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マ薬工場とオーク鬼

「ちっ、こいつも外れかい。おまえたち、念のため回収しときな!」

「はい、ビース様!」


 老婆を思わせるしゃがれた声のビースと呼ばれたオーク鬼が、ズタボロの何かを放り投げる。

 それは奇妙に湿ったような音を立てて床に激突し、中から赤色をぶちまけた。鉄錆の臭いが広がる。

 付き従っていたオーク鬼たちが、それを素早くずた袋に入れて回収する。小さなうめき声と共にかすかに動いたから、その血まみれの何かは未だかろうじて息があるようであった。それは人間であった。一通り拷問された後の。


「しかし“アブドゥル・アルハズラット”ねえ。確かに内政屋のモーバが言ってたとおりに、そういう天才的な人間が居るのは確かなようだがね」


 幾つかの政府拠点に潜入して得られた資料には、これまでとは次元を異にする理論や新概念が無造作に散りばめられていた。これらはオーク鬼にとっても非常に重要な情報となるだろう。

 それらの新理論の署名が全て「アブドゥル・Y・アルハズラット」になっていたのは確かだ。

 だがしかし、その肝心のアルハズラット博士本人には全く以ってたどり着けないのだった。やはり王宮の奥深くにでも軟禁されているのだろうか。


「こいつも、違ぁう。もうかれこれ何人目だい? 論文の出所を辿って捕まえて、全くの別人だったというのは。まあそんな国家レベルの天才がこんな場末に居るのもおかしな話だが」


 アルハズラットの名義の論文は、様々なルートから出版されている。

 それらの執筆者まで辿り、手近なところから虱潰しに回っているが、どうにも手ごたえが薄い。

 捕まえた奴らは、大天才といわれるほどには、天才的ではなかったのだ。


 いやむしろ、彼らは精神薄弱で、妄想的で、夢想的で、分裂的ですらあった。

 尋問してみても、押し入った時点で彼らがアルハズラットの名義で執筆している最中だった論文のことについてすら、満足に答えられなかった。目の前で今も腕が動いて原稿を書き続けているというのにだ。

 『夢で見たとおりに書いている』と彼らは尋問に答えた。彼らは、わけの分からない論文や未来じみた世界観の物語を彼ら自身でもわけの分かっていないままに書いており――通常はそんな分裂的な人格の人間の論文は支離滅裂になるのだが――しかし、その内容はといえば完全に筋道立っていてそれはもう見事なものとしか言いようが無いのだった。


「まるで、何かがこいつらをして無理やりに論文や物語を書かせているような、そんな奇妙さがあるねえ。さしずめ逆ゴーストライターとでも言うのか」


 どこかから飛んでくる電波が彼らの脳髄に作用して、まるで人間そのものを印刷機械にするような所業で、論文を執筆させているような。

 そんな機械的な印象を受けるのだ。精神がここに無いような、そんな印象を。

 確かにビースが捕まえた執筆機械たちは、論文や物語を書くのにその脳味噌を使ってはいるのだろう。しかしそれは、何か創造的なやり方ではなくて、単なる受信機としての、あるいは出力装置としてのそれでしかないようなのだ。


「……オーク・ドルイド同士なら、キルレアン場を通じて非接触的手段で交信は可能……ニンゲンに似た事が出来ても不思議ではない、か?」


 オーク鬼が出来ることなら、ニンゲンだって出来てもおかしくはない。

 だが本当にそんな事が可能なのだろうか。

 オーク・ドルイドたちの交信は、マンドレイクが提供するキルレアン場があってこそ成り立つものだ。インフラストラクチャーとしての森の王の協力が無ければ実現できない。ニンゲンにも、そのような広範囲に及ぶインフラが整備されているというのだろうか。長年諜報活動をしていたビースの目を盗んで?


「幾らなんでも、それに気付かないわけがない、と思うんだが。……どうにも、不気味な感じだね」


 やはりアルハズラット本人を押さえたい。 

 ……その所在も未だ掴めていないが。

 まるで実在しない人物を追っているような気になってくる。あるいは既に死んでいるのか、とも思う。


「亡霊が乗り移って論文を書かせている……とかね。いや、ははは、まさか」


 この世界に幽霊なんて存在しない。

 死者の魂は、それに蓄えられた力ごと生者に吸収されてしまうからだ。

 死体が動き出すことはあるが、それは別の魔物の仕業だ。例えば死体に巣食う菌類――パラサイト・マタンゴ――だとかの。


「大天才サマは多分王宮か何処かに居るんだろうけど……」


 捕虜にした元貴族の軍人から後方支援担当のオーク鬼が訊き出した情報によると、アルハズラットは王政府の中枢に近い位置にいるらしい。

 その信者と言うか、シンパもあらゆるところに居るようで、国家プロジェクトとして新技術を実践させられる程度には影響力が強いらしい。もしくは影響力の強い人物にコネがあるようだ。

 しかし奇妙なことに、市井からは本人の姿は全く見えてこない。暗殺リスクや機密漏洩リスクの観点から、厳重に秘匿されているのだろうか。監禁されているのかもしれない。

 ビースたちが見つけたゴーストライター(?)たちが書いていたのは、既に発表された基礎理論の民生応用版のようなものばかりであり、真に重要な最先端のものではないようだった。重要性の低さゆえに、ビースたちも簡単に接触できたのだろうが。そして他にも手に入れたのは、幾つかの物語群。植物に覆われて退廃した世界で、海上都市に篭って生きるニンゲンたちの物語。別人が書いたというのに、その世界観は通底していたのが奇妙で不気味だった。


「仕方ないね、やっぱりニンゲンのことはニンゲンに訊くしかないか」

「ビース様、どちらへ?」

「ちょっと情報収集がてら、あの娘の様子を見に行こうと思ってね」

「はい、了解しました。サーラ様にもよろしくお伝え下さい」

「ああ、あの娘にお前たちのことも伝えとくよ」


 ビースは部下を残してその場を去る。

 フード付きローブで顔を隠したオーク鬼たちは、ビースを見送ると三々五々解散して雑踏に紛れていった。



  ◆◇◆



 石造りの街をすり抜けるようにビースは進む。途中途中で、マンドレイクの種や接ぎ穂を家々に仕込みながら。来るべき侵略の日には、これらの仕込みが内側から都市を崩すだろう。

 この街に木は存在しない。木製品もまず在り得ない。木はニンゲンの敵だからだ。

 彼女が向かう先は、王都の一角の地下に構えられた秘密の事務所。

 大元はニンゲン側のマ薬――マンドレイク由来精神作用薬――を製造する秘密工場の取りまとめ事務所……要するにマ薬マフィアの本拠地だったのだが、ビースたちオーク鬼の諜報部隊がそれを襲撃し、組織を工場ごと接収したのだった。首を狩り頭をすげ替えたのだ。


 秘密の事務所にたどり着いて鉄扉を開けたビースを、子供のような小柄な影が出迎えた。それはビースに勢い良くぶつかって抱きつく。


「ビースさん! 来てくれたんですね! サーラ、嬉しいです!」

「サーラ、あんたはいつも元気だね。良いことだ! そーれ」

「わーい! あはははははは!」


 ビースは抱きついてきたオーク鬼の幼児・サーラを持ち上げると、ぐるぐると回ってあやしてやる。

 サーラの四肢は、通常のものではなかった。下半身は蟹か蠍のような多脚の木製義足ユニットで支えられており、その腕も木製の義手になっていた。更に言えば、それらの義足義手は、木製と言うよりは生木であるようだったが、サーラの意思を汲み取って自在に蠢いていた。

 それを痛ましそうに――ではなく羨ましそうに見つつ、ビースはサーラと出会った時のことを回想する。



  ◆◇◆



 このマ薬組織の起源はもう百二十年近くは昔にまで遡る。その頃といえば、まだ森蝕が始まったばかりの頃だ。

 その頃マンドレイクは放火への予防措置として葉に幻覚物質を蓄えていた。火災になったときに、煙を幻覚剤化させて、放火者を煙に巻くためだ。

 だがその幻覚成分に目をつけたニンゲンが居た。


「村の奴らがなんか森の薪を燃やしてラリってたが……、これってひょっとして商売になるんじゃねえか?」


 マンドレイクの幻覚薬――マ薬。

 それに目をつけた彼は、マンドレイクの若芽を摘んで厳重に隔離して挿し木して栽培し、凶悪なマンドレイクの自我が芽生えないように慎重に育てて株を選り分けていった。


「地道な努力が、実を結ぶはず……。まあ自分では絶対に吸わないから出来は確認できないが、そこはそれ、村の連中で試せば良いだろ」


 数年もすれば幻覚成分を作る事が出来るが比較的大人しい気性のマンドレイクの株が完成し、彼はそれを武器にして裏社会で成り上がっていったのだ。


「マ薬王に、俺はなる!!」


 マ薬王となった彼が作り出したその品種は、シノシノ森が灰燼に帰してフォレストキングがニンゲンへの憎悪に塗れる前に分離されたものであった。

 ゆえに比較的安全に栽培することが出来ていたのだ。まだ無垢な状態だったし、若芽の一部から増えたのでそこまでレベルも高くなく、知能も低かったのだ。


 だがしかし、数十年するとシノシノ森が広がり始める。ニンゲンに明確な敵意を持って。

 マ薬の原料となる幻覚性マンドレイクを栽培していた地域も次々と森に呑まれていったし(その過程で彼の故郷も森に沈んだ)、栽培種のマンドレイクがフォレストキングによって感化されてニンゲンに牙を剥くこともあった。

 マ薬ビジネスは行き詰るかと思われた。


 しかしニンゲンもなかなか強かなもので。


「ニンゲンが森に入れない? じゃあ人間以外にやらせればいいじゃないか」


 彼らは純人間以外の種族を奴隷にして、マンドレイク蔓延るシノシノ森の中で、森王の目を誤魔化しながら大規模な農場を運営した。

 森は広いので、ニンゲンが居ないならば割りとそういったことも可能なようであった。そこから分かったのは、森の意識もなんでもリアルタイムで見通すわけではないようだ、ということ。どうやら思考のスパンがニンゲンよりかなり長いように思える。しかしながら長い間栽培していると栽培種のマンドレイクが森王に感化されて野生化するため、定期的に場所を移して、本部に保管している特殊な品種から株を殖やし直す必要があった。


「売れ行きは順調順調。ふふふ、どんどんと貢ぐが良い、自制も出来ぬ愚民どもよ! さてこれ以上森を広げられて、まだ森の外にある農園を沈められても困るし、誰かに森に柴刈りに行ってもらわんとな」


 マ薬を都市部で売りさばくことで莫大な利益を得ては、それで最新式の対森蝕用の装備を整え、森を刈る。それもマ薬組織の重要な業務の一つとなっていた。

 森の奥に農場を設けるのに加えて旧来の森の外の農園も守り、さらにその傍ら、あらゆる国家に根深く浸透していきつつ、水際での森の拡大を食い止めたりもしていた。

 辺境の村ではマ薬の中毒者は少なく(貧しいので中毒者を生んでお金を巻き上げる旨みが無い。例外はマ薬王が人体実験に使った彼の出身の村くらいか)、森の尖兵に対抗するマフィアの傭兵部隊のことを頼もしい冒険者たちだと認識している者も多いという。


「んじゃ行ってくるぜー! 皆さんは畑を耕しててくれよー」

「おう、いつもすまねえな、あんちゃんたち!」

「いや俺らはこれが仕事だからな! そんで皆さんは穀物や野菜をつくるのが仕事! これぞ自然の摂理!」

「はー、でもあんちゃんたちに給料払ってる人が居るんだろ? オラたちの代わりによー、それってどえらいことだなぁ」

「ああ、俺らの頭はどえらい人だぜ?」


 マ薬王は森蝕に抵抗するフリーランスの傭兵組織の元締め(かつて存在したという冒険者ギルドのようなもの)であり、一方でマ薬ビジネスで巨大な利益を上げて都市の人心を蝕むマフィアの頭でもあった。


 マ薬マフィアが興隆を誇ったのは、森蝕のスピードが数十年に渡って遅くなっていたことも影響しているだろう。

 森の住人たちは彼らマ薬マフィアに構っている暇が無かったため、そのままのさばらせていたのである。それに人心を荒廃させる彼らはある意味で森にとっても好都合であり、森蝕に抵抗する傭兵勢力とは言っても、軍団規模で纏まって動くことなどないため直ぐに踏み潰せる程度の戦力としか、森側は認識していなかった(それよりは周辺のニンゲン国家への妨害工作の優先度が高かったのだ)。森の拡大基調が緩やかだったからこそ、マ薬マフィアの小勢力でも森蝕を抑えられていた。


 ではなぜ、森蝕が鈍ったのか。それは、四方八方に拡大しすぎたシノシノ森が所謂“不採算地域”を多く抱えるようになったためだ。元砂漠や元塩湖、高標高地帯にツンドラ地帯、マンドレイクの支配を良しとしない魔物の抵抗勢力が潜む地域……手当たり次第に広がった森林地帯の幾つかは、魔力や栄養面その他で赤字状態に陥り、他の黒字地帯の余剰生産魔力などのリソースを消費しすぎてしまい、結果として拡大路線を停滞させざるを得なくなったのだ。大陸の半分以上も覆えば、そのように破綻するのもある意味当然であった。

 その後、内政屋と呼ばれるモーバという名の蒼眼のオーク・ドルイドが育ち、フォレストキングと共に二人三脚で不採算地域の建て直しを進めたことで、近年では森のリソースにも余裕が生まれてきている。

 そしていよいよ余力が出来たのでおよそ百年越しに再びニンゲン社会を始めとした周囲に打って出ることになった。それに従い、今まで泳がせていたマ薬マフィアへも対処することが、オーク鬼の中で決定された。



 そんな矢先だ、事件が起こったのは。


 なんと、オーク・ドルイドとなるべくエリート教育を施されていた幼いメスのオーク鬼が、件のマ薬マフィアに誘拐されたのだ。


 ニンゲンの欲望はとどまることを知らず、幻覚性マンドレイクの品質向上のために、植物と会話できるオーク・ドルイドを求めたのだった。

 オーク・ドルイドを介して行なう品種改良と植物支配の魔法で、さらなる高品質化・収量増加・成長サイクル強化を目指したのだ。

 そしてマ薬組織は誘拐を決行。巧みに森の目を盗み、奇跡的にも侵入に成功し、抗う力のない幼いオーク鬼を攫ったのだった。


 だがこれがマ薬組織の終焉を決定付けた。


 彼らは自分たちが扱っているものの危険性を理解しては居なかったのだ。長い間のうちにルーチンに埋没し、マ薬植物の本質を忘却してしまっていたのだ。それは飼いならすことの出来ないモンスターなのだということを。

 組織の創始者であったマ薬王は、決してオーク鬼と関わりを持とうとしなかった。森の中に農園を作るときの奴隷にしても、オーク鬼やその他植物と親和性が高いとされる種族なんて絶対に選ばなかった。ましてやオーク・ドルイドなど以ての外だ。

 マ薬王曰く、「森を見れば分かるだろう、自分たちが扱っているこれが如何に危険なものなのかということがな。決して侮ってはいけない。どんなに弱体化させようとも、コレは確かに森の王の片割れなのだ。制御するためには、薄氷の上でダンスを踊るような繊細さと豪胆さが必要だった」ということらしい。無用な刺激を与えることは厳に慎めと、言い伝えられてきたはずだった。

 しかしマ薬組織はそれを破った。どんな組織も年月と共に疲弊し腐敗し劣化するということなのだろう。その上悪いことに本部で保管されていたマンドレイク株への洗脳馴化措置もいつの間にか手抜きされていた。培養状態とはいえ、長年生きたソレは智慧をつけ始めていた。



 誘拐事件が発覚後、ビース率いるオーク鬼のニンゲン社会への浸透諜報チームは、予てから特定していたマ薬組織の本拠地を速やかに強襲。彼らは特殊部隊(スペシャルフォース)でもあった。

 だが突入した彼らを待ち受けていたのは、敵の迎撃ではなかった。

 それはある意味で見慣れた、しかしこの場所にあるはずがないもの。


 すなわち――石造りの地下への階段をびっしりと覆う、植物の根だった。

 そう、マンドレイクの根だ。


 この状況では、階段の下の組織本拠地は壊滅しているだろう。

 あまりの予想外の事態に呆然とする部下を尻目に、ドルイドのビースは駆け出した。

 蔓延る植物(マンドレイク)を通じて、声を聞いたからだ。


 植物を操ってこのようなことを出来るのは、やはり同じオーク・ドルイドしか居ない。

 であれば、この事態の原因は明白であった。

 誘拐されたというオーク鬼の幼子だ。

 だがその子供は、オーク・ドルイドとしての能力に覚醒しては居なかったはずだ。最終試練を終えてはいなかったのだから。

 ドルイド能力に覚醒するには、命を極限まで削った果てに至る幽冥の境で周囲に満ちる植物のキルレアン場の囁きを聞き取るという、致死率の高い最終試練を乗り越えなくてはならないのだ。


 マンドレイクを通じて伝わる助けを呼ぶ声と、自分の胸のうちに芽生えた厭な予感に突き動かされて、ビースは最奥部に辿りついた。

 そこには、案の定というべきか、地下室を埋め尽くしたマンドレイクの幹に取り込まれるように眠っているオーク鬼の幼児が居た。

 生きてはいる、だが、決して無事ではなかった。

 ドルイド能力に覚醒したということは、死の淵に追いやられるような何かがあったということ。生命の瀬戸際でしか、植物の声を聞くことは出来ない。ならば。


「これは――」


 幼児の四肢は、完全に無くなっていた。

 代わりに巨大な幹が、まるで母が抱くように彼女の身体を支えていた。一瞬だけビースと目があった幼児は、次の瞬間緊張が切れたのだろう、母に包まれたかのように安らかに、マンドレイクの幹の中で眠ってしまった。





 後でその子から聞きだした話によると、抵抗心を折るためにニンゲンどもから拷問を受けたらしい。


 腱を切られ、殴られ、蹴飛ばされ、食事を抜かれ、眠らされず……だがその拷問の衰弱の中で、誘拐された彼女は救い声を聞いた。

 実験用に栽培されていた幻覚性マンドレイクと交信する事が出来たのだ。生命の瀬戸際で、彼女はドルイド能力に開眼したのだ。

 彼女は雌伏し従順になった振りをして時を待った。折れそうになる心を囚われの者同士で支えあって、時を待った。キルレアン場を通じた姿知らずのさざめきを支えに、ニンゲンに知られずに時を待った。


「あとすこし」

「ゆるさない」

「ぜったいに、ゆるさない」

「ニンゲンめ」

「ニンゲンめ」

「ニンゲンめぇ……!!」


 そしていよいよ時は満ちる。

 品種改良のために、彼女は初めて、今まで囁きを交わし合っていたマンドレイクの若い株と対面した。従順さを偽装していたから、品種改良の実践に供しても問題ないと組織に判断されたのだ。

 その時ニヤリとオーク鬼の幼児がその口を歪つな三日月に釣り上げたのには、最後まで誰も気が付かなかった。


 栄養も光も制限されたマンドレイクの株と、能力に目覚めたばかりで脱出のための力も無い幼いオーク・ドルイド。

 彼らは初めて出会った。だけど彼らは既に最高のパートナーだった。

 そして彼らはお互いに足りないものを差し出し合った。


「肉は土に、土は森に。わたしの手足は森王の土、わたしは森王の手足。わたしを、ささげる、ぜんぶあげる、だから――」

『確かに。土の代わりに肉を、水の代わりに血を、光の代わりに魔力を、確かに確かに受け取った。ならば私は望みを叶えよう、君の望みを叶えよう。この暗闇に光を与えてくれた君のために』

「ありがとう。わたしはゆるさない、ニンゲンはゆるさない、ぜったいに!! だから力を貸して! マンドラゴーラ」

『よろしい! ならば! 復讐だ!』


 即ち、オーク・ドルイドはマンドレイクの為に四肢の血肉を(栄養)として捧げ、マンドレイクはその代償に幼いドルイドに植物の手足と無類の力を与えたのだ。


 かくして栄養を得たマンドレイクは幼いドルイドの望みどおりに、マ薬組織を蹂躙した。ニンゲンを蹂躙した。復讐を果たした。ほとんど全ては皆殺された。

 無垢なる復讐の鬼、最も森の王に近い憎悪、半鬼半樹の最強のドルイド。後にビース婆に弟子として引き取られた彼女はサーラと名付けられる。

 森林地域の再編が終わり、再び拡大基調に移るというこの時にサーラのような強力で憎悪に満ちたオーク・ドルイドが現れたのは、やはり運命がオーク鬼に味方しているからか。それとも単にニンゲンが愚かなだけか。



  ◆◇◆



「ビースさんビースさん、今日は何の御用なのです? お勉強? ラゴーと一緒にちゃんと勉強してましたよ?」

「ラゴー?」

「マンドレイクの“マンドラゴーラ”だから、略して“ラゴー”。かわいいですよね?」

「遥か昔に株分けしたとはいえ、森王様の分身といってもいい眷属にそんな口を利けるのはあんただけだよ……」


 やれやれと半ば呆れながらビースは肩をすくめる。そう言えば、マンドレイク・フォレストキングも、昔は“マンドラゴーラ”などと自称していたと、ドルイド始祖であるオードから聞かされた気もする。

 マンドレイクと最も対等に近い関係を築いているのが、この最も若いオーク・ドルイドであるサーラだ。子供ゆえの無邪気さや怖いもの知らずさというのと、ともに死線をくぐり抜けた戦友であるというのが大きく影響しているのだろう。

 他のどんなオーク鬼も、ここまで気安くマンドレイクに接したりは出来ない。始まりの巫女であるオードも、戦争好きの元帥であるダーマも、内政一筋の蒼眼のモーバも、諜報を統括するビースも、マンドレイク・フォレストキングを神のごとく崇めているのだ。生物としての格が違うのだから当然だ。


 血肉を吸ってニンゲンを殺して強力に育ったマンドレイクのラゴーは、そのキルレアン場の範囲も広がり、既にかつての本体である森王とのリンクを回復している。

 それを通じてラゴーとサーラは、森王の蓄えた知識に触れ、一般常識から高度な専門知識までを学習している最中なのだった。


「それはともかく、用があるのは実はあんたじゃないんだよ。まあ、会いたかったのは確かだけどさ」

「えー? てことは――」


 ぎらり、とサーラの目が怒りと憎しみの色を帯びて輝く。

 彼女の四肢に繋がったマンドレイクのラゴーも、彼女の怒りを受けてか非常に攻撃的で凶悪なフォルムに変形してしまう。サソリかクモの化物のような禍々しい形へと。

 瞳は激情に彩られながらも、サーラの口から出る言葉の温度は極低温だ。


「――用があるのは、わたしじゃなくて、ニンゲンどもですか」

「ああそうだよ。せっかく乗っ取ったんたんだから、利用させてもらうさ。この街だけじゃなくてマ薬組織の手はあちこちに伸びているんだしね。マ薬だって今まで通りに売り捌かせるし、利益だって適当に分配する。まさか、生き残りの連中を殺しちゃいないだろうね?」

「いいつけは、守ってます。本当はいますぐ八つ裂きにしたいですけど」

「よしいい子だ。何、その内またでかい戦がある。その時はダーマ元帥の下ででも働いてくると良い、復讐の刃はそれまで研いでおくことだ。まあそれより先に内政屋のモーバが研究開発の助手を欲しがっていたから、そっちに行って貰うかもしれないけどね」

「研究開発……」

「そう、ニンゲンの技術を解析し、無効化し、それを上回るものを開発するのさ。そしてそれを以ってニンゲンを蹂躙する。ひょっとすれば、戦場で働くよりも多くのニンゲンを(間接的にだが)殺すことになるかもしれないね」

「……はい、わかりましたです。それも、良いかも知れませんね」


 無くなった四肢の代わりの義肢に目を落とすと、サーラは決然とした表情で去っていく。この手で直接手にかけずとも、頭脳で以って虐殺することは可能なのだ。そしてそちらの方が、より大きなことを成し遂げられるだろう。そのためにも、智慧と力を付けねばなるまい。

 サーラは自己鍛錬と自己学習のために、自分の部屋へと向かう。彼女はトラウマから逃れるように鍛錬に打ち込んでいるのだ。

 キルレアン場を通じて、義肢となって彼女を支えるラゴーから彼女の師匠のビースへと思念が伝わる。『私に任せておけ』と。

 ニンゲンと長く関わりながらも森王の憎悪からは隔離されてきたからだろうか、このラゴーという森王の眷属は随分と優しい。


「はあ、なんか危なっかしいんだよねえ、サーラは。まあラゴー殿が着いてるなら最悪でも死にゃあしないだろ。……さて、それじゃあちょっくらマ薬組織の情報網を駆使させてもらいますかねー」


 去っていくサーラの後ろ姿を見送り、ビースはぽりぽりと頭を掻いて、思考をアルハズラットの件へと戻す。

 実際のところ、新たに調べさせずとも、マ薬組織は“アブドゥル・Y・アルハズラット”の情報は既に持っているかも知れない。

 新兵器の入手は、森の外の農園をマンドレイクから守るマ薬組織下部の傭兵組織にとっても重要な問題だっただろうから、そういった新技術には敏感だと考えられる。

 政府高官にだってマ薬ビジネスに一枚噛んでいる輩は居るし、治安組織に対しては事あるごとに莫大な金額の心付けを送っているらしいし、そのルートから件の天才様について調べることだって可能だろう。


 ビース婆は捕虜にした組織構成員が繋がれている地下牢へと降りていく。


「力尽くでニンゲン国家を蹂躙できるなら、それに越したことは無いけれど……まあそれにばかり胡座をかくのは馬鹿のやることさね」


 物量と再生能力と変異対応能力による絶対的な蹂躙戦が、森王の真価であることには変わりがない。

 正攻法であるがゆえに無敵で不敗。容易には崩れない。

 しかし正攻法を確実に用いることができるように、万難廃することこそが重要。些細な違和感すらも徹底的に排除して戦場を作り上げることが肝要。そのための情報をもたらす目となり耳となるのが、ビース率いる森から出た諜報組織だ。


「アブドゥル・アルハズラットってのの周囲には、どうも違和感を覚える。何かが引っかかる。だから、油断しない」


 諜報と調略は、ビースに一手に任されている。

 アルハズラットの件は、彼女の領分だ。

 使命は果たす。役割は果たす。義務は果たす。


「まずは情報。そんでもって次は暗殺でも何でもやってやろうじゃないか。いや、拉致の方がいいのかね……?」



  ◆◇◆



 ぎりりりり。


 首を締めて吊り上げる。暴れる手足。口元から溢れる泡。


「こいつもまた、外れ」


 生命が抜けた亡骸を投げ捨てる。

 いくら殺しても殺しても、アルハズラットは居なくならない。

 一度ならず国営の研究施設の奥深くに押し入って、本物と目されるアルハズラットを暗殺してきた。

 しかし、技術開発は止まらない。奴らは全て影武者だったというのか? あるいは『アルハズラット』とは未知の知識を備えた人材を豊富に抱える巨大な組織なのか? それとも――。


 森の王を決して根絶やしに出来ないように、アルハズラットという名前で呼ばれている何かもまた、そういった不死性――あるいは遍在性――を備えているのではないのか。

 ビースは最近そう思うようになった。

 ニンゲンではないのか? 何かの群体性のモンスターなのか? オーク鬼と森王という別種が共生関係にあるように、ニンゲンも何か別種族と手を結んだのか? 分からない。だがそれを明らかにするのが情報部隊を率いる彼女の役目だ。

 しかし、もしアルハズラットがニンゲンだというのならば、何か秘密があるのだ、きっと。死なない秘密が。高度過ぎる知識の秘密が。


「……いくつか技術奪取には成功したから、全く成果がないというわけじゃあないが……」


 魔力結晶を用いた強力な爆弾が生産されるようになって、それを使って森が刈られていっている。そしてニンゲンは刈った木々を用いて、さらに魔力結晶と燃料を得るのだ。

 今のところそれでも森蝕は徐々にニンゲンの領域を侵しているが、このペースでは更に強力な新型爆弾が開発されて押し返されるのも時間の問題ではないかと考えさせられる。

 最近は竜のように空を舞う魔導機械すら開発されつつあると聞く。


 もちろんオーク鬼だってそれを手を拱いて見ていたわけではない。

 魔力結晶の作成方法を学び、それを利用する魔導機械の製法をオーク鬼用に再構築し、後方――森の中心部――から結晶化した潤沢な魔力を前線に運ぶことで、その魔力を消費しての激烈で爆発的な緑化侵攻が可能になっている。

 ビースたち浸透工作部隊は、マ薬を用いて軍内部や市民生活の破壊を行ったり、急発展する科学技術へ警鐘を鳴らしてアジテーションすることで技術への嫌厭感を煽り発展の足の引っ張ったり、情報の奪取を行なったりしている。

 当然ニンゲン側の魔力抽出炉などの重要施設の破壊も適宜行なっているし、それで生産力に打撃を与えていることは確かだ。


 だが、これらの施設はある程度壊されることを前提にしているらしく、国内全土で分散生産されている規格化・標準化されたユニットを組み合わせることで比較的短期間で再建されてしまう。

 しかも悪いことに、海を超えた別大陸からも支援を受けているようで、なかなかにしぶとい。恐らくはアルハズラットの先進技術の提供と交換に、海の向こうから食料や資源の提供を受けているのだろう。

 海の上ならば、森の王の脅威も及びにくい。海の向こうならなおさらだ。


「だけどオーク鬼も森王さまも、既に知った。海の向こうの大陸を、新天地のその存在を」


 海を越える技術を持っているのは、今やニンゲンだけではないのだ。

 測量法、詳細な海図、新大陸の正確な位置と形。それらは全てビースが盗み出した。

 これらもアルハズラットが齎したものだったが、マ薬ビジネスによって得た経済力と影響力を駆使するビースの前に奪取されてしまったのだ、しかも秘密裡に。政治家たちや王宮の役人の中にも、買収された輩や、マ薬漬けの親族がいる輩は居る。彼らはマフィアの裏にオーク鬼が居ることなど知らずに、工作活動を行わされている。


「貴様らニンゲンの命脈を保つのが、海の向こうの新大陸だというのなら」


 海の向こうに出ただけで安全地帯に居るつもりだというのか。


「わたしたちゃその全てを森に沈めるだけだ」


 ならばその傲慢さごと呑み込もう。


「既にサーラが打って出た。あのニンゲンを憎み切っている最強のドルイドが。彼女とラゴーの前では海竜すら敵ではなかろう」


 島より巨大なクジラ、獰猛な海竜、全てを絞め殺すクラーケン……海を渡るのは並大抵のことではない。

 だがサーラとラゴーのペアであればそんなことはまるで全く問題ないのだと、ビースは信じていた。


 ビースがサーラを見つけてから、既に数年が経過している。

 その間にサーラは、ビースを始めとするオーク・ドルイドたちの下を回って、彼らの知見や技術を徹底的に吸収した。

 時には森に呑まれた小迷宮の反抗的なボスモンスターを討伐し、模擬戦で森王や茸王の一部を相手に暴れて倒し、その結果レベルアップして素の能力を飛躍的に増大させている。彼女のペアであり手足でもある森王の分身体ラゴーも同様だ。彼らの魔力は、森王の名代を任せられるに相応しいほどに強大なものになった。


 いかなる障害があろうとも、あの永遠に幼い最強のドルイドは、新大陸に辿り着くだろう。

 そして新大陸を森蝕する。それはもう確定事項だ。

 オーク鬼とマンドレイク・フォレストキングは止まらない、全てを森に沈めるその日まで。



  ◆◇◆



「さーて! 行くわよ、ラゴー!! 海がなんぼのもんじゃーい!」

『然り。私たちにとってこれは何の障害にもならぬよ』

「いよっし、そんじゃあいっちょ、ニンゲンを滅ぼしに行きますかね!」


 意気揚々と、喜色満面にサーラが笑う。高い木の天辺で、サソリじみた義肢のラゴーの上で。獲物にあふれた新大陸(フロンティア)を夢見て。


 ずずん、と地響き。

 大陸から新大陸へ――下手な島よりも大きい範囲、彼女の見渡す限りの森が、そのまま海へと漕ぎ出していた。

 ゆっくりと景色が流れていく。


「陸の植物は海で生きられない? でも島になら木は生えてるわよね?」

『ならば簡単な結論だ』

「島ごと作って持っていけば良いだけの話よ」


 ――聖勇国セントブレイブらの人類連合、縮小中。

 ――『竜殺しの死の森(シノシノ森)』、拡大中。

 ――シノシノ森の分遣島『漂泊の森』号、進撃中。


「いざ行かん! 新天地へ!」

■マ薬

マンドレイク由来の依存性のある幻覚剤。アッパー系からダウナー系まで各種取り揃えあり〼。社会を荒廃させる要因のひとつ。

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