手中の反動
――人は死ぬよ、誰でもね。
彼女の言葉と面差しが頭から離れない。
肝臓を撃たれて、死に瀕した朱袮。その言葉は無線からのもので、看取ったわけではないというのに、見るまに顔を土色に変じさせながらも穏やかに、そして淋しげに笑う顔が、脳裡にこびりついていた。
俺はそんな安らかな心境で死ねることはできそうにないなと、男は笑う。砂塵と汗と血液でどろどろになった顔を拭って、自分の身体に視線を落とす。いたるところから出血し、もはやどこを撃たれたのかもわからない。まだ息があるのが不思議だった。
人生にゴールがあるとすれば、それは死だ。生物は産まれた瞬間から、ただ一つの終点である死に向かって歩み続ける。あくまでもゆっくりと、たまには寄り道もする気長な旅だ。しかし、男は、極東の島国で彼女と別れ、無線の受信機から弱々しくこぼれるその呪いの言葉を聞いた瞬間から、終点に突き進む超特急に飛び乗った。要するに死に急いでいる。
傭兵として様々な汚れ仕事を請けてきた男は、もとよりベッドの上で死ねるような人生ではなかったが、それにしたところであの一件から明らかに請ける仕事の内容は荒れた。今回の仕事が最たるものだった。
中東の独裁国家。反政府デモは稀に見る大規模な内戦へと変貌し、自国の政府軍も逃げだすような窮地に立たされた政府側の戦力として、男は雇われた。任務は取り残された政府の高官をまだかろうじて機能している空港へ護送するものだった。
結果は失敗。いっそ清々しいほどの大失敗だ。数百にのぼる民兵に取り囲まれ、高官は銃弾に斃れ、その秘書は首を切り落とされ、部隊は男を残して全滅した。
大通りの中心。男はジープに背を預け、左右を窺った。憤怒を陽炎のように立ち昇らせた群衆が押し寄せてくる。銃弾が飛んでこないのは、男が最後の抵抗で大勢の彼らの同志を殺したからだろう。秘書のように斬首にしなければ気が済まないのだ。
アッラーアクバル。アッラーアクバル。
神を讃えよと叫ぶ声があらゆる場所から聞こえてくる。まるで罵るかのように連呼されても、アッラーはいい迷惑だろう。
男が今回の仕事を請けたのは、何も生き急いでいるだけではなかった。今や、世界中の争いは、ほんの少し火種があるだけで取り返しのつかない紛争へと激化するのが常だった。その影では、いつもある名が囁かれていた。
スケアクロウ。案山子だ。
ふと空気が変わるのに男は気づいた。場を支配していた熱気と狂気が霧散し、犇めく群衆は鎮まってある一点に傾注する。自ずと人垣が割れ、そこを一人の青年が歩いて来る。ヒューゴ、ヒューゴと、アッラー以上に畏敬をこめた控えめな声がその背に降り注ぐ。
「ミカエル。久しぶり」
眼前に立った見覚えのある青年に、男、ミカエルは目を剥いた。
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