遠くの銃声
人を撃った時に最初に感じるものは何か。
答えは発砲の反動。
――有り触れたジョークより
地中海に面しているというのに、世界一有名であり、同時に世界一広大な砂漠が国土の大半を占めるこの国の空気は、滲み出た冷や汗が一瞬で渇いてしまうほどに乾燥し、埃っぽかった。
重い何かが激しく前後するような独特の連射音が鳴り響く。甲高くこだまするのではなく、つまったような銃声はAK突撃銃のそれに他ならない。
市街地、耳障りなクラクションを間断なく鳴らしながら道路の真ん中で黒煙を噴き上げて停車する4WDのジープは、民兵に取り囲まれ、後部座席から一人の男が引き摺り降ろされた。
顔面を真っ赤に染め、人形のように全身を弛緩させているスーツ姿のその男は、どう見てもすでに事切れていたが、民兵の一人が鉈を振り上げ、頚部に振り下ろす。何度も何度も叩きつけ、切り落とした頭部の毛髪を鷲掴みにし、高々と掲げた。
怒号とも歓声とも付かない雄叫びがけたたましく轟き、天に銃口を向けたAKが勝利の砲声を撃ち鳴らす。
「スーツを着てれば誰でも高官か。その男は秘書、本命はこっちだよ」
取り囲まれた先頭車の後続車輛、後部座席のフットスペースで胎児のように身体を丸めて震えている高官を冷笑しながら一瞥し、男はドアを開け放ち、飛び出した。諸手に握ったM4A1アサルトカービンの安全装置のレバーを連発に切り替える。
地に足をつけるや否や即座に据銃し、路地から駆け寄ってきていた民兵に照準を振る。機関部上面に取り付けられたドットサイトを覗き込み、先頭の男の頭部に赤い光点を重ね、引き金を切った。
ピンクの血煙が噴出し、見えない壁にぶつかったかのように後ろ向きで卒倒する。五・五六ミリ小口径高速弾の二点射を浴びてぼろぼろになった頭蓋は、薄汚れた路地のアスファルトに衝突し、くしゃりと潰れた。
後ろに続いていた青年は、目を剥いてたたらを踏み、踵を返して走り出す。何も武装らしき物を有してはいなかったが、その背にも二点射を叩き込んだ。
開け放ったままのドアに身体を預け、パワーウィンドウを全開にし、窓枠から突き出した銃口を先頭車に群がる民兵に据える。先の青年同様、民兵に混じり明らかに非武装の者も大勢見受けられたが、構わなかった。武装の有無など関係がない。敵意を有しているならば、それは即ち敵だった。引き金を絞り切り、連射を浴びせかける。
白昼の銃撃では映画のようなわかり易い黄色の発射炎が瞬くことはない。ただ淡くも激しい白煙に視界は白濁する。手の中で銃は震え、銃床をあてた肩から伝わった振動が身体の芯を敲く。ばたばたと倒れる民兵と市民。排莢口から吐き出された空薬莢のシャワーが車内に飛び込み、高官の背に中り、ひゃ、と甲高い悲鳴が上がった。
でたらめな応射を放ちつつ散り散りになる民兵を確認しながら、身を屈め、M4A1の引き金から放した人差し指でマガジンリリースボタンを探り当て、押し込む。同時、左手ではタクティカルベストのポーチを弄り、新たな弾倉を抜き出していた。空になった弾倉が軽い音をたててアスファルトに落ちる。抜き出した弾倉を挿入し、ボルトキャッチボタンを叩く。前進したボルトが第一弾を銜え込み、薬室に装填される。
助手席と運転席からもM4A1を携えた男達が躍り出て、盛大に悪態を吐きながら防御体勢に加勢した。
先頭車の裏に身を隠した民兵達が銃口を突き出してくる。即座に照準し、引き金を切った。
路地に飛び込んだ者達が拳銃だけを覗かせて乱射してくる。捨て置いて別の標的を探した。
擲弾発射機、軽機関銃、突撃銃、拳銃。民兵の武装は様々だが、最優先すべくは先頭車を潰した擲弾発射機、RPG-7と呼ばれる禍々しい筒を有した者だ。撃ち込まれ、車輛に直撃したら、一溜まりもない。
ほどなくして、助手席側の同僚の頚部が裂け、水風船が破裂したかのように血飛沫が飛び散った。
男は顔面に鮮血を浴びて真っ赤に染めながらも、表情という意味では顔色一つ変えず、同僚を殺した凶弾の射手を照準し、撃ち斃す。電撃に打たれたように痙攣し錐揉みしながら倒れる射手は、まだ少年だった。
神を罵る罵倒が不意に途絶え、運転席付近の同僚の姿が消えていた。車体に隠れて見えなくなっただけであり、後部座席のウィンドウに貼り付いた血潮と繊維状の黒い飛沫を見れば、どうなったかは明らかだった。
破裂音を伴ってフロントウィンドウに放射状のひび割れが無数に生じ、座席のクッションから綿埃が散った。ひゃん、と高官の声。震えているだけかと思ったが、違った。貫通弾を受けたのだろう。今際の際の筋肉の痙攣だった。
標的が死んでも、民兵の銃撃は収まらない。目視できないからではなく、たとえ声高に訴えたとしても、銃を棄て降伏したとしても、止まらないだろう。男にとって民兵が敵であるならば、民兵にとって男もまた敵なのだ。
だから、ただ一人になっても、撃ち続けた。
軽機関銃を抱えて道路を横断しようとする男の胴体を撃った。血煙が散り、白いシャツが赤く染まる。
家屋の窓から石を投げてくる少女の頭を撃った。鮮やかな水色のヒジャブが赤黒い粘液に汚れる。
不意に、右腰の付近に衝撃が奔る。たまらず片膝をつき、身を捩って振り返った。
後方からも無数の民兵が迫っていた。道路を埋め尽くさんばかりの雲霞となって、先頭集団の者達の散発的な発砲に扇動されるように押し寄せてくる。
弾着に膨れ上がり、黒い粒となって跳ね回るアスファルトが土砂降りの雨のように身体を打ちつけた。左腰の被弾による負傷の重度を気に掛ける余裕もなく、足の裏から響いてくる至近着弾の不気味な振動も意に介さず、据銃し、弾丸を横薙ぎにばら撒いた。
一弾倉分の掃射でも、群集の波の表面を薄く撫でた程度の損害しか与えられない。行進は止まらない。いや、止まれない。前列の者達が自分の隣で死ぬ同志に怯え、嘆いても、後続は違う。後退を許さない。停止を忘れた憤怒の壁となって、全てを飲み込み、迫りくる。
タクティカルベストに手を伸ばす。中身の消えたポーチはふにゃりと潰れるばかりだ。予備弾倉も尽きていた。
身体の向きを転じ、ドアの下から手を差し入れ、斃れた同僚の肩口を掴み、引き寄せた。死体のベストから弾倉を抜き、足許に並べて置いた。装填しようとするが、弾倉上面に血液がこびりついていた。汚れは装填不良の原因になる。舌を打ち、唾を吐きかけて血を拭った。
している内に、左肩に被弾、殴り付けられたような衝撃と鈍痛が宿る。片膝立ちで仰け反る男のすぐ目前を、RPGの弾頭が飛び抜けていった。ロケットモーターの火柱の残滓が男の前髪を焦がす。弾頭は後方から迫る群衆に直撃し、爆ぜた。橙色の閃光を内包した黒煙が膨らみ、四散した四肢がくるくると虚空を舞っている。人差し指だけを残した手首が転がってくる。男がこうならなかったのは、僥倖でしかない。しかし、時間の問題だ。
四面楚歌。絶体絶命。多勢に無勢。背水の陣。無駄な抵抗。
わかっていた。それでも右手で弾倉を装填し、撃ち続けた。着弾の鋭利な金属音を伴い、身を預けていたドアが勢いよく閉じる。車体との間に身体を挟まれるが、その程度は些事だった。貫通弾が脇腹を捉え、裁断されたベストから赤い血が滲んでいた。それでも撃った。至近着弾の破片を顔面に浴びる。左目が視えなくなり、口内に生臭い鉄錆の味が充満した。それでも撃った。
視界が徐々に狭まり、ゆっくりと溶暗するように翳に包まれていく。
――人は死ぬよ、誰でもね。
彼女の面影が、脳裏を過ぎった。
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タイトルの案山子は“かかし”と読みます。