四 死神
七年前。
彼ら姉弟は金によって買われた。
この国は違法だらけの、放置国家だった。法治ではない、放置国家だ。
何をやっても、警察は無能で取り締まることなどできなかった。
このころ、各地で下町と呼ばれる違法の物が何でも手に入る町ができた。そこに住むものの大半は、魔族だった。魔族と言っても、人工的に魔族になった者。弐種の魔族が下町で暮らし始めたのだ。彼らは、実験体として体を買われ、その結果魔族になった者達だった。彼らに法という言葉は存在しない。
法は、彼らを取り締まることなどできない。
彼らは実験体であり、人間ではない。国には人間だと認められず、彼らは自然的に下町に集まった。
しかし、魔族はこのような者だけではない。
血によって繋がっている魔族、自然現象により魔族になる者。彼らは普通の人間とともに生活し、共同していた。
その頃、とある大学の研究室で二人の姉弟が実験体とされ手術されていた。
死神、という魔族では最高峰の魔族。
神と通称に入るほど彼らは神に近い存在だった。
魂を狩る者、しかし、その死神は作れない。なので、彼らは死神に近い存在の鎌に心臓を宿した魔族を作ろうと試みた。
そして成功する。
魔族の中でも神に近い存在の魔族が二人も誕生した。
しかし、彼らは人間の心を失ってしまった。
長時間のオペのせいで、幼い体は悲鳴をあげ記憶を混乱させた。と同時に心を失った。失ったというより、閉ざした、と表現するのが適切かもしれない。
彼らは猛獣となった。
人情を持たぬ猛獣。
それが彼らだった。そして、彼らは放置され檻の中で生きる事となった。
時には、彼らに近づく人間の肉を食った。
長い時間の末、彼らはある少年にであった。
天才と称された桜木勉。彼らは、彼によって人情を取り戻す事になった。
彼らは彼を親として、兄として慕った。
彼らには名前がなかった。その名前をつけたのもその兄たる勉だった。彼は、自分の弟のように彼らを可愛がり、終いには家族にしようと考えた。
そして、彼らは再び買われることとなる。
しかし彼らを買った勉は人身売買の罪を被り、学者の道を閉ざしてしまった。
彼らには兄が一人いた。
勉は彼らの内一人をその兄に引き取ってもらう事にした。
そして彼ら姉弟は初めて離れ離れになった。
彼らが次に出会うのは、それから一年後、地下世界だった。
✝
白夜は、毎日寝る間を惜しんで修行に励んでいるようだった。
時々レヴィンは、彼の部屋の前に立ち青い光を放つプレートを眺めていた。そして、自分もその中に入りたいと何度か足を踏みとどまらせていた。彼女は手を扉にかけ、その青く光るプレートをじっと見つめて夜は過ごしていた。
そんな夜が何日も続いた。
白虎の動きは未だにあの襲われた事以外なく、依頼と言って出て行ってしまったピエルも帰ってくる様子はなかった。ただ、ピエルが長老会に現れたと学校で聞いた。そして、長老会が廃止になったということも。
彼女は頬をうっすらと赤らめ、フードを被った。そして、うさぎの耳を触って自分の部屋はと帰っていった。
ベットに潜り込んだと言っても、彼女はなかなか寝付けなかった。どうしても、白夜のことが引っかかり眠れない。そして、胸騒ぎもした。
「何か、嫌な予感がする」
珍しく彼女は独り言を言った。そして、自分の桜色の唇を抑える。フードの先を握り、彼女は目深く被った。顔に影が差し、赤い十字架が覗く。鏡を見ると、何だか不気味だった。まるで、本物の死神のようなそんな感じ。彼女は唇を噛みしめ、唸る。
「ボクは、一体何なんだろう・・・・・・」
ピエルならそれなりの答えを出してくれるかもしれない、と彼女は思いながら首を振った。「駄目だ、理屈で押し通す」
自分の手を見つめながら、彼女は吐く。長くなった爪は手入れをしていないせいか、先の方は黒ずんでいた。玩具の一人に押し進められて伸ばし始めた爪。しかし、それはもう無用だった。爪は鎌を持つのに邪魔だ、と彼女は思いながら親指の爪を噛んだ。
もう一度、鏡を見る。
そこには、爪を噛む昔の自分によく似た少女が映っていた。
それはただの錯覚のはずなのに、鏡の向こうにいる少女は昔の自分によく似てた。しかし、着ているものがワンピースで目も赤い。そして、顔には十字架がない。
「アンタ、吸血鬼の事好きだしょ?ツンデレ」
いきなり、鏡の中にいた昔の自分の錯覚が口を開いた。
「誰、お前」
「アタシは、アンタじゃないよ。えっと、あの吸血鬼の先代だよ」
ククク、と鏡の向こうにいる少女が笑った。
「白夜君を吸血鬼にした・・・・・・奴か」
「うん、そうだよ。で、どうすんの。アタシはもう死んでんの。白夜っていうんだっけアイツ。アタシはね、アイツに殺された。そして、死ぬ前にアイツを吸血鬼にした。憎めば?好きなんでしょ、ツンデレ」
少女はレヴィンを指さしながら笑った。
「そ、そんなことは」
「うわぁー赤くなってる。デレてんじねーよ」
顔が熱くなっているのが分かる。触ると、熱い。
「あの白夜って奴もアンタのこと絶対好きだよ。それはアタシが断言するね。アタシは、ずっとアイツにくっついているからさ。分かるんだよ。考えも思考もみーんな共有してるから」
「な、何を根拠に・・・・・・」
「愛に根拠なんてないよ」
うぐ、とレヴィンは唸った。そして、鏡の中にいる少女を見る。
「で、何の用・・・・・・何かあるんだろ」
「当たり。アタシは何もない時はずっと白夜にくっついて隠れているからね」
ククク、と再び少女は笑った。
「忠告、だよ。アンタにね。白夜はね、そろそろガタがきて血を飲んでも暴走しちゃうかもしれない訳よ。だから、」
「強くさせるな、ということか」
「そー」
「しかし、あの王子は・・・・・・」
「カストルだね、彼は人間が人種違いがあるように吸血鬼もあるんだよ。彼の吸血鬼は違う。まず、アタシと白夜の吸血鬼は壱種だ。けどね、カスとトルの場合アンタと同じ」
「弐種・・・・・・そんな馬鹿な」
「あの王子様はね、自ら進んで手術したんだよ。そして、この世界に来た。もちろん、黒羽というアンタの玩具に会いにね。でも、王子様がこの世界に来たから黒羽は死んじまった。王子様はその悲しみでアンタ達に復讐しようとしているよ。まったく、自分が悪いっていう話しなのによ」
少女は馬鹿らし、と言いながら息を吐く。
「けど、アイツはつくられた吸血鬼。アンタだってそうでしょ、作られた死神。分かるでしょ?オリジナルの方が強いの。だから、アタシはアンタに壱種の吸血鬼について教えてあげようと思う訳。作りものに負けたくないっていうプライドからなんだけど」
「何だよ」
「まあ、そう固くならないで。アイツさ、血を飲んだら強いって思っているじゃない。違うのさ、根本的に。たしかに、強くはなる。でもね、それは真の強さじゃない。だからさ、今日からアンタの血、飲ませてみて」
「それだと」
「いいんだよ、そして、アンタと共鳴しろ。アンタの育て親だっけ、あのフリフリ野郎。アイツも初めはそれを目指してアンタの血を飲ませたんだよ。でも、甘かったね。継続するべきだ」
少女は、うっすらと赤く染まった目をレヴィンに向けた。
「知ってたか?死神と吸血鬼は共鳴できるんだよ。アンタが作り物でも大丈夫だ。アタシだって、殺される前までは死神と共鳴して殺人鬼だったんだから。アタシがあんな人間に殺される訳がない。殺されたのは言い訳に聞こえるかもしれないが、相棒の死神がいなかったからだよ・・・・・・牙っていう餓鬼だったけどね」
「牙・・・・・・」
「そうさ、アンタの義弟だよ。アタシはアイツも虫が好かねぇんだ。だからさ、牙と王子様、倒してくれないか。アンタと白夜ならできると思うんだよ」
そう言って少女は鏡に手を付けた。
「アタシに手を重ねろ。そうしたら、アタシの情報を全部やる」
「分かった」
そう言ってレヴィンは少女の手に手を重ねた。
その途端、物凄い情報量が頭の中に廻った。頭の中で渦を巻くような、そんな感じ。吐き気を覚えた。
「吐くなら吐け。気持ち悪いのは分かる。でも、すぐに終わるよ」
少女は苦しそうに言いながらレヴィンに情報を送り続けた。
「終わったよ、ご苦労さま」
少女は口から垂れた涎を拭った。そして、レヴィンを見る。
「君の名前、聞いていなかったが」
「アタシの名前、ね・・・・・・ない。アタシには名前ないよ。吸血鬼の先代、とでも呼んでくれればいい。といってもそろそろお別れのようだが」
少女の足元は消えていた。
「アタシは、アンタに全ての情報を与えた。これで十分さ。これで、アンタは戦える」
にひ、と少女は笑う。
「じゃあ・・・・・・な、・・・・・・アタシ、の・・・・・・じょ、うほう、きょ・・・・・・うゆうしゃ」
そして、鏡にはレヴィンが映っていた。
吸血鬼の先代と名乗った少女は鏡の中から消えていた。
✝
「ただいまー、オレは長旅からかえってきたよー」
朝。
ピエルは近所迷惑を顧みず、大きな声で玄関で叫んでいた。
というのも、彼はどうも鍵を忘れて出て行ってしまったらしい。彼の頭脳ならヘアピンで鍵を開けられるものの、めんどくさいのか大声で叫んで鍵を開けてもらおうと思ったらしい。しかし、扉の前でレヴィンは猫のワッペンがついたエプロンをつけ、目玉焼きを焼いたばかりのフライパンを片手に持ち、物凄い形相で扉を挟んで先に入る男に攻撃しようとしていた。
鼻息を荒げながら、彼女はドアノブに手を掛ける。そして、鍵を開けた。そして、ゆっくりと、恐ろしいぐらいゆっくりと扉を開け放つ。
そこには、ひらひらの襟の服を着た中世の西洋の服を着た男がいた。キュロットの下から覗くタイツに彼女は一発目の攻撃を繰り出した。
「あ、あちちちちちちっ」
思い通りの反応で彼女は満足する。そして、腹に蹴りを食らわす。二発目。
彼は、吹き飛ばされた。そして、玄関前に大の字で倒れる。そこで、彼女は三発目の攻撃を繰り出そうとした。空いた片手をグーにして顔面の真上に持って来る。そして、風を切ってそれは下ろされそう、いや、下ろされた。
ピエルの唾液が飛び散り、彼は倒れる。
彼女はそんな彼を見て、にひーと笑った。
「馬鹿、帰ってくるのが遅い」
そう吐いて、彼女は彼の足首を掴み、家の中に引きづり込む。
「何、朝から騒がしいけど」
玄関の方を向いて、白夜が目を擦りながら二人を見ていた。彼の目の下には隈ができている。だいぶ眠っていないのだろう。
「おー、久しぶりー。白夜君」
ピエルは鼻から血を流しながら起き上がる。
「どうしたんだよ、それ」
「あー、レヴィンにやられたんだよー。ついさっきここで。殺人だよ、殺人―」
「うるさい、これはほんの挨拶程度だ。ピエルが避ければいい話だったんだ。自業自得、そうだよ、自業自得だよ」
彼女は腕を組みながらキッチンの方にフライパンを持って歩いていった。
「あー、朝から酷い目にあったよ。せっかく一週間ぶりに帰って来たっていうのにさ」
――コノ世界滅亡マデ後、三日
このアナウンス、彼は最近はどうでもよくなっていた。というのも、そのピースは目の前にいる男、ピエルが持っており少し説得すれば返すだろう、そう踏んでいたからだ。この世界の雰囲気もそうだった。前のことがあり、その後も何度か同じような事件が起こったがそれは全て白虎が解決した。と、同時に白虎には絶大なる信頼が寄せられていた。
彼は気に食わなかったものの、それで安全が保たれているからいいと思っていた。
「あ、そうそう。君達に入っておきたい事がある」
エプロンを脱いでいたレヴィンと白夜を見て、彼は頭を掻きながら言った。
「あのさ、後三日後に白虎と戦う事になったわ」
汗が二人の頬を伝った。
「馬鹿か、ピエル。いいかげんに、」
「いいかげんじゃないね。本当だよ、これは。牙と決定させてもらった。これでよかったじゃないのか?君達に申し込まれた戦闘が全てできるじゃないか」
彼は笑いながらソファーに腰掛けた。しかし、彼の灰色の目は笑っていなかった。目だけは、上空を見上げ、何かを考えているような感じだった。
「そんな簡単に事が運ぶと思ってるんですか、アンタは」
「いや、思ってないね」
身を乗り出した白夜を宥めるように、彼は白夜の肩に手を置く。しかし、白夜それに構わず牙をむき出して続ける。
「なら、どうしてだ。民間人を巻き込んで戦闘をやるのか」
「民間人じゃないよ、ここの住人は。全てが全て戦闘員だ。そのために作られた魔族だよ。彼らは戦闘を行うためにこの世に生まれたようなもの。広めれば、自然と参加者は増えるよ」
「そうだ、そこはピエルの言うとおりだ」
腕を組みながらレヴィンが頷く。
「ただね、ボクはボクなりにこの世界に疑問を持ってる。それが、どうも気に食わない」
「何だレヴィン、その疑問って」
「どうして、王はこの世界を作った?」
一瞬、ピエルの顔から血の気が引いたように感じた。そして、彼は顔を曇らせ口を開く。
「それは、王に聞いてみるのがいいんじゃないか?」
「でも、どうやって」
「さあね、それはオレも分からないよ」
ククク、とピエルは笑って説明に戻る。
「さっきの事に戻るけど、どうだろう。世界滅亡の危機がかかっているよ。そして、オレ達が悪人、白虎がヒーローだ。そういう設定にさせてもらったよ。オレのモノガタリを極めるためにも、オレ達が悪人になった方が良い」
「この世界の住民対、俺達三人か、よ・・・・・・」
白夜が膝を抱えながら顔を曇らせるとそれを見たレヴィンが口を開く。
「いや、玩具たち、そして、白虎を嫌う住民をここに引きこめばいい」
バチン、とピエルの指が鳴る。
「そうだ、それに、このピース一つで何百人もの人と地上に戻れる。そういう解釈をしても良いわけだ。だってよ規則には一人とは書いていない」
「本当だ・・・・・・」
規則が彫られているプレートを見ながら白夜は呟く。たしかにそこには一人とは書かれていない。
「ピエルならそう解釈すると思ったよ。そして、何か指示とかないか?」
「まず、玩具達を集める。そして、彼らに白虎を嫌う住民達のネットワークを作らせる。それがまず、一手だ。オレは、長老会の奴らを味方につけてみせるよ」
「長老会って、それはないだろ。あんなに頭の固い奴ら・・・・・・ボクは賛同できないが」
いや、と彼は否定する。
「あの年寄り達は巨大なネットワークを持ってるに違いない。後は、根子だな」
彼は携帯を取り出し、何かを打ち始めた。
「ちょっと待った。根子は駄目だ。根子の弟子の天弧、アイツ白虎に寝返っている。ボクと白夜君が証人だ。未沙もそうだ、彼女の場合、捕まってしまったようだが」
「手はそこまで伸びているのか・・・・・・牙の奴、結構進めているなぁ。全く」
彼は前髪を掻きあげた。
「とっととやらないと間に合わないね。さあ、心西探偵事務所、過去最大の依頼を遂行しようじゃないか」
そして、彼は何故かポーズを決めた。
「何やっているんですか、ピエルさん」
「何やってんの、ピエル」
同時に、白夜とレヴィンから突っ込まれ彼は情けなく項垂れた。そんな彼をレヴィンは足で蹴って言う。
「さあ、やろうか。とっととやる。ほら」
レヴィンは白夜の手を引っ張って扉から出て行った。
そして、ピエルだけが残った。
彼は重い腰を上げ、パソコンが置かれている事務用机の近くにあった回転する椅子に座る。そして、自転しながらパソコンにのめり込んだ。
✝
「ねえ、虎菊。この人たち殺しちゃ駄目だよ。だって大事な人質なんだからさ。それに、戦力になる。白虎として、この攻撃を押さえこまなきゃいけないんだって。分かってるよね。ボクはたとえ実の兄だろうと容赦はしないよ」
豪華な椅子に座っている牙が巨大な剣で根子を貫こうとしている虎菊に笑いかけた。そして、睨みつける。
「しかし、彼らは・・・・・・」
言いかけた虎菊を牙は止める。そして、彼が着ていた白い軍服に小さな足を乗せる。
「いいかい。ここではボクが王様なんだよ。だからさ、ボクの言う事を聞くんだ。そして反発するな。今まで好き勝手なことやらせていたけどね、今回ばかりはそうはいかないんだよ。だってさ、この世界がかかっているんだよ。分かるかい。黒い騎士團の奴らにはこのことは隠しておけ、いいか。大げさにするな。と言っても、兄さん達が大げさに言い広めるかもしれないけどね、駄目だよ。いいか。黒い騎士團だけは敵に回したくないんだ、ボクは」
虎菊の近くには根子と少女が肩を並べて座り、少し離れて天弧が立っている。
「私はアンタ達に味方してあげたじゃない」
胸元がやけに開いたメイド服を着ている天弧が続ける。
「私の変身でアイツらを騙したの。なのに、なんで私は繋がれている?」
「それはね、君が裏切り者だからだよ。ボクはね、裏切り者は信用できないんだ」
「そんな・・・・・・強制したくせに」
「黙れ」
虎菊は天弧を平手打ちして投げ飛ばす。
「あーあ、せっかくの顔が台無し、とでも言いたいけどそれは偽物だからねーやっぱり、本物の方がいいよ」
牙はそう言いながら椅子から下り、泣き崩ている手に手錠を付けられている少女に近づいて囁く。
「君はたしか、レヴィンの玩具の未沙だったよね。じゃあ、君を使ってあげようか、ボクの儀式に。あそこに転がってる二人じゃ何か物足りないんだよね。何て言うのかな、儚げの方が面白いっていう感じか」
牙は未沙の手首を掴みあげる。そして引っ張り上げ、ライトアップされている十字架に引いて行く。
「や、や、やめ・・・・・・」
必死に抵抗するが、彼は見た目以上に力があった。そして、彼らは十字架に近づいて行く。
「牙、こいつらはどう・・・・・・」
ぎゅるんと牙の首が動き、虎菊を睨む。一瞬、虎菊は怯んだ。
「二人とも檻に入れとけ」
「は、は」
虎菊は敬礼をして、二人を引っ張って行った。
「さて、ここはボク達だけになったね」
彼は未沙の耳元で囁く。そして、彼女の耳を噛んだ。血が流れ、呻く。彼女の少し浅黒い肌が赤く火照った。三つ編みが揺れる。
「君は、花の妖か。珍しいね、参種とは。ほーんと、ボクの物にしたいぐらいだよ君は」
彼女の手首に嵌められた手錠を取る。手首が真っ赤になっていた。
「さて、君の能力を見せてもらおうじゃないか、花の妖」
牙は自分の唇で未沙の唇を覆う。
未沙は唸った。右の目から血を流し、息も荒い。牙はそこでやっと唇を放して耳元で囁く。
「さっき、ボクの血を少量だけど与えたんだ。もう、君はボクの物だよ」
その瞬間、
――悲鳴。
未沙の右目から赤い薔薇が生えた。刺が皮膚を突き破り彼女を赤く染まらせる。生きているのが不思議なくらい彼女は体から血を流していた。
「すごいね、薔薇かぁ。綺麗だよ、ボクは感動したね」
彼女の体を突き破った刺が十字架に巻きつく。ゆっくりと彼女は十字架に吊るされていった。十字架も赤く染まる。血が流れ、下には血だまりを作った。
「これは、終幕にぴったりだよ兄さん」
ククク、と彼は腹を抱えて笑った。そして上を向く。
「兄さん、見てるよね。そうだよ、ボクは兄さんのために舞台までつくったよ。さあ、おいで兄さん。ボクは、戦いたくてウズウズしているんだ」
そして、笑い声が木霊した。
虎菊は考えていた。
彼は、弟が嫌いだった。そして、その下に見られるのもまた嫌いだった。
そして彼は思いつく。寝返ってやろう、と。
しかし、彼は白虎のリーダーだ。簡単に寝返る訳にはいかない。なので、初めはこの後ろを歩いている彼らを逃がそう、そう考えた。そして、彼はここ『パズルの塔』の唯一の出入り口にズカズカ歩いて行った。門番は自分の一言で追い払う事ができる。
彼にとって突破は簡単だった。
予想通り、門番は不審な顔一つ浮かべずその場所を退いた。
そして、彼は後ろにいる二人に言い放った。
「逃げろ、お前ら」
虎菊は、根子と天弧の手錠を解いた。
「ど、どうして・・・・・・」
根子が細い目を虎菊に向けた。
「いいから行け。そして、ピエル達に伝えろ。ここの現状をくまなく、だ。いいか」
野太い声で彼は言いながら彼らの背中を押す。そして、逃げるように去って行った。
そして、彼は遠くから彼らを見ていた。
彼らは初め走っていた。
人間とは思えないスピードで。
ああそうだ、人間じゃなかったと彼は思いながら彼らを眺める。
次の瞬間、男の方が巨大な黒い毛並みを持つ尻尾が二つに分かれた猫になり飛び上がった。背には女を乗せている。
「飛んだ」
思わず彼の口から言葉が漏れる。そして、彼はそれを眺め続けた。
しばらくすると、門番をやっている二人が帰ってきて敬礼をした。彼も彼らに敬礼を返し、背を向ける。
「どういう言い訳をしようか」
独り言。
彼はそう思いながら自室へと向かった。これを知った牙は激怒するだろう。彼は命令に逆らう奴は嫌いだ。多分、実の兄でも彼は殺すだろう。彼はそれを覚悟していた。
死ぬ気でやらないと物事は始まらない、彼はそう思っていた。
そして、もう一度彼は逃がした二人が去って行った方向を見た。
✝
何か巨大なものが地面に落ちる音がして、ピエルは起きた。彼は、本棚の上で寝転びながら漫画を読んでいる最中で、うとうととしていた時に外で大きな衝撃が起こった。
本棚から下りて窓を覗くとそこには見覚えのある黒猫とメイド服の女がいた。
「ピエルーいるかー」
聞き覚えのある声がする。目を凝らすとそこには、根子とその弟子天弧がいた。しかし、彼の記憶では彼らは白虎に捕まったはずだった。彼は少し疑いの目を向けながら彼らに上に上がってくるように言った。
「話がある」
根子が細い目で真剣にピエルを見ながら言った。隣に座っている天弧もまた頷く。
「何だー。今までどこに行っていたとかをまず教えてほしいものだけれど」
ピエルは探るように彼らを見た。
「今まで私達は彼らの本部、第六ブロックにあるに捕まっていた。確かに私はこの能力を買われて一度は彼らに協力した」
「未沙の件だね」
「ええ、でも、私達、解放されたの。白い軍服を着て・・・・・・大きな剣を持った」
「虎菊」
「そう、それでここまで来た。彼に、私達ここに行けって言われて」
天弧は頭に付けていた髪飾りを外しながら続ける。
「それで、私達ここに来たの。根子と一緒に」
彼女は根子を見る。
「殺されかけたけど、虎菊に感謝しているよぉ」
「そうか、なるほどね」
ん、と二人がピエルを見る。
「いや、何でもないよありがとう。にしても、何だか面白いことになってきているね。あ、そうそう、根子。オレ、君に借りた制服破いてしまったな」
ピエルは根子を横目に見ながら言う。
「ああ、いいよ。別に・・・・・・」
「そうか」
玄関がノックされる。
「誰だ―?」
ピエルは扉に近づいて行った。しかし、その扉は蹴りあげられる。扉が外れ、彼は下敷きになった。その様子をおろおろと見ている彼らは訪問者を見た瞬間、急に明るくなった。
「お久しぶりー、レヴィンちゃん」
根子が声を張り上げる。
訪問者、それはレヴィンと白夜だった。そして、彼らの後ろには何十人かの子供たちがいた。
扉を壊したのはもちろん、レヴィンだった。足が伸ばされたまま止まっている。そして、彼女はその足をピエルが下敷きになった扉に踏み込み思いっきり乗る。
「い、だだだだだだ」
悲鳴をあげるが、彼女は鼻を鳴らして通って行った。その後を後ろにいた子供たちがわーと入ってくる。その間、情けない悲鳴は続いた。
ようやく全ての子供たちが通り終わると彼に圧し掛かっていた扉が持ちあがる。
「大丈夫か、ピエルさん」
白夜が苦笑いしながら手を差し伸べていた。
「いいよー白夜君。そんな道化ほかっておいてこっちこればいいのに」
レヴィンが頬を膨らませながら言った。
「ありがとな、白夜君」
彼はそう言って彼の手を取った。そして立ち上がる。
「おい、レヴィン。後で扉直しておけよー」
ピエルが服を叩きながら言ったが彼女は無視した。
「で、この子たちは誰なんだ?」
「ボクの玩具達だ。彼らは膨大な情報網を持っているんだよ。これで、この世界の住民に広めれるだろ」
「ああ、そうだな。その前に人の話を・・・・・・」
彼女はピエルの言葉を遮り続ける。
「でだ、説明したいんだよ。さて、根子さんお久だな。そして、天弧さん。君たちは一体・・・・・・」
「逃げ出して来たんだよ」
ピエルが不機嫌そうに壁にもたれかかっていた。
「さあ、ピエル。早くこの子達に説明するんだ。分かりやすく、ゆっくりと、だ」
彼女は話を遮り、ピエルを睨みあげる。
隣では、白夜が引きつった笑みを見せていた。
「オーケーオーケー。分かったよ。さあ、玩具達。お話、聞いてくれるかな―」
次の瞬間、ピエルは倒れた。
玩具の中の一人が頬をぱんぱんに膨らませて彼を殴ったのだ。それもそうだ、彼らは魔族だ。普通の子供とは違う。
「餓鬼扱いするなーひらひら。オイラはな、アンタの為に来てやったんだよ。だから、子供扱いするな。なー皆そう思うだろー」
彼の意見に、玩具達は、
「さんせー」
「そうだ、そうだ」
「じょうしきだー」
「子供あつかいすんなー」
と叫び始めた。
そんな様子を白夜達は笑いながら見ていた。
「わ、分かったから・・・・・・分かったから」
彼はそう言いながら彼らを宥める。そして、座ったまま語り始めた。
「ピエルはさ」
白夜の隣にいたレヴィンが口を開ける。彼女の目はピエル達に向いたままだった。
「ああいうの、得意なんだよね。ボクと牙を人間として生活できるようにしてくれたのも彼だ。昔から、そういう特技が備わっているのかもしれないけど。でも、凄いな。ボクはあそこまで年下の子供を引きとめることはできない。玩具を作ったのも彼さ」
彼女の横顔は昔の事を思い出しているような、そんな感じを受けた。
たしかに、彼は子供たちを虜にさせている。多分、自分はできない、そう白夜は思った。そして、彼を見る。
玩具と呼ばれる子供達が帰った後、ピエルは疲れたのか床に転がっていた。そして、独り言をぶつぶつと呟きながら転がっていた。
そんな彼を、レヴィンは蹴った。彼はボールのように吹っ飛び、事務用の机の一つに激突した。彼は頭を摩りながら起き上がり、根子と天弧の存在にようやく気付いたようで驚いていた。
「まだ、帰ってなかったのかー君達」
「帰ってなかったって言われても・・・・・・帰る場所ないんだよ」
根子が細い目で彼を見下ろして言う。それに続いて、天弧も口を開く。
「そうです、私達宿なしなんですよね」
「宿ならあるじゃん、この建物。全部、オレの物なんだよね」
絶句する彼らに、ピエルは説明する。
「たしかに、この世界、引っ越しは禁止だけど入れ替えはいいんだよね。で、全部入れ返させてもらった訳さ。簡単なことだったよ。さて、適当なところに泊まって行けばいい。そして、帰れるようになったら帰ればいいさ」
彼は手を振りながら笑う。
二人は不思議そうな顔をして立ち上がり、壊れてしまった扉を素通りしながら出て行った。
「あー暇になってしまったね」
「暇になる訳がない」
レヴィンの手には青い光を放つ正方形のプレートがあった。すでに、白夜はいない。
「ピエル、ボクは聞きたい事がある。妹として、だ」
「妹としてか」
彼は椅子に腰かける。
「牙を倒すべきなんだよな」
「今、牙はこの世界を揺るがす大罪人とでもいい表わしてほしいのか?」
「いや、そうじゃない。どちらかと言えば、ボク達の方が罪人だろ」
「まあな」
ふう、と彼は息を吐く。
「倒すべきだね。彼はもう、やりすぎだ。そして、白虎は大きくなりすぎた」
「そうか」
彼女は顔を曇らせた。
「何かあったのか」
「いや」
彼女は否定したが、ピエルは何か隠し事があると疑った。
「何か、兄ちゃんに隠しているだろ?」
青いプレートに入ろうとした彼女を呼びとめた。
「・・・・・・ない、いや、ある」
「じゃあ、後で兄ちゃんに教えろよな」
下に向いていた顔を彼女は上げた。そして、ピエルを見た。
「わかった、兄ちゃん」
青い光が彼女を包み込み、青いプレートの中へと吸い込まれていった。
✝
「で、だ。分かったか、言っている事」
レヴィンは腕を組みながら白夜にあの話をした。
あの話、それは先代の吸血鬼と名乗る少女の話だ。その事について話した時、彼は驚きの表情を見せた。そして、彼には珍しく考え込むようにその話に聞き入っていた。
彼女がその話について話し終わると、彼はまじまじと自分の手を見た。そして、彼女に一人にさせてくれ、と言って彼女をこの青い異空間から追い出した。
「なるほどねぇ、そんなことがあったのか」
ピエルは彼らのやりとりをくまなく眺めていた。そして、吐く。
「吸血鬼ってやっぱり奥が深いねー。だから、魔族って楽しいんだよ。自分も魔族のはしくれだけど、彼らは真の魔族だね」
「何が真の魔族だ」
椅子を回して回っていた彼に、帰って来ていたレヴィンが言った。彼女は、ソファーに座る。
「彼は努力家だよ、まったく。オレがいない間、よくここまで成長したものだ。感心だよ、関心。でもさ、血を飲まずに戦うって結構キツイね」
「兄ちゃんはどうなんだよ」
「兄ちゃんねー」
「話変えるな、ピエルの方が良かったか?」
「いや」
彼は青いプレートの中を映し出す画面を眺めた。
「で、どう思うんだ兄ちゃん」
「オレか、オレはだな。この世界は潰れると思うよ」
「潰れる?滅亡じゃなくてか」
「楽園なんだけどね、ここは。魔族の者にとっては楽園さ。ここの生活にも慣れてきた。でもさ、また、地上に戻ったらあの差別される日常が戻ってくる。オレもまたそうだし、レヴィンも白夜君も、他の皆もだ。もう、この世界の住人は手放したくないんじゃないか、この地下世界を、楽園を」
「それは・・・・・・」
ピエルは彼女の口を遮った。
「たしかに、太陽を浴びたい。星を見たい。それぞれ、地上に出てやりたい事があるだろうさ。でも、それを代償に失う物が多数ある。もう、この世界は自治できているんだよ」
「どういう意味だ・・・・・・」
「ここはすでに放置主義だ。あとは、この国の方針を決めるだけ」
「一体、兄ちゃんは何をしに旅に出たんだ・・・・・・」
彼は人差指を上に突き出した。
「うえ、だよ」
「・・・・・・地上か、地上に行ったのか」
「ああ、行ったさ。そこで、オレは目にしたよ。あそこには、もう、何もない。王子様も知っているんじゃないのかな」
「そんな・・・・・・まさか」
彼女は絶句した。そして、コンクリートでできた天井を見る。
「まさかじゃない、本当だ。牙もすでに知っているだろうね。王子様の口から」
「ど、どうやって出たんだ・・・・・・」
「簡単だよ、第二ブロックにある黒い騎士團の本部に申請したら普通に通してくれた。あいつら、もう知っていたらしい」
「ひ、広めれば・・・・・・」
「止めた方がいい。地上は今、人間が住める状態じゃない。地上は汚染されていたよ。オレは数時間が精いっぱいだった」
ククク、と彼は顔を抱えて笑う。
「今、地上は・・・・・・」
「汚染された空間だよ。だから、ここでしかオレ達は暮らせないんだよ」
じゃあ、じゃあ、とレヴィンはピエルに迫る。
「今からやる戦いは何なんだ」
「この国のトップを決める戦いだ。そして、そこで議会もできるだろうね。まあ、あの白虎は地上と同じ絶対王政を目指しているだろうけど、オレの場合は民主主義を目指すね。嫌いなんだよ、一人で物事を全て収めるのは。楽かもしれないけど、天文みたいになるよきっと」
「王、天文の死に方は・・・・・・」
「民衆の反乱に便乗した王子、カストルだよ。何とも、変な話だね」
「そんな・・・・・・」
「オレ達に出来る事を今、やるだけさ。そして、オレはこの世界のリーダーとなってやる。そう決めたんだ」
ピエルは椅子を回転させるのを止めた。
「馬鹿、ピエルは馬鹿だよ。それじゃあ、やってることは王と同じだ」
「連鎖、それはこの世界の常識だよ」
ピエルはそう言ってレヴィンの頭に手を乗せた。
「触らないで」
彼女は彼の手を叩く。そして、あ、と呟いた。
「好きにすればいいさ。どうせ、君達はオレの駒さ。そして、もうチェス盤の駒は全部揃ったんだよ」
彼は扉に手を掛ける。
直したばかりの扉が音を立てて開いた。
「それじゃあ、オレは出かけるよ」
そして、ピエルは去って行った。
彼女は彼の出て行った先をただただ眺めるだけだった。