに、自分の無力さに、ホオズキは拳で壁を殴りつけた。
「なあ、知ってるか、ホオズキ」
ホオズキは顔をあげてシビトを見た。
その時の彼の顔……全てを諦めたようなその表情は、自分も同じ顔をしているのだろうなとぼんやりと思った。
「ラギは、自分で自分の妹を殺すことを、他の誰にもやらせるなって頼んだらしいぜ? まったく、ふざけてるだろ?」
〇
なにも、なにも、なにも。
何も思いつかなかった。何も思い浮かばなかった。
時間はあったのに。時間は、もらったのに。
知恵は借りた。相談して、話し合って、他の方法を模索した。
途中からは奇跡を頼った。逆転の一手を、その閃きを、神に祈った。
懇願した。何度も、何度も、何度も。
恥も外聞もなく、年下の少女に頭を下げて、床に頭をつけて、できることなら何でもするからと。
その返答は、いつも決まっていた。
『君にできるのは、彼女を殺すことだけだよ』
たった今も、そう言われ、力なく自室に戻っているところだ。
「……なんで、だよ」
ヒイラギは消え入りそうな声でそう呟く。
フェンリルのスキルの持ち主が自分の妹だと知ったその時から、それを止めるには妹を殺さなければならないのだと理解した。
だからこそ、他の誰かに殺されないように、予約という形で自らが立候補した。
──殺す以外の方法が見つからなかった場合、妹を解放して2人で逃げるために。
しかしその思惑も、世界を見通すという彼女の力によって潰された。
残ったのは、妹を殺すという責務だけだ。
「くそっ……くそっ!」
力は、あるのに。
視界に入った生物を絶命させることが出来るほどの強大な能力はあるのに、たった1人の妹を殺すことしか出来ない。
もしも、自分に与えられた能力が他のものであれば、こんな結末を迎えることは無かったのかと、そう思わない日はなかった。
「──ねぇ」
「っ、誰だ!」
突然背後から掛けられたその声に振り向いた。
そこにいたのは、フードを被った少女だった。
シエラルの、3人いた護衛のうちの1人。
常にシエラルの側にいたため、ヒイラギはその少女のことは既に知っていた。
「護衛、さん」
「ふふふ」
名前を知らないのではない。
無論教えてもらった訳では無いが、ヒイラギの目には全ての情報が見て取れる。
彼女のローブの下にいるのは同年代の少女だということも知っている。
その上でステータスも見てはいるが──彼女には、名前が無いのだ。
名前どころか、【称号】や【スキル】といった、この世界で生きるために必要な能力が彼女には何一つ存在しない。
そんな、気配を消すことも出来ないただの人間である彼女の接近に気が付かないほど、自分は切羽詰まっていたのかと自覚する。
シエラルのいた部屋からはほんの十数メートルも離れていないのに。
「で、なにか用かな。シエラルがなにか言い忘れたとか?」
「単刀直入に言うよ」
ローブの下の少女はにやりと不敵に笑いながら言う。
「ヨスガラちゃんを殺さない方法、教えてあげようか?」
世界を救って女の子も救う