乖離(かいり)
窓から夕暮れの日が差し込むルシアの家のドアが開き、ワッツが入ってきた。汗を手ぬぐいでぬぐいながら。
「ただいま」
「おかえりなさい」
二人が挨拶を交わしてすぐにシグルドが帰ってきた。
「ただいま」
ワッツの心地よい疲れから来る明るい声とは正反対の暗く沈んだ声。
「おかえりなさい。あら、エランは?」
「友達と一緒にスケイルドラゴン洞窟に冒険に行くって」
シグルドの言葉にルシアは頬を膨らませた。
「またあの子は、あそこは暗くて危ないから行っちゃいけないってあれほど言ってるのに!」
それで、シグルドはどうして一緒じゃないの?という言葉をルシアはかろうじて飲み込んだ。シグルドを迎え入れた日以来、エランはシグルドに何かと冷たく接することが多い。遊びに誘わなかった事だって一度や二度じゃない。
「あいつはなあ、あれほど言ってるのにシグルドに冷たいんだよなあ」
ルシアとワッツ。二人は家族である事を求めて結ばれた。結ばれてからその家族が栄えることを望んだ。シグルドを受け入れたのもその一つだ。
ただ、その事で子供達との間にずれができてしまっている。
「大丈夫だよ伯父さん、僕は一人は慣れてるし、ここにいるだけでおなかが空く事だってないし。」
シグルドはここに来て以来、二人を伯父夫婦と思っているようだった。間違いではない。ただ、伯父夫婦というシグルドの認識がどこかよそよそしく、そして遠慮がちなことに二人は寂しさすら覚えていた。
四人が本当の意味で家族になるには時間がかかりそうだ。でも、いつかは・・・。
「なあシグルド」部屋着に着替え終えたワッツがしゃがみこみながら言った。「ここはお前の家でお前は二人の子供なんだから遠慮しなくたっていいんだぞ。俺達の事はお父さん・お母さんって呼べばいいんだ」
「でも僕のお父さんはここに僕を置いたまま迎えに来ない」
フランツの下卑な顔がワッツの脳裏に浮かんだ。あのままフランツと一緒だったら、この子は一体どうなっていたんだろう。それでも、シグルドはフランツを父親だとみなしている。俺達夫婦と息子のエランは親戚でしかない。親戚以上の存在になれない。それでも一緒に笑いあえる家族になりたい。その願いをシグルドは認めようとしない。
「大丈夫。戻ってこなくてもここにいれば俺達は家族になれる。エランは納得してないみたいだけど、時間をかけてゆっくり家族になっていけばいいんだ。もうあの人の事は忘れなさい」
「でも!」
「あの人と一緒にいたらお前は清潔な服を着ることだってないんだ」
そう言いながらワッツはエランを甘やかしすぎた事を心の中で悔やんでいた。一人息子だというのが一番の理由だが、甘やかしすぎたせいでシグルドの事を侵略者としか思っていないのだろう。当然だ。今まで自分一人に向けられていた愛情がいつしか従兄弟のシグルドに向けられている。寝床も、食事も、シグルドを意識するようになったのは否定しない。今度時間をかけて話す必要がありそうだ。
「話しておきたいのはそのことだけじゃない。お前、村の子供達と一緒に遊んだ事がないっていうじゃないか。近所の人だけじゃなくて、教会のシスターまで心配させてるぞ。どうして他人と距離を置きたがるんだ?」
「それは・・・」
視線を逸らしながらシグルドが呟いた。理由をはっきり口にするには、まだ幼いせいかはっきりとした答えを出せそうにないのが見て取れた。
「まあまあ、重い話はその辺にしてご飯にしましょう」
「でもな、ルシア。これはこの子を理解する為に必要なことだから」
「だからってこの子にさえわからない事を無理矢理聞きだそうとしても答えられるわけないじゃない。だからご飯にするの。エランはまだ帰って来ないけど、ご飯の支度をしている間にでも帰ってくればちょうどいいし」
「けどルシア」
「大丈夫。時間をかければ何もかもうまくいくようになるわよ」
シグルドとエラン、家族、この村。
「だといいんだけどな・・・」
納得しきれていない表情のまま、テーブルに腰を下ろして頬杖をつくワッツ。その時、表に人が駆けつける音と気配が近づいてきた。そしてドアをノックする音。その動きで相手が選んじゃないことは明らかだった。
ワッツは立ち上がり、ドアを開けた。
「おお、ワッツさんかい。すまないが大至急村の広場まで来てくれないか?」
村長で地主のコルカスが青ざめた顔でそこに立っていた。