五章
忉利寺に戻った由羅たちは連れて来た子を鋭史の妻である昌螢に託した。昌螢は眠っているその子供の濡れた服を着替えさせ、寝台に寝かせて体を優しくさすっていた。由羅たちはこのことを東王公に話した。
「なる程。鋭史殿の時と確かに同じですね。」
「幼い子供が一人でここに向かっていたということは、よほどのことがあったはずです。」
鋭史が言うと、由羅は小さく息を吐いた。
「母上を、みんなをお守りください。僕はどうなっても構いません。・・・それがあの子の言葉だった。恐らく、沢山の者たちが命を落とす可能性がある何かを止めて欲しい・・・そんな所だろう。」
「では、どうなさいますか?」
「あの子にはかわいそうだが、無理やりでも起こして話を聞かなければ・・。そうしなければ間に合わないことかも知れない。」
由羅の言葉に東王公は小さく数回頷いた。
「確かに、鋭史殿の時もそうであった。一刻を争う。だから天も由羅に声を届けたのやも知れぬ。」
「鋭史。このことを昌螢に。起きたら私を呼びなさい。」
「わかりました。」
鋭史は礼をするとすぐに昌螢の元へと向かった。由羅は大きく息を吐いた。それを見た東王公も小さく息を吐いた。
「声が聞こえるのは・・・嫌か・・・?」
「・・・別に。ただ、このようなことが永遠続くのかと思うと、気が重くなるだけだ。私はきっと、阿修羅との戦いで死ぬ。親に捨てられ、戦いしか教わらなかった。女として生きることすら・・・もうできない。そして・・・こうして助けを求めて導かれる者を救う。けれど・・・」
悲しげな顔をして小さな声で言う由羅の姿を東王公は複雑な顔で見つめた。
「私の心は・・・永遠に救われることなんてない。選ぶことも・・・」
由羅はそう言うと不動明王の像のある間へと入って行った。東王公は大きく息を吐いた。その日はどれだけ起こしても子供が目を覚ますことはなかった。そして約束の日が来た。
丈清は主君の陸苑と同じ将軍の摂黄と三人で忉利寺へと向かった。子供はまだ目を覚ますことがなく、鋭史と妻の昌螢はどうすることもできずにただ待つしかなかった。夕暮れ時、由羅はずっと不動明王の前で伏せている饕餮の腹に背をもたれて眠っていた。するとまた、夢を見てしまっていた。
幼い頃の自分がまた前に立っていた。由羅はその幼い頃の自分を見つめていた。
『寂しいの・・・?』
幼い自分は唐突に聞いてきた。また目線も表情も変えない。
『・・・あなたは、私の何なの・・・?』
『私は・・・もう一人の貴方。』
その言葉に由羅は眉を細めた。
『どうして・・・助けるの?』
『そう天に命じられたからよ。』
『本当に・・・それだけの理由なの・・・?』
『そうよ。』
『・・・助けて、そしてどうにかしてあげて・・・そこまでする本当の理由は何?』
『理由なんてない。私に理由などない。』
『・・・そうゆうのを・・・偽善者っていうのよ・・?』
幼い自分の話す言葉に怒りを覚えた。由羅は両手の拳を強く握った。
『そうやって・・・私を押し込めて、ずっとそう言い訳をし続けるの?』
『言い訳などしていない!!』
そう叫んだ瞬間由羅は目を見開いた。饕餮に寄りかかって横を向いていた由羅は人の気配をすぐに感じて顔を前へ向けると、そこには心配そうに見つめる丈清の姿があった。
「由羅殿・・・どうされたのですか・・・?」
由羅はゆっくり起き上がると、また目から涙がこぼれていたのに気づき、両手ですぐに拭った。
「将軍・・・いつからここに・・・」
「先ほど到着いたしました。大僧正が由羅殿はこちらにおられると聞きましたので・・・」
「・・・そう・・・でしたか。」
由羅が立ち上がろうとした時、丈清は手を掴んで由羅を立たせた。
「悲しい夢を見ておられたのですか・・・?」
丈清が聞くと、由羅は俯いていた。
「何も聞かないでください。このようなこと・・・誰にも見られたくなかった・・・。」
丈清は俯く由羅を見て何かを悟った。何かはわからないが、話したくとも話せない深い傷を背負っているのではないのかと。この乱世の中、そうゆう者は沢山いる。そうしてみんな生きているのだ。
「ああ。わかった。」
丈清は優しく頷くと由羅はようやくゆっくりと顔を上げた。
「今日は、私の主君と私と同じ将軍の三人で参りました。貴方のことを話さざるを得なかったので、どちらかのお方。と言いました。ですが、話さないという約束であったことを言うと、我が君は知らぬこととしておこうと言ってくださいました。約束を違えてしまい、申し訳ございません。」
「いいえ。主君に嘘をつくわけにはいきません。私はどこの何者かもわからない者。将軍がしたことは、当然のことです。」
丈清は申し訳なさそうな顔で由羅を見つめた。すると由羅はそっと笑みを浮かべた。
「是非ご紹介ください。徳の将・・・一度見てみたかった。」
「では、ご案内します。」
丈清はそう言うと由羅を連れて東王公と一緒にいる陸苑達が待つ部屋へと向かった。
「我が君。由羅殿をご紹介いたします。」
丈清が言うとその部屋に由羅は入った。陸苑と摂黄は由羅を見て目を見開いた。美しいと聞いていたが、予想以上の美しさであった。本当にこの美しい女性が丈清よりも腕が上なのか信じられなかった。
「由羅と申します。丈清将軍より貴方様のお話を聞き、一度お会いしたいと思っておりました。」
由羅はそう言うとそっと挨拶するように両膝を少し曲げて小さく礼をした。
「陸苑と申す。この者は摂黄と言う。」
陸苑が言うと、摂黄は軽く会釈をした。
「丈清が世話になった。素晴らしい剣舞を舞われると聞いた。」
「いえ。私など・・・。将軍が素晴らしい舞を舞っていただいたからです。」
「その剣舞、一度私も見せてはいただけないだろうか。」
陸苑が言うと、由羅は丈清を見た。丈清も由羅を見た。
「将軍との約束でしたからね。」
由羅はそう言って笑みを浮かべると、丈清も笑みを浮かべた。すると突然部屋に鋭史が入って来た。
「由羅様。」
慌てた様子で入って来た鋭史に丈清達は驚いた。
「ああ、こちらは私の連れの者です。名は鋭史。」
鋭史は丈清達を見た。
「鋭史。こちらが倭州を治める陸苑様と、摂黄将軍。そして、このお方が丈清将軍です。」
「鋭史と申します。」
鋭史は両手を顔の前で合わせると礼をした。
「どうした?」
「あの子供が目を覚ましました。何やら急いでいるようです。」
「やはり・・・」
由羅は小さく息を吐くと丈清を見た。丈清は眉を細めた。そして由羅は陸苑を見た。
「申し訳ございません。こちらに救いを求めに来た子供の話を聞かねばなりません。剣舞は・・・また後日に・・・」
「子供とは・・・」
丈清が聞くと、由羅は東王公を見た。
「大僧正。お願いします。」
由羅が言うと、東王公はゆっくりと頷いた。
「そなたには役目がある。私からお話いたします。」
東王公が言うと、由羅は陸苑達に礼をし、そして丈清を見た。
「申し訳ございません。」
由羅は悲しげな顔をしているようであった。そして由羅は鋭史と共にここから立ち去っていった。
「昨日、由羅はこの寺に向かって来ていた子供を見つけ、こちらに連れて来ておりました。この寺に来る者は皆天に祈りを捧げに参ります。そのほとんどが救いを求めて。由羅は・・・天の使者とでも言っておきましょうか。全てをとは参りませんが、天の導きで由羅は沢山の人たちと出会う運命なのです。そして、阿修羅の力を操る者と戦える者。そして・・・死ぬ。」
東王公の話は人知を超えたように聞こえていた。だが丈清はそれを聞いて先ほど見た由羅の涙を思い出した。
「死ぬ・・・とは・・・」
「人知を超えた力を操るのです。体が持つはずがありません。天の力はそれだけ偉大であり恐ろしい力なのです。」
東王公はそう言うと肩を落として大きくため息をついた。
「あの子はこの世からの未練を絶っております。半端な気持ちで由羅と接することはおやめください。あの子を・・・もう傷つけないでください。」
東王公が言うと、丈清は複雑な顔をしながらゆっくりと俯いた。そんな丈清を陸苑はしっかりと見ていた。
「大僧正。その子供から話を聞いたら、由羅殿はどうされるのですか?」
陸苑が聞くと、丈清はその質問の答えが聞きたく顔を上げて東王公を見た。
「恐らく、何かをしに行くでしょう。その為に天が引き合わせたのですからね。」
「大僧正。私達もその子供のいる部屋へお連れくださいませぬか?」
陸苑が聞くと、丈清は陸苑を見た。
「知りたいのだろう?丈清。」
「我が君・・・・」
「話を聞いてみようではないか。」
「ありがとうございます。」
丈清は深々と頭を下げた。東王公はそっと笑みを浮かべて三人を子供がいる部屋へと案内した。すると男の子の大きな声が聞こえた。叫ぶ声であった。慌てて東王公達が部屋に入ると、鋭史に抑えられながら叫ぶ子供の姿があった。由羅はその前で立っていた。
「お願いです!!祈りを捧げないと母上たちが!!村人達が!!」
「話してくれなければ助けられないだろう!」
鋭史が言い聞かせるが、子供は叫んでいた。由羅は部屋に入って来た丈清達を見た。
「私達では助けられない。天以外に救ってくれるお方はいない。そればかりで全く話にならない・・・」
由羅はそう言って大きく息を吐いた。
「それなら、私が話を聞こう。」
陸苑は言った。だが由羅は首を左右に振った。
「簡単に名乗るのは危険です。ここは忉利寺であっても沢山の人たちが来る所ですので。」
「しかし・・・」
「荒療治ですが・・・こうしるしかない。」
由羅はそう言うと子供の頬を叩いた。すると子供は驚き思わず止まってしまった。
「話をしないならそれもそれで構わぬ。天に祈り帰りなさい。ここでは死なせはしないよ。」
子供は泣きそうな顔で由羅を見つめた。由羅は子供を上から見下ろしていた。その目は子供にとっては冷たく怖かった。
「お前は私達に連れてこられなければここへもたどりつけなかった。理由くらい話してくれてもいいのではないのかい?」
由羅が言うと、子供は涙を流しながら俯いた。その様子を丈清たちは見つめた。
「・・・僕は、ここから少し行った慶州の端にある小さな村から来ました。慶州では僕たちのような小さい村は、人間狩りにあいます。倭州でも近々戦があると聞いて・・・。いつくるかわからない恐怖で僕達は怯えて暮らしていました。だから、僕は母上や村人たちを助けてもらおうとここに・・・・」
子供は体を震わせていた。
「途中で慶州の将軍と遭ったからすぐに茂みに逃げたんです!そしたら・・・泉翠軍は響秦軍と同盟を結んだ。予定通り狩りをする。三日後、夜明けと共にって・・・。夜明けにみんな殺されてしまう!だから急がないと!」
子供はそう言って大声で泣き出した。由羅は大きく息を吐いた。
「お前の名前は?」
「・・・曹伯。」
「・・・曹伯。今から行けばまだ間に合う。行くぞ。」
由羅がそう言うと鋭史は頷いた。丈清は由羅を見た。
「待ってくれ。どうするつもりなのですか?」
丈清が聞くと、由羅は丈清を見た。
「もちろん。助けに行くのですよ。」
由羅が言うと丈清は眉を細めた。すると陸苑が前に歩いて来た。
「そなたたちだけで戦えると言うのか?」
陸苑は丈清が言っていた武の腕は私以上という意味を知りたかった。本当にそれほどの腕があるのならば、そして阿修羅に対抗できる唯一の者ならば是非欲しいと思っていた。
「鋭史一人でおおよそ一万の兵士を相手にできましょう。」
由羅の言葉に陸苑達は驚いた。しかしそれを信じるには至らなかった。そのような強者ならば既に世に知られているはずだからである。
「由羅様は、それ以上ですよ。」
「まさか・・・そのようなことが信じられるか・・・」
思わず言ってしまったのは摂黄であった。
「ならば、ご覧になられますか?」
「えっ?」
「この子が言うには馬で約一日。早馬なら半日で行く距離です。道中の護衛は鋭史がいたしましょう。」
そう由羅が言うと、どうしても見てみたくなってしまった。
「よかろう。是非その腕前、見させていただこう。」
陸苑が言うと、由羅は妖艶な笑みを浮かべた。
「我が君。道中何かあったらどうするおつもりですか!?まだ信用できる者かもわからぬのです。」
摂黄が心配そうに言うと、丈清は複雑な表情をしていた。
「これでも人を見て来たつもりた。それほどの力があるなら、我らが来た時に殺せばいいだけのこと。それに、私にはお前達がいる。」
陸苑の言葉に摂黄は小さく息を吐いた。
「我が君のお命、必ずお守りいたします。」
摂黄は両手を顔の前で合わせると礼をした。丈清は陸苑を見つめた。陸苑は丈清を見てそっと笑みを浮かべると小さく頷いた。丈清はそれを見て顔の前で両手を合わせて深く一礼をした。その様子を見ていた由羅は複雑な顔をして俯いた。
「こちらを身に着けてください。」
鋭史は黒い大きな布を陸苑達に渡した。
「身元がわからぬようこれだけは決して脱がないでください。道中何かあれば私と由羅様がどうにかいたしますので。」
鋭史が言うと、三人はその黒い布を頭から全身に纏った。由羅と鋭史も全身に黒い布を纏うと鋭史は曹伯を抱き上げた。全員寺の正門に出て馬に跨った。由羅が指笛を吹くと、壁を乗り越えて饕餮が現れた。饕餮を見た陸苑と摂黄は驚いた。こんな大きな狼は見たことがないからである。
「ご安心ください。由羅殿の大切な友人だそうです。」
丈清が言うと、由羅は丈清を見てそっと笑みを浮かべた。
「曹伯。由羅様を信じるのだ。」
鋭史は前に乗せた曹伯に言うと、曹伯は由羅を見た。
「飛天。饕餮。行くよ。」
そう言うと、由羅の乗る白馬の飛天と饕餮は一気に走り出した。それに続いて鋭史達も馬を走らせた。