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スライムと女斥候とオーク鬼

『むかしむかしのお話です。

 森が広がるよりも、ずっとずっと昔のお話。


 暴れまわる竜王が居ました。

 強い竜の中でも、さらに一等強いのが、竜王です。


 竜王は気まぐれに街を襲い、生贄や財貨を要求します。

 軍隊が討伐に向かいましたが、倒すことは出来ません。

 国で最強の騎士団長も、爪の一薙で命を落としました。

 滅んだ国も、片手では数えきれません。


 暴れる竜王に、ひとびとはみんな、困り果ててしまいました。


 そんなとき、一人の若者が立ち上がりました。

 竜王の戯れで住んでいた村を焼かれた若者です。


「竜王め! ボクが倒してやる! 村のみんなの仇だ!」


 涙を流して吠えながら、若者は誓います。

 ですが強くならなければ、竜を倒せません。

 そして仲間が居なくては、竜を倒せません。


 若き勇者は、正義を胸に、仲間探しと武者修行の旅に出ます。

 長い長い旅になるでしょう。


 焼け野原になった故郷の村を目に焼き付け、祈りを捧げると、若者は旅に出ました』



 ――――ぽりーぷ社刊『こどもむけ セントブレイブけんこくぼうけんたん』より引用



  ◆◇◆



 ――夢を見ていた、ような気がする。とても幼い頃に読んでもらった、昔話、御伽話。


(というより、ここは、どこだろう)


 熱病に冒されたようにぼんやりと浮遊する意識。

 フワフワと浮いているような、不安で頼りない身体感覚。

 薄ぼんやりと滲んだ視界と、耳に綿でも詰められたみたいな聴覚。



 息は――していない。


 ――だが不思議と息苦しくはない。



 心臓は――動いている。


 ――今にも止まりそうに弱いけど。



 周りは――見える。


 ――だけど認識できない。



 私は――生きているのか?


 ――多分死にかけだ。




 ゆるゆると、口と言わず不浄の穴と言わず、あらゆる穴から出入りする何かを感じて、彼女は思う。



 ――ああ、私は消化されているんだ。



 流動する粘液が、彼女の中へとあらゆる穴から出入りして栄養を奪う。


 傍には、人間の皮だけが粘液の塊の中に浮かんでいる。完全にぺたんこになっていないのは、中に骨が残っているためだろう。

 ……小隊の仲間の成れの果てだ。傷口から入り込んだ粘液によって、肉を消化されてしまっているのだ。彼らの虚ろな眼窩は、もう何も映すことはない。

 彼女が生き残っているのは、身体に些細な傷もなかったせいだ。粘液が侵入できるような傷口がなかったからだ。もし口内炎の一つでもあれば、彼女を捕らえた粘液はそこから侵入し、周囲の人皮と同様に中身を吸い尽くしたことだろう。


 ――ジャック、アーロン、ヴィンセント、スティーブ隊長……。

 ――みんな良い人だったのに、こんなところで死んで良い人ではなかったのに。


 彼女は朦朧とする意識で、かつての仲間たちを想う。

 息をしてないのに生きているのは、肺に入った粘液を介して酸素が供給されているからだろうか。

 いっそ死ねたら楽になるのに。


 彼女の意識は、ここに至る経緯を少し思い出す。


 ここは竜殺しの死の森。

 その名を口にするのも忌まわしいので、市井では“シノシノ森”なんて可愛い名前で呼ばれている。

 実態はそんな生易しく可愛らしいものではありえないが。


 その中でもここは、かつては“病み沼”と呼ばれた場所。


 “病み沼”を支配していたボスモンスターであった“病魔のキングスライム”……それを調伏して葉先に宿した、モウセンゴケ型のマンドレイクが蔓延っている湿地帯だ。

 湿地からは、一つの葉の大きさがニンゲン何人分もあるような巨大なモウセンゴケがところどころに生えている。生えているのはモウセンゴケだけではないが。ミズゴケのようなものだって沢山生えている。

 彼女と、その仲間の皮が漂っているのは、巨大なモウセンゴケの葉の上に乗っている消化粘液――いや、この粘液こそが“病魔のキングスライム”の成れの果てなのだ。『分割し、統治する』というのは、何もニンゲンに限った話ではないのだった。強力なスライムのボスも、こうなっては形無しだ。


 無残な目に遭った(遭っている)彼女たちは、決死隊として近隣の国から派遣された軍人であった。

 この森を調査し、危険度を的確に把握するために(把握し続けるために)、周辺国家は定期的に調査部隊を送り込んでいる。勿論彼らに命の保証は無い。死して屍拾う者なし。

 だが、彼女はそんな危険なシノシノ森の奥地で“一つの傷もない綺麗な身体”のままであった。――これは何を意味するのだろう。まあそれも、今の生命の危機の前には何の意味もないか。


(ああ、わたし、しぬのかな――)





「ああれぇ? まだ生きてんのかー? 珍しーこともあるもんだぁー(ぶひぶひ、ぶひひひ、ぶひんぶひひひんぶー)」


 意識を落とす直前、彼女の朦朧とした視界に、何かの影が映ったような気がした。

 そして、ぶひぶひという鳴き声が、粘液に犯された耳の奥へと届き――――彼女は完全に意識を失った。



  ◆◇◆



 この世界で最も忌み嫌われる死に方の一つが、病死である。

 何故なら、死の際に魂の力が譲渡されるというこの世界では、病原菌でさえその例外ではないからだ。

 生物は常に腹の中の微生物を殺し、日々、魂の力を微量だが蓄える。故に、人々は歳を経るごとにある程度はレベルが上がるのだ。生きるだけで生物は何かを殺している。


 そして当然、その逆だって起こり得るのだ。

 つまりそれが、病死だ。

 病原菌が、ニンゲンを殺す。食物連鎖の大逆転。


 ニンゲンという遥かに格上の相手を殺した病原菌は、そのニンゲンの魂の力を以って変異し、魔物となる。巨大化し、あるいは群体化し、モンスター――――スライムへと変異する。

 他にも病死した野生動物からもスライムは発生する。いつどこからでも現れ得る、ゴキブリよりも厄介な魔物だ。


 だが大きくなったとはいえ、所詮微生物は微生物。

 さくりと殺してやれば、何の問題もないし、実際に弱い。

 小さいスライムは踏み潰せばいいし、大きくなってもその細胞膜を切り裂いてやれば良い。そうすれば、すぐに中身がこぼれて死んでしまう。普段は取るに足らない魔物だ。


 だが、流行病の場合は別で、最悪のケースを招くことがある。

 村中のニンゲンが流行病で弱った時に、その流行病の強力な病毒性を宿したスライムが発生することがあるのだ。

 それはそろりそろりと伏せる村人に忍び寄り――順々に取り込んで殺してしまうだろう。

 そして村を蠱毒の底に沈めて、その中から喰らい合って生き残った一匹が、ボスモンスターと呼ばれる強力なスライムとなり、周囲を縄張りとしてしまう。そうして、かつての牧歌的な村は、死体と腐臭と病毒にあふれた小迷宮プチダンジョンへと変貌するのだ。



 ボスモンスター同士の縄張り争いというのも、この世界ではありふれたことだ。ニンゲン国家が争い合うように、それは自然の摂理なのだ。小迷宮は無数に生まれては消えていく。それでも“竜殺しの死の森”のように巨大な迷宮異界にまで成長するのは、稀有な事例だ。


 マンドレイク・フォレストキングが支配する“シノシノ森”も、四方八方に日々拡大し続けている。それは、周囲に何があろうと関係なく、だ。

 当然、そこに立ちはだかるのは、ニンゲンだけではない。ニンゲンの国だけではなく、魔物たちの縄張りも、シノシノ森の周囲には存在しているのだから。

 そして森は、それら全てを区別なく併呑しながら広がっている。他のボスモンスターが支配する地域を呑み込んで、時に共存し、時には殲滅しながらも、森蝕は留まるところを知らない。


 森が呑み込んだ中には、かつて疫病に沈んだ村であった場所――“病み沼”という小迷宮プチダンジョンが存在していた。

 ボスモンスターは、“病魔のキングスライム”。伝染病で滅んだ村に生まれた、病魔の化身だ。




 しかしそれは過去の話。

 “病み沼”は既に森に呑まれ、不気味な湿地帯へと変貌している。

 スライムを載せたモウセンゴケ型マンドレイクがはびこる魔性の湿地帯へと。ボスであったキングスライムは、マンドレイクに飼い馴らされたのだ。


 そこにあるだけで害毒になるような小迷宮を幾つも呑み込み、森は広がる。時にはその小迷宮のボスモンスターさえも支配下に置いて、さらにはそれに森の魔力の恩恵を与えて。そうやって周囲の魔物ごと呑み込んで勢力を広げていくから、森の危険度はその面積が広がる度に上がっていくのだ。

 そして当然ながら、森の内部に取り込まれた、小ボスや中ボスとも言えるかつてのボスモンスターの動向・内情というのは、周辺の人類国家にとっての重要関心事である。いつの日か森を攻略するために必要な情報だ、定期的に決死隊を送り込む程に。


 かつての“病み沼”に赴き、モウセンゴケに絡め取られてしまった彼女も、そうした決死の調査隊の一人であった。



  ◆◇◆



「う~ぅん……」

「ようやく起きタかー?」


 彼女が目を覚ますと、そこは殺風景な部屋だった。窓もない。照明も暗く、最低限以下の明るさしか無い。暗いのは、眠っていた彼女に配慮したのだろうか。

 調度品は全くない。いや、椅子の上に何かが座っている。部屋の中にあるのはそれだけだ。つまり彼女に話しかけてきたのは、そいつなのだろう。

 ずんぐりむっくりした体躯。鍛えあげられた太い腕。潰れた鼻――豚鼻。下手糞な交易共通語を話すのは、しかしニンゲンではなかった。


 ――オーク鬼……?


 森の尖兵。マンドレイク・フォレストキングの奉仕者。人類種の天敵。

 シノシノ森が広がり始めて以来の怨敵。


「ほトんどミイラみたいナ状態から三日で復調すルとは、人間離れしていルナー。相当にレベルが高いノか、それトもー何かしらノ特殊能力かー……」

「……っ」


 そう呟くオーク鬼の瞳は、思慮深そうな蒼色に染まっていた。高度な教育を施された指揮官階級か、あるいは何かの研究者なのかもしれない。ひょっとしたら祭祀ドルイド階級か。

 オーク鬼の社会形態に関する研究は、まだ余り進んでいない。森に入った調査隊のほとんどは地形調査だけで精一杯であるし、オーク鬼に遭遇すれば第一に逃げることが推奨されている、敵対しては死あるのみと。情報は持ち帰らなければ意味が無い、故に逃亡一択。……それでも、モウセンゴケに絡めとられた彼女たちのように、未帰還者は後を絶たない。

 数少ない研究の結果分かっていることは、オーク鬼たちには幾つかの階級があり、オーク鬼たちは森の王であるマンドレイク・フォレストキングを崇拝していること(少なくともそれが主流の信仰であること)。そして祭祀階級であるオーク・ドルイドは、森の王の力を自在に振るえ、それによってシノシノ森のオーク鬼全体を一つに統率していること。オーク鬼にもオーク鬼の王がいるという噂もあるが、これは未確認だ。


(……生命は助かったけれど、まだ危機を脱したわけじゃあなさそうね。あのスライムモウセンゴケから助けてくれたってことは、今すぐにどうこうするって事ではなさそうだけれど)


 何よりも、情報収集が必要だ。

 そして最終的には逃げ出さなければいけない。

 彼女自身の所属する国家のために、そして一族の使命を果たすために。それを通じてしか、彼女の居場所は存在しないのだから。


 幸い、目の前のオーク鬼はニンゲン国家で広く話されている交易共通語を操っている上、いくらか彼女に好意的なようだ。

 交渉ごとは苦手だが、いまはもう、彼女だけしか居ないのだ。小隊の仲間は、もう誰もいないのだ。


(スティーブ隊長……)


 頼り甲斐のある隊長は、もう居ない。


 彼女自身で何とかするしか無いのだ。

 決死の調査隊は「死して屍拾う者なし」。それは周知のこと。

 救出の援軍が派遣されることは、有り得ない。


 じっとりとした冷たく重い空気。

 水辺特有の冷気を感じる。同時に腐朽菌による独特の生臭いニオイも。

 案外ここは、病み沼からそれほども離れていない森の中なのかもしれない。


 壁越しに、笛を鳴らすような何かの鳴き声が聞こえる――――「テケリ・リ! テケリ・リ!」と、葉が擦れる音とともに、聴くものの精神を苛む鳴き声が。

 彼女はゾッとする。


「スライムどもが、よく鳴く日だナー」

「これスライムの声! というかスライムって鳴くのっ?」

「いつノ間にか笛ノ音を覚えていてナー。結構あたま良いノよナー」

「貴様が仕込んだのかっ!」


 呑気なオーク鬼に思わず突っ込んでしまい、ハッと口に手を当てる。

 ふごふごと低く笑うオーク鬼が、愉快そうに彼女を眺めている。

 こういう尋問の場面では、何であれ会話に応じた時点で負けなのだ。そこから芋蔓式に口を割らされるから。


 だがまあ良い、どの道このオーク鬼と会話して情報を引き出さなければいけないのだ。遅かれ早かれという問題だ。

 そうだ、情報を引き出そうとしているのはオーク鬼だけではない。

 それに先ほどの会話で、貴重な情報が得られた。


(場所は、病み沼からそれほど離れていないみたいだな。スライムの鳴き声が聞こえる程度には……)


 確か“病み沼”の辺りでは、これまでオーク鬼が確認されたことはなかったはずだ。

 恐らくだが、この周囲に居るオーク鬼の数は多くないのだろう。ならば脱出の目はまだある。

 そうやって虎視眈々と機会を伺う彼女の前で、オーク鬼は、小さな金属片を取り出す。今まで眠っていたので彼女の瞳は部屋の暗闇にも順応しており、暗い中でも金属片とそれに埋め込まれた赤い宝石のような結晶がよく見えた。


「……えート、ナにナに――」

「それは私の認識票!」

「『カンナ・ブレイブハート』『女』『竜伐歴376年9月12日生まれ』――ってこトは今、24歳か――『O型』『セントブレイブ聖勇国陸軍所属』『少尉』……」

「このっ、返せ! 返しなさい!」

「おっと」


 彼女――聖勇国陸軍少尉であるところのカンナ・ブレイブハート――は、寝かされていたベッドから飛び上がり、蒼眼のオーク鬼から認識票を取り返す。これは今や、彼女と祖国を繋ぐ唯一の証なのだ。失くす訳にはいかない。

 取り返した認識票を両手で包み込み、胸元へと持って行って庇う。それにこれは最後の命綱なのだ。赤い結晶の輝きがカンナの手に包まれて隠れる。


「そんナに大事ナもノだったか? まあ情報は写したから、返しても問題無いかー?」

「……」

「黙られるトー、困るナ」

「……」


 威嚇するように睨みつけるカンナに対し、処置なしという具合にオーク鬼は肩を竦めた。


「取り返したりは、しナいよ。植樹軍元帥ノ、ダーマ爺さんとは違って、ワタシはニンゲンにも少しは優しいからナー」

「ダーマ……敵兵すらも糧にして戦場を森に変えるという、歴戦のオーク・ドルイドか」

「流石に有名ダぁねぇ、あノ爺さんはー。ニンゲンやオーク鬼を、ぽんぽんとジャイアント・マンドレイクに転生(転職)させる手腕は、ナカナカのもノだーね。それにまあ、かれコれ百年以上も前線で名乗りを上げてやらかしてりゃあ、有名にもナルかね。ドルイドは寿命が長いからナー」

「各国が懸けた討伐賞金を全額合わせれば、国を買ってお釣りが来ると言われているわ」

「けヒヒ、さもありナん」


 植樹軍元帥ダーマといえば、幾多もの国を森に沈めてきた怪物的なオーク鬼だ。戦場に出る度に、大音声で名乗りを上げるため、ニンゲン側勢力にも、“元帥ダーマ”として認知されている。


「まあ、ワタシはあノ御老体は嫌いナノだガーね」

「……あの元帥は、オーク鬼の英雄ではないのか?」

「彼は単なる戦争狂ですダーよ。ワタシのようナ事務屋……というか内政屋かラしてみれば、ポンポン森を広げラれても困ルだけ……。風土にあった樹種の選定と改良、最も効率的ナ樹種の組み合わせ、魔物を含めた生態系ノ構築や、最近進歩が著しいニンゲンの鹵獲兵器の研究……やるべきことは山積みナのさナー。――そう、内政トいうノは、誰にも邪魔されず自由で、ナんトいうか救われてナくてはダメなノです、独り静かデ、豊かで……」


 オーク鬼にも派閥というか、内部対立というものは存在するらしい。

 まあ何処かの国では三人集まれば七つの派閥ができるとも言う。強大な森の王の下で統率されていても、彼らオーク鬼の豚鬼関係(にんげんかんけい)は複雑怪奇なものにならざるを得ないということなのだろう。


「……同じオーク鬼でも、そういう対立があるのか」

「――ニンゲンと似たようナもノ……ま、ニンゲンより我々はマシだと自負しテるがねー。現に、ワタシとダーマ将軍は、そこまで反目しあってルわけではありマせんしー」


 戦争屋は内政に口出さないし、補給を司り行軍を支える内政屋に対しては、一目置いている。内政屋も内政屋で、外敵を防いでくれて、やりがいのある新興開拓地(しごとば)を提供してくれる戦争屋を、本心では嫌っていない。

 お互い無くてはならない存在なのだ。内政屋は戦争の実行部隊になんてなりたくないし、戦争屋は内政なんぞしたくもないのだ。適材適所というのは適者生存の世界を生き抜くのに必要な合理性なのだ。

 彼らオーク鬼たちは、森王の狂信者でありながらも、合理主義者であった。合理的手段で以って、狂信的な一つの目標に向かって突き進む。それは決して矛盾することではないのだった。


「我々は狂信ノ徒だが、理性的に狂っテいる」

「魔物が理性を語るとは、世も末だな」

「末なノは『ニンゲンの世』ノこトだろー。『オーク鬼の世』は今ここから始まるノよな」


 恍惚として語る、蒼眼のオーク鬼。

 そうだ、ニンゲンは今や斜陽の種族で、世界の夜明けは、森とオーク鬼を祝福しているのだ。少なくともオーク鬼たちはそう信じている。


(いや、違う。これは、この森蝕は、ニンゲン自らの業が招いたことなのだ――否、それもまた違うか、ニンゲン全体というよりも、もっと直接的に私の先祖の業が……)


 先ほど夢で見た御伽話に思いを馳せ、カンナ・ブレイブハートは、ニンゲンの――彼女の一族の業を想う。


「ま、そレはともかく。アナタはナカナカ教養豊かソうですし? ちょっくラこっちノ尋問に答えチゃくれまセんかねー?」


 カンナの思考を遮って、蒼眼のオーク鬼が、数枚の絵をぺらりと差し出してきた。廃墟らしきものを描いた風景画だ。


「こレは、一体何でシょう? ワタシは、それを知りタい」

「……」


 オーク鬼が、巨大で頑丈な葉を切って脱色したものを紙として使っているというのは、カンナも知っていた。討ち取ったオーク鬼の中には、家族からの手紙か何からしい紙を持っている者も居たからだ。

 蒼眼のオーク鬼が差し出したその紙に描かれていたのは、人工的な直線をいくつも組み合わせた箱だ。巨大なパイプ、細いパイプが縦横無尽に無骨で巨大な箱を取り囲んでいる。高さは、周囲に描かれた樹の高さから類推するに、五階建てのビルくらいはあるだろうか。

 そして、その鉄箱を取り囲むように、太い木の蔦が巻き付いている。カンナが廃墟だと感じたのは、その蔦のせいだ。彼女はシノシノ森に調査隊として赴く途中で、蔦に締め付けられて崩れた廃墟を多く見てきた。


「最近、あのダーマ爺さんが併呑しタ地域で接収さレた建造物でス。もともと、貴女ノ国のモノだった建物だ」

「……」

「我々は油断シない。油断ナく研究し、学ビ、備え、そして上回ル」

「森が味方なら、そこまでやる必要はないだろうに」

「だがそレは森王様の力であって、オーク鬼の力ではナーい。我々の力を示さネば、いつ捨てらレるとも限らナーい」


 森の同盟者としてのオーク鬼だが、もし将来オーク鬼よりも有能な種族が森王に協力することになれば、いつか見捨てられてしまうかもしれない。そんな恐怖を一部のオーク鬼たちは持っている。信仰する相手は、神よりも見返りを与えてくれるが、所詮それは利害関係が一致しているからに過ぎないのだ。オーク鬼が庇護するに値しなくなればどうなるかなど、少し考えれば子供でも分かることだ。

 ニンゲンが生きるのに必死なように、オーク鬼も生きるのに必死なのであった。そこに慢心は無い。


「我々も必死、ニンゲンも必死……。そして、この絵に描かれた建造物は、ニンゲン側ノ必死さが結晶したもノだロう?」

「……」


 カンナは口を噤む。

 そう、ニンゲンだって必死なのだ。情報を集め、技術を磨き、武器を鍛え、軍団を揃え、経済を回し……。だが、森の生命力の前には形無しで、徐々に大陸から追いやられている。ニンゲンの繁殖力を上回る、森の生命力に。

 確かに、目の前の蒼眼のオーク鬼が言っていることは正鵠を射ていた。


 この函状の建物は、彼女の祖国で――聖勇国で――推進されている、一大プロジェクトの実用化一歩手前の段階の試験施設だ。そしてあらかたの試験が終わり、実用炉が別の場所に建造されていたはずだ。


 彼女は思い出す。彼女の国に現れた珍妙不可思議にして胡散臭い男を。


 誰も考えつかないようなことを語る、あの男。

 誰も知らないことを自信満々に語る、あの男。

 だが妙に筋が通っている話、誰もが納得せざるを得ない話をする、あの男。

 歳若いのに、老獪さを兼ね備えたあの男。

 一つの誤謬もなく、まるで百年掛けて検証されたその結果をそのまま持ってきたかのように新理論を開陳する、あの男。

 それだけの叡智を持ちながら、何かに急かされるかのように……森蝕を恐れるように次々と有用な論文を発表する、あの男。

 出自は一切不明で、突然虚空から湧いて出たようにしか思えない、過去の無いあの男。

 まるで未来を見てきたかのように予言する、あの男。


 男の名前は、アブドゥル・Y・アルハズラット。

 流星のごとく現れた大賢者。万能の天才。千年に一人と云われる偉人。


「ほう、“アブドゥル・Y・アルハズラット”というノかー、そいつは」

「……な!」


 いつの間にか口に出していたのか? 彼女は訝る。いやそれはあるまい。

 では自白剤でも盛られたのか、いや、そのような変な感じはしない。自白剤への抵抗訓練も、軍に居た時に受けているから分かる。

 あるいは、まさか――


「貴様! オーク鬼は読心の魔法を開発していたのか!」

「……うん? え? ……――ああ、マぁ、そんナ所だーよ」

「くっ!」


 まさか心を読む魔法をオーク鬼が開発しているとは!

 これ以上は何も考えない、と彼女は心に誓う。

 とはいえ、そう簡単に無意識の働きを制御できるわけではない。いずれ核心である『蔦に絡まれた鉄箱』の役割も、思考の俎板に載せてしまうだろう。それはいけない。


 身構えるカンナに対して、蒼眼のオーク鬼は、


「ま、じゃア、今日はここマでー」

「へ?」


 と、あっさりと部屋を後にしたのだった。


「なんだか、拍子抜けしちゃったわ……」


 何と言ってもカンナはまだ病み上がり。つい三日前まで、スライムに包まれて生死の境を彷徨っていたのだ。

 緊張が切れると同時に、とさりとベッドに倒れ伏し、そのまま寝息を立て始めた。



  ◆◇◆



『――――の“定着”は順調なようだ。本格的に確認するには血液採取が必要だが、今はそれはやらないほうがいいだろう。無用な刺激を与えたくない。暴走しては情報が聞き出せなくなる。今しばらくは暗室に閉じ込めておく必要がある。

 彼女の姓名と、傷の治りの早さを鑑みるに、相当に優秀な血統なのだろう。それならばニンゲンの国でも高官と関わりがある可能性が高いし、教養もあるだろう。持っている情報にも期待が持てる。良い拾い物をした。たまには“病み沼”にも出かけてみるものだ。きっと鹵獲した函状施設の用途についても聞き出せるだろう。

 “定着”が上手くいかなかった場合は、大嫌いで忌々しいあのマ薬使いのビース婆に、自白剤か媚薬か何かを融通して貰う必要があるだろう。業腹だが仕方あるまい。オーク鬼全体の利益のためには、個人の好悪感情など無視し無くてはならないのだから。抑制剤の開発でも世話になってるしな。

 ああそうだった、ビース婆には、“アブドゥル・Y・アルハズラット”のことも調べてもらおう。ニンゲン社会で工作活動をしているビース婆には、打って付けだろうから。恐らく“アブドゥル・Y・アルハズラット”という男は、最近のニンゲンたちの新兵器群と関連があるはずだ』


 白く明るく照らされた部屋の中、カンナから取り上げたり、またはスライムに取り込まれていた死体から回収した幾つかの機械らしきものを前にして、蒼眼のオーク鬼は研究観察ノートをつける。


『火の魔法を封じ込め、爆発力を破壊力に変換して弾を飛ばす銃。強力な氷の魔法で、瞬時に周囲を凍らせる手投げ弾。微弱な風の魔法で気流を操作し、周囲の毒ガスを緩和し、着用者の体臭を遮る隠密コート。これまでとは比較にならない馬力を発揮する鉄製機械。

 未だ荒削りなものの、ニンゲンの技術力は格段の進歩を見せている。オーク鬼独自の技術開発とともに、ニンゲンの技術解析も必須であろう。きっとカギを握っているのは、“アブドゥル・Y・アルハズラット”という男だろう……』



  ◆◇◆



 夢だ、また夢を見ている。子供の頃の夢。

 暖房機器の前で母に抱かれながら、絵本を読んでもらっている。


『賢者が竜王の動きを封じます。しかし世界で一番の魔法使いでも、動きを止めるだけしか出来ません。

 危ない! 賢者が叫んだすぐ後で、竜王の大きな爪が勇者を吹き飛ばします。勇者は壁に叩きつけられてしまいます。

 勇者さま! 急いで聖女が駆け寄り、勇者に生命力を分け与えます。聖女は命を操る稀有な魔法の使い手の一族なのです。

 おお怖い怖い。そう言って、道化は物影に隠れます。いつもは人付き合いの面で勇者たちを助けるおしゃべりな彼は、戦いでは役立たずです。

 聖女から力を与えられた勇者が、聖剣を支えに立ち上がります。そんな傷だらけの勇者を見て、竜王は笑います。


 「ふ、は、は、は、は、は! 寝込みを襲う不届き者どもめ! 我が炎で地獄へと送ってやろう!」


 ぼぉぅわっ、と竜王の吐いた炎が勇者たちを襲います。

 しかし賢者の魔法は、それを押さえ込みます。準備に準備を重ねた、一度限りの結界です。

 行け! 賢者の言葉を背に、結界を纏った勇者が炎の中を走ります。一体それはどれほどの勇気でしょう。すべてを吹き飛ばす炎に向かって走る彼を支えているのは、勇気と復讐と、そして仲間たちへの信頼です。


 「これで、終わりだ! 邪竜王!!」


 炎の中を進んだ勇者は竜王の口の中に飛び込みます。

 そして遂に、勇者の聖剣が、大きく口を開けた竜王の喉の奥へと突き刺さりました。


 「ぐ、う、お、お、お、お、お、お、お――――!!」


 竜王が恐ろしい叫び声を上げて倒れます。

 遂に勇者は、人々を苦しめる竜王を倒したのです。


 人々は凱旋した勇者を讃え、勇者は王様になりました。そして勇者は聖女をお后様に迎えます。

 勇者と聖女、世界を救ったこの二人が、聖勇国の最初の王家なのです。


 めでたしめでたし――』



 ……そういえば、子供心に思ったものだ。


 『賢者と道化はどこに行ったの?』と。


 聖女と幼馴染だった、あの賢者は何処に行ったのだろう、と。

 悪魔のような智謀と弁舌のあの道化は、何処に行ったのだろう、と。


 そして軍に入って竜について学んで、さらに疑問に思った。一度だけ本物の竜も見たことがある。


 あのおそろしい竜たちを、聖剣の一本で殺せるのだろうか、と。ましてや竜の中でも卓越した個体である竜王を?

 それを成したとしたならば、それは勇者を援護した聖女や賢者の方が、功績が大きいのではないだろうか、と。そう、竜王を倒した彼らはむしろ、勇者と言うよりも魔王――人魔王――ではないのか。


 ああ、そして私は知ってしまったのだ。あの時、実家の開かずの間で見つけてしまった。それを読んでしまったのが、人生の転機だった。

 自分の家に伝わる業を、知ってしまった。傍流の家の忘れられた書斎に隠された業を。その因縁を、勇者の血を引く本家の者たちは今もなお知っているのだろうか。それとも忘れてしまって、のうのうと暮らしているのだろうか。



 賢者が何処に行ったのか。

 勇者が何をしたのか。

 聖女は、道化は――。




 ……森だ。

 そうなのだ、森へ行かなくてはならない。

 死の森へ。

 それこそが使命なのだから。一族の。

 決着をつけなくてはならない。竜伐歴元年以来の因縁の。


 そう決意した私は調査隊に志願した。

 どのみち一族の忘れられた使命を、そしてこの国の建国にまつわる秘密を知ってしまえば、表の世界には居られない。

 幾つかの任務をこなし、比較的浅いところにある“病み沼”への派遣が決まり、そして――――。



  ◆◇◆



 目が覚めた。


 相変らずに辛気臭い、森の中の部屋。木が腐ったような匂い、独特のキノコの香り……栗の花のような、というのだろうか、それが昨日よりも強烈に臭ってくる。まるで自分の体に染み付いているような、いや、自分の体こそが発生源のような、それ程に強烈な臭いだ。まあ、すぐに鼻が慣れてしまったが。

 栗の花の匂いということで、念のため身体を検めるが、特に何かされた様子はない。……スライムに取り込まれた後遺症か、皮膚に若干の痒みがあるくらいだ。まあそれも直に治まるだろう。回復力や解毒能力は、この身体に流れる血筋故にかなり高いのだから。

 まあ昔ならいざしらず、近頃のオーク鬼は異種族を犯すよりも、純血を保ちドルイド種の適性を高めることが勧められているから、そういう不埒な可能性はないのだが。……いやしかし、はて、いつの間にそんな知識を仕入れたのやら? オーク鬼の生態は研究中で、彼らの習俗の流行など、自分が知るはずもないのだが? とカンナは疑問に思う。しかし、疑問はすぐに雲散霧消する。してしまう。それ以上は考えなかった。考えられなかった。しかし彼女はそれにも気付かない。気付けない。


 まさに森の中の家らしく、この部屋は木で出来ている。木造であるということは、ひょっとしたらこの部屋自体が、マンドレイク・フォレストキング(あるいはそいつから分化した眷属)の腹の中ということなのかも知れない。木材とは違う生木の臭いがするし、恐らくはそうなのだろう。そして相変らずに、部屋の中はほとんど真っ暗だ。

 生きた家に取り込まれていては、こちらの動きはあの蒼眼のオーク・ドルイドに筒抜けなのだろう。ドルイド種は植物と会話できるのだから。これ以上の監視はあるまい。誰にも見張られていないのは、見張る必要もないからだ。いや、部屋そのものに見張られている。

 だから、


「起きたナ」

「来たわね」


 すぐにまた昨日と同じように蒼眼のオーク鬼がやってきた。部屋の木材が、彼女の起床をオーク鬼に知らせたのだろう。


(ここから逃げ出すためには、一体どうすれば――)


 彼女は帰らなくてはいけないのだ。使命を果たすためにも、こんなところで死ぬわけにはいかない。死ぬなら、もっと奥地で、森の王を道連れにでもしないと。

 しかし勇者の御伽話ではないが、独りでできることなんてたかが知れている。だから、ここから逃げて、今は力を付けないと。


「逃げようナどとは、思わナいこトだ。――それヨり、あの絵ノ建物が何か、思イ出せタか?」


 まるで考えを読んだかのように、オーク鬼が釘を刺す。

 そして再び、蔦が巻き付いたパイプだらけの箱型の建物の絵を見せる。


(――建物、……あれは、マンドレイク炉の実験炉。炭と魔力結晶を作る、らしい。何度となく、あの天才男の取り巻きが何やらいろんなところで喚いていたからそのくらいは知っている。仕事でも多少触れたし。まあ、詳しくは知らないが。――大体、王宮のボンクラども機密保持を何だと、調査隊の最初の仕事が内偵と綱紀粛正とかどうかしてんじゃないの憲兵隊もズブズブとか最悪――)


 相手が読心の魔法を使えるのに、彼女はつらつらと考えてしまう。

 全く自分の思考が制御できない。支離滅裂だ。まるで、喋りたがりの自分がもう一人、自分の中に居るような、そんな分裂感。


「炭と魔力結晶?」


 やはり思考を盗撮されている。口に出してはいないはずなのに、オーク鬼は適切な単語を拾い上げてしまっていた。それ以上、私の頭を覗くな。そんな彼女の思いをよそに、オーク鬼は思考を進めているようだ。


「魔力結晶は、分かる。最近ノ新兵器の動力源、ダな? 炭は――ああ、そうか、鉄を熔かスのか?」


 マンドレイク材を高温で燃焼させることで、骸炭にする。

 その時に解放される魔力と毒ガスはパイプから回収し、その中から魔力のみを析出させて結晶化。毒ガスは専用容器に封印。

 作られた骸炭は、鉄鉱石を熔かして鋼鉄を作るのに使われる。剣や銃やらの強度が上がっていたのは良質の鋼の供給が安定した為だ。しかも本来ならありえないレベルの高性能鋼まで、アルハズラットの主導により、少量ではあるが作られている。


「ナルホド、ナるほド。確かにこの森の木は密度が異常に高ク、非常に良質な炭にナるな。それに含まれる魔力は異常ノ一言。何らかノ魔法的手段を併用シて抽出シて結晶化すれば、実用化するノに十分な量の結晶が取れるだロう」

「……やめろ、これ以上覗くな。出ていけ、出ていけ、出ていけ……。私の頭の中から消えろォ!!」

「ふむ、侵蝕は順調、とーいう訳だーナー」


 急に情緒不安定になったカンナに対して、蒼眼のオーク鬼は冷静に、そして満足そうに呟く。


「何だ、何だ、くそ、何だって言うんだ、お前、私を帰せ、国に帰せ、私には、やるべきことが――」

「ふゥン? まあ、これから調べたいこともできタし、じゃあ、また明日にでも。――――カンナさんがー? 正気をー? 保っていたラー? ふ、ふふふ、では、マたネぃ」

「消えろ消えろ消えろ! 出ていけ! 部屋から! 私の頭の中から! 永遠に!」

「いイや、お前が永遠の奴隷とナるノだ――ナんてね」

「出て行け! 消えろ! 消えろ! 消えろ! 私を、私を独りにしてくれ!」


 目を閉じて、耳を塞ぐカンナ。


 蒼眼のオーク鬼は満足そうに目を細めると、部屋から出ていった。

 暗い部屋に残されたのは、カンナ独り。

 赤い結晶がついた認識票を握りしめて、ただ独り。


「くそ、何なんだ、ここは、あいつは、この現象は! ――いや、そうだ、きっと、ここから逃げれば、良くなるんだ、そうだ、そうに決まって――――」



  ◆◇◆



『定着は順調。明日には問題も無くなるだろう。きっと、総てを語ってくれるはずだ。ああ全く、彼女は良い拾い物だった。そして彼女が執着する使命とは何なのだろうか、森の起源にも関わることのようだが……? ――しかし、やはりニンゲンは侮れない……アブドゥル・Y・アルハズラット、か』


 蒼眼のオーク鬼は日報にそう記す。今はもう真夜中だ。


 彼のそばには、大小様々なキノコや植物のオブジェがある。

 例えばそれは、キノコと枝が生えてネズミの形になっているこんもりとした小さな塊だったりする。

 そのそばには動かない虫が転がり、その甲殻の隙間がキノコの菌糸で白く盛り上がっている。冬虫夏草だろうか。

 そしていくつも、葉っぱに包まれたり、あるいはキノコに覆われたりしている等身大のマネキンもある。

 ――……いや、マネキンなのか? 微かに見えるマネキンの口元は喘ぐように震えて――――。


『始祖の巫女であるオード様や、植樹軍トップのダーマ元帥、対ニンゲン工作班トップ――情報局のビース長官――とも会議を持つ必要があるだろう』



「ふぅ、これで今日の記録は終了だなー。じゃあ早速、じいさんばあさんたちと会議せんとなー。……キルレアン・ダイブイン」


 蒼眼のオーク鬼は、マンドレイクの葉を漂白して作った報告用紙に書きつけると、目を閉じて瞑想を始める。

 オーク・ドルイドは瞑想によって、森を支配するマンドレイク・フォレストキングにより深く接続することができるのだ。

 そしてそれを通じて、遠隔地に居る別のドルイドとも思考を交わすこともできる。どうせこの時間でも、オーク・ドルイドの重鎮たちは活動しているだろう。ドルイドは森の魔力の恩恵で、ほとんど眠らなくても支障はないのだから。


 蒼眼のオーク鬼は、周囲の警戒(アラート)を不気味なオブジェと化している周囲の植物に任せて、深く深くマンドレイク・フォレストキングのキルレアン場に潜行していく。――何か些細なことがあっても、身の危険がない限りは簡単には起きないほどに、深く、深く……。



  ◆◇◆



 その頃。

 草木も寝静まる丑三つ刻。

 そう、草木(・・)も寝静まる、真夜中である。

 警笛のようなスライムの鳴き声も聞こえないから、間違いないだろう。


「脱出にこれほどうってつけの時間があろうか、いや、無い」


 疲労困憊と栄養不足で点滴刺されながらスピーと熟睡していた昨夜とは異なり、カンナは夜中でもばっちりぱっちり目が醒めていた。


「この時間なら、部屋を覆う植物意識も眠っているだろう……、多分きっと、そうであってくれ……」


 もはや一刻の猶予もない。彼女は焦燥に駆られている。


 ――脱出しなくては。ここから逃げなくてはならない。なんとしても。


 普通に考えれば、何らかの幸運で脱出できたとしても、装備がない状態でシノシノ森を抜けられるはずもない。だが、そのことに思い至りつつも、彼女は脱出を決行するつもりであった。


 ――こんな所にこれ以上居られるか! 私は国に帰るぞ!


 とまあ、そんな具合である。脱出行の危険性よりも、この場に留まる忌避感がそれを上回った。それに、このまま留まっても、おそらく結果は同じ――最終的には死が待つのみ――だろう。

 そして、周囲に彼女以外のニンゲンの気配がない以上、おそらくこの建造物は普段から檻のような用途で利用されているのでは決してないのだろう。あるいは、マンドレイクに祈請して急拵えした別棟なのかもしれない。一部屋作るくらい、ドルイドと森王にしてみれば、簡単なことだろうから。

 この先監視が強まることはあっても、緩くなることはあるまい。そして何よりも、頭の中を覗くあの蒼眼のオーク鬼の魔法が恐ろしい。これ以上機密を漏らす訳にはいかない。自殺は出来ない、本来なら機密保持のためにも自殺すべきなのだろうが、彼女の一族の使命が、それを許さない。


「……っと、開いてるな」


 幸いにも扉は開いていた。あるいは封鎖する必要性を感じなかったのも知れない。


「……」


 幸いというか何というか、近くの部屋に荷物も置いてあった。まるで逃げ出すのにお誂え向きに。

 そして彼女はそれを掴むと、夜闇よりもなお暗い森の闇へと駆け出した。





 内政屋と自称していたあのオーク鬼が管理しているせいだろうか、下生えの密度は疎らで、幾分走りやすい。森の辺縁の無秩序さとは無縁だ。ここには人工的な秩序があった。

 それでも森の樹の枝は多く、木々の間を疾走する彼女の身体を打つ。服は未だに入院着のような薄手の服。防御力などありはしない。

 枝葉が皮膚を裂くが、しかしそれは瞬時に塞がった。


「……この体質には感謝しないとな」


 軽い傷なら即座に塞ぐほどの回復力。

 勇者と聖女の血脈。

 セントブレイブ聖勇国王家の傍流、ブレイブハート公爵家の超回復能力。


 このお陰で、カンナ・ブレイブハートは病魔のスライムの侵入を防ぎ、全身を中から溶かされることがなかったのだ。御伽噺で勇者の村が襲われたときに彼が生き残ったのも、この突然変異的な回復能力があったからだという。それを彼女は継いでいた。


 だが彼女は闇のせいで気づかなかった。

 治った傷口から、何か細い細い繊維のようなものが毛羽立つように、あるいはファスナーに噛まれた糸のように漏れ出ていたことに。

 それは菌糸のようでもあり、また植物の根のようでもあった。


 彼女はそれには気づかなかった。



  ◆◇◆



 どれだけ走り続けただろうか。

 勇者の血脈がもたらす体力の恩恵に任せて、延々と森の中を走った。あるいは何日も経ったのかもしれない。光の届かない森の中では、時間感覚も曖昧になる。

 だがおそらくは、森の出口も近いはず。代わり映えのしない景色の中、彼女は鍛えられた方向感覚のみを頼りにひた走る。常人ならば絶対に迷うような森の中を走る。樹々が光遮る闇の中で、光を求めて走る。


 その時、ざわり、と樹が揺れた。


『テケリ・リ! テュリリリ!』

「ッ!」


 すかさずカンナは飛び退き、逃げ出す時に回収していた装備から小さなナイフを取り出して構える。気休めにしかならないが、気休め程度にはなるということ。


 ずるりと樹々の間から零れるように現れたのは、漆黒の粘性体――病魔のスライムだった。


「結構沼からは離れたはずなんだけどね……」


 ふるふると震えるスライムは、巨大モウセンゴケ型のマンドレイクに載っていた時よりも、三回り以上は小さく見えた。

 おそらくは森を這いずりまわる内に、水分を土壌に吸い取られて縮んだのだろう。

 だがそれでも強敵には違いないだろう。分かたれたとはいえ、元は村をひとつ飲み込むような巨大な魔物だったのだ。身の丈ほどもある魔物に、小さなナイフ一本では、些か以上に心許ない。


「あのオーク鬼に命令されたのか?」


 いや、オーク・ドルイドは、スライムに対しては直接命令できないはず。

 それにスライムを追手にしなくても、カンナが森の中に居る以上、植物を操ったほうが早い。


「……それとも、私の味が忘れられなかったとでも?」


 カンナはまさかと思って首を振る。

 自分を陵辱し蹂躙したスライムが、その味を忘れられずに追ってきたなど、悍ましいにも程がある想像だった。



 スライムが銛を飛ばすような速度で偽足を伸ばす。

 そこに獣欲の気配を感じ取ったのは、カンナの妄想だろうか。


「もう貴様なんぞに捕まるものか!」


 生理的嫌悪に突き動かされて彼女はスライムの攻撃を素早く跳んで躱す。

 彼女の体内感覚では、森の出口はもうすぐなのだ、こんなところで捕まる訳にはいかない。

 ましてやあんなスライムなんかに。


 カンナが避けたスライムの槍は森の土に刺さる。

 どくん、とスライムの本体が脈動したかと思うと、その槍を膨らませながら、根本から先端に向かって何かが流れていった。

 ポンプで水が送られるようにそれが槍の先端に達すると、槍の穂先がまるで碇のような形に膨張し、土に根を張った。

 そしてその固定を基点にして、まるで土の上をクロールするかのようにスライムが移動する。予想以上に速い。


「……魔力を温存している場合じゃないな。……肉体強化!」

『――キッ、リリ!』


 再び飛んできたスライムの触手槍から、カンナは魔法を使って強化した筋力で樹上へと逃れる。


「高機動型スライム? 水が抜けて肉が締まった分、力が強いのか?」

『リリリリリリリリリリリ――――!!」


 しかしスライムは何本もの触手を生やしてそれを追う。

 樹の幹たちの間でボールのようにバウンドして、幾本もの触手を巧みに使うスライムは、明らかにカンナのスピードを上回っていた。


「くっ、追いつか、れる!?」


 逃げるカンナ、追うスライム。

 立体的な機動をする一人と一匹の差は、徐々に狭まっていく。

 狂ったように撒き散らされる警笛のような鳴き声が背後から迫る。


 そして遂にカンナは追いつかれて、その粘液の中へと取り込まれてしまう。


「ガッ、ゴボッ!?」

『テケリ・リ! リ・リ・ティリリ!』


 スライムが歓喜の声を上げる。

 カンナの皮膚から、食道から、スライムが入り込み接触できるあらゆるところから、彼女の中の生命力を奪い去っていく。

 寒い。寒い、寒い。熱が無くなる。生への渇望が冷えてゆく。


 だが――


「――――ッ!!」


 ぎりりと歯を食いしばり、彼女は粘液の中で苦労して手を動かす。

 自分の胸元へと。

 漂うドッグタグへと。

 紅い紅い魔力結晶が輝くそれへと向かって。


 そして遂に、彼女の手は認識票を握る。


 最後の切り札。

 最新技術の粋を凝らした実験装備。


 魔導回路のウェハースを銘札で挟み込み、動力源としてマンドレイク由来の高純度魔力結晶を嵌め込んだもの。


(発、動っ)


 濁った視界の中、意志の力をドッグタグに込める。

 刻まれた術式が作動する。魔力結晶が、夕日よりも紅く輝く。

 そして発生した魔力の刃が粘液を沸騰させる。


『――リ、リリリリリリリリリ――!!?』

「ガハッ、こなくそーーー!!」


 指に挟んだドッグタグから迸る魔力の奔流が炸裂し、スライムの表面に幾筋もの光の軌跡が走る。

 さらに魔力の波動が、内側からスライムを吹き飛ばした。


 解放されたカンナが、地面に落ちる。

 ぼとぼととスライムの破片が周囲の木の幹に飛び散り、こびりつきながらも力なく徐々に滴り落ちていく。


「ガハッ、ゲホゲホッ、ッハァ……。はっ、ざまあみろ!」


 スライムはもう鳴くことはない。

 千々に千切れたその身体は、もはや発声のための器官を作ることなど出来ないのだ。

 もうあとは震えながら中身をぶちまけて地面に染みこんでいくのを待つだけだ。


「は、ははははは! これで、追手は居なくなった。……あとは、国に帰るだけだ」


 ドッグタグは一枚減ってしまったが、それでもあと一枚残っている。身の証を立てるには十分だ。

 公爵家から出奔し、死して屍拾う者なしの調査隊に入った時点で、彼女の身は社会的には既に死者と同じであった。戸籍上は死んだ人間なのだ。ドッグタグだけが唯一の故郷との繋がり。


 魔力刃発動の余波でズタボロになった腕をかばいながら、森の中を往く。徐々に超回復によって腕は修復されていくが、それでも流石に完治までには暫く時間がかかりそうだ。



 暫く歩くと森の出口が見えてきた。


「出口だ……!」


 カンナは走りだす。

 光の下へと。


 彼女の身体の中で――皮膚の下で――歓喜の衝動がざわめく。

 そう、光だ、光が必要なのだ。

 生きていくには、陽のもとでなくてはならない。


「出口だ!!」


 そして、求めるように差し出した片手が陽の光の下へと出た瞬間。


「――え?」


 呆然と彼女は口をわななかせる。

 さっきまでの勢いはない。

 根が生えたように彼女の脚は止まってしまっていた。


「ああ……」


 太陽の下に出たいという願望と、それをする訳にはいかないという抑止の理性が葛藤する。

 ……いや、そもそも『光を求める』――正の走行性――は、彼女生来のものだったのか。


「ああ」


 突き出した手を、彼女は自分の顔の前に持ってくる。


「ああ――!」


 そこからは、緑が芽吹いていた。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」



 絶望がカンナの膝を折る。気づけば彼女の全身は、不気味な何かに寄生されていた。ヤドリギ――それはそうに違いなかった。そして生臭いキノコの香りは、彼女の身体に入り込んだ菌根の臭いでもあった。彼女自身が臭いの発生源であったのだ。


 いつの間にか森の奥底から伸びてきた蔦が、冥府から伸びる亡者の手のように彼女を絡めとり、再び森の闇へと引きずり込んでいく。

 生気を失った女の、亡霊のような声が森に木霊し続けた。



  ◆◇◆



 ここではないどこか、意識のみが交わる場所、キルレアン場の海にて。


『内政屋・モーバ、貴重な情報をありがとうよ。アブドゥル・Y・アルハズラット、か。調べてみることにするよ』

『何、気にするなーよ。ビース婆さん。じゃー、よろしくたのむよー?』

『婆さんと呼ぶんじゃない、だいたい貴様の方が年上だろうが!』

『はははははー、森の外の任務が多いと大変だねー? 森王様の魔力が薄いから老化が早くってさあー?』

『はん、引き篭もりは気楽なもんだ!』


 そこで意識を交わし合うのは、オーク・ドルイドたちだ。

 内政屋の蒼眼のオーク鬼・モーバ、そして人間社会での諜報・撹乱任務を統括している長官・ビース。

 さっきまでは同じ位相に、元帥・ダーマと始祖の巫女・オードも居たが、今は彼らだけのようだ。


『それより、アンタが捕まえた小娘を逃がすんじゃないよ! 森の情報を掻き消すのは、並大抵じゃあ無いんだからね!』

『ああ、分かってる、分かってるだーよ。今もちゃんと、捕まえ直したところだからーね』

『あん?』


 捕まえ直した?


『って、一遍逃げられとるんじゃないか! この間抜け!』

『ヤドリギ型マンドレイク植え付けてるから、逃がしゃしないだーよ。居場所はすぐわかるし、もう蔦で引きずり戻したんだからいいじゃないさー。折角珍しく定着も上手く行ったみたいだからーね、こっちとしても逃がすつもりはないだーよ? 貴重なサンプルケースだし』

『へえ、あれ、ようやく使い物になったんかい。ダーマ元帥の【森の鎧】をベースに改造したやつだろ?』

『そーそー。苦節数十年、仕事の合間合間にコツコツ改良し続けてきた甲斐があったよー、ホントに。なんと共生マタンゴの菌根が神経に絡みついて思念を拾うから、尋問の必要も無くなる優れ物だーよ』


 ヤドリギ・マンドレイクと、菌根マタンゴの絶妙の組み合わせによって、生物の思考を覗き見ることができるのだ。

 ヤドリギ単体では神経との相性が悪いが、より動物に近い菌根を介することで、その問題を解消したのだった。


『……聞くがね、それは拷問より手っ取り早いのかね?』

『いやー、どーだろねー?』

『結局は趣味の産物ってわけかい』

『まーまー、良いじゃないのさー。それよりさー、ニンゲン技術の研究のためにさー、ビース婆さんのとこから誰か送ってくんない?』


 研究開発の統括に、専門のオーク・ドルイドの増員が必要だと、内政屋のモーバは感じていた。

 それに諜報担当のビースはため息をつく。


『……分かった、見繕っとくよ』

『さっすがー! 頼りになるー!』

『その代わり、物資や魔力の融通は多めに頼むよ?』

『おーけー、おーけー。ダーマ爺さんが広げたところが幾つか軌道に乗りだしたから、優先的に回してあげるさー。……そっちこそ頼むよー?』

『分かってる。セントブレイブの“アブドゥル・Y・アルハズラット”だね、調べとくさ』

『あと、ブレイブハート公爵家に伝わる、セントブレイブ国の謂れについてもねー。森王様になんか関係があるかもー』

『はいはい』


 そのやり取りを最後に、キルレアン場の海からオーク鬼の意思が消える。


 残されたのは、あまりにも広大すぎて実在を実感出来ないくらいの、海のように広くて深いマンドレイク・フォレストキングの意識のみだった。


 ――――そうだ、もっと私のからだを広げてくれ、オーク鬼たちよ。

 ――――ニンゲンを滅ぼし、全てを呑み干して……。



■スライム

ありふれた魔物。元は微生物だったものが巨大化したモンスター。某人造神話のショゴスをリスペクト。テケリ・リ!


■ブレイブハート公爵家

セントブレイブ聖勇国の公爵家の一つ。かつての勇者(竜伐の建国王)の力を継ぐ家系の一つ。自己回復能力に秀でており、悪辣な寄生生物に寄生されてもその生命力で生き残ることが出来るだろう。

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