土の魔法戦士とオーク鬼
『森蝕時代が始まって以降、急激に「剣と魔法の時代」は終わりを告げた。
一人の大天才の出現によって、時代は「剣と魔法」から「鉄火と魔導具」の時代へと移り変わっていったのだ。
大天才、万能人――――アブドゥル・Y・アルハズラット。
数学、物理学、化学、そして魔導力学を一足飛びに五百年は進歩させたと言われる人物である。
彼の遺した業績は余りに高度で難解であり、それを理解し切るのに、人類は彼が雲隠れした後二十年もの月日を要した。
しかし、彼の遺した業績のお陰で、人類はかろうじて、この新大陸で森蝕に抵抗できている。
彼の発見・発明を記した論文の中で、最も重要だとされる論文が何かは、読者諸賢にとっては言うまでもないことだろう。
――――「マンドレイク材からの魔力抽出方法と、マンドレイク材のコークス化、及びそれらの工業的利用法」と題されたそれである。
この論文に提示された理論と方法により、急激な工業化と戦力増強、そして抽出魔力に支えられた大出力魔導具の発展が進むこととなった。
また侵蝕する森に対して、単なる侵略者としての位置付けのみならず、魔力抽出源およびコークスという熱量源としての位置づけを与えたことの意義は大きい。
彼のこの論文が理解されて以降、森との戦いは生存闘争の側面と、経済的産業的活動としての側面の両方を持つようになり、これにより利益を求めた民間資本による積極的な森蝕への対処が活発化する。
しかしそれは一方で、忌々しいマンドレイク・フォレストキングへのエネルギー面での依存も意味しており――――』
――――――眠冥書房刊 『万能人“アブドゥル・Y・アルハズラット”の功罪』より引用。
◆◇◆
時代は『鉄火と魔道具』へと移り変わる。そうしなくてはニンゲンは森に対抗できなかった。
だがしかし、『剣と魔法の時代』も確かに存在したのだ。
オーク鬼とニンゲンが、互いの武と魔を競い合った時代が。
これから語るのはそんな、古めかしくも華々しく、そして名誉と泥臭さに満ちた時代の話である。
◆◇◆
息せき切って入ってくる軽鎧を身につけた男。その顔は何か恐ろしいものを見たかのように青ざめている。
「大佐! オーク鬼です、オーク鬼の群れです!」
「性懲りもせずに奴らめ……、いくら力押しで来ても突破できないと分からんのか! 状況は!?」
促された軽鎧の伝令兵が、この部屋の主――大佐と彼が呼んだ男に報告を始める。
ここはニンゲンと森との戦いの、その最前線に築かれた砦である。
「森を掘り返して広げた陣地の端、つまりこの砦の北側から大挙してやってきています。
目算ですが、完全武装のオーク鬼がおおよそ五百、それとマンドレイク・ナイトが同じく五百の混成部隊。横一列で前進中!
オーク鬼どもは、見慣れない黒い鎧をつけています。そしてオーク鬼の前進と共に、開墾したはずの森が再生していきます!」
「オークとマンドレイクの同時侵攻だと?」
その報告を受けて、大佐は急いで砦の上へと登り、遠眼鏡でその様子を見る。
遠眼鏡の先では、目に見えて分かる程の異常な速度で森林が広がっていっていた。
まるで時間を加速したかのように樹々が育ち、森の領域が広がって押し寄せてきている。
――『森蝕』である。
森と開墾地の境では、前進する騎士鎧姿の樹木モンスター――森の尖兵と呼ばれるモンスター、マンドレイク・ナイトだ――が、次々に膝を折り、そこから根を張り枝を広げ、みるみるうちに巨大な樹木に姿を変える。
マンドレイクたちは、ニンゲンが砦の周りに開墾した土地を、こうやって森林化しながら制圧前進しているのだ。高速で森林化しながら前線を押し上げるこの手法は、マンドレイクの侵攻の常套手段だ。
今までニンゲンたちは、マンドレイク・ナイトたちが根を張り、機動力を失って成長に集中したところを攻撃することで、討ち取ってきていた。だが今回はこれまでとは異なり、そのマンドレイクたちを守るように、そして恐らくはニンゲンの兵士を露払いするためにオーク鬼たちが随伴している。
邪魔なオーク鬼をまずは片付けようと、砦からも弓矢や魔法を次々と射掛けられるが、次々と育っていく樹々を遮蔽に取られ、オーク鬼たちには届かない。オーク鬼とマンドレイクは、明らかに協力しあっていた。これまではこんなコトはなかったというのに。
「……マンドレイク・ナイトは、戦闘要員ではなさそうだな。簡易の遮蔽兼植林要員ということか? だが妙に統制が取れている……マンドレイク・ナイトに指揮官級でも現れたのか?
目の前の動きを見る限り、マンドレイクとオーク鬼が協調し始めたというのは、最早確定だな。全く、どうやって意思疎通してるのか知らんが、厄介なことだ。
そしてオーク鬼が着ている黒い鎧は一体……? いや、考えてもやることは変わらないか。たかが鎧程度で何が変わるものか。まさか魔導具でもあるまい、魔導具なんて豚野郎どもが五百も用意出来るわけがない」
遠眼鏡を覗きながら、ニンゲンの指揮官である大佐は訝しみつつも部下に命令を下す。
人類は未だ知らない。
森蝕の立役者たる、オークの新しい階級を。
死の森のオーク・ドルイドという、人類の天敵を。
彼らオーク・ドルイドは森の樹々と意思疎通し、森による圧倒的な補給物量と面制圧能力そして溢れんばかりの魔力を味方にして進撃してくる。
その上ただのオーク鬼より数倍も知能が高く、一帯の森の中全てを見通す超感覚を以って、戦場を把握して高度な戦術を構築する、優れた指揮官でもあるのだ。
この砦にはまだ他国の詳しい様子は伝わっていないが、彼らドルイド種が現れてからというもの、各地で人類の優勢は崩れ始めている。しかしドルイド種の存在を、未だ人類は知らない。
この砦のニンゲンが知っているのは、近頃になって森の侵蝕がこれまで以上に活発になり、ニンゲンの生存圏が脅かされているということだけだ。その原因までは思い至っていない。
『森蝕』が活発になってから、まず辺境の村々が森に呑まれた。
そして田畑も街道も一夜で森に沈んだ。
関所は急成長する樹木に内側から崩され、蔦覆う廃墟と化した。
『森蝕』は――『死の森』の拡大は留まることを知らない。
この砦が所属している国は、優れた土系統の魔法の使い手たちが多いことで知られている。森の拡大に対しても、特異の土魔法で土を操って、マンドレイクを地下茎ごと根刮ぎ掘り返したり、森との境目を深くまで岩盤に変えたりして対処してきた。
それでも『森蝕』に対しては付け焼刃的な対応にしかならなかったが、他の国よりは幾分マシである。
特に、土魔法を用いてマンドレイクの地下根塊を地面の浅い部分にまで掘り上げ、土を被せた状態で火の魔法で蒸し焼きにすることで毒ガスの発生を抑えるという根絶方法は、幾らかの効果を表してきた。
だがそれは、相手がマンドレイクの末端だったから出来たこと。マンドレイク・フォレストキングの図体は大きいせいか、隅々までは意識が回らないのであった。どうやらマンドレイク・フォレストキングは、効率の良い戦術など考えずとも、数で押せば良いと考えているようだった。
ニンゲンたちは知らないが、今回の侵攻にオーク鬼が随伴しているのは、細かいことに気が回らないマンドレイクを補佐するためでもある。そしてオーク鬼たちが邪魔な戦力を排除したあと、じっくりと森を広げるつもりなのだ。
ニンゲン側は、近頃マンドレイクの眷属たちの行動パターンが変化しているのを感じていた。明らかに即応性が上がっているのだ。まるで指揮官が居るかのように。だがそれをオーク鬼と結びつけて考えることはまだ出来ていない。
最近の森蝕の活発化は、森の植物への指揮権限を、森王がオーク・ドルイドへと一部移譲した結果なのだが、ニンゲンはまだそれを知らない。これからの生存闘争が過酷を極めることを、まだ知らない。
ニンゲンの大佐は、整列した兵士たちの前で演説を振るう。
「この砦の後ろには、人口十万の街がある!」
決して、この砦を落とされる訳にはいかないのだ。
大佐と呼ばれた男は、決意を新たにする。
この砦の後方の街は、とてもじゃないが、避難は終わっていないし、それだけの人員を避難させられるような土地もこの国には無い。
避難させたところで、食わせていくことなど到底出来はしない。
都市の人口を支えていた辺境の田畑は、駐留する軍も無かったため、早々に森に呑まれたのだから。
では、これから待つのは、暗澹たる飢餓の時代だろうか。
いくら目の前に森があろうとも、その森は『竜殺しの死の森』。人間が立ち入って、生きて帰れる保証など無い。
豊かな森を目の前にして、人類は指を咥えて飢えていくしか無いのだろうか。
――いいや、そんなことは許されない!
「やるぞ、これ以上森を広げさせるわけにはいかん!」
「はい!!」
「我らの土地を――田畑を取り戻すのだ! 森を伐り、土地を耕し、あの金色の麦畑を取り戻すのだ!」
「応!!」
砦の軍人たちに下された命令は、人類領土の死守と、失われた田畑の奪回である。そうしないと、農地の不足から端を発した大規模な飢饉が起きるだろう。
もっともそれを命じられなくとも、彼ら軍人たちの多くは森に土地を奪われた元農民の志願兵であるため、土地の奪回へ向けた士気は高い。
またこういった前線の軍人たちには、飢饉対策として、あの危険な『死の森』の浅層に分け入って食料を取ってくることも期待されている。なかなか成果は上がっていないが、最近では下流の庶民の食卓に軍人たちが狩猟したモンスターの肉が並べられるようになってきているらしい。随分と臭い肉らしいが、背に腹は代えられないということだろう。このように、砦は前線基地であり、貴重なタンパク質の供給拠点でもあるのだ。
だから、ここで砦を落とされる訳にはいかないのだ。むしろ返り討ちにして、オーク鬼たちの肉を食らってやるくらいの気概で無くてはならない。
十分な食料が手に入らなければ、人類側では残った食料を巡っての内紛が始まってしまうだろう。愚かしいことだが、内部分裂で森と戦うどころではなくなるはずだ。そうならないためにも、砦に詰めている軍人たちは拠点を確保し続け、森蝕と拮抗し続けなくてはいけない。
「武器を取れ! 魔力を滾らせろ! 敵は眼前、我が国の興廃は諸君の――いや、我らの双肩にかかっている!!」
「「 おおおおおおおおおおおおおおおおお!! 」」
鬨の声が上がる。
◆◇◆
豚面の人型たちが囁くように話し合っている。
『良いか、もうこれ以上ここで前線を停滞させる訳にはいかんぞ(ぶひぶひ)』
『ですね(ぶひー)』
オーク鬼たちが攻勢に出る少し前。場所は森の境から少し入ったところの巨木の上にあるツリーハウス。
そこで数人の指揮官階級のオーク鬼たちが『ぶひぶひ』『ふごふご』と共通魔物語のオーク鬼訛りで会話を交わしていた。
これまでの何度かの戦いで、数の上でも質の面でも、彼らオーク鬼はニンゲンたちに対して圧倒的に優っているのは分かっている。そうだというのに、オーク鬼たちにどこか焦ったような雰囲気があるのは何故だろうか。
『今日こそはあの小生意気なニンゲンどもを蹴散らすんだ。森王様に仕えるドルイドの神官サマも、業を煮やしてこちらに来てらっしゃるんだからな。早く決着を付けないと――』
『“付けないと”?』
『――ひッ!』
――――“俺らが殺されちまう”。
その言葉をツリーハウス内のオーク鬼が発する直前、新たなオーク鬼がツリーハウスへと入ってくる。
割と小柄な(と言ってもニンゲンの大柄な成人男性くらいはある)、草木染めのローブに身を包んだ、仔豚のような顔をしたオーク鬼だ。
部屋の空気が瞬時に凍る。
『こ、これは神官サマ!?』
『ふむ、“決着を付けないと――――”、何だね? 続け給え』
『い、いえ、何でもございません。それより、どうしてここに?』
神官サマと呼ばれた雄のオーク鬼は、魔性の森の王と意思疎通を可能としたオーク・ドルイドのうちの一体である。膠着した戦線を打破するために派遣された者だ。その幼い顔は、強大な魔力による若返りとも、ドルイドに目覚めるための恐ろしい試練によって成長が止まったのだとも言われている。
……またオーク・ドルイドは、督戦官でもある。森のオーク鬼たちが、オーク・ドルイドたちによって森の王の名の下に統率されてから、まだまだ日が浅い。勝手をしないように督戦するものが必要なのだ。
『死の森』のオーク鬼の全群は、今はまだ、森の王の完全に忠実な下僕ではない。オーク・ドルイドとは違い、信仰に、侵攻に、森興に、魂までも捧げたわけではない。彼らオーク鬼の群れを縛るのは、オーク・ドルイドとマンドレイク・フォレストキングへの恐怖だ。今はまだ、普通のオーク鬼たちにあるのは、森王への信仰ではなく、恐怖のみだ。
だが、森の王が与えるのは、恐怖だけではない。
森とは底知れぬ闇であり、また限りない恵みでもある。
庇護下にあるオーク鬼たちには、相応の加護が与えられるのだ。
彼らはこれからそれを知るだろう。
『ここに来た理由、か。約束していた新装備の準備が出来たから知らせに来たのだよ』
ニヤリと笑って、オーク・ドルイドは告げる。
それに指揮官階級のオーク鬼たちがざわめく。
『おお、それは素晴らしい。流石ですな、神官サマ』
『ふん、いくら私でも、これまでと補給や装備の状況を何も変えずにして戦線を押し上げろ、とは言わないさ。
森王様は慈悲深いのだ。さあ外に出てその加護を受け取ると良い』
胸を張るオーク・ドルイドが、外へと促す。
他のオーク鬼たちは、期待と不安を胸にして外へと出て、ツリーハウスから飛び降りる。重い着地音。枯れ葉が舞い上がる。
おそらくこの神官サマが用意したのは、遠く離れた他の戦線で噂になっている新兵器だろう、と、オーク鬼たちが期待に胸を膨らませる。オーク鬼の新兵でさえも一騎当千の英雄に変貌させるという新兵器。確かその名前は――
『これが……“森の鎧”』
目の前に立ち並んだ樹々の幹から、オーク鬼たちのサイズに合わせた鎧が生え出ていた。
その無数の主なき鎧は、黒々とした樹液の色に染まっていた。そして溢れだすその魔力に背筋が震える。
数も揃っているようだ。どうやらこの最前線に居る全てのオーク鬼の数だけ、きちんと鎧は用意されているらしい。
オーク・ドルイドが、漆黒の“森の鎧”を前に、胸を張って手を大きく広げ、仕える王の成果を誇る。
『そう! これこそが“森の鎧”!! 鋼より硬く、溢れんばかりの魔力を湛え、動作を助け主を守る最高の鎧――――まあ尤も現時点での、と注釈が付くがな。未だ改良中だ』
『――――ッ!』
禍々しいまでの魔力を垂れ流すその漆黒の鎧を前にして、オーク鬼たちは言葉も無い。
しかもこれはまだまだ改良途中の試作品だという。
試作品とはいえ、これならば散々今まで辛酸を嘗めさせられてきたニンゲンどもを叩き潰すことが出来ると、オーク鬼たちに確信を抱かせるには充分だ。
オーク鬼の高祖父たちが語るには、オーク鬼はかつてニンゲンに追われてこの『死の森』に逃げ込んだのだという。つまりニンゲンは、森王にとってのみならず、オーク鬼にとっても因縁の相手なのだ。
『さあ、叩き潰してやろう! 思い知らせてやろう! この地上にニンゲンの住処など無いということをな!
あまねく全ての土地は、森王様の為にあるのだ。――森を広げよ! 隅々まで! 何処までも! 山も谷も越えて、蝕むのだ!
それこそが森王様の望み! 我らは森王様の信徒にして使徒なり! 森なくして我らは在らず! 邪魔なニンゲンどもは――――皆殺しだ!!』
『『 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! 』』
鬨の声が上がる。虐げられて森に逃げ込んだオーク鬼たちが逆襲に出るのだ。“もはやニンゲンの時代ではない”と。
◆◇◆
砦に務めるアーネストは戦士であった。
日々鍛錬に時間を費やし、モンスターを討伐して国を守ってきた歴戦の戦士。国を守る防人。
修羅の日々を思わせる頬の十字傷が、彼の精悍な顔に凄みを加えている。
大佐の号令の下、軍人たちが砦から打って出る。その中には彼――アーネスト――も含まれていた。
籠城していては、周り中を全て森にされてしまうだけだ。そもそも篭城に意味は無い。奴らオーク鬼たちは砦を落とす必要など全くなく、丸ごと森に呑み込んでしまえば良いだけだからだ。それに補給と援軍を絶たれて孤立することが目に見えている篭城策など、緩慢な自殺でしか無い。
そして彼ら軍人は、これ以上森を広げさせる訳にはいかないのだ。だから彼らは砦の優位を捨ててうって出る。オークの群れを退け、森を開墾しなくてはいけない。――森が広がる以上の速度で、だ。籠城している時間など無い。
アーネストは自分の得物である長槍と大盾を握り直す。
「森は滅ぼさなきゃならねえ。奴らをどうにかしたあとは、また切り株を掘り返しては耕す、鍬引きの牛の真似事せにゃならんかと思うと気勢が萎えるが――――まあそれも国のため、家族のためだ」
彼の周りには、同じ得物を握った同僚たち。
そして大佐が号令をかける。前進せよ、と。
号令に従い、彼らは密集方陣で前進する。ファランクスである。
そこに森の木々の間から出てきたオーク鬼たちが、遮二無二突撃を仕掛けてくる。
陣形など無い突撃は、知能がそれほど高くないとされるモンスターであるオーク鬼だからか。『死の森』の加護を受けたオーク鬼といえども、種族的な知性の低さはいかんともしがたいのか。
戦場で両者の叫びがぶつかる。
『『 ぶるぅあああああああああああ!!! 』』
「「 おおおおおおおおおおおおっ!!! 」」
耳障りな絶叫。
魔物語を解さない砦の兵士たちには、オーク鬼の言葉はわからない。
だが言葉など、戦場では必要ない。
オーク鬼たちがニンゲンのファランクスに突撃――いや、衝突する。
いつもならこの程度、ファランクスで充分に受け止められるはずだった。受け止めて、魔法でふっ飛ばすなり埋めるなりすればそれで良いはずだった。何度もそうしてきた。
だが、今回は違った。
「なっ!?」
『ぶるぅおおおおおおおおおおおお!!!』
漆黒の木製鎧を着込んだオーク鬼たちは、止まらない。身体強化の魔法でも、ここまで急に力は上がらないだろうに、一体どういうことなのか。槍も全く通じない。ニンゲンたちは混乱する。
その間にも盾を構えた兵士がまるで木の葉のように、オーク鬼に轢かれて巻き上げられる。人の背丈の三倍近い高さにまで巻き上げられた兵士の行く末は語るまでもない。鎧の落下音、あらぬ方向に関節が曲がる音と痛みによる絶叫が戦場のあちこちで響く。ファランクスが薄紙のように引き裂かれていく。
アーネストの目の前にも、既に風を巻いて漆黒鎧のオーク鬼が迫っていた。
「だが所詮は馬鹿力に過ぎん! 土よ我が意を汲みて蠢け!!」
人間様を嘗めるな!! とばかりにアーネストは咄嗟に魔法を行使する。
それは些細な魔法。一抱えほどの土を動かすだけの些細な魔法だ。
だが、それを走りこむオーク鬼のその足元に展開してやれば? 踏み出した足の着地点を凹ませ、その分軸足の下を持ち上げてやれば?
――結果=転倒。
アーネストの高速の魔法行使が、オーク鬼の足元を掬った。アーネストの神速の魔法行使は、この砦の軍人の中でも上位に入るだろう(発動規模はともかくとして)。日々の訓練の賜物である。おそらくは速度と精度だけなら、この国でもトップレベルの一人だろう。
『ぷぎっ!?』
突撃してきていたオーク鬼が、躓いて盛大に吹っ飛ぶ。
だが。
「なっ、貴様本当にオークか!?」
『ぷぎっ!』
躓いて盛大に回転して地面を嘗め、そして最後には空中に投げ出されたオーク鬼だったが、鎧から風の魔法を噴出してひゅるひゅると華麗に回転し、着地を決める。その動きはまるで猫系のモンスターのごとし。
無事に着地したオーク鬼の顔は、どことなく得意気だ。擬音をつけるなら“ドヤァ”であろうか。
『ぶひぃ……』
ニヤリと笑うオーク鬼。
「あの顔! ムカツク野郎だ! したり顔しやがって……!」
だが、好機。アーネストは気を取り直す。
着地したばかりのオーク鬼は、硬直している。
あるいは、まだあの不可思議な鎧に慣熟していないのかもしれない。それで戸惑っているのか?
アーネストは長槍を捨てて、駆け出す。大盾の裏から直剣を抜き、オーク鬼に斬りかかった。
「ぉぁあッ!!」
『ふごっ!?』
気合一閃!
アーネストの斬撃を受けるため、オーク鬼が、鎧の何処かから、棍棒を取り出す。
――あんなものを持っていたか? まるで鎧から生えたような……。アーネストは疑問に思うが、追求する時間は無い。
アーネストはオーク鬼との膂力の差を、技量と高速発動の魔法で補い、何合も打ち合い続ける。
オーク鬼たちは何故だか知らないが非常に強化されているようだ。それを一人で相手取るなど無謀もいいところだろう。
だが、アーネストが一人でオーク鬼を押さえれば、その分だけ周りのオーク鬼に掛かれる人数が増えるはずだ。そうすれば全体としての勝機が増すに違いない。
アーネストは周りの味方にその考えを伝えんと叫ぶ。
「ここは引き受けた! てめえらは周りの奴らを手伝え!」
「おう! 死ぬなよ、アーネスト!!」
「この俺が死ぬものかよ!」
戦場は混戦模様になり、敵味方が入り乱れている。
あちこちで人が舞い上げられている。
まるで嘘のような光景だ。だが現実だ。クソッタレ。
アーネストは土を操り、相対するオーク鬼の身体を翻弄する。
大地を操る彼によってオーク鬼は転がされ、その漆黒の鎧も泥に塗れていく。
オーク鬼の顔が屈辱に歪む。
『ぷぎゅるぐぁぁあああああああああ!!』
「そうだ、そのまま向かってきやがれ! 他所の奴らに浮気すんじゃねぇぞ?」
眼の前のこいつはアーネストが引き受けないといけない。戦友のために。国土のために。
「来やがれ! 豚野郎!!」
『ふンがぁぁあぉおおおお!!』
オーク鬼の棍棒の一撃がアーネストの盾を叩き、彼の身体を吹き飛ばす。
アーネストは魔法で着地点を軟泥化してダメージを殺し、即座にまた魔法で土を操る。そして着地点の土をまるでトランポリンのように変化させて、反動で舞い戻る。
オーク鬼が文字通り飛んできたアーネストの攻撃を受け止める。アーネストはそのオークの足元の土を操作。オーク鬼に踏ん張りを効かせないようにする。
転倒、殴打、防御、魔法、剣戟――。
何十合もアーネストとオーク鬼は打ち合う。
瞬間、一人と一匹の目が合う。
お互いの目は笑っていた。
闘争の愉悦と、強敵との邂逅に、笑っていた。
「やるな、豚野郎」
『ぷぎぎ』
彼らは種族は違えど戦士なのだ。
睨み合う一人と一匹。
一瞬だけ戦場に静寂が訪れたかのような錯覚。
『ぐるぁ!!』
「ちっ!?」
突如、静から動へ。
オーク鬼の渾身の攻撃が、アーネストの直剣を弾き飛ばす。
アーネストの体勢も崩れた。
絶体絶命。アーネストの命運は尽きた。オーク鬼が笑う。強敵よさらば。
「なーんてな」
『ッ!?』
その瞬間、オーク鬼の身体が彼の意志によらずに硬直する。
動けない。見えない何かに押さえられているかのような感覚。
オーク鬼の眼に混乱が見て取れる。
「テメエの身体を見な」
『?』
「ゴロゴロ転げて泥まみれだろうが」
『!!』
「操らせてもらったぜ、その泥を」
アーネストの土操作の魔法が、転倒しまくって泥に塗れたオーク鬼の、その泥を対象に発現したのだ。
鎧の隅々に入り込んだ泥が、オーク鬼の動きを阻害している。
オーク鬼の強化はやはり漆黒の木製鎧によるものらしい。泥を噛んで、鎧の動作が止まってしまっている。それどころか、オーク鬼の動きを完全に阻害している。
「トドメだ! 往生しろよ!」
最初に捨て置いた長槍が、アーネストの操る土塊に乗って勢い良く運ばれてくる。オーク鬼は動けない。
間髪おかずに、速度の乗った長槍がオーク鬼の眼玉に向かって突き刺さった。
だがオーク鬼は、悲鳴ひとつ上げなかった。ただ、残った方の目でアーネストを見つめた。
「…………」
『…………』
そこには奇妙な絆があった。
命を掛けた者同士が感じる、不思議な絆が。
至近距離の戦場でのみ生まれる、種族を超えた連帯感が。
◆◇◆
これはそんな、古めかしくも華々しく、そして名誉と泥臭さに満ちた時代の話である。
――――だが、そんな感傷など、森の王には全く関係がないのだ。
◆◇◆
戦場の乱入者。
小柄なオーク鬼が、アーネストとオーク鬼の間に軽やかに飛び入ってきた。
そいつは他のオーク鬼とは異なり、“森の鎧”ではなく、ローブを身に纏っている。
『ちっ、何をニンゲンに負けてんだよ、使えねえなあ! 死ぬなら――――森の礎になって死ね!!(ぶる、ぶひひ、ぶるぁ!!)』
『ぐ、ぎ。神官サマ……?(ぶ、ぶひ……?)』
片目を貫かれた息も絶え絶えのオーク鬼が、闖入者のローブのオークを見る。
その瞳は恐怖の色に染まっている。今までアーネストと激戦を繰り広げた猛者とは思えない有様だった。まるで竜を前にしたニンゲンのような様子だ。
「新手か!?」
アーネストがローブのオークの方に向き直る。オーク鬼たちは何やら魔物語で会話しているらしいが、アーネストには内容はわからない。
ローブのオーク――オーク・ドルイド――は、アーネストの方など見向きもしない。
ただ鎧姿の震えるオークへと腕を向け、死刑宣告のように呪言を唱えた。
『汝れ一塊の肉塊なり。ただ一塊の土塊なり。肉は土に、土は森に! 汝が身命の全ては、森の王の礎に!!』
『ぎ、いいいいいいいいいいいいい!??!? し、神官サ、マァ――!?』
その瞬間。
鎧のオークの断末魔とともに、その漆黒の鎧が脈動した。
「な、なんだこりゃあ……」
アーネストが呆然と見上げる。
そう、鎧を着込んだオーク鬼など、そこにはもう居なかった。
脈動する鎧に呑み込まれたオーク鬼が居た場所には――
「ジャイアント・ウッドゴーレム……? いやジャイアント・マンドレイクナイトとでも言うのか? 攻城級の兵器だぞこんなもの……」
瀕死だったオーク鬼の生命力と魔力、肉体の全てを苗床に成長した“森の鎧”だったものが、絶望的な存在感を持って屹立していた。
鎧から蔦と根が生え、瞬きの間にそれらが絡み合って巨大化し、そこに樹の巨人が出現したのだった。その中に居たオーク鬼がどうなったかなど、簡単に想像がつく。
オーク・ドルイドの詠唱の通りに、生きている鎧にして森王の端末であった“森の鎧”が内部に居たオーク鬼の全てを吸収して急速成長したのだった。
いつの間にかその巨大な樹の化物の肩には、先ほど呪言を唱えたオーク・ドルイドが乗っていた。
ジャイアント・マンドレイクナイトの顔部分はドルイドの背丈ほどもあり、そこからは長い一本のツノが生えていた。恐らくそのツノは、オーク鬼の兵士に突き刺さっていたアーネストの長槍を軸にしているのだろう。
ドルイドは『ツノ付きか、悪くない』と満足気に呟くと、進撃の号令を下す。
『我は始まりのドルイドたる“オード”様の弟子――――ダーマなり!! 行け、蹴散らせぃ!! 森王様の行く手を阻むニンゲンどもを轢き潰すのだ!!』
呆然とするアーネストの目の前で大樹の巨人が足を振り上げ、ニンゲンが密集している場所へと突撃していく。
見ればいつの間にか他の場所でも、瀕死のダメージを受けたオーク鬼たちが、彼ら自身を糧に成長する鎧に呑まれて、その背丈の八倍もあるような大樹の巨人へと置き換わっていっていた。
オーク鬼が漆黒の鎧を着込んでいたのではなく――――漆黒の鎧がオーク鬼を取り込んでいたのだ。
いざオークたちが死にかけた時に、オーク鬼を取り殺して彼らの魂の力がニンゲンたちに流れないようにし、そして彼らを養分にするために。
死にかけのオークから魂の力を回収して成長し、戦場を蹂躙するために。
そのための切り札、“森の鎧”。
「くそっ! チクショウ! やらせねえぞ!! ここをあんな死の森になんてさせるもんかよ!!」
アーネストが吼えて、勝ち目のない特大の暴力へと向かって飛び出す。
彼の戦いはまだまだこれからだ!
◆◇◆
砦は陥落し、翌日には青葉繁る森となった。
森蝕は止まらない。
■ダーマ
『空気を読まないオーク・ドルイド――――、ダーマッ! 参上ゥッ!』
■アブドゥル・Y・アルハズラット
某人造神話の狂ったアラブ人から名前を拝借。もちろん偽名。邪神は別に関係ない。アリシア・Y・アーミテッジさんとは異なり、ミドルネームのYが意味するのは“ヨグ”ではない。この由来は後々。
レオナルド・ダ・ヴィンチとニュートンとガウスとフェルマーとアインシュタインとホーキングとノイマンなどなど各分野の偉人を足して割らない感じの超絶天才。多分業績を論文にする時間が足りない人。
こいつをメインにした話――『ラストマンとオーク鬼』――も構想中。
■剣と魔法 →→ 鉄火と魔導具
いつから剣と魔法の世界だと錯覚していた? いやまあ今回の話はまだ剣と魔法の世界ですが。
人間だって手をこまぬいているわけじゃないのです。技術は進歩する、明確な敵がいれば特に。だけど進歩するのは人間だけでは無い……。
銃とかロボットとか巨大建造物カッコイイですよね。
2012.04.21 初投稿