お茶の間心療内科
どこかの次元にひっそりと存在する「お茶の間心療内科」へようこそ。
古き良きお茶の間。
畳にブラウン管のテレビと茶箪笥の置いてある狭い空間の真ん中に鎮座しているのは、冬の風物詩──コタツ。
「はい、次の方」
そんなコタツに足を突っ込んだ男が、外に向かってそう呼びかける。
声が終わると同時に、スターンとふすまが勢いよく開かれた。ブレザーにタータンチェックの膝上スカート。これはもうどこに出しても恥ずかしくない見事な女子高生だった。
「待ちくたびれました」
「名前と年齢、小説内での立ち位置なんかを聞かせてくれるかな? それと、ふすま閉めて。コタツに入るかは自由」
不満をいちいち聞く気のない男は、安いボールペンの先で指示を出しながら患者を誘導する。
「山吹あゆみ、17歳。小説では……乙女ゲーの傍観者やってます」
開けた時より多少ゆっくりと、しかしぴしっとふすまを閉め、言葉の最後の辺りではもそもそとコタツに足を突っ込みながら彼女は言った。栗色の長めのボブカットの頭を、少し疲れたようにコテンとコタツの上に載せる。
「はいはい、傍観者ね……最近多いね、その立ち位置」
「私のは他のと違うんです、一緒にしないでください」
顔をばっとコタツから上げ、あゆみは鋭く言い返した。
「はいはい、で、悩みは?」
そんな彼女の言葉を軽く流しつつ、男はカルテに文字を書き入れながら、どんどん話を進めていく。
「……読者です」
「は?」
「最近、読者の目が痛いんです。『どうせ傍観者なんて言って、ヒロインから逆ハー奪うんだろ』とか、『ヒロインと同じことしておきながら、SEKKYOUかますんだろ』とか……読者が乙女ゲーもの読みすぎてて、素直な気持ちで見てくれないんです」
これは新しいと、男は思った。いままでの同じ立ち位置の女の子たちの悩みは、どれも物語の中のことに関するものだった。それがまさか「読者」への不満とは恐れ入る、と。
「で、どうしたいの?」
「読者に好かれたいです。逆ハーしようがSEKKYOUかまそうが、好きなことして多くの読者に好かれるにはどうしたらいいですか!?」
「あー……」
男は、ぼりぼりと頭をかいた。読者に好かれるために、どういう行動を取るべきでしょうかなら分からないではないのだが、好きなことして万人に好かれるにはどうしたらいいでしょうかときたものだ。
「ひとつ聞いていい?」
ボールペンを回しながら、男は言った。「何ですか?」とあゆみは答える。
「……読者のこと、好き?」
「私を好きでいてくれる読者は好きです!」
「うん、それが答え」
「は?」
目を丸くするあゆみ。男は、ボールペンの先でコツコツとカルテを叩く。
「読者もおんなじ。好きな人しか好きになれない。万人に好かれるのは無理。そんなの世界中にいる神様にだって出来てないミラクル」
「ちょ、そんなの答えになってないじゃないですか」
「うん、だから口説け」
「は?」
「だから、読者を口説け。お前さんは、攻略キャラを口説く前に、読者を口説け。まず読者との間にハーレムを築け。読者を楽しませろ、笑わせろ、心配させて手を差し伸べさせろ。それで多くの読者がお前に首ったけになったら……ま、後は大体のことは大目に見てもらえるだろ? 多分……」
男は大きく息を吐きながら、ボールペンで額をかく。
「……長時間待たされて、もらった回答が、これですか?」
コタツの中で、ぶっすーっとあゆみが頬を膨らませる。
「俺は来てくれって言ってないだろ?」
「何それ、ツンデレ?」
「断じて違う」
男は間髪要れずに否定する。一瞬流れる、微妙な沈黙。
「…もう帰ります」
「おう、帰れ」
「『お大事に』は?」
「そんなサービスはうちにはない」
男の言葉に、あゆみは耐え切れないようにぷはっと噴き出した。
「そんなんじゃ患者は逃げていきますよ」
「おう、もう来るな」
「サイッテー」
笑いながら最低呼ばわりされた男は、ボールペンの先で彼女を指してこう言った。
「俺は、お前のことを好きじゃないからな」
それに少し不満そうにあゆみは顔をしかめて、けれど後ろ髪ひかれるようにこう継げた。
「……また来ていいですか?」
「俺じゃなくて、読者を口説けっつってんだろ?」
彼女の後ろ髪は、あっさり男に切り捨てられる。あゆみは首をすくめた。
「……はーい、じゃあバイバイ」
「おう、バイバイだ」
コタツを出たスカートの足が、今度は静かにふすまを開けて出て行く。男はカルテにごりごりと必要な文字を書き込み、次の真新しいカルテを上に乗せて──こう言った。
「はい、次の方」
『終』