一章
満月の夜、惑わしの森の中で小さな幼い女の子が白い狼の背に乗って森を駆けていた。すると森を抜ける森の外が見える場所まで行くと狼の背から降りて森の入り口の茂みから外を眺めた。狼はその場に伏せて同じように外を見ていた。
「こっちから声が聞こえたの・・・」
女の子は白い狼に向かって言っていた。そして一人と一匹は辺りを見回すと、森の入り口から見える大きな山の上に建物があるのを見つけた。
「あそこだ・・・きっとあそこだ。」
彼女はそう言うと、伏せていた白い狼の背に跨った。白い狼はゆっくり立ち上がり森を抜けて走り出した。勢いよく山を登り始めると、塀のような壁が見えた。白い狼はその大きな壁を飛び上がりその塀の上で止まった。中を見るとそこには大きな建物があり、とても静かであった。白い狼は塀から降りて中へ入ると、建物の前で止まってその場で伏せた。彼女はゆっくり降りると辺りを見回した。左右と前に広がる木造の廊下、彼女はその正面の廊下を見つめた。大きな部屋になっているようであった。
「この奥だ・・・。行こう饕餮。」
そう言うと、彼女と饕餮と呼ばれる白い狼は静かに中へと入った。そこは左右に黄色く薄い布がいくつも天井から垂れ下がっていた。彼女は迷いなくゆっくりと奥へ向かうと、正面に五体の像が並んでいた。
「・・・この像からだ・・・」
五体の像の中心にある像を彼女は見つめた。饕餮はその場に伏せて彼女を見つめた。
「どうして私を呼んだの?」
彼女が像に聞くが、像からは何も聞こえなかった。
「おや・・・。珍しい客人がおいでだ。」
背後から男の声が聞こえた。彼女は振り返り少し遠くに立つ者を見た。暗くて顔が見えない。彼女は饕餮を見ると、饕餮は落ち着いていた。それを見ると彼女は安堵したようにもう一度その者を見た。
「誰・・・?」
彼女は聞いた。その者はこちらへと歩み寄り、一番左側の像の前へと向かった。そこで何かをしていた。すると五体の像の前に火がついた。小さな蝋燭が無数に並んで五体の像を下から照らしていた。彼女は再び真ん中の像を見て目を見開いた。その像の目は恐ろしく鋭い目をしていた。右手には剣、左手には鞭を持っていた。小さな光が揺れることで、背にある炎の彫刻がまるで生きているかのように燃えているようであった。
「その像は不動明王と言う。五大明王の中心におられるお方だ。」
蝋燭の明かりでその男の姿がはっきりと見えた。黄色い布を体に纏っていた。
「貴方は・・・誰?」
少し戸惑いながら聞く彼女に、その男はそっと笑みを浮かべた。
「私はこの忉利寺の大僧正。東王公という。そなたは?」
「・・・由羅。」
「由羅か。由羅は何故、ここに来たのだ?」
東王公が聞くと、由羅は不動明王を見つめた。
「・・・この像が・・・呼んだの。」
由羅の言葉に東王公は目を見開いた。
「毎日夢の中で、来い。我のもとへ来い。って・・・。それで声の聞こえた方に来たらここに着いたの。」
「まさか・・・。」
東王公は驚いた顔で由羅を見つめた。そして由羅の隣に伏せている大きな白い狼を見つめた。
「その狼は・・・」
「この子は饕餮。私の一番の親友なの。」
「饕餮だと・・・?」
東王公はその名を聞いて体を震わせた。すると饕餮は東王公を見つめた。しかし饕餮は何をすることもなく、その場で由羅に顔を寄せて甘え始めたようであった。由羅はその饕餮の頭を優しくなでていた。
「その名はどうやってつけたのだ?」
「この子と最初に会った時に、この子が私の頭の中で言ったの。饕餮って。」
東王公はそれを聞くと不動明王を見つめた。そして饕餮を見てから再び由羅を見た。
「・・・この子が貴方様の・・・・」
東王公は小さい声でそう言うと、首から下げていた皮の紐についている水晶の首飾りを見せた。
「これは・・・?」
「これは不動明王が描かれた水晶だ。よく覗いてごらん?」
東王公が言うと由羅は水晶の中を覗いた。するとその水晶の中に美しく繊細に描かれた不動明王の姿があった。
「これをそなたに授けよう。時が来るまで、この首飾りを決して肌身離さぬように。」
東王公がそれを由羅の首から下げると由羅は東王公を見た。
「どうして・・・これを?」
「それは後々わかることだ。それより、由羅はどこから来たのだ?」
「東王公さんは・・・」
「大僧正で構わぬ。」
「大僧正は・・・あの人たちに言わない?」
「あの人たち?」
「私がここにいることは、誰にも言わない?」
「ああ。ここは様々な者が悩み、迷いを抱えて来る場所だ。我々は秘密を決して話さない。例え命を落とそうとも・・・」
東王公が言うと、由羅は東王公の目を見つめた。
「・・・私は、あの森から来た。私が抜け出したとわかれば私は殺される。」
「殺されるというのは・・・一体何を・・・」
「これ以上は言えない。戻らないと・・・。また、来てもいい?」
「ああ。いつでも、来たい時に。」
東王公はそう言うとそっと微笑んだ。由羅は頷くと、饕餮と共にその部屋から出た。庭に出ると由羅は饕餮の背に跨りゆっくりと振り返った。奥に立ったままこちらを向いているのを見つめた。
「行こう。饕餮。」
由羅が言うと、饕餮は一気に飛び上がり塀を飛び越えたのであった。東王公は由羅が去ったのを見届けると不動明王を見つめた。
「まさか、本当に現れるとは・・・。あの子が貴方の力を授けた子なのですね・・・」
東王公は悲しげな顔でそう言うと、不動明王に一礼をしてそこから立ち去った。そして庭から空を眺めると、夜空には美しい程に輝く満月が闇夜を照らしていた。
それから一〇数年が経った満月の夜、寺に鎧を着た一人の若い男がいた。男は不動明王の前で座禅を組み、両手を前で合わせていた。
「将軍。今宵もこちらにいらしていたのですか。」
東王公が背後から声をかけると、男は目をゆっくりと開いて立ち上がり振り返った。
「大僧正。」
男は両手を顔の前で交差させると頭を下げた。
「我が軍は少数です。それでも大軍を相手に勝利を得る為、祈りを捧げておりました。我が君の為に・・・」
「そうでしたか。ということは、戦になるのですね。」
「近々、響秦の軍勢が我が領土を奪いに来るでしょう。この戦に勝利しなければ、我が軍は壊滅し、響秦に吸収されてしまうでしょう。」
「陸苑殿は立派な君主様であられる。民を大事にし、徳を重んじるお方。この乱世の中であのお方だけは道を踏み外すことなく進まれておられる。天が必ずお守りくださいましょう。」
大僧正の言葉に、男はまた両手を顔の前で交差させ頭を下げた。
「将軍。今宵は美しい満月です。少し夜空を見上げてはいかがですか?心が落ち着きますよ?」
大僧正に言われ、男は外へと歩いた。すると、外の庭に後ろを向いた白い衣を着た髪の長い女が立って夜空の満月を眺めていた。
「おや・・・来ていたのか。」
大僧正が言うと、女はゆっくりと振り返った。男はその女を見て目を見開いた。月明かりに照らされたその女は今まで見たこともないほどの美しい女であった。
「大僧正・・・この方は・・・」
男は思わず聞いてしまった。
「彼女の名は由羅。将軍と同じく、不動明王様に祈りを捧げている者ですよ。」
大僧正が言うと、由羅はゆっくりと小さく会釈をした。男は由羅の目を見つめた。吸い込まれそうな程に魅力的で妖艶な目であった。
「由羅。こちらは陸苑軍の将軍、丈清将軍だ。」
「陸苑軍・・・」
由羅は陸苑という名から人物を思い出そうと少しだけ目線を横に逸らした。
「ここから目と鼻の先にある倭州を治めておられるお方だ。」
大僧正の言葉に由羅は小さく数回頷いた。
「由羅殿も不動明王に祈りを捧げておられるのですか?」
「天命を・・・授かりに。」
「天命を・・・ですか・・・」
少し疑問を浮かべながら聞き返した。大僧正は由羅と丈清を見た。
「こうして満月の夜に出会ったのも何かの縁。お茶でもいかがですかな?」
二人は東王公の案内で茶室に案内された。二人は東王公に茶を入れてもらいその茶を飲んだ。
「おっと、私としたことが茶菓子を忘れてしまうとは・・・。すぐに戻ります。少々お待ちを。」
東王公はそう言うと茶室から出て行ってしまった。丈清は茶を飲みながら美しく長い髪を手でなでるように触る由羅を見つめた。その視線に気づいたように、由羅は丈清を見た。
「何か・・・」
由羅の問いかけに丈清は慌てたように目線を右往左往させてしまった。
「あ、いや・・・。」
丈清は大きく息を吐いた。
「由羅殿は・・・どちらにお住まいですか?」
丈清が聞くと、由羅は口元に小さく笑みを浮かべた。
「ここより少し離れた所・・・と申しておきましょうか。」
「・・・そうですか。いや、ある程度ご身分のあるお方のように見えましたもので。」
「身分・・・。そうですね。まぁ、それなりには・・・」
「やはりそうでしたか。」
「ご安心を。ここで将軍とお会いしたことは他言いたしませぬ。私もここへ来ていることは誰も知りませぬ故。」
「それを聞いて安堵いたしました。」
「由羅殿。近々倭州で戦が始まります。その時にはこちらにいらっしゃるには危険です。」
「危険であっても、参らねばならぬ時が私にはございます。」
「先ほど、天命と申されておりましたが・・・天命を受けにこちらへ・・・?」
「ええ。まぁ・・・。将軍は何を祈りに参られたのですか?」
「ああ、私は戦の勝利祈願に参りました。」
「勝利祈願・・・でございますか。」
「この度の戦、響秦軍に呪術師がついたと聞きました。」
呪術師の言葉を聞いた由羅は茶を飲む手を止めた。
「以前別の勢力との戦にて、呪術師の祈祷で勝利を治めたと聞いた。その呪術師は阿修羅を信仰している。」
丈清の言葉に由羅は小さく数回頷いた。
「それで、不動明王に・・・」
「ええ。我が君をお守りくださるようにと。」
丈清はそう言うと小さく息を吐いた。その様子を茶室の部屋の外で東王公はひっそりと聞いていた。
「将軍。剣舞はいかがでございますか?」
「剣舞・・・ですか?」
それを聞いた東王公はすぐに茶室へと入った。
「待たせてしまいましたね。」
「大僧正。音楽をお願いできますか?」
由羅が言うと、東王公は由羅を見てから丈清を見た。
「剣舞ですか・・・。よろしいでしょう。」
東王公は弦琴を用いて廊下に座った。由羅と丈清は互いに一定の距離を取って立っていた。
「どのような舞でも結構。私がそれに合わせます故。」
由羅はそう言うと両手を交差して袖に手を入れた。するとその袖の中から鉄扇を出すとそれを広げながら腕を下に振り下ろした。そして右手の扇を顔の側に、左手の扇を前に出し構えの体制を取った。
「さあ将軍。どうぞ、剣を・・・」
由羅は少し挑発的に言うと口元に笑みを浮かべた。まさに妖艶。不思議と吸い込まれそうなその瞳に導かれるかのように剣を抜いた。だが剣を抜いた瞬間、呼吸を整えもう一度由羅を見つめた。流されそうになる自分を戒めた。目の前で構える由羅の姿を見て、丈清はただの女ではないと感じた。
「では、参りますぞ?」
東王公は弦琴を奏ではじめた。丈清は剣舞を披露すべくその剣を舞うように振り始めた。由羅はその剣舞を見て扇を振り出した。だが丈清はその舞を見て目を見開いた。舞いながら自分に迫る彼女はこちらの剣の動きを見切ってそれをかわしていたのだ。東王公の奏でる弦琴の調べも見事なまでに自分達と調和していた。
丈清は舞ううちにどんどん由羅へと吸い込まれていくようであった。心地がいいのだ。全ての舞を受け入れてくれている。今振っているのは戦で数多の血を吸った剣。それを舞いであっても振ることに怖さはなかった。それはつまり、由羅の実力はそれを遥かに上回る腕を持っているかのように感じた。
一方、東王公は弦琴を奏でながら二人を見つめた。美しい舞であった。今まで見たこともない程の見事なまでの舞。全ての精神と神経を調べに込めた。そうしなければ二人に調和する調べを奏でることができなかった。
由羅は丈清を見つめながら舞っていた。次の動きを見切りながら舞う。心を開いていくように舞う彼の姿を見て心地よさを感じた。私を信じて全てをぶつけてくる彼を受け入れるように。剣舞は舞いであっても、心を通わせ信じなければこうして一緒に舞うことなどできない程難易度が高い舞であった。今までに感じたことのない心地よさ。彼の剣がこちらへ差し出された瞬間、由羅は飛び上がり丈清の頭上を優雅に横に体を回転しながら背後へと着地しようとした。由羅は上から、丈清は下から見上げ二人の視線が離れることはなかった。由羅が着地した瞬間、二人は最初の構えの体制を取った。それと同時に音楽が終わった。
「素晴らしい・・・」
東王公は息を吐きながら言った。由羅は鉄扇を再び両袖にしまうと、丈清も剣を収めた。
「将軍。素晴らしいお手前でございますね。」
「いえ、由羅殿の方こそ。」
丈清が言うと、由羅はそっと優しい笑みを浮かべた。その優しい笑みは出会って初めて見せてくれた笑みであった。今までの妖艶な笑みではなく。
「将軍は、何故陸苑軍へ?」
「え・・・?」
「いえ、私のちょっとした興味です。貴方様程の腕前のお方。もっと大きな勢力に行けば、猛将と呼ばれるのでは・・・と思いまして。」
由羅が言うと、丈清はゆっくりと大きく息を吐いた。
「私は、当時流れ者でした。命を捧げるに相応しい主を探しに数々の勢力に加わりました。ですが、そこで出会ったのが陸苑様でした。我が君は、決して民を見捨てない。他国に攻め入った時も、他国の民を重んじ、傷つけたりはしなかった。その噂が広まり、我が君に自らついてくる者もいる。私はそんな主を探していた。そして出会ったのだ。」
「そうでしたか・・・。では、そのお方なら、道を踏み外した者達に、道を示すことはできるのでしょうか・・・」
「できる。国は土地ではない。人なのだ。そう言って命を賭けて戦う我が君なら、必ず人の心を救ってくださる。」
そう話す丈清の目を由羅は見つめた。すると塀を超えて白い大きな狼が敷地内に飛び込んで来た。丈清は驚き剣を抜こうとした。これほどに大きな白い狼を丈清は見たことがなかった。緊張が走る中、由羅がその白い狼の頭をなでた。
「大丈夫。この子は私のお友達の饕餮です。」
饕餮は由羅になでられると気持ちよさそうに目を閉じていた。饕餮はとても大きい。馬に近いほどの大きさのようであった。一体由羅は何者なのだろうか。丈清はそう思いながら由羅と饕餮を見つめた。
「もう戻らなければ・・・。」
「えっ・・・」
「将軍のことだけを聞いて、私の正体を明かさないのは大変失礼なことかも知れませぬが、知らない方が、きっと、貴方の役に立つかも知れません。」
「役に・・・?」
丈清が眉を細めると、由羅はゆっくりと頷いた。
「私も一度将軍の主の目を見てみたいものですね。」
由羅はそう言うと飛び上がり塀の上に着地した。
「待ってくれ!」
丈清が呼び止めると、由羅は振り返った。
「次・・・また会えますか・・・?」
丈清が聞くと、由羅は小さく笑みを浮かべた。
「三日後、またこの時に・・・」
「三日後・・・」
「また、舞ってくださいませ。」
由羅はそう言うと塀を降りて姿を消した。丈清は去って行った由羅の名残を見つめていた。
「将軍。彼女のことは決して漏らさぬよう、私からもお願いしたい。」
「そうまでして秘密になさるには・・・何か事情がおありなのですか?」
「由羅は、不動明王様に選ばれし者。天命を受けし者には、彼女は必ず必要になる。今、彼女の動きに制限がかかれば、守れる者も守れぬ。」
東王公の言葉に丈清は目を見開いた。
「では、阿修羅の力を抑えられるのは・・・」
「彼女しかおらぬ。」
そう言った東王公の目を丈清は見つめた。同時に体が震える感覚を覚えた。すると東王公は懐から綺麗に包まれた布を出してそれを手の上で広げた。布に包まれていたのは二つの金の首飾りであった。そこについていたのは紅く美しい丸い石であった。
「不動明王様が、必ずお守りくださいます。これは決して肌身離さぬように。陸苑殿と、将軍に。」
丈清はそれを両手で受け取ると、顔の前に上げて深く一礼をしたのであった。
一方由羅は塀を超えてから外で待つ白馬に跨り饕餮と共に山を駆け下りていた。
「飛天。饕餮。急いで戻るよ。」
由羅が慌てたように言うと、飛天と呼ばれる白馬と饕餮は更に足を速めた。山を駆け下り森までの荒野を走り森へ入ると道なき道を飛天と饕餮は走った。すると左側からこちらへ向かって共に馬に乗って走る者がいた。由羅はその者を見た。その者は由羅と並んで走っていた。
「鋭史か。」
「由羅様。近々倭州で戦になります。しばし忉利寺には近づかぬ方がよろしいかと。」
「阿修羅の力を受けた者が動き出すやも知れぬ。」
「呪術師ですか?」
「ええ。一度手合わせをしてみたい。」
「しかし、主君には何と・・・」
「何と言われようとかまうものか。あんな奴・・・君主でもなんでもない。」
由羅は手綱を強く握った。鋭史と呼ばれる男は由羅を見た。怒り、恨みを必死に抑えているような顔であった。
「お前も、私から離れた方がいい。お前なら、ここでなくとも生きる道はある。」
由羅は小さい声で言うと、鋭史は口元に笑みを浮かべた。
「貴方様に拾われた命。貴方様の為に使うと決めたのです。今更何を申されますか。」
鋭史はそう言って笑うと、由羅は複雑な表情をして鋭史を見た。
「お前には家族がいる。その家族の為にも・・・」
「妻も子も、心は同じです。」
鋭史の言葉に由羅は大きく息を吐いた。
「わかった。もう言わぬ。だが、いつお前が私の元を去っても、私はお前を恨んだりはしない。好きにするといい。」
「はい。そうさせていただきます。」
二人は急いで森の奥へと駆けて行った。
丈清は倭州に戻るとすぐに東王公から授かった首飾りを主君の陸苑に渡した。
「丈清。大僧正様に深く礼を申しておいてくれ。」
「承知しました。また三日後に伺うことになっております。」
丈清が伝えると陸苑は小さく数回頷いた。
「丈清。呪術師について、そなたはどう思う?」
不安そうに聞く陸苑の顔を見て丈清は目線を少し下げた。
「呪術師が力を与える者がどれほどの者かわかりません。噂では、一人で万の兵士を倒したとか・・・」
「ああ。実態は、何もわからぬ。戦もせずに敵軍を殲滅したなどといった様々な噂も出回っている。」
「我が君。大僧正様からいただいたお守りがございます。それに、我々は決して負けませぬ。」
丈清が言うと、陸苑はまた小さく数回頷いた。
「この戦に勝たねば、我々は響秦軍に潰されてしまう。民たちの為にも、我々は勝たねばならぬのだ。」
「必ずや!」
丈清は右手拳に左手の手の平をあて顔の前に上げた。
夜も更けた頃、由羅と鋭史は森の奥深くにある屋敷が密集した場所へと到着した。その中で一番大きい屋敷に行くと、二人はその屋敷の中に入った。屋敷の一番奥の部屋の前に行くと由羅は扉を叩いた。すると中から侍女が扉を開けた。由羅はその侍女を見ると、侍女は由羅を見て口元に薄っすらと笑みを浮かべながら頭を下げた。由羅は少し目を細めてその侍女を見ていた。
「どうぞ。中へ・・・」
侍女が言うと、由羅は小さく息を吐いた。そして視線を部屋の奥に座る男へと向けた。老人である。
「由羅か。」
由羅は老人の前に歩くと礼もせずに立ち止まった。
「相変わらずの態度じゃのお。お前も、お前の犬も。」
老人は静かにそう言うと、由羅は鋭い目つきでその老人を見つめた。
「しばらくの間、ここを離れたい。」
「ほぉ・・・何故だ?」
「ここ最近、戦っていないからつまらないのよ。」
「つまらぬか。」
「ええ。つまらない。」
「とは言っても、自由に動き回られても困る。」
「功櫂を自由にさせておいて、私にはさせないつもり?」
「お前は言うことを聞かぬからのぉ。」
「それなら、ここの人全員を殺すというのはどうかしら?」
由羅は妖艶な目つきで老人を見つめた。老人も鋭い目つきで由羅を見つめた。鋭史はその二人を見てその場に漂う殺気に背筋が凍る思いをしていた。
「・・・よかろう。だが、あまり目立つ行動はするでないぞ。」
老人は息を吐きながら言うと、由羅は口元に笑みを浮かべた。
「一応、気をつけるつもりよ。」
「どうだかのぉ・・・」
老人が呆れ顔で言うと、由羅はその部屋から出ようとした。
「由羅。」
老人に呼び止められ由羅は立ち止まりゆっくりと振り返った。
「お前の居場所はここしかない。外に出ても、お前の居場所など、どこにもない。」
老人はそう言うと口元に笑みを浮かべた。それを聞いた由羅は胸が締め付けられるような思いはしたが、それを悟られぬよう無表情のまま部屋を出た。鋭史も続いて部屋を出ると、入り口にいた侍女が扉を閉めた。
「食えない女だ・・・まったく・・・」
老人が言うと侍女は老人を見て歩み寄った。
「では、始末してしまえばよろしいのではないのですか?」
侍女が言うと、老人は小さく笑った。
「あやつと同等の力を持つのは功櫂だけじゃ。例え勝てたとしても、功櫂も無事ではなかろう。今はまだ好きにさせておけ。」
「恐れながら真戒様。あれは所詮女です。あれの弱点を探り、それを押さえてしまえばよろしいのではないのですか?」
「ほう。あやつに弱点があるとでも言うのか?あやつの側にいるのは鋭史じゃ。鋭史は腹をくくっておる。」
「いいえ。今でなくとも、自由に外へ出ればきっと何かが起きます。私が真戒様をお慕いしているように、あの女にもきっと、命と引き換えにでも守りたい人ができるはずです。」
「あれの心を動かす男がいるとでも言うのか?」
「きっとおります。」
「何故そう言い切れる?」
「女の勘ですわ。」
侍女が怪しげな笑みを浮かべながら言うと、真戒は侍女の目をじっと見つめ、大きく笑った。
「よかろう。そこはお前に任せよう。しかし、決して勝手な行動はするな。わしが指示を出すまで、何もするでない。情報は絶やすでないぞ。」
「承知いたしました。我が君。」
「玉凛。期待しておるからな。」
「はい。必ずやご期待に応えてみせます。」
玉凛と呼ばれるその侍女は両手を顔の前で合わせると頭を下げたのであった。
その頃、由羅は真戒のいる屋敷から少し離れた自分の屋敷へと戻った。そこで多少の身支度をしていた。
「鋭史。丈清殿の戦を見に行く。」
「・・・そう言うと思いましたよ。」
「それと、気になることがある。」
「いかがなさいましたか?」
「あの老人の側にいる侍女だけれど・・・あれはただの侍女ではない。」
由羅は小さい声で言うと、鋭史は身支度をしていた手を止めて由羅を見た。
「あの目は確かに、ただの女ではなかった。私に似ている。あれは何人も人を殺した目をしていた。」
「・・・警戒しておきます。」
鋭史が言うと、由羅は小さく数回頷いた。
「お前の家族もここに置いていかぬ方がいいだろう。」
「はい。ですが、旅をするには足手まといになります。」
「大僧正にお願いをする。忉利寺にしばらくの間かくまっていただけるよう私からお願いをする。」
「ありがとうございます。では早速準備をさせます。」
鋭史はそう言うと由羅に一礼をして屋敷を出た。由羅は屋敷の廊下に出ると、夜空に浮かぶ大きな満月を見つめた。
由羅が満月を見つめていた同じ頃、陸苑軍の領地である倭州から少し離れた村にまだ幼い男の子がいた。名は曹伯。曹伯は小さな小川で満月を見つめながら両手を胸の前で組んでいた。そして上を見上げたままゆっくりと目を閉じた。
「神様。どうか、この村を・・・父ちゃんと母ちゃんをお守りください。僕はどうなってもいいから、この村を・・・どうか・・・」
曹伯は胸の前で組んだ手を強く握り締めながら小さな声で言っていた。
<名前の読み方>
◆人物などの名◆
・由羅
・丈清
・東王公/大僧正
・饕餮
・鋭史
・陸苑
・響秦
・飛天
・真戒
・玉凛
・功櫂
・曹伯
◆建物・その他◆
・忉利寺
・不動明王
・阿修羅
・倭州