-89- 少女がしゃべるだけの話
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帝国。
シエラル・ルディーネに与えられた部屋で、彼女はローブを頭から被った部下2名と共に待機していた。
同じ立場の部下である、クラスメイトの白銀 黒鉄はこの部屋にはいない。
数分して、鐘が鳴る。
時間にして午前10時を告げる鐘だ。
それまで閉じていた瞼をゆっくりと彼女は開いた。
彼女の瞳に映る視界は殺風景な部屋だが、彼女が見る光景は常人には到底及びつかないほどの情報で埋め尽くされている。
イメージではあるが、コンピュータのプログラム画面が次々現れては処理をされ消えていく様子を考えてもらえれはいいだろう。
やるべきことを。やらなければならないことを。
思考して思考して思考して。
成し遂げるためのルートを改めて精査する。
鐘が鳴り始めて鳴り終わるまでの数十秒。
シエラルの思考は既に終了していた。
ジジジ、とノイズが頭の中に響いて、それを皮切りに多くの声がシエラルの頭の中に入り込んでくる。
10人や20人では効かない。
クラスメイト、王宮騎士やその部下、そして王国の権力者など、実に300人近い人間の声がシエラルの小さな脳の中に響き渡る。
その全ての言葉を、雑音としてでは無く意味のある言葉として、この天才は聞いて、受け止め、処理している。
「みんな、静かにしてね」
あらかじめ声をかけていた全ての人物とテレパシーが繋がったことを確認し、彼女はこの戦争の作戦内容を共有する。
「作戦名、終末戦争ラグナロク。その概要を今から説明させてもらうよ」
〇
「知ってのとおり、フェンリル単体を殺しても意味がないんだよ。だから、フェンリルは一匹残らず殺し尽くさないといけない。ここまでは、いいよね?」
「そして重要なのが、最初のフェンリルを殺してから、そのフェンリルが再生するまでの時間はわずか1分。たったの60秒しかない」
「その60秒の間に、存在するフェンリル72匹を全て殺さなければならないんだ」
大陸全土、至る所に存在するフェンリル。
そのフェンリルをどうやって見つけるのか。
見つけたとして、どうやってその場所に行くのか。
その場所に行けたとして、どうやってフェンリルを殺すのか。
そんな、誰もが抱くであろう当然の疑問がけたたましく彼女の頭に鳴り響く。
「うるさいよ」
それをシエラルはそう言って切り捨てる。
「そんなの、今から言うに決まってるでしょ。分かりきっていることをわざわざ聞かないで欲しいんだよね。最後に分からないことがあったなら、その時に質問は受け付けるからさ」
有無を言わさぬ物言いで、彼女は彼らを黙らせた。
頭に響く声がなくなったことで、再びシエラルは話を始める。
「神国は現在、王国にフェンリルを40匹割いて侵攻している。前はもう少し多かったんだけど、減らしたみたいだね。そして10匹は神国に留まらせてるんだ。国の防衛を任せていたり、もしもの時に守れるように。残りの22匹はばらばらに世界各地、至る所に放し飼いしているよ」
「この情報は、確かだ。知ってる人もいるだろうけれど、王宮騎士第三位が与えられる武器。武器と言っていいかは少し疑問だけれど、この『天空より零れた涙』、わたしの持つこの水晶は、これ自体を天体に見立てて、この惑星全てを覗き見ることができる」
テレパシーの届いている者たちには見えてはいないが、シエラルは自身の顔の横に、透明な水晶を浮かべる。
手も触れずに浮遊するそれは、なんの装飾もない透明な球体であるにも関わらず、見ただけでため息が出てしまうほどの美しさを感じさせる。
『天空より零れた涙』
王宮騎士に求められているものは基本的に武力である。
力のある者に王宮から武器を与えられ、王国を守ることを義務付けられるのだが、王宮騎士第三位だけは例外だ。
王宮騎士第三位の役目は、情報収集力である。
王宮騎士第三位になるために必要なものは、力ではない。
世界全てを見通すことすらできる王国の秘宝、『天空より零れた涙』を扱えること。
その神宝の能力を完全に引き出すことができる素質ことこそが、第三位に求められる唯一にして無二の条件なのである。
「これにより、フェンリルの居場所は既に突き止めている。そして次の問題は、どうやってその場所に行くのか、だよね」
神国は用心深く、22匹ものフェンリルを、兵器として扱う訳でもなく遊ばせている。
何を恐れているのか、1匹いれば小国くらいであれば滅ぼせる神狼を、万が一、『もしも』のためだけに大陸の彼方へ移動させている。
だが。
その保険も、今回に至ってはなんの意味も持たない。
「移動方法は、ワープだ。王宮騎士第二位、ディナ・ネメシスの持つ武器、次元を切り裂く槍を使って、直接戦闘員を現地に飛ばす。送るのは、魔人帝国の人たちだ。あまり多くの人数を送ることになったら、時間がかかり過ぎる。1分なんてすぐに過ぎちゃうからね。1人か2人、少人数でフェンリルを殺す力を持つ人を送ることにした」
「王国の人たち、特に王宮騎士は1人につき最低でも1匹、できるなら数匹倒してもらう計算だ。その部下の騎士たちは、力を合わせて担当するフェンリルを殺してもらいたい」
「神国にいるフェンリルを殺す人たちは、わたしが選抜するよ。はっきり言って、ここが1番難易度が高いからね。フェンリルだけではなく、北の巫女を初めとした、百戦錬磨の術士たちの妨害を乗り越えなくちゃいけないからね」
「作戦の概要は以上だ。作戦と言うには、『行って、倒す!』みたいな作戦とも言えないようなものだけれど。これから、誰がどこを担当するかを話そうと思うけど、これまでで何か質問がある人はいるかな?」
○
「なるほど。カトリ ミトリは本気で、本当に神狼を殺し尽くすつもりなのデスね」
神国。
内通者から、シエラルの話した作戦を聞いたアリスは、目を細めながらそう呟いた。
「相変わらず、血も涙もないヤツデス。フェンリルを殺すということが、どういうことなのか理解してないワケがないデスのに」
彼女の目線は、上を向いていた。
彼女がいるのは大きな教会。
そこに飾られた十字架は、どういう訳か夥しい数の鎖が巻き付けられている。
もはや元の十字架は鎖に埋め尽くされて見ることも出来ないが、よく目を凝らして見てみると、冷たさを感じる金属の鎖の隙間から、温かみのある人肌が見えるのがわかる。
白く、ほっそりとした肢体。
そこからさらに視線を上にすれば、目を閉じた少女の顔が少しだけ見える。
どこか、クラスメイトである柊 終日の面影を感じさせる少女。
彼女は、その双子の妹である柊 終夜であった。
意識のない彼女の顔を感慨深そうに見ながら、アリスは言う。
「ワタシは、実は、アナタのことが嫌いではなかったのデスよ。凡人でありながら天才に抗おうとするその姿勢、その不屈には好感を覚え、共感を、親近感を抱くものだったのデス」
「残念ながら、彼らは戦うことを選んだのデス。フェンリルを殺すこと、それはつまり──アナタをも殺すということなのデス。なんの罪もない、アナタを。誰よりも被害者であり……ずっと前から被害者であったアナタを──ッ!」
アリスは珍しく感情を昂らせ、奥歯を強く噛み締める。
しかしすぐにふっと力を抜いて、にへらと力のない笑みを浮かべた。
「ワタシが言えることではないデスね。アナタを利用しているのも、殺される原因を作っているのも、他ならぬワタシなのデスから」
「だからこそ、誓うのデス。この戦いが終われば、アナタの目を覚まさせるデス。目覚めたくなくなるほどの幸せな夢を、終わらせてあげますデスよ」
「だからもう少し、もう少しだけ──その夢に浸っていてくださいデス」
懺悔のようなことを済ませたアリス。
それを見計らったかのように、教会の扉が重い音を立てて開く。
入ってきたのは北の巫女。
そして、十数人の法衣を来た神父たちだった。
「懺悔は済みましたのですね」
「聞いていたくせに、よく言うデス」
「懺悔を聞くのが、修道士の役目でございますから」
巫女は聖母のように微笑んだ。
そしてすぐに真剣な表情になり、口を開く。
「これより、我らが神を結界により守るのでございます。私の底なしの魔力。それを用いて、結界術を極めし信徒らが張る、何者にも壊せぬ絶対の防壁。彼女には、傷一つ負わせません」
柊終夜を結界で守る。
本来であれば、ここまでする必要はなかった。
アリス・イア・ヘルシャフト、自分という天才の存在。
大陸に散らばらせたフェンリル。
内通者。
これだけあれば、負ける要素はひとつもなかった。
少なくとも、フェンリルを殺し尽くされるという敗北の可能性は、万に一つもなかった。
すぐには勝利できないまでも、こちらは戦力の尽きぬ消耗戦に持ち込み、いずれは勝てる戦いであった。
が、状況は変わった。
内通者から得た情報。
全てを見通すという『天空より零れた涙』。
それを使って、カトリミトリが全てを知っていると言うなら話が別だ。
隠したフェンリルの居場所も無駄になった。
内通者の存在もバレているだろう。
全て、相手の手のひらの上で転がされていた。
あるいは、取るに足りないと看過されていた。
相手に知られている隠し球に、なんの意味があるというのか。
これまで仕込んできたモノ全てが、無意味と化した。
だからこそ、ヨスガラを数十数百に重ねた強固な結界で守るという力技。
力技故に、同じ力技でしかこの作戦は破れない。
1分間耐え切れば、戦力の薄くなった王国を、近くに再召喚したフェンリルで一気に押し込める。
アリスにとって初めての博打的な作戦だった。
「デスが、負けを恐れていては……カトリミトリには、勝てないのデス」
巫女の魔力を使って、大勢の結界術士たちが、1枚ずつ丁寧に結界を張ってゆく。
結界術を極めているだけあって、不純物のない、あると言われなければ気付けないほど透き通った頑丈な壁。
教会がいっぱいになるまで張り終われば、その結界の数は百を超えていた。
1秒に1枚壊せたとしても、間に合わない。
透明な結界の奥からも、ヨスガラの姿は見えた。
教会の入口から、アリスは彼女に告げる。
「では、また明日。アナタを起こしに来るデスよ」
そう言って、教会の扉をゆっくりと閉じた。