壱 始発
壱 始発
――コノ世界滅亡マデ後、一〇日
乾いた電子音のアナウンスが地下世界に響き渡った。
地下世界が誕生して早四年。
やっと生活に慣れてきたという時に滅亡宣言が発表された。
どうやら、この地下世界の住民の誰かが『パズルの塔』のピースを抜いたのだろう。それは誰もが口々に言った。
それ以外の世界滅亡宣言はない。
そして、その欠けたピースが一〇日間の間に戻されない限りこの世界は滅亡する。
誰もが恐怖に取りつかれた。
地下世界。
最下層の者だけが住む空間。
ほとんどが魔族の類の住民で、地上とはまるで異世界といえる場所である。差別の元、作られた世界と言っても良い。差別された者同士仲好く暮せ、と言われたようなものだった。
そして、この世界は社会主義の元成り立っている。
平等、この二文字に掛けこの世界は動いていた。
衣食住はすべて保証されており、仕事もまたすべて決められている。住む場所も決められており自由がない。税金徴収はブロックごとの連帯責任。
ブロックとは、この地下世界を九つに分けたものの通称だ。『パズルの塔』は中心となる第五ブロックにあり、その北側には唯一地上とこの世界を繋ぐ出入り口とそこを守る黒い騎士團本部がある第二ブロック。
この各ブロックごとに税金の連帯をさせている。
この地下世界は地上と同じような設備がある。学校は一つしかないが存在し、病院やスーパー、遊園地や水族館まで存在する。
極楽の場所、と思うかもしれない。
しかし、ここは差別された者が集められた場所。
地上からは不必要とされた者達が集められた場所だった。
たった一人の者が裏切るだけで崩壊する、そういう脆い場所なのだ。そこに一〇年、とても長すぎる時間だ。
王は面白半分にこの世界を創ったのだろう。
現に、それは王の思惑通り崩壊の道に向かっている。
✝
コンクリートで固められた天井に付けられた蛍光灯を彼は眺めていた。
時々点滅する蛍光灯はもうすぐ寿命のようだ、と彼は思った。
この世界に唯一ある高校の制服を身に付けた彼は長くなった前髪をグローブを嵌めた手でいじりながら天井を見上げる。彼はすでに地上なんて興味がなかった。死ぬ事もまた、恐怖を覚えなかった。
少年は、ピースを抜き取った者を皮肉にも尊敬していた。
彼は鋭くとがった犬歯を薄い唇から覗かせて唸る。
数日前に出会った少女を彼は思い出していた。なぜ、その少女を思い出したのかというと、彼の目の前にはその少女がいたからだ。
少女の名をレヴィンという。第七ブロックで探偵事務所で働いている。そして、彼女は何故かその第七ブロックにある事務所がある建物の前に立っていた。
事務所と言っても元々与えられた部屋に開いているようだった。この世界には事務所、というものは一応存在しているもののそれは規定内の探し物などの雑用の探偵事務所でありこの類の個人経営の探偵事務所は与えられた部屋に作るしかない。というのも、この類の事務所は多くはないが存在している。あくまで、お遊び程度のものばかりだが情報力は馬鹿に出来ない。そう思って彼は訪れた。そして、事務所に入っていないのにも関わらず事務所から出てきたレヴィンにばったり会ったのだ。
「居場所がほしくなったのか?」
レヴィンは彼に向って言った。
「気になっただけ、だ。それに、これも兼ねて」
彼は胸についている白い虎が彫られたプレートを指さす。
白い虎、それはこの世界に唯一存在する同じ考えを持つ団体のマーク。通称、白虎。彼、白夜はそこの幹部だった。
「君、白虎の者だったのか・・・・・・あの暴力だけの馬鹿な連中だとは思わなかったよ」
「悪かったな」
白夜は頭を掻きながら続ける。
「で、聞いているとはおもうけど、今日『パズルの塔』のピースが盗まれたんだ。心当たりないか、ていう話だ。探偵、なんだろ。情報が入ってきてると思ってさ。手当たり次第に当たっているんだが、情報がなくてね。探偵さんに聞くのが早いと思ってさ」
「ボクは、情報は売らないよ。何て言っても白虎だ。ボクはこの団体が嫌いなんだよ」
「そうか」
「でも、だ。ボクは君に忠告しようと思うんだよ」
レヴィンの目が悪戯っぽく光る。
「少し、中に入って話そうか」
そう言ってレヴィンは事務所がある建物へと入っていった。
そこは、白夜が今まで見た中での個人経営の事務所としては大きかった。
軽くテニスの試合ならできそうな広さを持っていた。入口付近にはソファーが並べられ、接客用だと一目で分かる。小さな机付きのソファーでその机の下には籠が何故か置かれていた。中央には事務用の机が四個置かれ、その後ろには巨大な本棚があった。本棚には見た事があるような漫画や小説からとても難しそうな辞書みたいな本までが綺麗に纏められて収納されていた。
そして、その本棚の上には一人の青年が寝転がって漫画を読んでいた。
まるで、中世のヨーロッパに出てきそうな服を身に付けた青年。何故がそれが異様に似合っていた。
白夜がその青年を眺めていると、
「気にするな、あれは兄だ」
というレヴィンの声が聞いてもいないのに返って来た。
「んー、帰ったのかレヴィン?」
レヴィンが兄、といった青年が本棚から見下ろしていた。眠たそうに細められた目が白夜を捕らえる。
「君、誰―?」
しかし、その声はかき消される。それは――
落ちたからだ。
彼は本棚から転げ落ちた。そして、物凄い音を立てて地面たる床に落下する。
本棚は倒れて来なかったものの、落ちた衝撃で中に入っていた本が数冊彼の上に落ちる。
「いってー」
彼は腰を摩りながらむくっと起き上がる。巨体、ともいえる彼の図体はまるでガリバーのようだった。
「兄、いつも言っているだろ。本棚は寝る場所じゃない」
レヴィンは頬を膨らませながら彼に怒った。
「んあー、すまんすまん」
彼はそう言いながらよいしょ、と言って腰を上げる。そして、近くにあった椅子に座りこんだ。そして、灰色の瞳で白夜を見た。
「で、君は誰だい。妹が連れてきたからろくな人間ではないと思うけどー」
ろくな人間ではない、彼はそう言った。昔何かがあったかのような言いぶりだ。そして、妹であるレヴィンを守ろうとしている。過保護、に近い所がありそうだ。
「俺は、白虎の者です。『パズル塔』の欠けたピースの情報を集めるためここに来た、だけです」
とたんに彼は満面の笑みで白夜の顔をじろじろ見た。そして、頭に右手首を当てて言う。
「そうか、白虎か。しかし、あんな暴力的な団体にしては君は大人しいね。てことは、幹部って所か。それも、頭脳派。白っていうのも君の名前から来ているんだろ、白夜、君。君は白夜君だろ」
なぜか、勝ち誇っていた。
そんな彼の頭をレヴィンは叩いた。
「い、痛いだろっレヴィン。兄ちゃん、泣いちゃうぞ」
彼は頭を押さえながら涙ぐむ。
「馬鹿か、ピエル。何勝手に推理してんだか。そんな推理する暇があったらとっとと依頼を片付けろ」
レヴィンは人差指を彼の眉間に食い込ませた。
「いーたいたいたい」
彼はレヴィンに攻撃された所を抑えながら本棚の一角にあるファイルに手をつける。そして、そのファイルを持ったまま座っていた椅子に再び座った。そして、黙々とファイルを読みふけっていた。
「馬鹿な兄ですまなかったね。さて、こっちに座ってもらおうか」
レヴィンが指したソファーに白夜は腰掛ける。レヴィンもまた彼の正面に来るよう向かい合ったソファーに腰掛けた。いつのまにか、ソファーの近くにある机にはマグカップが置かれていた。
「えっと、彼は・・・・・・君の兄貴?」
「まあ、そうだ。ピエル、二三歳独身。彼女居ない歴二三年。変なコスプレが趣味で自称、地下世界のホームズ、だそうだ」
向こうで彼、ピエルが慌てたような表情で騒いでいる。しかし、レヴィンは気に留めようともしなかった。
「へえ」
白夜は近くにあったマグカップに入っている紅茶らしきお茶を飲んだ。しかし、それはお湯に近くお茶の味はしない。それを白夜は一気に飲み干す。
「それ、おいしいか?」
飲み干した時、レヴィンの顔が近くにあった。思わず吐きだしそうなお茶を白夜は手で押さえて飲み込む。しかし、急いで飲み込んだせいで咳が出た。
「だ、大丈夫か・・・・・・やっぱり、失敗だったか・・・・・・レモンティー」
どうも、さっきのお湯はレモンティーらしかった。どうやったらレモンティーがただのお湯となるのは分からなかったが。
「・・・・・・いや、美味しかったよ」
若干の冷や汗と後ろから注がれる強烈な視線で白夜はお世辞みたいにそのレモンティーをほめたたえる。そうしないと、後ろからの殺気に押しつぶされそうだった。
「ほ、ほんとうかー」
レヴィンは目を輝かせながら身を乗り出してきた。
「そんなに気に行ったのならもっとあるぞっ」
彼女はそう言いながら急須を何故かその机の下に置いてあった籠から取りだしてきた。猫がついたかわいいものだったが、そこから注がれるものは気味が悪くなるような薄汚れた青色をしていた。
「それは、ピーチティーだ。一応、自信作ではあるぞ」
どう見てもピーチ、桃ではない。まださっきの紅茶の色をしたレモンティーがマシだった。あれは味が無くても、一応、色はそれなりだった。しかし、今度のピーチティーは色、つまり見た目から駄目だ。どうやったら紅茶でこんな色が出るのか気になる。
しかし、後ろから注がれる強烈な視線に負け、白夜は一気にそれを飲み干した。
「ど、どうだ?」
再び、レヴィンの顔が近づいてくる。
たしかに、桃の味はした。なぜ、こうなるのかは理解できない。ただ、後ろと前に挟まれてしまった状態のせいで、白夜はこう、答えるしかなかった。
「・・・・・・おいしいよ」
ぱあ、とレヴィンが無邪気に笑った。
「ほんとうかー」
ピリピリ、ピリピリ――
携帯電話が鳴った。
白夜が慌てながらポケットに入っていた折り畳み式の携帯電話を取りだす。
「わ、悪い・・・・・・用事、入った」
そう言って白夜は部屋を飛び出した。
白夜が出て行った扉をずっと彼女は眺めていた。そして、何を思ったのか青色の液体が入っている急須を覗き見る。しかし何も感じないのかただ、ぼう、と見ていた。
「彼、何だったんだろーね」
ピエルがレヴィンの十字架が描かれた横顔を眺めながら言った。
そのとたん、いきなりレヴィンは立ちあがった。
「・・・・・・言うの」
ピエルは彼女が震えているのを見て尋ねる。
「どうした、レヴィン?」
とたんに、レヴィンは泣きそうな表情でピエルを見た。そして、ピエルに駆け寄ってくる。そして、抱きついた。
「どうしよう・・・・・・」
そして、ピエルは気づく。
ピエルに抱きつくレヴィンの手には鈍く光るパズルのピースが握られていた。そして、そこには「白夜」と彫られていた。
✝
白夜は第五ブロックにいた。白虎のリーダーに電話でここに呼び出されたのだ。用件は聞かされないまま、ここに来い、とだけ言われた。
その時、彼は何も気づいていなかった。
『パズルの塔』の時計はすでに一八時を指していた。もし、それが地上だったら綺麗な夕焼けを見る事が出来ただろう。しかし、この世界には太陽が存在しない。夕焼けなんてなおさらだ。
しかし、異様に閑散としていた。
数日後に死ぬことになった時、心理が試されるとテレビに出ていた心理学者が言っていたな、と彼は思い出す。今となってはどうでもいいことだったが、なぜかそれが浮かんだ。
刻々と待ち合わせの時間が迫る。
「び、白夜君」
いつのまにか、白夜の隣にはレヴィンがいた。それも、今にも泣きだしそうな目をして彼女は白夜の隣に立っていた。そして、うさぎの耳がついたフードを被っていた。
「ど、どうしたんだよレヴィン」
「こ、来い」
いきなり、レヴィンは白夜の腕首を掴み上げ走り出した。
「ち、ちょ・・・・・・俺は今からリーダーと」
止めようとする白夜をレヴィンは物凄い力で引っ張る。この細い体からよくこんな力が出るな、と感心するほど彼女は物凄い力で白夜を引っ張り走り出した。
「君、死ぬぞ。あんな所にいたら死ぬ」
「ど、どうして」
「見ろ」
レヴィンは後ろを指さした。そこには、いつのまにか白夜とレヴィンに拳銃を向けて追いかける白虎のメンバーがいた。
ほとんど白夜が見知った顔であるため彼は驚きが隠せなかった。
「ど、どうして・・・・・・」
「君を殺すためだ」
「だ、だからどうしてだ」
しかし、彼の質問は空気によってかき消される。
刹那。
彼女はコンクリートの天井を触るかの勢いで飛び上がった。
白夜と一緒に。
いつのまにか、レヴィンの右手には巨大な鎌が握られていた。その鎌の柄の部分は彼女の右手首にある手錠と繋がっている。その手錠が鈍い音をたてなびく。
そして、彼女の顔の左半分に彫られた十字架のタトゥーが鈍い光を放っていた。
薄汚れた空気が頬を伝う。
彼女が被っていたフードがめくれ上がった。それは空気で風船のように膨らみながら時々彼女の白い髪を触った。
風はないはずなのに、突風が吹いているかのように空気が彼らを襲う。しかし、それに寄って彼らは飛んでいるともいえた。
そう、二人は飛んでいた。
この世界の上空を二人は飛んでいた。
下では白虎の連中が上に向けて発砲していた。しかし、それはここまで届かない。それもそうだ、人間が米粒のように見えるんだから。
「一回落ちるぞ」
レヴィンは飛んでいるわけではなかった。ただ、跳躍しただけだった。
彼女は、鎌を使って飛び上がる能力を持っていた。これは元々あった能力ではなかった。彼女は、うさぎ、なのだ。それも鎌を使ううさぎ。
彼女は通称、《死神うさぎ》と呼ばれている。
✝
事務所には漫画を読みふけるピエルがいた。
ピエルはさっきのレヴィンの様子を見て思い出す。
「レヴィンは恋、をしたのか・・・・・・大人になったな」
しかし、彼の脳裏にはレヴィンが握っていた鈍く光るパズルのピースが浮かんでいた。あれは、『パズルの塔』にあるピースの一つだ。しかし、何故レヴィンの手に・・・・・・そうピエルは考えながら漫画を閉じた。
そういえば、とピエルは思い出す。
後、一〇日後にこの世界は崩壊する、と。
彼は、ピエルは道化だった。
中身は普通の人間だ。いや、魔族のはしくれだ。ピエルの体を蠢く芋虫がいる。
しかし、ピエルは地上では名の知れた学者だった。十代の新鋭と謳われ持てはやされた。それで、ピエルは一時期浮かれた事があった。しかし、それは同期の冷たい目によって覚まされる。おかげで、彼は本当に誰からも認められようと、真の学者となろうと努力した。
彼は、心理が大好きだった。
心理を学ぶにつれ、人間以外の生き物の心理が気になりだした。そして、ピエルは買った。彼女、レヴィンを買ったのだ。レヴィンと言う名前もピエルがつけた。尊敬する心理学者の名を取ってつけた。男の名だったが気にはしていない。
そして、ピエルはある結論にたどり着く。
しかし、あの若かりしころのピエルはその結論に基づき書いた論文により非難の目を浴びる事となる。終いには、レヴィンを人身売買によって買ったということを世間に公表し彼、ピエルはその世界から去った。そして、地下世界。強制移住の対象者となってしまったレヴィンと一緒にピエルはこの世界にやって来た。そして、誰にも邪魔されずに今でも研究を続けている。
この世界はピエルにとって快適そのものだった。
身分なんてどうでもいい、とピエルは思う。
あったところで何になる、とピエルは口ずさむ。
そして、ピエルは本棚から分厚いファイルを取りだした。そこには、沢山の資料と顔写真が載っていた。そして、彼はその中からレヴィンと書かれた資料を取りだす。
それは、数枚の紙束になっていた。
ピエルはそれに目を通しながら溜息をつく。
そこには彼女、レヴィンについての膨大な内容が記載されている。そのほとんどは偽りの経歴が記載されていた。
「―――数多の子うさぎ眠り目覚めん、か」
彼はそう呟きながらその資料を閉じる。そして、隣に置かれていたメモ帳を手にとって何かを書き始めた。
開け放たれた窓から風が入ってくる。
散らかった室内のせいか、床に落ちていた紙が飛ばされそうになる。しかし彼は気にも留めないままメモ帳にある事を書き連ねていた。
「―――蝙蝠落ちて子うさぎ食らふ、蝙蝠その生き血を求めん」
ピエルは呪文のようにその言葉を連ねながらそっとメモ帳を閉じた。そして、そのメモ帳をポケットに突っ込む。
「吸血鬼って、十字架に弱いのか・・・・・・本当に」
ピエルは灰色の目を窓に向けながら呟く。彼の視界には飛んでくるレヴィンと白夜の姿が映っていた。
「まともに帰ってくる事はできないのかな、この二人・・・・・・」
そして彼は腰を浮かす。
「この家には入り口が存在するのにさ・・・・・・全く」
✝
どこか見覚えのある場所に白夜とレヴィンは頭から突っ込んだ。その衝撃でレヴィンの持っていた鎌が床に深くめり込んで突き刺さる。
彼らは折り重なるようにして床に倒れ込んでいた。レヴィンの方は意識があるみたいだが、その下に敷かれた白夜は伸びている。そんな様子をピエルは眺めていた。そして、少し笑いながら床に突き刺さった鎌を引き抜く。
「さてとレヴィン、お兄ちゃんは心配したんだよー。どこの馬の骨か分からない奴を二度も内に連れ込んで・・・・・・一体何を考えているんだろーね」
「別に、何も考えてなど・・・・・・」
レヴィンは顔を赤らめながら起き上がる。そして、ピエルから鎌を受け取り、あいている方の手で頬に描かれた十字架をなぞった。そのとたん、レヴィンの顔に描かれた赤い十字架が鈍い光を放ちその巨大な鎌を吸い込んだ。彼女と鎌を繋いでいた手錠もまた消える。
「さてと、乱入者君の手当て、しないとね」
そう言いながらピエルは白夜を担ぎあげた。
えっ、と彼女は白夜を見つめる。彼はぐったりとして情けなくピエルに体を預けていた。
「た・・・・・・倒れていたのかっ」
「さっきからずっと、ね」
「な、情けない奴だな。それでも吸血鬼かっ」
レヴィンは顔を真っ赤にしながら行ったり来たりしながら言う。
「吸血鬼のはしくれともあろう者がこんな衝撃で意識を失うなど、名が廃る。し、羞恥心が足りないからだっ、だから倒れるんだっ」
「倒れているのはレヴィンのせいだよー。目撃者、オレ、いるからー。残念でした」
ピエルはひけらかす様に下を出し言う。その様子にむすっとしたレヴィンは頬をぱんぱんに膨らませ物凄い音とともにソファーに乱暴に腰掛ける。
そして、ピエルを睨んだ。
「馬鹿、ピエルの馬鹿。ボクの布団貸してやるから白夜君を寝かせてきて」
「年頃の女の子の布団では寝かせられないよねー、レヴィン。オレの布団で寝かせてくるから。変な期待とかするんじゃないぞー」
「へ、変な期待など・・・・・・」
再び彼女は頬を赤くさせる。
そんな彼女の様子を見ながらピエルは自室に入る。そして、扉を固く閉ざした。というものの、彼は吸血鬼について調べた事が一度もなかったからだ。吸血鬼は珍しい。この世界はほとんどが魔族だが吸血鬼は見た事が無い。
学者たる彼の本能を何かがくすぐる。
そして、彼は白夜から血液を採取しそのまま寝かせた。というものの、それは恐ろしかったからだ。吸血鬼、それは魔族でも上位に位置するほどの巨大な力を持っているからだ。まずは、小さい所から、と彼は思ったのだ。
都合のいい事に、レヴィンは白夜を気に入っていた。これを上手く利用すれば長らくここに留める事も容易だろう。彼はそう踏んでゆっくりと吸血鬼を調べる事とした。
「おまたせー」
ピエルはそう言いながら自室から飛び出す。
しかし、彼の目には愛する妹が映らなかった。
ついさっきまで、レヴィンはたしかにこの場所にいた。しかし、彼女がいた場所には少しの温もりがあるだけで彼女は居なかった。ついさっき、ここを離れたという感じだ。
「どこ行ったんだ、レヴィン」
彼はそう言いながらもう一度部屋を見渡した。
視覚、には何もなかった。しかし、彼の聴覚が彼女の居場所を特定する。
彼はその聴覚により確定したレヴィンがいるらしき場所に足を忍ばせて向かった。そして、彼はレヴィンの自室の扉に手を掛ける。扉に耳を近づけると、どうも彼女は電話で話しているようだった。それも、白夜の携帯電話で。
彼はその会話の内容を聞こうと耳に神経を集中させた。
「どうしても、差し出さなくてはいけないのか、白夜君を」
『ああそうだ、彼は我々白虎の幹部だ。処分も我らの手の内で行いたいのだ』
「しかし白夜君は何もしていないぞ。それは勘違いじゃないのか?」
『違うな。我々の目を侮るな』
「だって、君たちの目は節穴じゃないのか」
電話の向こうが大きい声で話しているせいか会話は丸聞こえだった。そして、会話の中心には白夜がいた。どうも、白虎は白夜を手に入れたがっていた、と。そして、白夜に電話しようと連絡を入れたところをレヴィンが電話に出たという感じか。
とにかく、自分たちが多かれ少なかれ白虎に足を突っ込んでしまったらしいことは間違いなかった。すでに向こうはこちらの私情など調べ上げているだろう。
逃げても無駄だ、と脅されるだろう。と思った矢先、電話の相手が、
『逃げても無駄だ』
と発した。思わず、ピエルは笑いがこみ上げてきた。口を押さえて笑いを止めるのが精いっぱいで彼はお腹を抱えながら静かに笑った。
さすが、餓鬼の集団だと彼は思う。
白虎、それは一〇代の若者が中心にして作った自衛隊のまがいものだ。スローガンは、自衛。しかし、彼らはただ暴力によって物事を片付けているだけだ。まあ、それぐらいしか能がない者が集まっているから仕方がない。にしても、最近の荒れようは目に付いた。
そして、今日。
『パズルの塔』の欠けたピースの名前を調べるまではよかったのだが、その後が問題だ。たとえ、その欠けたピースの名前の人間を捕まえた所でその者が持っているとは限らない。というより、九割以上は持っていないだろう。誰もがその後の状況を想像できる。だから、その欠けたピースを持っているのはその名以外の者だ。欠けた名はただの擦り付けにすぎない。
誰でも分かる。
しかし、白虎の連中はそんな事すら分からなかった。終いには、その欠けたピースの名が幹部であっても普通に殺そうとする。絆、という考えがないのかと彼は思った。
「逃げはしない」
レヴィンが決意の表情を浮かべ電話の向こうの相手に語りかけた。
「ボクは、白夜を全力で守り抜く」
『ほぉ』
「それが、
結論だ」
そして、レヴィンは電話を切る。彼女は今にも泣きそうな表情をしながらその携帯を見つけていた。
――拍手。
ピエルは手を叩いた。
レヴィンは今まで自分が見られていた事に気づいていなかったせいか目を丸くしてピエルを見つめていた。
「死神うさぎの名を恥じぬよう頑張ればいいんだよ、レヴィン」
彼は持っていた扉を開きレヴィンの手から携帯を毟り取った。若干温かい携帯は、多分、ずっと彼女が握りしめていたせいなのだろう。
「ピエル・・・・・・」
少し涙ぐんだ目が彼を見上げる。
「一日で何回泣くんだよ、レヴィンは」
そう言いながら彼は彼女の頭を撫でてやった。
「う、うるさいっ」
彼女は頬を膨らませながら彼の腹に頭突きをした。ピエルは一瞬よろめいたもののひらひらした襟もとを気にしながら彼女の頭を抱いた。
「うぐ・・・・・・苦しい」
「道化たるもの、子うさぎを惑わしてはいけない」
突然、ピエルが口走った演劇のような台詞に彼女は何、と尋ねた。
「内緒だよ、今は・・・・・・」
彼は口に人差指を当てて言った。
✝
翌朝。
一日中、ずっと同じ明るさのせいで時間の感覚を忘れてしまう。そのせいか、朝、という実感がない。季節感を感じる物もなく、年中ずっと同じ風景。もう、うんざりする。それが、彼、白夜の朝の迎え方だった。
彼は重たい頭を抱えながら目が覚めた。目が覚めた途端、激しい頭痛と筋肉痛により憂鬱な朝を迎えた。そして、彼の目の前にはいつもの朝と違った光景を見る事となった。
重い体を起こすと、目の前にデスクトップのパソコンがあった。
そこで彼は気づく。いつもの朝と違うということに。
寝ていたベッドもまたいつもと違うものだった。
そして、そのベッドから降りようとした時何か、を踏んだ。
よく見るとそれは男だった。人間の男。中世の西洋のような服を着た茶髪の男。男はどこかで見覚えがあった。情けなく涎を垂らした顔。寝言を呟きなんとも情けない格好で男跳ねていた。
男、それはピエル。
一瞬、白夜は固まった。
どうして自分はここにいる・・・・・・という疑問が湧きあがったからだ。
何故か自分は知らない部屋で寝ていた。
昨日の事を思い返してみると、とたんに血を飲みたいという欲望に駆られた。薄い唇から尖った犬歯をむき出し、低く唸る。
「血なら、そこに置いてあるマグカップに入っているよ」
先ほどまで寝ていた男、ピエルが灰色の目を開き姿勢を変えないまま白夜に言った。
彼の言うとおり、勉強机のような木の机の上に昨日変な液体を飲まされたマグカップが起これていた。それを取って覗くと、そこには若干鉄の匂いがする赤色の液体が入っていた。
「本物なのか・・・・・・」
しかし、返事は返ってこない。寝息だけが聞こえてくるだけだった。
白夜はそのマグカップに入っていた赤い液体を飲み干す。それはまるで血、と呼べるものではなかった。いつも飲んでいる血液ではない、ということだ。
「トマトジュース、みたいだな・・・・・・・」
彼は俯きながら深く溜息をつく。血が飲みたい、という欲望に駆られるものの人の身体から直接飲むというやり方は嫌だった。いつも彼は与えられた血を飲んでいるだけだった。というのも、彼は怖いのだ。人の体内から血液を吸い上げるのは。
仕方なく彼はあくびをしてからピエルを避けるように床に降り立つ。そして、ゆっくり扉を開けてその部屋から出て行った。
「おはよう、白夜君」
白夜の前には昨日と同じ服を着てその上うさぎのワッペンが真ん中に付いているエプロン姿のレヴィンがいた。彼女はいそいそとソファーの近くにある机にお皿を並べていた。そして、その上に黒い塊を乗せて行った。
何かと思って目を凝らしていると、彼の鼻には何かが焦げたような匂いがついた。どうもそれはお皿に乗った黒い塊だということは分かったが、一体何なんだろうと彼はぼやきながらソファーに腰を下ろした。
どうも、その焦げ臭いにおいを放つ黒い塊は目玉焼きのようだった。しかし、それは火が強すぎたためか小さくなっておりとても目玉焼きとは思えない。ただ、それの上にはケチャップがかけられており、白身の欠片が残っていた。
「目玉焼きだ、どうだ、結構上手に出来た方なんだが」
レヴィンの顔が迫る。何かを期待する目で彼女は白夜を見つめた。
「んあぁ、いいんじゃねーのか・・・・・・」
「あ、味、味の感想を聞かせてくれ」
白夜は彼女が恐ろしくなった。何と言ってもこの黒い焦げ臭いにおいを放つモノを食べろ、そして感想を言えと迫られている、女の子に。
仕方なく、白夜はその黒い塊を口の中に放り込む。苦い、そしてケチャップの味。今まで食べた目玉焼きでワーストワンだ、と彼は思った。しかし、声に出すほど彼は馬鹿じゃない。少し血が飲めなかったので苛立っていたものの、彼は言葉を飲み込んだ。
「・・・・・・おいしい、よ」
「ほんとーか」
彼女は昨日見せたような笑顔を見せた。眼が異様な輝きを放っている。
彼は近くに置かれていた水を飲んで舌についた苦みを流し込む。勢い余って水を喉に流し込んだせいか何度か噎せたがとりあえず、持ちこたえる。
「サラダも食べて、よ。ボクは兄を起こしてくるから」
彼女はボールに入った様々な形をしたキャベツを差し出した。そして、エプロンを外しピエルの部屋に歩いて行った。
「どうして、キャベツこんな形してるんだ・・・・・・」
白夜はそう言いながら星型のキャベツを取りだす。そこには、本来のキャベツの切り方とは違う形をしたキャベツがあった。それも、どれもこれも形が綺麗だった。
「器用すぎるだろ・・・・・・」
そう言いながら白夜はキャベツを頬張った。
しばらくすると、レヴィンはピエルの耳を引っ張りながら戻って来た。そして、床に投げつける。
「いいかげん起きろ、いつまで寝ている」
「いいじゃんかー、まだ、朝なんだしー」
「もう、昼だ。一一時だ」
「まだ一一時―だから」
「世界滅亡まで二〇五時間だぞ」
「滅亡しないよ、ぜったーい」
ごろん、とピエルは寝返りをうつ。そして、灰色の目で白夜を見た。
「だって、切り札はオレの手にあるからねー」
くくく、と笑う。そして、もう一度彼は体を回転させた。
「ど、どういう意味だよ」
「簡単な事だよ。だって、欠けたピースはオレの手の内にあるんだからさー」
「ち、ちょっとそれどういう・・・・・・?」
そーだね、とピエルは言いながら体を起こした。そして、事務用の机にあった椅子を抜き取って座る。そしてその椅子を回転させながら紡ぎ始めた。
「順を追って説明しようか。まず、白夜君。君は吸血鬼、そうなんだよね?」
「あ、ああそうだ」
「今日飲んだ赤い液体、あれ、何だと思った?」
「・・・・・・トマトジュースじゃないのか」
「ぶっぶー、残念賞」
ピエルはそう言いながら手でバツをつくる。
「じゃあ、あれは一体・・・・・・」
「彼女の血だよ・・・・・・」
ピエルはレヴィンを指さして言った。
「彼女はね、レヴィンはね、死神。だから、血が人間の血とは違う。あの粘っこい匂いはしない。それに活性剤にもならない。中和された血」
「どういう意味だよ」
「人間の血には吸血鬼の興奮を高まらせる物が入っている、とでも言っておこうか。麻薬みたいなもので中毒作用がある。でも、死神の血や魔族の血にはそれがない。特に死神の血は吸血鬼にとってただの水。中和された飲み物。ただ、欲望を少し抑える事しかできない。まあ、最低限は抑えられるから問題はないんだけど。だから、君に彼女の血を飲ませた。暴走してほしくないからね。吸血鬼は、血を飲まないと暴走する。それは、長年の研究によって分かったこと。知ってるよね、君でも」
「ああ」
「オレは、君に暴走もしてほしくないが強くなってもらっても困る。そういうわけだ、彼女の血を飲ませたのは」
「どうして、そんな必要あったんだよ」
灰色の目が白夜を見つめた。
「君に協力してもらうためだ」
レヴィンが唾を呑む音が聞こえた。
「協力だと」
ピエルは机に置いてあった紙を一枚取り出し、すらすらとボールペンで何かを書き始めた。そして、それを使っていたボールペンと一緒に白夜に差し出す。そこには達筆な字で契約書、と書かれていた。
「契約書・・・・・・契約。どうして」
しかしピエルは白夜の質問を遮り言った。
「その契約内容を読んでサインすればどうして君が味方であるはずの白虎に追いかけられたのか説明しよう。ただし、それは契約だ。もし、君がそこにサインした場合君は今日付けでこの探偵事務所、心西探偵事務所の社員とさせてもらう。もちろん、君の胸に付いているプレートは破棄させてもらうよ。そして、君に居場所をやる。白虎より良い居場所という所だけは保証する。まあ、それにサインしてからじゃないと詳しくは説明しない」
「半強制的ですよね、それ。俺は別に居場所なんてどうでもいい。元々そんなものなかったし。リーダーも俺が吸血鬼だから拾っただけだ。どうせアンタも俺が吸血鬼だからこんなことするんだろ」
白夜はうっすらと赤く染まった目でピエルを睨んだ。そして、引きつった笑みを浮かべながら続ける。
「でも、いいですよ俺。どうせ俺は脳なしの蝙蝠だ。どこにつこうが居場所さえあればいい。その居場所が居心地が悪くても場所さえあればいい。でも、もう白虎にはなさそう、だろうな。俺を殺そうとした、必要なくなったからか。ただの捨て駒だな、まったく」
そう言いながら白夜はボールペンを走らせた。
そして彼は自分が書いた字とピエルが書いた字を見比べて溜息をつく。達筆な字と軸が歪んだ字。それが並んでいるせいか彼は尖った犬歯をむき出しながらピエルにその紙を差し出した。
「どぉーも」
そんな様子を見ていたレヴィンは、馬鹿、と吐いて白夜に向かい合うソファーに腰掛けた。
「じゃあ、説明しようか」
ピエルは事務用の机に腰掛けた。
「まず、どうして君が白虎から追い出されたか、その前に追われたか、そこから話そうか」
そう言いながら彼はファイルから五、六枚の紙束を取りだし二人に見えるように差し出す。
「簡単な事だ。はっきり言うと、白夜君は用無しになった」
彼は白夜の表情を確認しながら続ける。
「それには、深い理由ってものが存在する。物事には全て理由があるように、な。まー、簡単に説明するなら、それは、ピースだ。レヴィン、あのピース出してくれるか?」
指されたレヴィンは青ざめた表情のまま固まっていた。
「でも、まず、どうしてレヴィンが持っているのか説明してもらおうか。さすがにそこまでオレには分からないからね」
「それは・・・・・・言いたくない」
「そうか」
深刻な表情をする二人を見比べ、白夜は尋ねる。
「何だよ、一体何だってんだよ」
しかし、その問いに誰も答えは返さなかった。ピエルは引きつった笑みを浮かべながらレヴィンを見ていた。そして、ようやく笑っていた口を開いた。
「そーだね、言いたくないならオレの仮説で話を進めちゃうが・・・・・・まあ、いいか。黙秘するならそれで」
そして彼は白夜に向き直る。
「じゃあ、オレの仮定で説明していこうか。まあ、理解できると思うが・・・・・・まあ、君が白虎に追いだされた理由、それは君が『パズルの塔』のピースを盗んだ犯人だと思っているからさ。ほんとーに、脳無しの奴らだよ彼らは。暴力の塊だ」
「それは・・・・・・」
レヴィンがいきなり立ち上がりピエルに突っかかった。
「何で、知っている?」
「オレは、地下世界のホームズ。言っただろ。何でも知っている。この世界に知らない事なんてない。この世界の住民百万人の名前は全て顔と一致している。どこに住んでいるか、とかもね。だから、オレは断言したのさ。この世界は滅びない。滅びはしない。だって、レヴィンの手にスイッチは握られているんだからねー」
白夜は彼が恐ろしかった。何か奥にとんでもない闇が隠れていそうで、いや、隠れているのだろう。だからか、と白夜は確信する。どうして自分の名前が分かったのか、その疑問が分かった。
「さてねー、レヴィン。当たっているんだろ。出すんだ」
ピエルはそう言いながら目の前にいるレヴィンの細い肩を持った。そして強く揺さぶる。
「・・・・・・変態、わたった。出せばいいんだ、出せばいい、そうだろ」
レヴィンは悪態をつきながらピンクのパーカーのポケットから鈍く光るピースを取りだした。ピエルはそれを受け取りうさぎ耳が付いたフードを被せてやった。レヴィンは物凄い形相で睨んでいたものの素直にソファーに戻り座った。
「これ、白夜君。見てくれるか?」
ピエルは白夜にそのピースを見せた。そこには、「白夜」とはっきり書かれていた。
『パズルの塔』のピースはこの世界の住人の名前が一つのピースに一つずつ彫られている。だから、この塔のピースはこの世界の人口分あるのだ。
「どうして・・・・・・俺の名前が」
「さあ、それはレヴィンの口から聞かないと分からないよ。さすがのオレでもねー」
笑みを浮かべながら彼は続ける。
「だから、君は白虎から追い出された。で、白夜君。君に一つ尋ねたいことがあるんだよ」
「何だよ」
「白虎の本物のリーダーの名前、教えてくれるか?」
白夜の目が大きくなった。そして、俯きながら言う。
「どうして、そこまで知ってるんすか・・・・・・・ああ、そうでしたね。アンタは何でも知っている。そして、元幹部である俺が知っている、そう踏んだんですか・・・・・・まあ、もう、守秘義務はなくなったし、今、俺はアンタの言いなりだ」
ふう、と白夜は息を履く。そして、続ける。
「牙、っていう餓鬼です。一〇歳ぐらいの。会った事は一回しかないですけど、表リーダーの弟です。そいつ、むちゃくちゃ頭いいんですよ・・・・・・異常っていうぐらい」
「そうか」
ピエルは白夜が口から出した名前、牙、について思考を巡らせた。そして、いきなりパソコンを立ち上げる。
「牙、栗須牙っていう名前じゃないのか」
「苗字、いや、分かんないです」
苗字、それはこの世界に住む者とは縁遠いもの。というのも、この世界の住民には苗字がない。この世界に来る前に剥奪された。しかし、地上での本名を知るために時々出てくる事がある。
「栗須牙・・・・・・そいつだよ」
いきなりレヴィンが口を開いた。桜色の唇が動く。
「そいつがボクにピースをくれた。白夜君の名前が入ったピース。それにそいつ、ボクの弟だ。腹違いの、弟。むかし、死神になったときも牙と一緒だった。《蒼狼の死神》、それが牙の通称。ピエルもそれくらいは知っているだろ」
「そうだったな、弟君だったか。彼もこの世界に来ていたとはね。王様もよく調べ上げたものだよ、まったくねー。もしかしたら、オレのように自ら来たって線もあるか・・・・・・うん。あの天才君がいるのか、ここに」
ピエルは肩を震わせながら笑っていた。興奮するように、彼は笑っていた。そして、猛スピードでキーボードを叩き始めた。しかし、その中世の西洋の恰好でキーボードは似合わない、と白夜は思っていたが言わなかった。
「ど、どういうことだよ。牙とお前ら何か関係でもあるのか」
白夜がレヴィンとピエルを交互に見ながら尋ねる。
「牙、それはボクの弟君だ。ボクと同じ死神、栗須牙」
「レヴィン、君は・・・・・・魔族の死神?」
「そうさ、ボクは魔族、そして死神だ。この額に刻まれた赤い十字架のタトゥーはその証。牙の顔にもこれとよく似たタトゥーが彫られていたと思うよ」
そう言いながら、彼女は頬にある赤い十字架を差した。ぷっくらと膨れた頬に刻まれた十字架は何故か残酷に見えた。
「ああ、あったな。青色の十字架」
こくり、とレヴィンは頷く。
「そう、それが死神姉弟と呼ばれたボクらさ」
「ピエルは・・・・・・」
「この兄は偽物さ。まあ、ボクをあの地獄から助け出してくれた恩人でもあるが・・・・・・彼は学者だよ。魔族の研究者かつ心理学者、ピエル。中世の西洋貴族のような服がトレードマークの、学者さんだ。でも、まあ、あっちの白虎の兄の方は本当に血が繋がっているだろうね。ボクの義兄、といっても血は繋がっていることになるのかな」
そう言いながら彼女は足を組む。細くて綺麗な足だった。
「一応、可愛い弟だから交流はしていたよ。彼がここにいることも知っていた。このピースが渡されたのはちょうど君にあった日だよ。君に会ったのはちょうど、あの帰り道だった。名前を聞いた時は驚いたよ」
うさぎの耳が揺れる。
「だから、ボクは君に言ったのさ。居場所をくれてやるってね」
そう言いながら彼女は机の下から可愛い猫がついた急須を取りだす。そして、いつのまにかさっき彼女の血を飲んだマグカップも取り出した。そして、そのマグカップに急須で何かを入れ始める。ピンク色の液体。
「今日は苺の紅茶だ。これを飲んで落ち着けばいい。ピエルはまだ時間がかかるだろう」
そう言いながら彼女はピエルを見やる。彼は物凄いスピードでキーボードを叩きながらパソコンに向かっていた。
「どうも」
白夜はそう言いながら警戒してそのピンク色の液体が入ったマグカップに口を付ける。
それは、昨日の紅茶と同じ人物が入れているとは思えないほど普通だった。普通のインスタント紅茶。
「美味しいかい?」
「ああ」
しかし、なぜか彼女は身を乗り出して来なかった。
「まあ、昨日のよりは不味いだろ。だってそれ、ピエルが入れたやつだ」
一瞬、白夜は噴き出しそうになった。彼は手で口を押さえながらなんとか飲み込む。そして、まだ机に置きっぱなしになった焦げた目玉焼きが置かれていた皿と様々な形をしたキャベツが入ったボールを見比べた。
「そうなのか・・・・・・」
白夜はぼそっと呟いた。しかし、レヴィンの耳には届いていないようで、彼女は急須の中身を確認して鼻をひくひくさせていた。
「白夜君、そのピース貸してもらえるか」
キーボードを叩く音が止み、ピエルが白夜に顔を向けていた。
ああ、と白夜は言いながらピエルにピースを渡す。
そして再びピエルはそれを受け取ると、またキーボードを叩き始めた。そして、数分の後、ピエルは背伸びをして椅子に踏ん反り返った。鈍い音が椅子から鳴り、背もたれがピエルと一緒に踏ん反り返る。
「んあぁー終わった。解析しゅーりょー」
彼はあくびをしながら嬉しそうに言った。彼の頬には汗が浮かんでいる。
「さて」
と彼は言いながら白夜達に向き直った。そして、
「話の続きをしようか」
と言いながら口を再び開ける。
「君は嵌められたんだよ、牙に。牙は認めたよ。どうも、別の吸血鬼を手に入れたようだね。それも君より強い、吸血鬼」
灰色の目が笑っていた。
「どうやって、教えてもらったんだよ?」
ピエルの唇が動く。
「メール」
「どうやって・・・・・・」
絶句する白夜にレヴィンが言う。
「兄には簡単なことさ、アドレスを手に入れることなんてさ」
「会話の中で分かったよ、彼は進化しているね。死神としても天才能力者としても」
ピエルはそう言いながらパソコンを閉じる。
「いつの間にかオレを抜かしていたよ、あの子。白虎、それは本物の集団となるだろうなー。そして、いつかはここにも辿り着く。まあ、教えないでと言っておいたけど無理だろうな、気分やだからさ、弟君は」
そう言いながら彼はひらひらの襟を正す。
「さて、戦うか逃げるかどっちがいい?」
そう言った途端、いきなり外で発砲音が聞こえた。そして、目の前にはいつのまにか男がいた。
「虎、何でお前が・・・・・・」
白夜は突然の訪問者に目を丸くしていた。
男、それは白虎の表リーダー虎菊。白虎の名前の虎の字の虎。彼は、白い軍服を身につけ背には巨大な剣がぶら下げてあった。そして、金色に光る目を光らせながら顔に入れた虎のタトゥーを触った。黒色の髪に入れた金色のメッシュが柄悪く見えるものの顔には幼さが残っている。口にくわえた煙草をふかしながら彼は立っていた。
「よぉ、白夜。そして、弟のねーちゃんとそのお兄ちゃん」
彼は金色の目で三人を見回しながら煙草を口から放した。そして、唾を吐く。
高めの身長のせいと顔が大人びているせいか二〇代後半に見えるものの彼はまだ二〇歳だ。そんな彼は煙草を床に捨て足で踏んだ後、彼は背中にある剣を抜き取って構えた。
「暴力行使、と行こうじゃないか。あいにく俺は魔族じゃないが舐めて掛かるんじゃねーよ。そうそう、襲う理由は聞くな。アイツからここ行けと命令されたんだ。もう、知っているだろお前ら。牙が白虎のリーダーだってことぐらい。それを広めてもらっちゃー困るんだよ。でも、まあ、ここには俺一人で来させてもらったよ。部下は下で待たせてある。手出しはさせない。さあ、纏めて殺る」
虎菊はそう吐き捨て剣を構えて白夜に襲いかかった。
白夜はその虎菊の攻撃を綺麗に交わした。そして、天井に立つ。
「ここでやるな、虎。事務所の中だ」
「なら、下で殺るか?」
虎菊は吠える。
「じゃあ、オレが戦いの場所を用意してあげようじゃないか」
ピエルはそう言いながら何かソフトのようなものを立ち上げる。青い光を放つ正方形の形をしたプレートを白夜達がいる方に投げつけた。
「その中でやれ」
彼は指でそれを指しながら言った。
一瞬の沈黙の後、白夜と虎菊はその中に吸い込まれていった。それを見ていたレヴィンに彼は再び口を開けて言った。
「行って来いレヴィン。白夜一人じゃキツイだろあの虎みたいな大男相手じゃ。そして、ペア戦に慣れろ」
レヴィンはこくりと頷き青い光に吸い込まれていった。
残ったピエルは溜息をつきながら椅子に深く腰掛ける。そして、パソコンを起動させた。画面の向こうにいる誰か、と彼は会話を始めようと独り言を呟きながら。
「人間の血、飲ませてなかった・・・・・・まあ、なんとかなる・・・・・・ならないかなぁ」
そう言いながら。
青い光に吸い込まれた後、出てきた世界は一面青いプレートでできたサッカーぐらいはできそうな広さの部屋だった。目が痛いぐらいの青さが目を混乱させる。
そして、そこには白夜とレヴィンに向かい合うように虎菊が立っていた。
「ここなら、思う存分殺っていいんだな」
虎菊が低い声で呟く。そして、再び剣を構えた。
「レヴィン、どうして君も来たんだよ・・・・・・」
「君がこの大男に負けると思ってな、仕方なく来てあげたまでよ。ボクは強いからね」
白夜の問いに答えながら彼女は頬にある赤く鈍い光を放っている十字架から巨大な鎌を取りだした。そしてそれはいつの間にか現れた彼女の右手首の手錠から繋がっていた。
白い髪が揺れる。そして、彼女はパーカーのフードを被った。
「君は準備しなくていいのか?」
レヴィンの問いに白夜は答える。
「これでいいんだよ。別にヒーローみたいに変身とかないんだから、さ」
舌打ち。白夜は着ていた制服のシャツの腕を捲くった。そして、腰に掛かっていたベルトから短剣を取りだす。
「どこにあったんだ、短剣」
「ずっと携帯しているだけだ」
レヴィンの質問にもまた答え、彼はその短剣を左手に持つ。そして、両手にはめていたグローブの内、右手の方を取り去った。そこには黒く尖った爪が生えた手があった。それも、その爪は指の第二関節まであり、一体化している。そして固かった。青い光を浴びて光るその爪は不気味さを覚えた。
「それは・・・・・・」
目を丸くしているレヴィンの視線はその右手に注がれていた。
「このグローブをしていれば普通の指に戻るんだけどね・・・・・・戦う時つけてたら邪魔だから。見た目グロテスクだけど・・・・・・俺も気に入ってないよそりゃ」
そう言いながら彼はうっすらとそまった赤い目で虎菊を見た。そのとたん、急にその目が血のような赤に変わる。
「とりあえず、俺一人で戦わせてくれ」
「でも・・・・・・」
白夜はレヴィンの言葉を振り切り前に出た。
「さあ、思う存分戦おうじゃないか同士」
「同士とは聞き捨てならねーよ元、同士。それに、そのプレートは外せ。気にくわね―んだよ、俺は」
金色の目が白夜を見下ろす。
白夜は胸についていたプレートを落とし足で踏みつけた。
「さあ、これでいいだろ虎」
「じゃあ、殺る」
その瞬間虎菊の巨体が消えた。そして、白夜に肘鉄を食らわす。しかし、白夜はそれを綺麗に避け左手に持っていた短剣で攻撃を繰り出した。
鈍い音がして短剣と巨大な剣が交る。
「久しぶりだったな、相手は」
「虎、とは昔よく戦ったもんな」
言葉を交わし合うほど余裕、だった。彼らは笑みを浮かべながら飛ぶ。
白夜は天井に立った。そして、飛び上がる巨体を蹴り飛ばす。しかしそれは受け止められる。
互角、だった。
レヴィンはその戦いを見ながら鎌を振り回した。そして、つまらなさそうに呟く。
「ボクの出番ない」
頬を膨らませ、桜色の唇を動かしながら彼女は鎌を振っていた。
その間も彼らは戦っていた。
戦力、互角。
それが彼らだった。
何度かお互い擦り傷を付けつことはできた。しかし、致命傷になるようなものはつけれない。それに、白夜は吸血鬼。魔族は全体的に傷の治りがはやいものの、吸血鬼は特別だった。異常な早さ、治癒能力が高い、ということだ。対して、虎菊は普通の人間。しかし、彼は魔族以上のスタミナを兼ね備えているようだった。人間とは思えないような動き、それを彼は平気で繰り出していた。
しばらく、お互い互角に戦っていた。
しかし、だんだんと白夜は押されていった。
「はあ、はあ、はあ・・・・・・」
息が上がっている。それに、傷の治りも遅くなっている。
「白夜、人間の血、飲んでいないだろ?」
白夜の赤い目が虎菊を見上げる。赤い目もまたゆっくりと赤色を失いつつあった。
「見れば分かる。それに、動きに無駄が多い」
そう言いながら彼は巨大な剣を白夜の頭上に持ってきた。
「恨むなよ、俺はお前が好きだ。その能力を買ったのは俺だしな。ただ、力のない奴は用なしだ。そして、今は犯罪者だ。この世界の大犯罪者。本当は隠蔽しようと思ったんだがな、弟に気づかれちまってよ。そして、お前以上に強い吸血鬼も手に入れた。そのまま逃がすっていう方法もあったが、情報を知りすぎている。だから、殺す」
大剣が――振り下ろされる
「それは、まだだ。まだ、このボクが残っているよ、巨体」
いつのまにか、白夜の前にはレヴィンが現れ鎌でその大剣からの攻撃を防いでいた。
「レヴィン・・・・・・」
「義妹か、《死神うさぎ》」
虎菊は吐きながら剣を横に振る。
「ボクが相手をしてやろうじゃないか。さて、貴様にボクは殺せるのか?」
レヴィンは威嚇するように犬歯を覗かせて言う。
「どうだか、相手にしては丁度いいな」
「さてね」
彼女はそう言いながら鎌を振る。そして、そこには風が吹いた。
「君は戦闘の邪魔だ」
彼女は白夜を見ていなかった。その纏っているオーラ―が強かった。白夜は手で壁まで這って行った。
「情けないね、まったく」
ぼそっと彼女は呟く。そして、虎菊を見上げた。
「貴様、一分で片付けてやる」
そう吐いた途端、レヴィンは疾風の如く虎菊の前から姿を消した。
「ど、どこだ」
「巨体、ボクはここだよ」
歌が聞こえる。彼女は歌っていた。楽しそうに、鎌を振りながら。
「――わんわんわわん、わんわんわわん」
いぬのおまわりさんのフレーズを口ずさみながら彼女は白虎の背に巨大な赤いバツ印を付けた。
「ぎゃぁぁぁぁ」
虎菊の熊のような悲鳴が響き渡る。そして、巨体が前のめりに倒れた。
「なーいてばかりいる、こねこちゃん」
最後の一撃は虎菊の背にぐさり、と鎌が刺した。そして、思いっきり引き抜く。彼は血を大量に流しながら吐血する。そして、よろよろと立ち上がると金色の目でレヴィンを睨みつけた。それがまるで、熊のようだった。牙をむき出した、熊。
彼は睨みながら青い光に包まれていった。そして、姿を消す。最後まで、彼はレヴィンを睨んでいた。
『レヴィンと白夜君、戻っておいでよー』
ノイズの後、ピエルの声が響き渡った。
そのとたん、二人は青い光に包まれた。そして、気付いた時はさっきまでいた事務所の差ファーに座っていた。そして、戦闘のために出したレヴィンの鎌も白夜の短剣と右手のグローブもさっきまでのように戻っていた。
「さてと」
二人の目の前にはさっきのようにピエルが笑いながら座っていた。そして、青い光を放つ正方形のプレートを折りたたみながら。
「戦闘は楽しかったか」
彼は笑いながら白夜をじろじろ見た。
「おかげで、大迷惑だった。人間の血、のませてくれ」
「やーだ」
白夜の文句に彼は下を出しながら答えた。
「あの巨体はどこ行ったんだ。それに、部下もいたんだろ?」
レヴィンは窓を見ながら言った。
「帰ったさ。というか、オレが牙に頼んで引き払わせた。後、レヴィンやりすぎだよー。彼、血をだらだら流して返って来てさぁー後始末大変だったんだからねー」
若干、血の匂いがする。しかし、後始末が早いな、と白夜は思った。彼はそういいながらグローブを嵌めた右手を見た。
「とりあえず、ここは安全だから。後、パーツは彼らに渡しといたよ。だから、白夜君の疑いは晴れたはずだよー」
ピエルはそう言いながら椅子を回転させる。
「ただ、白虎に君の居場所はもうないよーどうするー?」
白夜は灰色の目を見つめながら言った。
「契約して俺はここの社員になったんじゃないのか?」
「あーそうだったねー」
「それに、契約を守るさ。だから、今の俺の居場所はここだ」
うんうん、とピエルは頷きながら白夜を見た。そして、立ちあがって白夜の方に進み寄る。
「じゃあ、契約だ」
彼はそう言って白夜に手を差し出した。それを白夜は握り返した。
この世界は滅亡を免れた――