表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嵐の中の案山子  作者: IOTA
第一章 鬱憤
2/16




 地方都市、夜の郊外。

 乗り慣れた軽の乗用車のハンドルを切りながら、犀川兵吾さいかわひょうごは紫煙を吐き出した。上唇にフィルターをひっかけるように挟み、やや垂れた先端の火口が仄かに顎を照らす。

 運転中の銜え煙草が何となく好きだった。両手が塞がった状態で煙草を喫うなら銜え煙草は合理的に違いないが、安っぽい不良性への憧れがないとは言い切れない。少なくとも他人がやっているのを目にしたら兵吾自身はそう感じる。

 ふん、と鼻を鳴らし煙草を左手に移すと、ドリンクホルダーに収まる車載用の灰皿で揉み消した。ソーラーパネル蓄電のちっぽけな青い照明の中で、濃密な煙がゆらゆらと燻る。ぱちんと、蓋を閉じた。

 深く息を吸い、激しく吐き出した。口内、舌で上顎、歯の裏を舐める。煙草の喫い過ぎで、苦く、渇いていた。右手で目元を擦る。一本だけ睫毛が抜けた。高校時代、睫毛が長いね、と言って話し掛けてきたクラスメイトの女子を思い出した。褒めていたのかどうなのか、兵吾は彼女の真意が未だにわからない。

 もう一度鼻を鳴らし、指先の睫毛を吹き飛ばした。もう一度目元を擦り、もう一度激しく嘆息を吐いた。

 落ち着かなかった。苛立っていた。溜息を吐く度に、胸の内で燻る得体の知れないもやもやも一緒に吐き出されるような感覚があったが、錯覚でしかないことは知っていた。減っているのではなく、誤魔化されているだけで、すっと胸がすくのは刹那、その場凌ぎにもなりはしない。知りつつも、嘆息は止められない。一秒後には、また深く溜息を吐く。

 ヘッドライトに浮かび上がるカーブ、ハンドルを切り、前方を見据えたまま、左手で助手席に放り投げた煙草のパッケージを手探りで探す。喫煙も止められない。

 目的の場所に到着した兵吾は、車を停め、運転席から降りた。

 深夜の運動公園の駐車場。人目も人通りもないということは経験則から知っているが、それでも目立たない隅に駐車し、極力静かにドアを閉めた。これからやることを思えば騒音に気を遣っても無意味なのかもしれないが、兵吾にとって無駄な騒音とこれから発する物音は別種のものだった。前者は努力で減らせるものであり、後者はどうにもならないと居直っている。

 後部座席に回り込み、ドアを開け、長い鞄からそれを取り出した。

 M16A3アサルトライフル。

 全長はほぼ一メートル。重量は約三,五キロ。小型の機関部の前後には共に長い銃床と銃身が延びている。全身が無骨な黒色のそれは外灯の白い光を淡く映していた。

 兵吾は左右を見渡し、誰の目もないことを確認してから、淀みなく据銃する。上下左右、四面にピカティニーレールが刻まれた直線的なハンドガードに換装されており、レールに装着した樹脂カバーのリブが、滑らかに左手に食い込む。銃把を握る右手の人差し指は機関部側面にあて、一度屈曲させるように伸ばしてから、引き金にそっと置いた。

 正式モデルであれば照門を兼ねたキャリングハンドルが載る機関部上面には、円筒形のドットサイトが据えられている。揺れる赤い光点が捉えるのは、約三十メートル先の外灯の頂点、プラスチックのカバーに被われた電球だった。

 安全装置を兼ねるセレクターを短発に切り替え、歯の隙間から、しぃ、と息を吸い、ふぅ、と鼻から吐いた。先まで繰り返していた嘆息とは別種の呼気だ。呼吸の安定に比例して照準の揺れは震えと呼べる程度のものになるが、心音の鼓動は右肩上がりで高鳴るばかりだった。

「……くそ」

 顔を離し、今一度射撃姿勢を整える。肉厚の銃床に右頬の肉の乗せるように真っ直ぐに下し、顔を斜めに傾げないようにする。それだけで視線がずれ、伴って照準も狂うからだ。左目は瞑ってしまわないで、薄目を開けておく。片目を瞑るというのはストレスになるし、目の焦点のずれは照準のずれに直結するからだ。

 じわりと引き金に置いた人差し指に力を篭め、落とした。

 銃把の中のモーターが震える。機関部の中のギアが回る。シリンダーの中でピストンが疾駆する。そうして圧縮空気が押し出したのは、コンマ三グラム、直径六ミリのBB弾だった。

 兵吾の持つM16A3は、エアソフトガンに他ならない。ただし、所持しているのは違法である。改造してあるのだ。スプリングを反発力が強いものに換装し、それに伴いモーターも馬力が強いものへと、ギアも強固なものに、更にピストン周りもより効率が良いものに変更されている。そんな尽く改造が施された機関部から通常の一,五倍の重量を有するコンマ三グラムのBB弾を発射すれば、そのエネルギーはエアソフトガンの銃刀法規制値であるコンマ九八ジュールを、遥かに上回る。

 ドットサイトの光点の中心、直線的な鋭い軌道を描きながら外灯に吸い込まれた弾丸は、プラスチックのカバーに風穴を穿った。

 ぱこん、という軽い音。手中に伝わった手応えが、筆舌し難い満足感を齎す。

「は、ははは」

 兵吾は目を剥き、吊り上げた口角の端を舌で舐めた。エアガンを下ろして、左右を見渡す。誰も居ない。心臓の鼓動が止まらない。その高鳴りに後押しされるように、連射に切り替え、弾かれるように再び据銃した。

 外灯にBB弾の雨を浴びせかける。

 腕の中で震える稼働音。銃口付近から迸る軽快な射出音。カバーが矢継ぎ早に割れ、白い破片がぱらぱらと散る。終には中の電球が割れ、ぱん、と破裂音を伴って中空が闇に包まれた。

「ははっ」

 踵を返し、後部座席にエアガンを放り込み、運転席に飛び乗った。ドアを締める。ばたん、と強い音が誰もいない駐車場に響いた。音はもう気にしていない。

 イグニッションを捻り、逃げ出すように車を走らせた。

 ハンドルを切りながら、笑う。

「ははははははっ」

 苛立ちがほんの少しだけ収まっていた。

 帰路は少し遠回りをした。市街地を走らせ、一軒の家屋を見上げる。広い庭周り、電動シャッター、大仰なバルコニー。軒を連ねた他の家屋に較べてやや豪奢な佇まいだ。明りは落とされ、どの窓も暗い。

 路肩に車を停めて、身を捩って後部座席を見遣る。ガンケースの上、放り出したままのM16A3が薄闇の中でじっと兵吾を見返すように鎮座していた。もう一度、忌々しげに家屋を見上げる。

「………」

 忘れていたはずの嘆息が込み上げてきて、咽からひり出された。車を出す。公園の駐車場で感じた高揚感は消え去っていた。その場凌ぎになる分、嘆息よりはましかもしれないが、究極的には大差ない。左手で助手席に放り投げた煙草のパッケージを手探りで探す。喫煙もやはり、止められない。 




 全長五メートルにもなる大きな印刷機が壁際に並べられた構内。どれも忙しくオーダーされた製品を吐き出し、自動でロール状に巻き取られていく。

 中背で小太り、えらの出た角ばった顔に、常に何かを蔑むような鋭い一重の壮年の男が、白い作業服の腹回りを窮屈そうにしながら屈み込み、製品の出来をチェックしている。立ち上がると、次に作製する製品の詳細が記されたファイルを抓み上げ、捲りながら原紙が保管されている倉庫へと向かう。

 兵吾は、その男の後を終始ついて回っていた。

 台車に原紙のロールを載せる男の背に、兵吾は恐るおそるという風に訊ねた。

「あの……、自分がやりますよ。何個必要なんですか?」

 男は鬱陶しげな眼差しで兵吾を一瞥すると、黙ったまま手の平を翳した。それだけでは、拒んだのか、五つ必要という意味なのか、判断できない。男は台車をそのままに機械が置かれた印刷室へと取って返す。問いただすのも向こうの非をあげへつらうようで気が引けて、不安に駆られたまま兵吾は重いロールを持ち上げ、台車に積み始めた。

 台車を押して戻ると、男は準備に取り掛かっていた。兵吾は後ろからそれを見る。機械をセットする男、ファイルを捲る男、出来をチェックする男、午前八時から午後五時までの勤務時間中、兵吾はずっと男の作業を観察し続けた。その間、男は一言も発してない。

 医療用品のシールラベル等を生産する印刷工場。兵吾がこの会社に就職してから、一月になる。同期はいない。初夏という半端な時期の中途採用だった。

 最初の三週間、兵吾がついて回っていたのは違う先輩だった。その先輩はフレンドリーで事細かに仕事を教えてくれた。兵吾が自分の物覚えの悪さを詫びると、新人なんだからできなくて当然だ、と励ましてくれた。

 しかし突然、会社の都合で兵吾は違う印刷機を担当することになった。五台ある印刷機はどれも特性が違う精密機械であり、そうなれば果然、憶える仕事の内容も変わってくる。印刷機のオペレートは職人性が強く、言ってしまえば三週間で憶えたことは水泡に帰してしまった形だ。

 そして新たに担当することになった印刷機を専属で操作しているのが、この男だった。部長という肩書きであり、次期社長と目されている。しかしそれもそのはず、男は社長の一人息子なのだ。

 見て憶えろ。

 出会い頭、男はそう言い切って、以降一週間、ずっとこの調子だった。

 部長にして次期社長であるその男、関高久せきたかひさの評判は社内ですこぶる悪かった。誰よりも勤続年数は長いはずなのに、ほとんど親しい者はおらず、仕事以外のことで誰かと喋っている場面を見たことがない。常にむっつりとした仏頂面で、笑った顔も見たことがない。

 先輩からは同情された。関は新人キラーとして有名らしい。彼が面倒を受け持った新人ないし社員は、尽く辞めていくというのだ。

 勤務を終え、軽乗用車のハンドルを切りながら、兵吾は一人、悪態を吐く。

「見て憶えろって、時代錯誤も甚だしいよな。ぶっさいくな面して」

 ハンドルを叩き、苛立ちに塗れた熱い嘆息が咽を焼いた。

「嫁さんも子供も、全員ぶっさいくだもんな。哀れになってくるよ」

 銜え煙草を喫しさし、紫煙と一緒に嘆息を吐く。

「つーか、いきなり機械を変えるって、息子がバカなら社長も大概だよな。一族全員、死ねばいいのに」

 嘆息も、喫煙も、呪詛も、止まらない。




 兵吾の住まいであるアパートは、家賃四万円の1LDKだった。

 以前の仕事を辞した後、地元に帰り実家に住み着く気にもなれず、この地方都市にアパートを借り、ハローワークを利用して今の会社に就職した。

 この仕事に就職する前の兵吾の肩書きは、国家特別公務員だった。陸上自衛官である。

 自衛隊と一口に言っても、入隊にあたっては様々なコースがある。誰でも簡単に入れて一般的とされるのは、自衛官候補生と呼ばれるものだ。単に一般と呼ばれる場合が多い。一般で入隊した陸上自衛官の場合は二年間が一任期とされ、それが区切りとなり継続ないし除隊を選ぶことになる。入隊後二年で除隊金、いわゆる退職金を得られるとされるのもこのコースだ。

 兵吾が入隊したコースは、曹候補士そうこうほしと呼ばれるものだ。一般が任期ごとに身の振り方を考えるのに対し、こちらは定年退職まで永続的に自衛官であることを見越したコースである。士階級はバイトで曹になってようやく正社員、とは自衛隊ではよく言われる揶揄であり、曹候補士は曹階級への昇格が約束されたコースなのだ。ただし、確約ではない。知力体力共にそれ相応の厳しい試験を専用の任地で受けなければならない。

 その点、一年で退職した兵吾はバイト止まりだった。

 入隊にも様々なコースがあるのと同様、一口に陸上自衛隊と言っても多種多様な職種、いわゆる科がある。誰も彼もが小銃を担いで戦闘訓練に明け暮れているわけではない。

 三ヶ月の基礎教育を経て、その後各々が専門職種がある任地に赴き、また三ヶ月の後期教育を受け、そこでようやくそれぞれの専門職種の課業が始まるわけだが、必ずしもその専門職種が各人の希望に添うとは限らない。

 科にもよるが大抵の場合は希望通りに進めると以前はされていた。兵吾も地元の広報事務所でそう言い含められていた。だが、兵吾が入隊した年度は、あまりに曹候補士が多かった。定員が極端に傾けば、已む無く第二希望、最悪の場合は第三希望へと割り振られることになる。

 兵吾はその最悪の場合、第三希望だった。普通、進みたいのは第一希望であり、一番でないにしても興味が惹かれた職種を第二希望に記すこともあるかもしれない。しかし第三希望ともなると、最早希望というよりも適当に目に付いたものを挙げる程度になってしまう。実際にそこに行くことになるとは、夢にも思わないからだ。

 兵吾は、小銃を担いで戦闘訓練に明け暮れる、普通科のコースを第一に希望していた。第二は武器科。装備の管理を担当する科である。第三は会計科だった。事務職である。第一である普通科とは、対に位置する部門だ。兵吾は半ば、ふざけて書いてしまった。まさか第三まで落とされることはないだろうと、楽観していたのだ。

 蓋を開けてみれば、そのまさかの最悪の場合だった。自身の浅はかさを呪いつつも、希望しない職種に骨を埋める気には到底なれなかった。曹へ昇格する段階で科を変更できる場合もあると言われていたが、今の印刷工場における担当機の変更同様、培った知識が無駄になるのは自明であり、そうまでして勤め続ける熱意も自信もなかった。

 だから兵吾は今、工場での鬱積とした勤務に勤しみ、関に悪態を吐き、もやもやとした苛立ちの澱を躯の内に堆積させながら、1LDKで一人、カップ麺を食べている。

 部屋の隅、壁にたて掛けられたM16A3のエアソフトガンを、兵吾は物憂げに一瞥する。M16A3も物憂げに兵吾を見返してる、そんな気がした。





感想、評価、アドバイス、お待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ