回想ーー再会
「実の子じゃない、と申しますと?」
ルシアの意外な言葉で理性を失いそうになりながらギュスターブが尋ねた。暖炉にくべてある鍋が少しずつ湯気を出し始めていた。おそらくは昼食のスープ。
「あの子は私ではなく弟の子なんです。つまり私はシグルドの伯母になります。でも本当は血が繋がっているかどうかもわからないんです」
「ずいぶんと複雑な事情を抱えているようですが・・・」
予想もしない事実の連続にギュスターブが出した慰めにもならない精一杯の言葉。それでもギュスターブは言葉を続けなければならなかった。そうしなければシグルドの優しさの根源にたどり着けない。そうでなければシグルドの卑屈ともいえる自己犠牲の言動を理解できない。
だから、ルシアへの罪悪感を押し殺して尋ねた。
「詳しい話をお聞かせ願えませんか?」
「お忙しいお武家様のお時間を取らせてしまいますが、よろしいでしょうか?」
「元よりそのつもりです」
ルシアが微笑んだ。その笑みはどこか寂しさと懐かしさをにじませ、近くにいなければ気付く事すらできないような微かな笑みだった。やがてルシアは目を閉じた。まぶたの裏にあの日の記憶を描こうとしているかのように見えた。
「あれはもう、三年前の冬になります・・・」
「だからこうやって俺が家を飛び出したことを謝ってるじゃねえかよ、姉ちゃん」
ある冬の日の夜、日も沈み部屋のろうそくに火を灯そうとしてドアをノックする音がした。そこに立っていたのは農業を嫌って家を飛び出し、自分の結婚式にも両親の死に目にも会わなかった弟のフランツだった。使い込んだ粗末な甲冑をだらしなく身にまとい、無精ひげを生やしていた。おそらくフランツは傭兵稼業。それで身なりの説明が付く。アンブロジア帝国の積極的な侵攻作戦は、帝国近隣との度重なる戦争を生み出し、さらに度重なる戦乱で帝国にも内戦が起こるようになってしまっている事は、辺境の村住まいのルシアにも理解できた。つまり、食うには困っていないから金の無心じゃない。
「フランツ、あなたねえ・・・。」
「いや、だから長い間帰って来なかったのは悪いと思ってるって」
玄関先での立ち話を避けるため、ルシアの招きで家に入ったフランツは無遠慮に椅子に腰掛けた。フランツの正面にいるワッツが露骨に眉をひそめた。隣のエランがフランツの影に隠れていた少年に気が付いた。
「ねえお母さん、この子誰?」
エランの声でようやく少年の存在に気が付いたルシアが中腰になって声をかけた。
「こんばんわ。今まで気が付かなくてごめんね」
少年は何も言わず、怯えを宿した上目遣いでルシアを見るだけだった。ルシアは立ち上がり、フランツを見下ろすような形で言う。人見知りをする子だとルシアは思った。
「この子、もしかしてあなたの子なの?」
「って事らしいんだ」
「らしい?」
自覚がないのではなく、自分でも真実がわからないと言外ににじませた言葉。できることならそうであって欲しくないという雰囲気が見え見えだった。この先の事情は子供に聞かせない方がいい予感がルシアにあった。
「ねえエラン、その子と一緒に部屋で遊んでらっしゃい」
「えー、ご飯まだなのに」
「お母さんたちはね、このおじさんと大事な話があるのよ」
「そんなのご飯食べてからにしたらいいじゃん」
「エラン!」押し殺した声でワッツが言った。「いいから一緒に遊んでなさい」
エランは不満げに唇を尖らせながらも、フランツの影に隠れている少年の腕を掴み、強引に隣の部屋のドアを開けた。そして振り向きざまに、
「おなか空いたから早く終わらせてね」
と言い残してドアを閉めた。
「まずは、最初からわかるように説明してくれないかい?自分の子『らしい』っていうのはどういう意味なんだ?」
ワッツは義理の弟のフランツとは初対面だが、今までの言動から来る不信感を隠そうともしない表情でフランツに尋ねた。たとえそれが妻であるルシアの話が主であるとしても、不信感を持ちこそすれ、信用するはずもないのだが。
「俺が傭兵団の一員としてアンブロジア各地を転々としてるのは、姉ちゃんから聞いてる?」
初対面でなおかつ本来なら負い目の一つも感じてもいいはずなのに、なれなれしい口調で答えるフランツに内心腹を立てたが、それを顔には出さないままうなずき、目で続きを促した。
「それでもうちの拠点がある帝国の港町、グリーンノアってとこには何度も来るんだけどさ。それでも最後に来たときは帝国領内を転々として稼いだせいもあって七年ぶりに来たんだけどよ。そこで馴染みにしてた女の一人があのガキを連れてきやがったんだ。『この子はあなたの子供だから責任とって引き取ってよね。この子がいたらこっちは『商売』がやりにくくてしょうがない』って言いやがったんだ。何で今更って言ったらよ、『あんたここ数年帝国の内戦でたんまり稼いでるじゃない。こっちはもう歳を取り始めて段々客が少なくなってるんだよ。一人食ってくだけで精一杯なんだからさ、羽振りのいい奴に引き取ってもらおうと思って何が悪いのさ。』って悪びれもせずに答えやがったよ」
ルシアの予感通り、子供には聞かせられない話だった。
「一ついいかな?」
「何です、お義兄さん」
お義兄さんとワッツを呼ぶフランツの口調に卑しい魂胆を感じたルシア。
「その女性はどうしてあの子の父親がフランツ君だとわかったのかな?」
「それですよ」フランツが身を乗り出しながら答えた。「理由は俺もその場で気になったもんだから聞いてみたんですよ。そうしたら『あんた十年前にあたしの事気に入ってくれて、何度も何度もあたしを一晩借り切って抱いたじゃないか』ってさ」
まるでのろけ話をしているかのような顔でその言葉を再現しているフランツを見て、ワッツは顔をしかめてそむけた。自分の家にルシアが嫁いでからギリギリの生活をしている間、目の前にいる妻の弟は異国の街で商売女に夢中になっていたのか。
ワッツとルシアの夫婦にも、フランツがあの子供に愛情を感じていないのは容易に理解できた。だとしたら、フランツが何を頼みにここを訪れたのか、考えるまでもなかった。それでも尋ねずにはいられなかった。
「で、長い間家を飛び出したと思ったらいきなり頼み事って、あなたは一体何考えてるの、フランツ」
「そういうなよ姉ちゃん。両親が死んで俺と姉ちゃん、たった二人の家族じゃねえかよ」
ルシアは近くにあった木の皿をフランツに投げてやりたくなった。それをワッツの視線が押しとどめた。自分の都合を押し通すために家族の絆を持ち出すフランツの論理が内心腹立たしかった。
「それで頼み事って何?」
「実は・・・」フランツの視線が子供部屋のドアに移る。「あいつをしばらく預かってて欲しいんだ。」