二章
夜が明ける頃、由羅は馬に乗った鋭史と鋭史の妻と子を連れて饕餮と共にまた忉利寺に行った。東王公に事情を話し、鋭史の妻と子をしばらくかくまってもらうことになった。
一方丈清は響秦軍の動きを常に警戒していた。斥候からの知らせを受け、響秦軍が迫っている方角に軍を配置し戦の準備をしていた。城では陸苑に従う丈清を含めた四人の将軍と軍師が集い状況を報告していた。
「我が君。響秦軍はおよそ五万の兵士を連れて倭州東へと迫っております。」
長い髭を生やした少し年配の男、摂黄が報告をした。
「守備はどうなっている?」
陸苑は軍師である趙子を見て聞いた。
「響秦軍の主な攻撃は遠くに届く弓矢です。矢を防ぐ為、陣の壁を高くしてあります。投石器も数を揃えてあります。現在、真喜将軍が待機しており、兵士の数は三万待機させてあります。」
趙子の報告に陸苑は小さく数回頷いた。
「火攻めに関してはこの時期はこちらが追い風になりますので、そう広がることないはずです。問題は戦車です。正門だけは何としても守らなければなりません。」
「正門は私が守りましょう。」
趙子が言うと、それに対して袁泉が発言をした。袁泉は丈清と同い年くらいの若者であった。
「城壁の上はわしが行こう。」
大柄の男、訊興が言った。
「では、丈清将軍と摂黄将軍は後方支援をお願いいたします。城壁の上は訊興将軍に。正門を袁泉将軍に任せ、真喜将軍は投石部隊の指揮をお願いいたします。」
趙子が言うと、その場にいた四人は両手を顔の前で合わせて一礼をした。
「響秦軍が早く進軍したとしても五日はかかるでしょう。斥候の知らせではまだ布陣したまま動く気配がないとのこと、こちらはいつになっても応戦できるよう準備をしておきましょう。」
「よかろう。では、袁泉、訊興にはそれぞれ一万の兵士を与える。兵士を連れてすぐに向かえ。摂黄と合流し、戦に備えろ。」
趙子が助言した後陸苑が命を下すと、二人はまた顔の前で手を合わせた。
「承知いたしました!」
袁泉、訊興は声を合わせて言いながら頭を下げるとそこから立ち去って行った。丈清は静かに大きく息を吐いた。
「あと二日後・・・。丈清。私も忉利寺に行く。戻り次第、我々も向かうぞ。」
「御意。」
陸苑が言うと、丈清も顔の前で手を合わせて一礼をしたのであった。
その頃倭州近くの村では村人たちがざわめいていた。倭州で戦になるからである。村の長は村人たちを集めて話し合いを始めたのである。
「長。戦に巻き込まれれば私たちは殺されるかも知れない。すぐに非難しないと・・・」
「非難って一体どこへ・・・」
村人たちはそれぞれに意見を述べている。逃げようという声、殺されてもここの村から離れたくない。そういった声が村人たちから上がっていた。老人であるこの村の長は大きく息を吐いた。すると結局話がまとまらない村人は長を見た。長からの言葉を待つかのように。長は村人の顔を一人一人見つめた。
「ここにいても・・・いつか人間狩りに合うだけだ。それなら他の勢力にこの村を吸収してもらえるかも知れぬ。」
「しかし長。逆に襲われるかも知れないのですよ?」
「ここまでは及ばぬだろう。この村は小さい。非難したとしても、我々に行く場所などない。天にこの身をお任せするのみだ・・・」
長の言葉に、村人たちは複雑な表情を浮かべながら俯くしかなかった。その様子を屋敷の外で曹伯は聞いていた。曹伯は子供である自分には話し合いの場にも行けず、無力で何もできない自分に苛立ちを覚えた。自分にできるのは、ただ天に祈ることだけだった。そして曹伯は覚悟を決めた。拳を強く握り、自分の家へと走った。
「母上!母上!」
曹伯は勢いよく家の中に入ると、奥で休んでいた母の元に急いだ。
「曹伯・・・ そんなに慌てて一体どうしたんだい?」
「母上。僕は決めました。」
曹伯の目を見た母親は小さく息を吐いて曹伯を見つめた。
「私は忉利寺に行きます。忉利寺に行って、天に祈りを捧げて来ます。ここでただ怯えて待つだけなど僕にはできません。」
曹伯は子供であったが、その言葉はしっかりしていた。それを聞いた母親は微笑みながら涙を流した。
「お前は立派な子だよ。父上にそっくりだ。お前が信じた道をお行きなさい。」
曹伯は目に浮かべた涙を堪えながら必死に立っていた。母も曹伯もわかっていた。忉利寺までの道のりはそう甘いものではなかった。馬で駆ければ一日と少しくらいではあったが、子供の曹伯に馬を操ることなどできなかった。そして馬など、この貧しい親子に持っているはずもなく、歩いて向かうということは言わずともわかっていた当たり前のことであった。ただの荒野を向かうわけではない。道は険しい所もある。そしてその付近で戦になるかも知れないという状況と、この村を制圧している勢力、時は乱世、何が起きるかわからない道のりであった。多少の食料と水の入った皮袋を持ち、そして護身用の父親の形見であった小刀を持つとすぐに家を出た。
「気をつけてお行きなさいね。」
母親は涙を堪えながら歩き出した息子の背中をじっと見つめていた。曹伯のしっかりとした足取りを見て、まだ子供と思っていた自分の息子がとても大きく誇らしく思えた。母親はその姿が見えなくなるまで外で立って見つめていた。その瞳から沢山の涙が零れ落ちていた。それと同時に、まだ幼い子供がここまでの決意を覚悟をしたにもかかわらず、ただ話し合いばかりして何をしようともしない大人達に憤りを感じていた。
天に祈りを捧げにいくということは、その願いを聞き入れてもらう為に自らの命を捧げることが多かった。母親も、それをわかっていた。毎日毎日天に向けて祈りを捧げていた曹伯の姿を毎日見ていた。そして、覚悟を決めて向かったのだ。母親はそんな息子を誇りに思った。
忉利寺には由羅と鋭史、鋭史の妻子がいた。由羅は忉利寺の建物の一番上に位置する屋根の上に立っていた。するとそこに鋭史が上がって来た。
「ここにおられたのですね。」
「ここが一番落ち着く。」
鋭史は屋根の端に立つと、その上にいる由羅を見上げた。
「饕餮がいじけておりましたよ。」
鋭史はそう言うと小さく笑った。由羅も鋭史を見て小さく笑った。
「そう言えば・・・ここにいた時だったな。私がお前を見つけたのは。」
「ええ。死にかけておりましたね。私は・・・」
鋭史は小さく笑って言うと、由羅は鋭史を見つめた。
「自由になれたのに・・・自ら険しい道に進むとは・・・」
「貴方様に救われた命です。貴方様の為に使って何が悪いのですか?」
「わかったわ。もう言わない。」
由羅は呆れた顔で笑いながら首を小さく左右に振っていた。すると庭に鋭史の子供が上を見上げていた。
「華香。大きくなったわね。」
鋭史の子供は女の子であった。
「十歳になりました。貴方様のおかげで、華香は立派に育っております。」
「お前の妻は強いな。どのような状況であっても、何一つ文句も言わず、華香を立派に育て、そしてお前の無事を毎日祈っている。」
「昌螢には本当に感謝しています。私にとっては昌螢が光です。」
「光・・・か。私には・・・光がない。きっと、永遠に・・・」
「太陽と月。夜は必ず明けるものです。貴方様にもきっと光が見えるはずです。私たち家族からすれば、貴方様は光です。どうぞ、希望をお持ちください。」
「・・・・希望か。」
由羅は息を吐きながら言うと、空を眺めた。鋭史はそんな由羅をただ見つめていた。
<人物紹介>
◆陸苑軍/倭州◆
・陸苑
倭州を治める君主。
・陸苑軍将軍
丈清
摂黄
袁泉
訊興
真喜
・軍師
趙子
◆由羅側の人物◆
由羅
鋭史
昌螢 ※鋭史の妻
華香 ※鋭史の娘