水月鏡花 ―スイゲツキョウカ―
「ねぇ?知ってる?」
「何よ?」
「3組の佐々木君と、5組の辻田さん、付き合ってるらしいよ?」
「それ、もうみんな知ってるってば。」
「そうなの?」
佐藤梓と、向井幸子はファミレスでかれこれ2時間ほど、他愛もない会話を続けていた。
「うん。あの噂通りって事でしょ?」
「何だ…。知ってるんだ。」
「噂なんて、広まるのすぐなんだから。」
「じゃあさ、これは知ってる?」
「何々?」
「あの噂ってさ…。」
「うん…。」
「実は、本当にあった話なんだって…。」
噂。それは自分には関係ないものだと思っていませんか?
だからこそ、面白おかしく話せるもの。
でも、忘れないで下さい。その話の始発点には誰かがいることを。
そして、始発点があれば終着点があることを。
「はぁ。今日も疲れたなぁ。」
佐久菜月はホームルームが終わり、部活動に励む生徒が教室から急ぎ、飛び出していくのを尻目にゆっくりと帰宅準備をしていた。真面目な彼女らしく、教室に教科書やノートを──明日の授業で使うから──といって、置いておくことなどない。きちんと家で前日に用意するのが菜月の日課で、そういう姿勢は人付き合いにも反映されており、その上愛嬌のある笑顔と物腰の優しい口調から、菜月に友人が多いのも当然のことだった。
「佐久さん?今日はすぐに帰るの?」
「あ、まどかちゃん。そうだね。する事ないし、もう帰ろうかなって思ってるよ。どうしたの?」
「あ、あのさ、ちょっと佐久さんに話したい事が──」
三笠まどかの言葉に男子生徒が割り込んできた。
「なっちゃん?もう帰るとこ?」
結城拓真がこんな風に自分から女子に話し掛けるのは珍しいことだった。というのも、持ち前のルックスで拓真は校内ではファンクラブが存在するほどで、ファンクラブ内では──抜け駆けして告白しないように──というのが、決まり事としてあるそうだ。つまり、自分から話し掛けずとも女子の方から話し掛けられるのが、日常。それでも、菜月に話し掛けるのには理由があった。
「あ、たっくん。いや、まどかちゃんと話してから帰ろうかなって。」
「そうなんだ。なっちゃんのおばさんにこの前もらった肉じゃがが入ったタッパーを返そうと思ってたんだけど…。」
菜月と拓真は幼稚園からの幼なじみで、中学時代は疎遠になっていたらしいが、こうして高校で再開した後、親交を深めていた。
「あ、あんなのいつでも大丈夫だよ。」
「そ、そうか?」
「うん。」
「というか、三笠がなっちゃんと話すのって珍しくない?」
拓真が言うように、三笠まどかは、菜月とだけでなく、クラスメイトと話すことさえ珍しい、とても大人しい女子だった。
「そう、せっかくゆっくり話せるんだから、たっくんは早く帰りなよ。」
「何だよそれ。実は、めっちゃくちゃ面白い話、仕入れてきたのに。」
「え?面白い話??」
菜月の目が興味津々にキラキラと輝き、そんな菜月の様子を見て、まどかは
「あの、佐久さん。今日は大丈夫。結城くんの用事に付き合ってあげて。」
「お、悪いな、三笠。じゃ、なっちゃん、行こっか?」
「何言ってんのよ。その面白い話、まどかちゃんも一緒に聞くの。」
「え?三笠もかよ。」
少し怪訝な表情を浮かべる拓真、そして、まどかも遠慮がちに──私は、いいよ──と言ったが、菜月は断固として譲らなかった。
「だめ。面白い話なんだったら、みんなで聞いた方が面白いもん。」
菜月の提案を拓真とまどかは渋々受け入れ、たまたま教室に居合わせた岡田将太とともに拓真が言う ″面白い話″ を聞くことになった。
四人が放課後の教室で机を並べて円を描くように椅子をセッティングし、座る。誰もいない教室、窓の外からは運動部の威勢のいい掛け声と、少しずつ近付いた夏の足音が聞こえるなか、拓真が口を開いた。
「あのさ、先輩から聞いた話なんだけどさ。」
「うんうん。何?」
「この学校に七不思議があるんだって。」
「え?七不思議?何なの面白い話って、怖い話なの?何よそれ、そんなの聞きたくない。」
過剰に反応した菜月と対照的に岡田将太とまどかは興味深そうに拓真を見つめる。そんな場の空気を読んだ菜月はグッと怖い気持ちを抑えて、拓真の話に耳を傾けた。
「俺、そんな七不思議があるって初めて聞いたよ。」
菜月は恐怖から口をつぐみ、大人しいまどかは普段と変わらず、人数合わせのような形でこの場に参加した将太が溢した。
「俺も先輩から聞くまで、知らなくてさ。でも、昔からあったらしいんだけど、先生たちが強引に隠してたらしい。」
「そんな噂が出回ったら、学校の評判も悪くなるもんね?」
「いや、隠してた理由が別にあるんだって。」
拓真は、さも、これから重要なことを言うぞとばかりに前傾姿勢になり、皆にも同じ体勢になるように促す。
「今言った、七不思議の中に、マジのやつがあるらしいんだ。」
絶句する3人。
しばらくの沈黙の後、珍しくまどかが口を開いた。
「あの結城くん。マジなやつって、どれなの?」
「それがさ、その先輩も知らないらしいんだ。」
「何よそれ、ドキドキして損した。」
「そうだ。そこまで言うなら、どれが本当か知りたかったけどな。」
「うん。気になる。」
3人の言葉に拓真はニヤリと笑い、こう言った。
「俺たちで調べないか?」
私は、この時はたっくんがまた面白半分で言ってるだけだと思ってた。そして──学校の七不思議──とか──その中の1つが本当にあったこと──だとか、どこにでもあるただの噂話で、それを自分達で調べるなんて──面白そうだな──なんて思ってた。
そう、そこにはあるんだけど本当は存在しない。
届きそうで届かないと。
──水に写った月のように。
──鏡に写った花のように。
拓真が言った──学校の七不思議の真実を調べる──それは、4人だけの秘密にしようと約束し、実行日は、これから始まる期末テスト明け。そう、夏休みに決まった。
そして、決行当日を迎える。
「さぁ、まずは1つ目の不思議からだな。」
言い出しっぺということもあり、拓真がリーダーで、その拓真の指示通りに夏休みに入ってから三日目の夜、21時。四人は学校に集合した。
「何か、夜の学校って、不気味だね。」
そう溢した菜月は眼前に浮かび上がる校舎の異様な威圧感に物怖じしていた。
しかし、平気な人物が2名。
「確か、体育館だったよな?」
「うん。バスケットボールを付く音が聞こえるんだよね?」
将太とまどかは平然と言い放ち、拓真を見た。
「あ、あぁ。」
明らかに足が重そうな菜月と拓真とは対照的に、将太とまどかは──早く行かないの?──と言いたげに、二人を見ている。
「ねぇ?やっぱりやめない?」
「佐久、ここまで来て何言ってんの?」
将太の言葉からは少し苛立ちのようなものが感じられる。
「いや、冗談だってば。うん。行こう。行こう。」
菜月は自分に言い聞かせるように頷き、足を進める。そんな菜月に──わたし、怖いの平気だから──そう言って、まどかは菜月の手を引き、歩き始めた。
そんな、二人の後を追い、将太、拓真も歩き出す。2、3歩進んだとき、将太が拓真の方を振り返る。
「な、なんだよ?」
「俺らも、あれ、する?」
将太はそう言って、菜月とまどかの繋がった手を指差す。
「は?お前、バカじゃねぇの?」
拓真は将太を早足で追い抜き、そんな拓真を見て、将太は──ククク──と笑った。
やがて、辿り着いた裏門。拓真が前に校内で肝試しをした友人に聞いたところ、この学校のセキュリティはゆるゆるらしく、気を付けるべきは宿直の先生の目だけだそうで、それも正門は宿直室から丸見えだが、裏門まで回るとよっぽど運が悪くない限り、見付かることはないのだそうだ。
裏門の前で、立ち尽くしている拓真を尻目に
「さ、行こうか。」
将太は門によじ登り、上から手を伸ばす。その手を頼りにまどか、菜月も門を越えていく。そして、同じように拓真にも──ほら──と、自分の手を頼るように促すと、それを無視して、拓真は自分の力で門を乗り越えた。
校内は思ったより、明るく──目が暗闇に慣れたせいかもしれないが──恐怖心よりも、夜の学校に忍び込むという状況に菜月はドキドキしていた。
「佐久さん、大丈夫?」
「え?」
「いや、最初から乗り気じゃなかったみたいだし、何か無理矢理付き合わされてるみたいだから…。」
「あ、大丈夫、大丈夫。本当に嫌なら今日も来てないしね。」
「ほんとに?」
「まどかちゃんは、優しいね。ありがとう。」
「そんなことない。そんなことないよ。」
そう言って、大きく首を横に降るまどか。その様子が少し不思議に思った菜月はまどかの手を強く握った。
「あ、あの、ありがとう。菜月ちゃん。」
まどかが佐久さんと呼んでいた菜月に対して ″ちゃん″ を付けて読んだとき
「お二人、着いたけど。」
いつもと違い口数の少ない拓真と対照的にいつもと違いよく喋る将太が菜月とまどかに声をかけた。
所々、非常口の緑の明かりが照らしていた校内の廊下と違い、体育館は本当に真っ暗で、窓のほとんどない建物の形状が不気味さをさらに際立たせていた。
「でも、結城?ここ、入れんの?」
「俺を見くびんなよ。ちゃんと根回し済みだっての。」
拓真は自信満々に──こっち、こっち──とみんなを先導し、勝手口のような扉の前で立ち止まる。
「バスケ部の友達にここだけ開けといてもらったんだ。」
拓真がノブに手をかけると「ガチャリ」と音を立てて、扉がゆっくりと開く。中から少しニス臭い体育館独特の臭いが鼻に届く。
そして、拓真が開けた扉からスッと館内に入っていく将太に3人も続いた。
足元に等間隔に並んだ格子付きの窓から射し込む月明かりが辛うじて、足下を照らしてはいるが、暗闇による視界の悪さは平坦な床だと分かっていても躓きそうなほど。拓真は持参した懐中電灯のスイッチを入れ足下を照らす。
懐中電灯の灯りを頼りにゆっくりと足を進めるが
「結城くん?真実かどうかって、どう確かめるの?」
まどかの問いに拓真は──とりあえず──という前置きの上で「何か起こらないか様子を見よう」との事だった。
さすがに学校の備品が保管されている体育倉庫は施錠されていたため、その前で四人は円になり、座った。
「確か、誰もいない体育館でバスケットボールの付く音が聞こえる。だよな?」
「あぁ。」
その将太と拓真の会話を最後に黙り混む四人。5分ほど経ったとき菜月が口を開く。
「何も起こらないね?」
「まだ早くない?まだ5分くらいしか経ってないけど?」
「あ、そうだね。」
「なっちゃん、怖いなら、外で待っとく?」
「いや、外で一人とか絶対無理。」
体育館に足を踏み入れた際は、異様な光景に恐怖感も高まったが、時間の経過につれて、真っ暗だと思っていた暗闇をぼんやり照らす月明り、静寂だと思っていた静けさには虫の鳴く声が届く、つまり状況に慣れ始めた4人は――この状況を怖がらなければならない――そんなこの場に集まったことを正当化する気遣いをお互いにしていた。しかし、それも長くは続かず、将太に至ってはスマホでゲームをし始める始末。
つまり、その夜、4人の身には何も起こらなかった。
「とりあえず、これは嘘だったってことでいいんだよね…?」
帰り道、菜月が拓真に問い掛ける。
「そうだよな。何も起こらなかったし。」
この時、人一倍怖がりな菜月でさえ――何も起こらなかった――という事実に物足りなさを感じており、何かが起こることを期待する気持ちが芽生え始めていた。
「そうだね。残念だったね。」
「ってか、本当なのかよ?その先輩が言ってた噂って。」
「え?ほ、本当だって。だいたいさ、まだ1つ目だからな!」
拓真の言う通り、まだ7つある不思議の内の1つが終わっただけ。
──それなのに…。
「はい、チーズ。」
真夜中の学校に響く拓真の声。
「おい、何か写ってないか?」
将太が覗きこんだ拓真のスマホの画面には、まどかが写っていた。
「ねぇ?本当にいいのかな?こんな事して。」
「いいも何も、このままだと七不思議のどれが本当か分かんないじゃん?」
私たちは7つある不思議のうち、すでに4つの検証を終えていた。
1つ目は――誰もいない体育館でバスケットボールが床を付く音が聞こえる。
「佐久も見てたろ?今まで何も起こんなかったじゃん。」
── 2つ目は、2階の渡り廊下で「こんにちは」と挨拶してくる生徒に返事をしてはならない。
「誰もいない渡り廊下で2時間も待ってても誰の声もしないし。」
── 3つ目は、夜中、3時33分に帰宅を促す音楽が鳴る。
「こん時はさ、俺と拓真が二人で行って、テレビ電話で佐久と三笠に生中継してたろ?でも、何も起こらなかった。」
── 4つ目は、非常階段の最上階では、昔に飛び降り自殺をした生徒の声が聞こえる。
「雨の中、傘さして、みんなで待ってたけど、聞こえたのはカエルの鳴き声くらい。」
「将太?なっちゃんは、俺らのことを心配してくれてるんだって。」
「心配?何も起こらないのに?」
この日、七不思議のうち、数えて5つ目── 音楽室に一人ぼっちでいると、ピアノが独りでに鳴る──という不思議の検証をしていた。
そして、音楽室のピアノの椅子に座る、まどか。その姿を拓真がスマホで撮影し、何かが写らないかを期待し、画像を確認する。
それが、菜月には常軌を逸した行動に見えていた。
「ねぇ?まどかちゃん?いいの?嫌なら断りなよ。」
「菜月ちゃん、このままだと、どの不思議が本当か分からないじゃん?」
──そうだけど…。
この時の私はもう七不思議とか、どうでもよくなっていたと思う。この中で私だけが…。
「あー、くそ。何も写ってないじゃん。これも外れかよ。もうあと二つしかないじゃん。」
投げ遣り気味に将太は吐き捨て、まどかは申し訳なさそうにうつむく、拓真はバツが悪そうに黙りこむ。
「ねぇ?ちょっといいかな?」
菜月はまどかと席を代わり、ピアノを弾き始めた。それは、菜月なりのこの気まずい空気を和らげようとの配慮で。
「あ、なっちゃん、まだピアノ弾けたんだね?」
それは、拓真には効果覿面で、屈託ない笑顔で鍵盤を叩く菜月に話しかけ、菜月も笑顔で返したのだが、将太とまどかの表情だけが冴えなかったのが気にかかっていた。
「さ、そろそろ帰ろうか?」
時計の針は22時を指している。
こうして、夜の学校に忍び込むのもすっかり慣れて、その行為にもドキドキしていたのが遠い昔のよう。
夏休みも残り2週間。
七不思議も残り二つ。
――このまま何も起こらないんだと信じきっていた。
「遅くなってごめん。」
菜月がバイトを終え、ファミレスに着いたとき、拓真、まどか、将太が座るテーブルには食事を終えた形跡があり、ドリンクバーも何杯か飲んでいた様子だった。
「菜月ちゃん、お疲れ様。」
「ありがと。まどかちゃん。」
「なっちゃん、聞いてくれよ。将太のやつさ、彼女と別れたんだって。」
「え?将太くん、彼女いたんだ。」
「あぁ。」
「それがさ、別れた原因ってのがよく分かんないんだって。」
「分かんないって?」
将太と彼女は付き合って1年という、高校生で言えば、比較的交際期間の長いカップルで、別れを告げられる直前も特に変わった様子はなかったそう。
──もしかして…。
菜月の脳裏に過ったのは、七不思議を検証する際の不真面目な将太の姿だった。
「俺、呪われたかもしんないな…。」
しばしの沈黙のあと、菜月が口を開いた。
「あのさ、もうやめない?」
「え?何でだよ?なっちゃん?」
「だってさ、やっぱりこういうのって、良くないと思う。」
菜月はそう言って、拓真、まどか、将太の顔を見た──みんなはどう思う?──そんな菜月の気持ちを汲み取り、まどかが口を開いた。
「菜月ちゃん、私は今までみんなで七不思議の真相を追いかけるのが、とても楽しかったの。夜の学校に忍び込んだりとか、したことなかったし。あのとき、たまたま私を菜月ちゃんが誘ってくれて、嬉しかったんだ。だから、せめて最後まで検証したいなと思ってるの。」
これまで、ほとんど自己主張をすることがなかった、まどかの発言に菜月は驚き、これまでの拓真や将太に写真を撮られたりすることが内心では嫌がっているのだと思い込んでいた。
「あのさ、佐久の気持ちは分かるんだけどな。俺と彼女が別れたのが呪いのせいだとしてさ、じゃあどの噂が真実だったのかって、俺は知りたい。でもさ、どう考えても今までので呪われたとは思えない気持ちもあってさ。だからこそ、残りの二つを検証して、どちらが本当であって欲しいんだ。何か上手く言えないけど。」
あの時、たまたま偶然、教室に居合わせただけの将太。その偶然がなかったら、こんな風に話したり、同じ時間を過ごすこともなかった。
「なっちゃん?二人もこう言ってることだし、続けようよ。もし、なっちゃんが辞めるなら、俺も辞める。」
拓真の無責任な発言は、ほとんど脅しに近いものではあったが
「分かったよ。これだと、何か私が悪者みたいじゃん?」
菜月はそう言って、笑顔を見せた。
「じゃあ、続けてくれるの?」
もしも、私がこの瞬間に戻れるなら、この時の自分に教えてあげたかった。
──辞めるべき。と。
「もちろん、残りの二つも検証しよう。」
菜月の言葉で決意も新たに残り二つになった不思議を検証することになった。
「で、いつにする?決行する日は。」
「そんなの決まってるじゃん。善は急げ。」
「じゃあ、明日とか?」
「ううん。今から。」
拓真の一言で4人はファミレスを出て、夜の学校へと向かった。
「えっと、あとの2つって何だっけ?」
すっかり慣れた手付きで校内に侵入し、普段は自分達が勉学に励んでいる教室で4人は机を囲んでいた。
この日は月夜で、3階の教室は思ったよりも明るく、用意した懐中電灯の出番はなさそうだ。
「1つは──3年のどこかの教室で放課後に告白すると呪われる──ってので、もう1つは── 3階の女子トイレの1番奥に入ると閉じ込められ便器に引きずり込まれる──ってやつ。」
「そっか。じゃどっちから調べてみる?」
将太がみんなに確認しようと首を振ったが、あるところで静止し、その視線の先には菜月がいた。
「佐久?どうした?」
「え?な、何でもないよ。ねぇ。どっちが先がいいかな?」
明らかに様子のおかしい菜月をみんなは不思議な目で見つめた。
「菜月ちゃん?もしかして…お手洗いに行きたいの?」
黙り混み、俯く、菜月。
「じゃあ、決定だな。」
自信ありげにそう言い放った将太。
「えー。こんなの絶対無理。」
菜月は女子トイレの前でそう言って立ち尽くした。
「でも、トイレに行きたいんだろ?」
「でもさ、これは無理だし、あんたたちがいるのに、トイレに行けないよ。」
拓真と将太は目を合わせた。
「確かに、そうだよね。」
拓真はそう言って、将太の手を引き、その場を立ち去ろうとしたが──ちゃんと証拠は残せよ──将太は捨て台詞を残して、その場を後にした。
「菜月ちゃん、大丈夫?」
「いや、これは無理でしょ。」
「いや、お手洗いは我慢出来そう?」
「膀胱炎になりそ…。」
「菜月ちゃん、限界なんだね…。」
まどかは菜月の手を引き、ゆっくりとトイレに入り、一番手前の扉の前で立ち止まる。
「え?噂って、ここじゃないよね?」
「一番奥には後で私が行くから、菜月ちゃんは早く用を済ませちゃって。」
まどかは──そんなのダメだよ──と、渋る菜月を強引に扉の奥へと押し込み、扉を閉めた。
スマホのライトを頼りに菜月はトイレの個室内で悪戦苦闘しつつも、何とか用を済ませた。
「菜月ちゃん、大丈夫?」
「うん、何とか…。」
「そっか、良かった。」
まどかはそう言い残し、菜月と入れ替わるように奥へと進み、一番奥の扉の中へと消えていった。
──まどかちゃん、大丈夫かな。
菜月の脳裏にはつい先程の光景が浮かぶ。あの真っ暗な閉鎖空間、しかし天井はなく、それこそフッと誰かが覗きこんできそなイメージ、そして便器からは手がニュッと出てきそうな。
そう、七不思議にあった噂のように…。
──まどかちゃん、大丈夫?
そう口に出そうとして、菜月は言葉を飲み込んだ。
──もし、返事がなければ、どうしよう。
そんな菜月の不安をよそに──ガチャリ──と音を立てて、まどかは扉を開け出てきた。
「まどかちゃん、大丈夫?」
スマホのライトをお互いに照らし合う、菜月とまどか。
「う、うん。大丈夫。大丈夫だよ。」
「良かった。とりあえず、たっくんたちに連絡するね。」
その後、拓真たちと合流し、まどかがトイレの個室内で撮影した写真をみんなで確認したが、何も異常は発見できなかった。
そして、いよいよ、残る不思議は1つとなった。
──いよいよ、残り1つか。
菜月は、やっと終わるという安堵感と、もう終わってしまうという寂しさを同時に感じていた。
「もう終わりなんだね。」
真っ暗な校内で、まどかは溢した。
――そう、終わるんだと誰もがその時は思い込んでいた。
「なぁ?3年の教室で告白するんだよな?」
「うん。どこの教室かは分かんないから、しらみ潰しにやるしかないな。」
「で、誰がやるんだよ?俺はパスな。彼女と別れたばっかりだし、嘘でもしたくないから。」
男側は拓真がすることになり、女側は菜月とまどかが交代ですることに決まった。
3年生は5クラスあり、奇数クラスは菜月、偶数クラスはまどか。
検証方法は、拓真が告白をし、菜月とまどかは、それを了承するという、シンプルなもの。
当然、嘘の告白だった。
「じゃあ、早速どうぞ。」
将太は少しニヤつきながら、向かい合う拓真と菜月を急かした。
「分かってるよ。ちょっと待てって。」
拓真は一呼吸置いてから
「菜月さん、俺と付き合って下さい。」
「あ、あの。は、はい。分かりました。」
菜月は将太とまどかを見た──これでいいのかな?──と。
「ま、ギリギリセーフにしとくか。はい、OK。次行こう。」
何故か、将太はさながら映画監督のように振る舞い、次は拓真とまどかのペア、拓真と菜月のペアという組み合わせを2回繰り返した。
「はい、OK!」
もうすっかり、監督役が板についた将太の一言で検証は終わる。
結局、何も起こらないまま、菜月たち4人の七不思議の真相を追う検証は終わった。
七不思議の中に1つだけあるという噂。
その噂はやはり嘘だったのだろうか。
ただ、これは始まりでしかなかった。
「おはよう。うわっ、真っ黒じゃん。」
「ずっと部活ばっかりでさ。」
夏休み開け、生徒たちは久々の再開を楽しんでいる。
「菜月ちゃん、おはよう。」
「あ、まどかちゃん、おはよう。」
一夏の間にすっかり親交を深めた二人。それを不思議がるクラスメイトが何人かいたが、その理由は話さなかった。
──あれは、4人だけの秘密。
新学期が始まり、学生の本分である勉学に励み、高校3年生の菜月も進路について、悩む日々を送っていた。
そんなある日の放課後。
「なっちゃんは卒業したら、どうすんの?」
「私はね、看護師さんになりたいの。」
「あ、確か叔母さんが看護師さんだったよね?」
「そうなの。でも、国家試験がめっちゃ不安なんだよ。私、頭良くないからさ。」
そう言って、ダランと机に突っ伏した菜月。
「なっちゃんなら、大丈夫だって。」
「そうかな。そういう、たっくんはどうすんの?モデルさんとかいいんじゃない?顔も小さいし、背も高いし、喋らなきゃかっこいいからね。」
そう言って、笑った菜月に拓真は
「なっちゃん?ちょっといいかな?」
「ん?どうしたの?」
「えっと、あのさ、七不思議のときにさ。」
「え?あ、うん。」
「最後のをここで検証したじゃん?」
「あ、あぁ、そうだったね。あれ、めっちゃ恥ずかしかったよ。」
「なっちゃん?あれ、本気だったんだ。」
「え?それって、どういうこと?」
菜月は拓真の時間差の恋の告白に驚き、そして戸惑った。今まで見たことのない幼馴染みの真剣な表情から、ふざけて言っていないことは分かっていたが、すぐに答えは出せなかった。
「ごめん。ちょっと考えさせて欲しい。」
帰宅後、菜月はどうするべきか悩んでいた。
──嫌って訳じゃないんだけどな…。
拓真はとにかくモテる。それが気になっていた。自分が拓真の彼氏になることへの不安。それは、つまり菜月の拓真への気持ちがどうなのかという答えは出ているようなものだった。
「もしもし、たっくん?」
「あ、なっちゃん、どうしたの?」
「あの、返事なんだけどね。ゆっくり考えたんだ。」
「うん。」
電話越しにお互いの緊張感が伝わるなか
「お願いします。」
「え?それってOKってこと?」
「う、うん。」
そこから、拓真はとにかく嬉しいんだということを菜月に伝え、その様が愛しく、幼馴染みから恋人へと関係性はその日、変わった。
「じゃあ、また明日学校でね。」
長電話を終え、心が暖かくなるような幸せを菜月は感じていた。菜月も拓真ほどではないが、男子からはモテる方だった。ただ、恋に奥手な菜月は恋人が出来たのは初めてで、照れ臭いような、でも嬉しいような、明日からどんな顔で拓真に会えばいいのかと悩む、愛らしい女子高生の姿がそこにはあった。
そんな菜月のもとに拓真から1通のメールが届く。
「ん?何だろ。」
そこには、拓真が付き合った記念ということで、二人が写った写メが添付されていた。
菜月が画像を開くと
「え、何これ…。」
菜月は目を疑った。
その写メに写っていたのは、菜月、拓真。
ただ、もう一人、見覚えのない女性の姿があった。
そして、菜月には何となく分かった。
──この人、生きていない。
「あのさ、たっくん。今の何?悪ふざけはやめてよね。」
「え?何のこと?」
すぐに電話をかけた菜月は、それが拓真の悪ふざけだという可能性にかけたが、その期待は拓真の反応で脆くも崩れ去ったことを知る。
「あの、私たちの後ろにいる女の人は誰なの?」
「え?何それ?そんなの知らないし、分かんないよ。」
「いや、ちゃんと見てよ。後ろにいるじゃない。私たちの間。」
「ごめん。何も見えない。」
──え?どういうこと?たっくんには見えてないの…。
菜月は電話を切ったあと、改めて写メを見直していた。
そこには確かに二人の間でこちらを見ている女性がいた。
何度見直しても変わることなく。
次の日、菜月は4人に確認して欲しいと写メを見せた。
しかし──やはり、菜月以外には見えなかった──という事実を知ることになるだけだった。
「そっか。」
極度に落ち込んだ様子の菜月にどんな言葉をかけていいか、みんなが悩むなか
「わたし、呪われたんだね…。」
菜月の言葉に誰も答えることは出来なかった。
それから、菜月はみんなと距離を取り、一人で悩み苦しんでいた。
──私は呪われたんだ。
──どうして、私だけが。
──みんなに迷惑はかけられない。
「どうして、私だけなの!!!」
自分の部屋で菜月は叫んだ。
「どうしてよ。私が何したって言うの。誰か助けてよ。助けて。私はどうしたらいいの…。」
菜月は崩れ落ちた。そんなとき──ガタッ──と音を立てて、スマホが目の前に落ちた。
──このままじゃダメだ。
菜月は思い立ち、改めて七不思議を検証していたときの画像や動画を見直すことにした。
──何かヒントがあるかもしれない。
すがるような気持ちで、1つずつ確認していく。
そこには、ふざけている拓真や将太、そしてまどか、自分の姿がある。
ほとんど無心でそれらを見ていく菜月。
その時、不意に1つの動画の異変に気付く。
──ん?今の何?
それは、最後の検証の際に将太の指示で撮影していた動画にあった。
「え?何か聞こえる…。」
拓真の告白に返事をした菜月。そのあとに訪れた空白の数秒間、微かに音声が入っていた。
「うん。何か聞こえる。でも、何て言ってるんだろう。」
菜月の精神状態はすでに恐怖を感じることに麻痺しており、そのまま家を出た。
──行かないと。
目的地は学校だった。
夜の学校、まさか自分が一人で入ることになるなんて想像もしていなかった。
校門を乗り越え、慣れた様子で校内に入る。
──自分だけで何とかしないと。
あの写メに写った女性が自分だけにしか見えない時点で、そう決めていた。
──誰にも頼っちゃいけない。
しかし、その決意も夜の学校の暗闇に吸い込まれていく。菜月は校舎内に入ってすぐに座り込んでしまい、大きな声で泣き始めた。
「嫌だ。嫌だよ。もうどうすればいいか分からないの。私はどうすればいいの?誰か教えてよ。」
誰もいない校舎内に響く菜月の叫び声。それは誰もいないと思っていた校舎内にいた唯一の人物に届く。
「おい、君、一体何をしてるんだ?」
懐中電灯で菜月を照らしながら、その人物は近付いてくる。
──あ、ヤバイ。
菜月は思わず逃げようとしたが、足に力が入らず、その場を動けなかった。
菜月に懐中電灯の灯りを向けたのは、宿直の教師、袴田雅司だった。
「君はここの生徒か?何かあったのか?」
首を横に振った菜月はさらに泣き叫んだ。
袴田はとにかく落ち着くようにと促し、宿直室へと菜月を誘導した。
「3年の佐久菜月さんだね。一体何でこんな時間にあんなとこにいたんだい?とにかく親御さんに連絡して迎えに来てもらうから、連絡先を教えなさい。」
白髪混じりの髪、小柄な体躯、その優しい口調から菜月は安心し、出された暖かい紅茶は随分と気持ちを落ち着かせた。
「迷惑をかけて、ごめんなさい。」
「本当だよ。何かあってからじゃ遅いんだけらね。どんな事情があったかは知らないけど、とにかく今日は帰りなさい。」
「あの、先生?相談があります。」
「ん?相談?先生が乗れるかは分からないけど、それを言ったら帰るんだよ?」
「分かりました。あの、これを見て欲しいんです。」
菜月は例の写メを袴田に見せた。
「ん?これがどうしたんだい?」
──やっぱり見えないんだ…。
「いえ、いいんです。」
「先生には何が何だかさっぱり分からんよ。一体、何があったんだい?」
菜月の不可思議な様子から、袴田は教師として、このまま家に帰すことに不安を覚えた。
「いえ、もういいんです。」
そう言って、菜月は涙を溢す。
「いや、何かあるなら、言ってごらん。先生には聞くしか出来ないけど、それで佐久さんが楽になるかもしれないし。」
──ん?聞く?
菜月はおもむろにスマホを操作し
「先生?これを聞いて下さい。」
菜月が見せたのは、例の音声が入っていた動画だった。
「おい、これは…。君たちは勝手に校内に忍び込んで何をしてるんだ。」
「先生、静かに。ここ、聞いてください。」
叱る袴田を静止し、菜月は音声が入った箇所でボリュームを上げた。
「ほら、ここ、何か聞こえないですか?」
「うーん。何か聞こえた気がするね。」
「ほんとですか??」
──これは聞こえるんだ。
菜月はカバンからイヤホンを取りだし、袴田に渡した。
「もう一回、ちゃんと聞いてみて下さい。何て聞こえます?」
菜月の勢いに圧倒された袴田は言われるがままにイヤホンを受け取り、耳にあてた。
菜月の目の前、目を閉じ、聞き入る袴田。
やがて耳からイヤホンを外した袴田は菜月の目を見て、問いかけた。
「君?これは?」
「えっと…、すみません。悪ふざけでしてしまったんです。この学校にある噂を確かめようと友人たちと…。」
「噂?」
「はい、3年の教室で告白すると呪われるって噂です。」
袴田はハッとした表情で、菜月にもう一度さっきの動画の音声を聞かせるように伝える。
「これは…。」
「あの、先生?どうしたんですか?」
先程と明らかに様子の違う袴田の姿に恐る恐る問い掛ける。
袴田は大きく息を吐き
「アサカワマイ。って言ってるんだよ。」
「え?名前ですか?」
「あぁ。浅川舞。彼女はここの生徒だったんだ。」
「はい。でも、どうして、その浅川舞さんだと思うんですか?」
「この動画はどこで撮ったんだい?」
「えっと、これは3年5組です。」
「やっぱりそうか。」
「やっぱりって?」
「彼女も3年5組だったんだよ。そして、その時の担任が私だったんだ。今から15年前になるね。」
「そうだったんですか。で、その浅川舞さんは?」
「今はもういないよ。」
「え、は、はい。いや、卒業されてから、どうされているんですか?」
「いや、卒業はしていないよ。」
「え?どういうことですか?」
「もういないんだよ。」
「…。」
「この世にはね…。」
それから、私は浅川舞さんのことを先生から詳しく聞いた。
浅川舞さんは失恋を苦に自殺したらしい。
家庭の事情で時々学校を休みがちの大人しい女の子だったそうで、失恋を苦にあの教室から飛び降りたそうだ。
そして、後から生徒たちに聞くと、当時、付き合っていた彼氏から二股されていた事にショックを受けたのが原因ではないかとの事らしい。
「そんなことがあったんですね。」
「あぁ。彼女は演劇部でね。人見知りの性格だったから、普段は裏方ばかりだったんだけどね、やっと努力が報われ、脇役ではあったんだけど、文化祭で役をもらったと喜んでいたんだ。」
「そうですか。」
「先生はね、あの子の笑顔を見たのはその時が初めてでね。正直、あまり印象にない生徒だったからね。でも、あの笑顔を見て、とても嬉しかったのを覚えているよ。でも、その直後だった。」
「そうだったんですね。」
「ちょっと昔話を聞いてくれるかい?」
「もちろんです。」
「彼女がどんな風に最後を迎えたかを。」
「はい。」
菜月は自分はそれを知らないといけないと思った。理由は分からないけれど。
「先生も警察から聞いたから、本当かは分からないんだけどね。」
「はい。」
「部活も終わった放課後に教室で浅川さんは舞台の練習をしていたそうなんだ。彼女なりの努力だったんだろうね。でも、そこに話し声が聞こえた。そして、思わず彼女は教室のロッカーに隠れた。恥ずかしかったんだろうね。照れ屋な子だったから。」
「はい。」
「そこに現れたのは、当時の彼氏と、演劇部の部長で浅川さんを文化祭での舞台で役に抜擢した女生徒だったんだ。そして、浅川さんは知ってしまったんだ。自分が彼氏にとって大切な存在ではなかったことを。そして、誰もいなくなった教室で…。」
菜月は言葉が出なかった。
ただ、袴田の言葉だけが頭に残った。
──浅川舞さんは本当に優しい子だったんだよ。
菜月は帰宅後、拓真に連絡し、全てを話した。
「え。じゃあ、七不思議の真実って…。」
「そう、浅川舞さんのことだったのよ。」
「…。」
電話越しで黙り混む拓真。
「私、明日の放課後にお花を供えようと思うの。たっくんも一緒に謝ろう。浅川舞さんに。これから、将太くんとまどかちゃんにも私から話すから。」
「…。」
「ん?たっくん?」
「あ、いや、分かった。また明日ね。」
一方的に電話を切った拓真の様子が気にはなったが、菜月はそのまま、まどかに電話をかけた。
「あ、まどかちゃん?」
「あ、あの、菜月ちゃん、何て言うか大丈夫なの?」
「あのね、その話なんだけどね…。」
菜月はまどかにも全てを話した。
「そうだったんだね…。」
「うん、だからね、明日…」
「菜月ちゃん?」
菜月の言葉を遮り、まどかは話始めた。
「あのね、菜月ちゃんに夏休み前に話し掛けたの覚えてる?」
「ん、あ!あの、たっくんが七不思議のことを話したときだよね。ごめんね。すっかり忘れちゃってた。」
「ううん。いいの。あれから、色々あったもんね。」
「そうだね…。で、その話って?」
「私ね…。」
そう言って、黙り混む、まどか。
「どうしたの?何でも言ってよ。言いにくいことでも、私、聞くよ。もう、まどかちゃんは大切な友達なんだからね。」
「ごめんなさい。」
「え?何が?」
「私、結城くんとお付き合いしてるの。」
「え?」
「菜月ちゃんと結城くんが付き合う前から…。でも、結城くんに口止めされてて…。」
電話越しで泣き始めた、まどか。
菜月はどうしていいか、分からず、思わず電話を切ってしまった。
──え?どういうこと?
切った電話に、まどかからメールが届く。そこには──ごめんなさい──とだけあった。
菜月は居ても立ってもいれず、拓真に電話をかけた。
しかし、拓真は電話に出る様子がなく、メールを送っても、見ている様子もない。
──まどかちゃんの言ってたこと、本当なんだ。浅川舞さんの話を聞いて、たっくんも、まどかちゃんも、自分達の状況と似ているから…。
「二人で私を騙してたんだ…。」
菜月は涙を堪えることが出来なかった。
──やっと好きになれたのに、たっくんのことも、まどかちゃんのことも。
──大切な恋人、大切な友達、二人同時に無くしてしまったんだ。
「うわぁぁぁぁ。」
大声で泣き叫ぶ菜月。
「ひどいよ、ひどいよ…。」
その時、菜月の脳裏にあの動画の音声が再生された。
──アサカワマイ
「え?あれって、アサカワマイじゃない。」
──アナタジャナイ
「そうだ、きっとそうだ。浅川舞さんは私に教えてくれてたんだ。たっくんが好きなのは私じゃないってこと。」
菜月はその夜、一晩中泣き続けた。
──ありがとう。浅川舞さん。
次の日、拓真とまどかは登校しておらず、いよいよ、自分は騙されていたことを菜月は確信した。
ただ、意外なほどに菜月の心はスッキリしていた。
ショックよりも、浅川舞が自分に何とか伝えてくれていたこと。
それは、菜月の心の支えとなっている。
その日の放課後、菜月は友人たちとの会話に華を咲かせていた。
「あのさ、知ってる?この学校にある噂。」
「え?何々?」
「この教室で告白して結ばれたカップルは幸せになれるらしいんだよ。」
「えー、何それ?菜月ってそういうの信じる人?」
友人たちは菜月の言葉を笑い、菜月もそれに合わせるように笑った。
──でもね、私は信じてる。
みんなが帰ったあと、菜月は用意した花を花瓶に入れ、ロッカーの隣に置き、手を合わせた。
──ありがとう。浅川舞さん。あなたは人を呪ったりする人じゃないよね。だって、私に教えてくれてたもん。
菜月は目を閉じ、浅川舞への感謝を心で唱えた。
すると
「ギーーーー」
菜月が音に驚き、顔を上げるとロッカーがひとりでに開いていた。
「え?何で?」
菜月は目の前の光景に目を疑った。
ロッカーから血だらけの浅川舞がゆっくりと自分に向かって近付いてくる。
「え?嘘。嘘でしょ。何で?」
体が全く動かない菜月。
浅川舞はそんな菜月の眼前にまで近付いてきた。
「何?何?嫌、嫌。」
首を横に振る菜月。
「いやーーーーーーーー!!!」
菜月の悲鳴が校内に響いたが、その声を聞いたものは一人もいなかった。
「ねぇ、知ってる?菜月のこと。」
「うん。飛び降り自殺だって?」
「うん、何か結城くんと揉めてたらしいよ。」
「そうなんだ。結城くんには似合わないのに、しつこく迫ってたんじゃないの?」
「そうだよね。」
──佐久菜月。享年17歳。
まどかは自分の机に向かい、必死でペンを動かしていた。
その行動は、すでに30分以上続いていた。
「違う。違う。違う。違う。」
半狂乱気味でペンを動かすまどか。
そのペンが描き出した文字は――あなたじゃない。
佐藤梓は友人との噂話に華を咲かせたのち、放課後の学校へと向かっていた。
その足取り軽く。
「さっきはさ、馬鹿にしてたけど、私だって女の子だもん。あの噂くらい知ってるってば。上坂くんに告白するんだ。でも、その前に神頼みしよっと。」
自転車を止め、階段を駆け上がり、急いで教室へ向かう。
辿り着いた教室には誰もおらず、梓は深呼吸してから手を合わせた。
──上坂くんとお付き合いできますように。
「ギーーーーーーーー」
ア・ナ・タ・ジャナイ、ワ・タ・シ・ダケノモノ…。
「キャーーー!!!!!!」
――ねぇ?知ってる?あの噂って本当のことらしいよ?