六章
馬を走らせながら、丈清は由羅の隣についた。由羅は隣についた丈清を見た。
「由羅殿。申し訳ない。」
「・・・将軍が謝ることではございません。私こそ・・・すみません。」
「えっ・・・?」
「大切なお方を危険なことに巻き込んでしまいました。」
「いや・・・」
「力を見せ付けて・・・私は一体何をしたいのか・・・。愚かなことを言いました。」
「由羅殿・・・・」
「ですが、ご安心ください。必ず無事にお返しいたしますので。」
由羅はそう言うと更に馬を走らせ前へ前へと先に行ってしまった。その後を丈清が続き、陸苑、摂黄、その後に曹伯を乗せた鋭史がついてきていた。陸苑は背後から由羅を見つめていた。黒装束の背中に背負うのは黒い布に巻かれた剣。白馬の右側には弓矢が装備されていた。左側には小刀らしきものが数本装備されていた。これだけを見れば、完全なる武人であった。だが不思議と自分の命の心配はなかった。由羅は我らを傷つけたりはしない。そう感じていた。丈清が自分よりも上と言った腕前。由羅の右腕という鋭史の腕。兵一万を一人で相手できるなど本当にできるのだろうか。そう思っていた。
曹伯は鋭史の馬に一緒に乗りながら両手を顔の前で組んで祈っていた。それを見ていた鋭史はそっと笑みを浮かべた。
「安心しなさい。由羅様が必ず救ってくださる。」
鋭史が言うと曹伯は振り返り鋭史の顔を見上げた。
「そんなに・・・強いの・・・?」
「ああ。あのお方は強い。私も・・・私の命と家族を救っていただいた。だからこうして生きている。」
鋭史の言葉に曹伯は目を見開いた。
「だから、信じるんだ。」
鋭史の目を見つめた。信じる。この人達の言葉は信じることができる。不思議とそう感じた。曹伯はゆっくりと大きく頷いた。
一方朝日が昇る少し前、曹伯の母親は村を守ろうと剣を持って村の入り口に立っていた。賛同したごく少数の村人も剣を持って入り口に立っていた。母親はただ自分の命よりも曹伯のことを思っていた。どうか、無事でありますようにと。
時は何を待つこともなく過ぎていった。そしてとうとう朝日が昇り始めた。すると村に向かって数頭の馬に跨った何者かが近づいているのが見えた。近づくにつれて次第にわかる恐怖が入り口に立つ者たちに襲い掛かった。三〇人程が馬に跨ってこちらへ来ていた。
「俺達が戦って勝てる相手じゃない!」
意気込んでいたごく少数の村人達は恐怖に震えた。
「例え勝てなくても戦うしかないのよ!ただ狩られるのを待つか永遠に逃げるか・・・。戦うしかないのよ!」
曹伯の母親も剣を握りながら震えていた。三〇人程の鎧を着た男達は村の前で止まると、その先頭にいる三人は将軍であったのがわかった。
「何の真似だ・・・?」
将軍の一人が聞くと、母親は必死に震えを抑えて将軍達を見つめた。
「貴様ら農民が我等に勝てると思っているのか?」
「私達を狩りに来たのでしょう!」
「その通りだ。・・・おお、そうか。これは悪あがきか・・・」
将軍がそう言うと、他の者達は大きく笑い始めた。
「今日の狩りは少しは楽しめそうだな。火矢を放て。農民を炙り出すのだ。」
真ん中の将軍が言うと背後にいた男達が何の躊躇もなく火矢を民家に放った。それを見た曹伯の母親は目を見開いた。
「やめてっ!!」
民家が燃えるのはあっという間であった。沢山の隠れていた村人達は家から出てすぐに将軍達に命乞いを始めた。
「どうか、どうかお助けください!!」
「何でも言う通りにいたしますから!」
それを聞いた曹伯の母親は歯を食いしばった。するとまた将軍達は笑い始めたのだ。母親はそれを見て怒りが込み上げてきた。
「同じ人間でしょう!何故このようなひどいことができるのですか!私達が何をしたというのですか!」
曹伯の母親が言う言葉に真ん中にいた将軍は笑うのをやめて母親を見た。
「同じ人間だと・・・?貴様らと我等が同等なはずがないだろう。お前達は狩られる為にここにいるのだ。」
それを聞いた母親は歯を食いしばり剣を強く握ってそれを振り上げて将軍向けて走った。将軍はすぐに剣を抜き、振り下ろされる剣をおもいきり跳ね返した。母親はその衝撃で後ろに飛ばされるように倒れてしまった。真ん中にいる将軍は馬から降りると曹伯の母親の前へ歩き左手で首を掴んで立たせた。強く締められた手を振り払おうと将軍の手首を強く握った。苦しさに絶えながら将軍を強く見た。他の村人達は身を寄せ合ってただ怯えていた。
「お前がどれだけあらがおうと他の奴らは何も言わないではないか。これでも同じ人間か・・・?」
母親はわかっていた。みんな怖いのだ。それは当然のことで、わざわざ反抗するなど自ら命を落としにいくようなもの。
「お前達は我等に狩られる運命なのだ。どれほど願おうと、お前達はここで死ぬ。」
母親は涙を流しながら苦しさに耐えていた。
「そんなはずはない!みんな!希望を持って!」
苦しみながら母親は村人達に言った。するとどこからか矢が飛んで来て将軍の左手に突き刺さった。突然の痛みに手を放すと矢が飛んで来た方を見た。
「誰だっ!!」
遠くからこちらに向かって来る黒い数人の姿を見た。
「母上!!」
曹伯の声であった。その黒装束の集団は少し手前まで来て止まると、母親は曹伯の姿を見た。母親は嬉しさに思わず曹伯がいるであろう黒装束の方へと走り出した。曹伯も馬から飛び降りると母親の方へと走った。二人は涙を流しながらお互いを強く抱きしめた。
「何者だ!」
矢を射られた男が聞くと、白馬に乗っていた者が馬から降りた。小柄であることだけはわかった。
「・・・人間狩りか。愚かな・・・・」
「女か・・・。よくも私の腕をやってくれたな・・・・」
丈清は心配そうに由羅を見た。大柄な男達が目の前にいる。
「皆様は、ここから前に進まないように。」
鋭史はそう言うと馬から降りて丈清達三人の前に立った。
「さあ、ご存分にどうぞ。」
鋭史が言うと、由羅は少し顔を振り返り頷いた。すると饕餮も前に出て由羅の隣についた。
「奇妙な獣を連れているな・・・」
饕餮は威嚇しながら前に出ると馬達が怯えはじめた。
「お前達が人間狩りに来たならば・・・我等は狩る者達を狩りに来たとでも言っておこうか。」
妖艶な声であった。
「女の貴様が我等を狩るだと?笑わせるな!奴らを殺せ!」
矢を射られた将軍が叫ぶと数人が馬を降りて剣や槍を持って由羅へと走り出した。由羅は舞うように身をこなして敵の攻撃を簡単にすり抜けてしまった。
「まずはお前の首だ。」
由羅は矢を射抜いた男へそのまま走り、背中に背負う剣に手をかけた。すぐに将軍は剣を振ろうとしたが、目の前で飛び上がった由羅が自分を通りすぎようとした瞬間、将軍の首が飛んだのであった。それを見た丈清達は目を見開いた。それを合図に饕餮も馬に乗る兵向けて走り出した。兵士も剣を抜いた瞬間饕餮は飛び上がりその者の首に噛み付くと体を反転させて首に噛み付いたまま馬から振り落とした。噛み付かれた男は首から沢山の血を流し動かなかった。首を噛み千切られたようであった。他の将軍達も由羅に向かって剣を振るが、あしらわれるかのように次々とその首が飛ばされていった。その光景は丈清達にとっては衝撃的なことであった。力の差が歴然であった。余裕すぎるのである。あの将軍達も決して弱いわけではない。鍛錬された者達であった。だが、それも由羅の力には及ばなかった。恐らく、それなりの強者であっても由羅を苦戦させることはできないであろう。そう実感した。三〇人の男達は全員由羅と饕餮によって殺された。由羅は村人達を見た。村人達は由羅を見てまだ怯えていた。
「あの子供に感謝しなさい。あの子が私達を呼んで来たのよ。」
すると曹伯の母親は由羅に歩み寄り床に両膝をついて頭を深々と下げた。
「本当に・・・本当にありがとうございました。」
母親は涙を流しながら由羅に感謝をした。曹伯もそれを見てすぐに母親の隣で一緒に頭を下げた。
「ありがとうございました!」
由羅はそれを見てから村を見た。燃えている村に三〇人の遺体。
「ここに残っていても、また狩られるだけ。私がここに残ることもできない。」
由羅は大きく息を吐いた。そして丈清達の元へ歩いて来た。
「この村人を、そちらで見ていただけないでしょうか・・・?」
由羅は陸苑を見て言うと、陸苑は大きく息を吐いた。
「そうしてやりたいのは山々だ。しかし・・・死ぬか生きるかの戦が待っている。この戦で負ければ倭州は滅びる。そしてここは慶州。もし曹伯が言っていたことが事実であれば、われらは慶州も敵に回ったと考えるのが妥当であろう。」
丈清と摂黄もわかっていた。勝つ見込みなど最初からない。しかも阿修羅の力があるとなればなお更であった。阿修羅と対抗できるのは由羅だけ。ということは、今見た由羅の力と同等の者が控えているということであった。この戦いでその力の差を見せ付けられてしまったのだ。
「わかっています。この民を受け入れてくれるならば、私と鋭史が貴方方の戦に加わりましょう。それなら、どうですか?」
陸苑は何故かその言葉を期待していた。丈清もそうであった。別に利用したいとかそうゆう思いではなかった。由羅を知りたくなっていたのだ。陸苑は由羅を見つめた。
「こうなることも・・・恐らく天の導きであったのでしょう。全ては偶然ではないのですよ。どの道、阿修羅の力が響秦軍にあるのならば、私は戦わなければならないのです。ただし、この戦に勝てたとして、私が倭州にとどまるかどうかは別のお話になります。」
「・・・よかろう。ならば、この民を受け入れよう。」
陸苑が言うと、由羅はゆっくりと頷いた。そして由羅は鋭史を見た。
「鋭史。また力を貸しておくれ。」
由羅が言うと、鋭史はそっと笑みを浮かべて両手を顔の前で合わせて深々と礼をした。
「この命は由羅様に捧げたものです。貴方の行く所ならばどこへでも参ります。」
こうして、村人達は倭州に行くことになった。ほとんどが燃えてしまったが、少人数の村であった為、移動するのに目立つことはなかった。陸苑は摂黄と共に鋭史を連れて先に倭州へと戻ることになった。由羅と丈清は村人を連れてゆっくり倭州へと向かうこととなった。
倭州に先に向かっていた陸苑はどうしても鋭史に聞きたいことがあった。
「鋭史殿。そなたと由羅殿の関係を聞いてもよいか?」
「はい。私は今は亡き延軌軍に仕えておりました。」
「延軌軍と言えば、確か随分前に滅びたと聞いたが・・・」
「はい。あそこは恐怖で人を支配していた軍。私の家族も延軌に捕らえられ、命が欲しくば戦に勝て。そう言われておりました。しかし、響秦軍との戦いで我々は敗北。力の差がありすぎました。負ければ家族が殺されてしまう。私は一人でも戦って勝たねばなりませんでした。しかし・・・」
鋭史は大きく息を吐いた。
「私は家族の為に死ぬわけにはいかなかった。ですが、もう体も動かなくなり、死を覚悟せざるを得ませんでした。響秦軍は勝利し、この戦が終わりました。死ぬこともできず、戦うこともできない私はこの愛馬に助けられながら私の命と引き換えに、天に妻と子を助けていただけまいかとお願いをしておりました。私を乗せた馬はどこへ向かっているかもわからず、私はひたすら祈り続けました。そして、由羅様がお迎えに来てくださったのです。」
「それが、由羅殿との出会いか・・・・」
「はい。由羅様は一言、私を呼んだのはお前か?と・・・。驚きました。天に祈りを捧げ続け、迎えに来たのは由羅様。女性である由羅様にこのようなことを話しても仕方がないとは思っておりました。しかし、何故かすがってしまいました。この命を捧げる変わりに、妻と子を救ってください。と・・・。由羅様は私に忉利寺に行くようにと言い、そのままどこかへ行ってしまわれました。目が覚めた時、側には妻と子が・・・。長い間、私は眠っていたそうです。」
「まさか・・・滅びた理由とは・・・」
「ええ。妻から、延軌軍は由羅様によって滅ぼされたと・・・。外では何者かの襲撃によって滅んだと伝えられております。私は家族を救っていただいたお返しに、この命を捧げますと伝えました。ようやく再会できましたが、約束を違えるわけにはまいりません。ですが・・・」
『お前は私ではなく、天に命を捧げたのだ。そして家族は救われ、お前は生きている。ということは、お前は天によって生かされたのだ。これからは、家族と共に生きろ。家族の為に生きなければならないのだ。』
「由羅様はそうおっしゃってくださいました。私はどうしていいかもわからず、大僧正様にご相談させていただきました。そして、私は大僧正様より由羅様のことを聞きました。あのお方は、天より阿修羅の力を宿す者と戦う使者。私はそれを聞いて、家族とも相談し、由羅様にお仕えすることに決めたのです。もちろん、あのお方は人を寄せ付けようとはなさらず、何度も断られました。」
鋭史はそう言うと小さく笑った。陸苑もそれを聞いて笑みを浮かべた。
「大僧正から聞いた。由羅殿は、この世から未練を絶っていると。半端な気持ちで由羅殿と接することはやめてくれ。あの子を・・・もう傷つけないでくれ・・・と・・・。」
「由羅様はとても優しいお方です。ですが、課せられた試練はあまりにも過酷すぎます。あのお方は、人との繋がりを恐れておられます。」
「何故・・・恐れるのだ?」
「それは・・・・」
鋭史は複雑な顔をして少し俯いた。
「私からはお話することはできません。あのお方から直接聞かれた方がよいかと思われます。」
鋭史が言うと、陸苑は大きく息を吐いた。
「そう簡単に話してはくれなさそうだな。」
「ええ。そうですね。」
鋭史はそう言って笑うと陸苑も笑った。すると摂黄が鋭史を見た。
「鋭史殿。貴方は由羅殿がもし窮地に立たされてしまったら、どうなさるのですか?」
「簡単なことです。私は日々鍛錬をしております。あのお方を救える力を身につける為に。」
「ですが、それでも敵わぬ敵がいたとしたら・・・・」
「ならば、この命を捨ててでも私が盾になり、敵を倒せる道を作るまでです。あのお方に敗北はないのです。由羅様の敗北は死を意味します。敗北してしまえば、阿修羅の力を抑えられる者はいなくなります。ですから、何があろうと来る敵は倒さなければならないのです。この私が力及ばずなどという理由では、もう済まされない。ですから、過酷な修行をし、あのお方を担いで戦うくらいの力がなければ、お側にいる意味すらもないのです。」
それを聞いた摂黄は目を見開いた。思わず摂黄は己の未熟さを痛感した。今回の戦に対して、少しでも勝てないと思い込み、どう陸苑を守ろうかと考えていた自分が情けなくなってしまった。自分達も同じなのだ。敗北などありえないのだ。このお方の勝利は民の喜びであり、これからの道を築かれていくお方。摂黄は再び鋭史を見つめて両手を顔の前で合わせると礼をした。
「鋭史殿のお言葉、感服いたしました。我々もそうあるべきだと再度実感いたしました。」
摂黄が言うと、鋭史も顔の前で両手を合わせた。それを見た陸苑は小さく数回頷いた。
「鋭史殿。この摂黄の口から感服と言う言葉はそう聞けぬぞ?」
「・・・そうなのですか?」
「我が君・・・」
摂黄は困ったような顔をした。それを見た陸苑は大きく笑った。