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訪問者



 王都ミッドガルドからかけ離れた辺境の村、カリオカ村に昇る太陽も夏が近づきつつあり、日増しに高くなっていった。色の深みを増していく木々の葉が

 農業に従事する小作人たちは種まきに始まり、畑を耕して土を柔らかくしたり農繁期の作業に明け暮れていた。今ここで働いておかなければ、六公四民の年貢を納められそうに無い。正確には、納めてしまった後の生活が成り立たなくなり、なおかつ、来年に蒔く種すら無くなってしまう。その四割でさえ、半分を地主に納めなければならないのだ。手元に残そうと思えば多少頑張った程度では生活が成り立たない。春と秋の農繁期は家族総動員で働かなければ食べていく事などままならない。

 ルシアとエランの親子もその例に漏れなかった。数年前のアンブロジア帝国の侵攻からルシタニア王国を守る為に急遽徴兵された大黒柱のワッツが戦死して以来、母子家庭の苦しい生活だった。だがエランも農作業を手伝える年齢になり、他の家と同様に食いつなぐだけのきつい作業をこなしている。

 そんな親子の家に来客が来た。

 それは前日の雨が上がり、ほのかに蒸し暑い初夏の昼間の出来事だった。

 「すみません、こちらはルシアさんのお宅でよろしいですかな?」

 あわただしく昼食の準備をしていたルシアが玄関に駆けつけ、ドアを開けた。そこには若い兵士に両脇を守られた一人の中年男性が立っていた。あごひげと頬の傷が印象的な男性だった。体付きはがっしりしており、たくましい棍棒を思わせた。腰に差していた剣の柄には意匠を凝らした竜のレリーフがしてあった。

 「はい、そうですがどちらさまでしょうか?」

 怪訝そうに見つめるエランの視線を背後に感じながらルシアは尋ねた。

 「申し遅れました。私はこのルシタニアの白竜騎士団を国王陛下より預からせていただいております、ギュスターブと申す者です」

 「え?本当にあのギュスターブ元帥なの?」

 深く頭を下げるギュスターブ。慣れない農作業疲れで沈みかけてたエランの瞳が年頃の少年の輝きを見せた。

 「こらエラン、閣下とお呼びなさい!失礼でしょ」

 両手を腰にあててエランを叱るルシアをギュスターブがたしなめた。

 「まあまあルシアさん、年頃の男の子が軍人に憧れるのは無理も無い事ですから」

 「しかし閣下、息子が大変失礼を・・・」

 「私のことはおかまいなく」

 ギュスターブ元帥。彼がいなければルシタニア全土はアンブロジアに占領されていたに違いないとまで言われていた名高い軍人だ。先の侵攻戦でアンブロジア軍五万の兵力をわずか五千の兵力で奇襲し、散々に打ち破ったモタビア渓谷の戦いはこの国では知らない者がいないと言っても過言ではない。

 それほどまでに名高く、そして多忙なはずの軍人が、この辺境の貧しい農婦の家を訪れている。予想できるはずもない状況にルシアは困惑をしていた。救国の英雄と言ってもいい目の前の男性が何故ここに?

 「お忙しい中、こうやって密かにルシアさんのお宅にお邪魔させていただいたご用件は他でもありません。お忙しいとは思いますが、お邪魔してもよろしいでしょうか?」

 ギュスターブの言葉に促されたように、ルシアが質素な椅子を机から離し、

 「こちらへどうぞ」

 と招き入れた。護衛の兵士二人も家の中に入ったが、すぐにドアを閉めて両脇を固めた。

 丁寧な物腰で話を切り出すギュスターブの態度に、形容しがたい何かをルシアは感じ始めていた。それはあえて言えば不安に近い。

 「どういったご用件でしょうか」

 「実は・・・、あなたの息子さんの事です」

 次の瞬間、エランの瞳から輝きが消え、驚愕にとってかわられた。雰囲気もギュスターブに対する隠そうともしない無邪気な好奇心から、後ろめたさや卑屈さを感じさせるような雰囲気を出していた。

 「・・・母さん、村長さんに頼まれてた壊れた水路の修理、手伝ってくるよ。食事はいらないから」

 「でも、それじゃ午後からきついからちゃんと食べとかないと」

 「大丈夫・・・今日は大丈夫だから」

 そう言ってエランは椅子から立ち上がった。ここにいたらイタズラがばれてしまうような後ろめたさ

を感じさせた。駆け出すエランが近づき、ドアの両脇の兵士があわてて後ろに退いた。

 「あの子はまだ、あの事を気にしてるのね」

 ため息交じりに呟きながら、ルシアはギュスターブへ向き直った。

 「あ、お客様の前で恥ずかしいところをお見せしてしまって申し訳ありません、閣下」

 「閣下というのはやめていただけませんか、ルシアさん。あなたは軍人ではないのですから」

 「しかし・・・」

 「今日は」その単語を強調してギュスターブが打ち明けた。「軍人としてここにいるのではないのです」

 「と、申されますと?」

 今にも首をかしげそうな間の抜けた平板な声で尋ねるルシア。

 「一人の親としてここをうかがったのです」

 生まれた家で受けた教育のせいか、ギュスターブの言葉は丁寧でよどみが無い。それ以外の何かをルシアは感じ取っていたのだが、それが何なのかはわからなかった。

 「どういうことです?」

 「部下の部隊が領内を巡回中に野犬の集団に囲まれていたシグルド君を保護したのです。」

 「いつです?」

 「一年前です」

 「今、あの子はどこにいるんですか?」

 「私の知人の家に預けてあります。シグルド君の意思でそこで読み書きと武術を習っています」

 心の中で安堵しているのが伝わってくるような笑みをルシアは微かに浮かべていた。やがてそれは別の疑問にとってかわられていた。おどおどしたような困惑したような表情でルシアが言った。

 「どうしてあの子は家も帰らずに、そんな事になっているのですか?」

 ギュスターブが予想した通りの疑問。だから澱みなくギュスターブは答えた。

 「部下がシグルド君を保護した時、あの子は空腹でかなり弱っていました。こちらで介抱して色々質問した後に家に連れ戻そうとしたら、あの子がこう言ったそうです。『僕が家に帰ったらお母さんが死んじゃう。だから帰らない!』・・・とね。困り果てた部下が報告ついでに私の元にシグルド君を連れてきました。そこで私は彼の決意を聞き、恩師の下に預けることにしたのです。」

 答え終わったギュスターブはルシアの顔が紅潮し、涙が溢れ出しそうになっているのを見た。息子の無事に安堵したが故のものだと思っていたが、ルシアの言葉は予想外のものだった。

 「・・・そうですか・・・。そうでしたか・・・。あの子はまだ・・・私の事をお母さんと呼んでくれているんですか・・・」

 嗚咽を混じらせ、俯きながら話すルシアの肩にギュスターブはそっと手を置いた。

 「あなたがよろしければ、詳しい話をお聞かせ願えませんか?」

 シグルドがこの家を出た理由。お母さんが死んじゃうと話した理由。お母さんと呼んでくれたという言葉の意味。その全ての意味を込めてギュスターブは尋ねた。

 「すまないがしばらく外してもらえないか?」

 ドアの両脇を固める兵士の方へ向き直ってギュスターブは言った。

 「しかし閣下、我々は護衛が任務です。閣下にもしもの事があれば我々の責任問題になってしまいます」

 細身の体の兵士が言った。

 「私はこの御婦人に個人的な話しがあるんだ。そしてこの御婦人の個人的な話を聞こうとしているんだ。言いたいことはわかるな」

 「ですが閣下、最近は帝国の間諜が領内でも暗躍しております。閣下のお命を奪ったともなれば、帝国が再びこの地に侵攻してくるやもしれないのですぞ」

 長身の兵士が反論する。

 「言いたい事はわかるが、帝国の間諜もまさか辺境の村の民家に不倶戴天の敵がいるとは予想もしていないだろうよ。それにその事についてはこっちで手を打ってある。だから命令だ。外してくれ。そうだな・・・、しばらくの間この村を巡回でもしておくといい。なまじこの家の玄関に張り付いているとかえって目立つからな」

 「・・・了解しました」

 二人の兵士は不承不承といった雰囲気を隠そうとせずにドアを開けて外に出て行った。それを振り向いたまま確かめてから、ギュスターブはルシアに向き直った。

 「先ほど『お母さんと呼んでくれた。』とおっしゃってましたが、あれはどういう意味でしょう?」

 嗚咽が次第に落ち着いてきた事もあり、さっきよりもはっきりした口調でルシアが言った。

 「あの子は、私の実の子じゃないんです」


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