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執着

「あいつって、あの子の事?」

 甲高い声でルシアが尋ねた。それを真顔でうなずくフランツ。

 「いきなり名前も知らない甥かどうかもわからない子を、いくら頭下げたって簡単にいいって言えるわけないじゃない!」

 「シグルドって言うんだ、あいつの名前」

 フランツの声もいつの間にか真剣なものになっていた。さっきまでの義理の兄に対しての馴れ馴れしい口調は微塵も感じさせなかった。そこに彼なりの事態の深刻さを感じさせたが、だからといってそう簡単にはうなずけるはずもない。

 「頼むよ姉ちゃん、俺には他にあてがないんだ。今となっちゃあ、たった二人の家族じゃねかよ」

 「その家族をほっぽり出しておいて、自分が困ったから助けてくれ?図々しいって自分でも思わない?」

 今にも唾を飛ばしそうなルシアの肩に手を置いて、ワッツがなだめる。いいから落ち着け。ここからは俺が話す。その意思が通じたのか、ルシアはようやく口を閉じて腕を組んだ。

 「フランツ君」

 「何でしょう、お義兄さん」

 「君はここにこうやって僕達の甥を預けようとする前に、自分で育てようとは思わなかったかね?」

 「そりゃあ、思いましたよ」

 即座に答えた事でルシアは嘘だと確信しaた。子育てという根気を何度もくじかれそうになる果てしない労力の日々は農作業にも共通している。その農業を嫌い、怠け、逃げ出したフランツに育児が出来るとは思えない。

 フランツに最初から育児をする気があるとは思えない。

 「できれば傭兵団の小間使いにでもさせてそこで育てようと思ったんですよ。最初は興味本位で周りの連中もシグルドに話しかけてきたんでさあ。ですがね、あいつすげえ無口なもんだから、そのうち誰からも相手にされないようになっちまいましてね。それで小間使いってのは諦めたってわけですよ」

 シグルドを見放したのはあなたもでしょ?ルシアは理性でその言葉を飲み込む。

 「でも他にもマーテル教会の運営する孤児院があるんじゃないのかな?」

 ワッツはローデシア大陸で最も信仰を集めている宗教団体の名前を口にした。

 マーテル教会とは、唯一神の女神マーテルによって世界を創造された事だけでなく、地上を支配していた龍族から人間を解放したことに感謝をし、弱者の救済を教義に掲げている教団である。   

 数百年前までは、どの国でも弾圧の対象になっていた宗教団体に過ぎなかった。王制がどの国でも当然だった時代においては、国の最高位にいるのは国王であった以上、その上の存在を認めないのは当然とも言えた。

 それがある時期を境に状況が一変した。

 教団はまず、都市部を手始めに布教を始めた。それと同時にその都市に住む子供達を集め、読み書きを習わせた。最初は誰もが不審に思っていたものの、それが国家運営に非常に役立つ事がわかった。識字率の上昇だ。

 読み書きができる人間が増える事で法令の伝達が容易になり、治安上昇につながったのだ。それだけではない。文字の普及が産業を生み、失業や貧困率の低下により特に大都市部は賑わいを見せ始めたのだ。

 無論、各国にとっても教育について何も考えていないわけではなかった。ただ、その効果についてかなりの人間が疑問を抱いていた。何より費用がかかりすぎた。それを代替わりしたマーテル教会は結果的に王侯貴族に恩を売る形になった。社会的地位は次第に高まり、今では小さいながらも独立国家・マーテリア法国を持つまでになった。そして集まった寄付金を弱者救済の教義を名目とし、各地で孤児院の設立をして現在に至るのだ。それはここ、ルシタニア王国においても例外ではない。事実、このカリオカ村にもマーテル教会があり、子供達はそこで読み書きを習っている。

 だからワッツがマーテル教会を口にするのは当然の流れだった。

 「そう言うんじゃないかって思ってましたよ」

 「だったら・・・」

 「帝国の皇帝レッドワルト二世ってのが他の宗教も認めてる『偉大なお方』らしいんですよ。だからここみたいに教会がどこでもあるってわけじゃないんですよ。数少ない孤児院にしても最近の内戦で親無しが増えているってえのに、受け入れ先が全然足りないわけでさ」

 他者への寛容を教義に説くマーテル教会も、他の神を信仰する事を公言してはばからない国にはその限りではないという事だ。

 「だから俺たちの家にきたのか」

 「そうです」

 「お義父さんやお義母さんが亡くなってたから、故郷の村で嫁ぎ先を聞いて回ったんだね?」

 「おっしゃるとおりで」

 ワッツは腕を組み、目を閉じてうなり始めた。

 「ねえフランツ」

 今度はルシアが尋ねる番。

 「なんだい、姉ちゃん」

 「本当に血が繋がっているかどうかわからない子なのに、あなた自身はあの子が自分の子供って信じているの?」

 「そりゃあもう」

 フランツの言葉を信じられない。

 「どうしてそう思うわけ?あなたこういう時って子供の頃から自分の責任を認めたためしがないじゃない。」

 「でも押し付けられてるのは事実だし、何とかしねえと俺の評判ってやつにも関わるからよ。傭兵仲間からもあいつを何とかしてやれって言ってくる奴、結構多かったんだぜ」

 フランツの言葉を信じるには根拠が足りない。おそらく、フランツ自身も。

 「あなたが家を飛び出した事だけじゃなくて、小作人暮らしのうちにとってはいくら血が繋がってるからって二つ返事で引き取るって返事が簡単にできないの、わかるでしょ?」

 正論を口にするルシアの中で言葉とは全く正反対の思いが芽生え始めていた。流行り病で両親が亡くなって落ち込んでいた時にルシアはワッツと出会い、そして結婚した。周囲からは早すぎる決断だと批判もされた。でも弟が去り、両親が亡くなってから初めて家族を持つ事への憧れと、失うことへの恐怖を実感したのだ。そしてワッツはそんなルシアの思いを受け止め、身も心も受け入れた。

 だから・・・。

 「ねえフランツ」

 さっきよりも押し殺した低い声でルシアが尋ねた。

 「何だい?」

 「あの子をいつまで預かればいいの?」

 ルシアが口にした前向きな返答にフランツの口元が緩んだ。

 「いつになるかはわからないけど、早くても数ヶ月先になっちまうな」

 嘘。恐らくフランツはシグルドを押し付けたらこの家には二度と戻らない事だってありうるだろう。だが、それでもいい。家を飛び出して都合よく現れたフランツへの愛情はもはや無い。勝手に飛び出した以上、勝手に死ねばいい。でも、あの子をそれに巻き込むのはあまりにも不憫だ。

 あの子には、ちゃんとした家族が必要なはず。この家ならばそれができるはずだ。

 「ねえあなた」

 ルシアは腕組みをしていたワッツの肩を叩いた。

 「生活はお世辞にも楽じゃないけど、この子一人を引き取って生活するぐらいはできるわよね。そりゃ、あなたにはこれからますます頑張ってもらわなきゃならないし、いざとなったら私も手伝わなきゃいけなくなるかもしれないけど、それでもあの子を見捨てる事は私にはできないのよ」

 「お前のそういう気持ちは結婚する前からわかってはいたつもりだけどな・・・」

 生活費と血の繋がりがあるかどうかの曖昧さ。その二つがルシアの願いにワッツとなって立ちはだかる。

 「じゃああの子を見捨てるのね!?」

 「そうは言ってないだろ」

 「あの子がここにいられなかったらどうなるかわからないのよ!わかってる?」

 ルシアは声を荒げていた。ここでシグルドを拒否すればフランツの事だ。人里離れた森の中に置き去りにするぐらいの事を、フランツならやってのけるだろう。

 ワッツがため息交じりに答えた。

 「わかったよ。俺が頑張ればひとまず四人で生活できない事もないからな。ここで見捨ててルシアと仲が悪くなるのも嫌だしな」

 「ありがとう、あなた」

 感謝の気持ちを込めてワッツに抱きつきたかったルシアだったが、フランツがいたのでやめにした。

 「とりあえず話はまとまったみたいだからメシにしないか、姉ちゃん」

 フランツの口からは感謝の言葉は無かった。断らないだろうと計算されていたことは腹立たしかったが、この際口にする必要も無く、またうれしかったので言おうとも思わなかった。

 「そうね、スープも温まっているからすぐにできるわよ」

 ルシアはそういいながら暖炉にくべてあった鍋を取り出した。煮えたぎったスープは湯気を立ち上らせていた。それをエプロンで包んだ両手で掴み、テーブルに置いた。

 「エラン、ご飯にするわよ」

 子供部屋に向かって声を張り上げて数秒もしないうちにエランが飛び出してきた。その後をおどおどと付いてくるシグルド。

 「話が長くなってごめんね。待った?」

 「待った。こいつ何にも話そうとしないからすごいつまらなかったよ」

 「ちょっと、こいつは失礼でしょ」

 そう言ってルシアはエランの頭を小突く。そしてシグルドの方へ笑顔で向き直った。

 「ねえ、ボク。おばさんに名前を教えてくれないかな?」

 「おい姉ちゃん、こいつの名前ならさっき教えただろ?」

 フランツの言葉を父親の優しい眼差しをしたワッツが押しとどめた。

 「こういうのはね、最初が大事なんだ。君も家族を持ったらわかるよ」

 フランツがきまずそうに視線を逸らした。

 「・・・シグルド」

 微かな声だが、しかし確実にシグルドはそう答えた。

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