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7年越しのすれ違い

作者: 高丘楓
掲載日:2026/05/07

 「ローズベル・エクリプス。貴女との婚約を解消させていただきます」


 その言葉を耳にしたのはこの部屋にいる四人。

 この私、エクリプス侯爵家の長女であるローズベル・エクリプス。その父で現侯爵家当主のソルフレア・エクリプス。

 その言葉を発した私の婚約者であり、王国の第一王子で王太子でもある、アシュワース・テラ殿下。そして、陛下の代理人として同席している、王弟であるグランヴィル・テラ殿下。


 私は父と共にアシュワース殿下に王城に来るよう言われ、案内された応接室でその言葉を聞かされた。


 一瞬とはいえ、瞼を静かに深く閉じて、開いて、そして紡がれた言葉を。


 寝耳に水だった。


 私の何がいけなかったのか。幼少期より結ばれていた王太子殿下との婚約は、愛というほど甘くはなく、ただ、縁と呼ぶには深いものとして互いに育て続けていっていたはずだった。

 殿下と共に歩むために、そして、貴族たちの模範たる者の務めとして、国民を想う者の務めとして、己に厳しく生きてきたつもりであった。


 どこに出ても隣にいる殿下が恥ずかしい思いをしないようにと、自分を高めることも忘れず、美しさも兼ね備えた令嬢として、社交界では王国の金薔薇とも呼ばれていた。


 お互いに茶会を開き、誕生日や祝い事には贈り物や食事会を欠かさず、ずっと上手くできていたと思っていた。


 「なぜでしょうか、殿下。殿下はローズベルのことを大切にして下さっていたように私は感じておりました。ローズベルも、殿下に恥じぬ淑女になろうと、殿下を想い続けながら今まで努力してまいりました。……娘の、どこがお気に召さなかったのでしょうか?」


 父が私の気持ちを代弁して王太子殿下に伝え、それを聞いた彼は小さくため息をつく。


 「彼女は確かに立派な淑女ですよ、エクリプス侯爵。王国の金薔薇と呼ばれるその美しさも、マナーも、立ち振る舞いも、知識も、王太子の婚約者として申し分が無いくらいです」


 「ならば何故ですか?」


 冷静に言葉を返す王太子殿下に、父は感情を抑えながら確認する。


 「彼女は潔癖すぎます。学園では身分差による区別は行わないことになっているが、それを建前と言い切り、下級貴族や平民特待生にも厳しく接し、相手の背景まで考えることをせず、ただそれが学園として、社会の在り方として正しいと信じて行動していました。また、王太子の婚約者として焦りすぎていた。国の運営に口を出し、役人を詰め、本当に王家のためになるのかと。私宛に何件も相談が来ていたよ。『いつから王太子殿下の婚約者殿は国政に口を出せる立場になったか』と」


 自覚はある言葉が王太子殿下から紡がれていく。


 学園での一度や二度の失敗は仕方がないが、三度以降になるとそれは指導しなければならない。厳しいと言われても、正さぬことの方が将来本人が困る原因となってしまう。だから私は正した。貴族の模範として。そして、平民の特待生には、卒業後も国の中枢や貴族社会や上流社会で生きていけるようにと願いを込めて。


 王城で王太子妃教育を受けている合間に、妃殿下より『国政を担う者たちの言葉を聞き、未来の王太子妃として意見を話し合え』という課題を言い渡された。

 専門家たる官僚や役人たちは確かに優秀で、しかし、あまりにも国を、王家を中心として考えすぎており、もっと国民に寄り添ったものも作れないのかと議論を交わした。国民無くして国は成り立たず、王家も国があるからこそ王家であることができるということが抜けていたから。


 私は皆を困らせるために考えて行動していたのではなく、本当に国を、アシュワース様を想って……。


 「ローズベル・エクリプス。アシュワース・テラ王太子殿下のお言葉、確かに受け取りました。…………未熟ゆえに殿下の理想に至らず、大変申し訳なく存じます」


 足掻くことは醜い。去るのならせめて美しく、凛々しく。

 胸の苦しさも、心の叫び声も、溢れだしそうな涙も、全てをその謝罪の言葉に飲み込ませて。


 「すまない、ローズベル。……いや、エクリプス侯爵令嬢」


 貴方が私を手放したのですから、そのような悲しい瞳を見せないでほしい。

 貴方は確かに私の初恋であり、生涯を共に歩むパートナーだと信じていました。

 貴方が私に初めて『かわいい』と言われた日、その日髪の毛を結っていた赤いリボンは宝物になりました。

 貴方が私のために選んでくださった贈り物は、とても大事に使っています。


 それら全て、貴方との絆だと信じていたから。

 それらがあれば、私はどんな厳しい王太子妃教育があろうとも、乗り切れると感じていたから。


 「ローズベル。お前は席を外しなさい。あとは私が全て引き受けるから、ね?」


 父の優しさに甘え席を立ち、静かにカーテシーを行い、部屋を後にする。


 私は泣かない。

 泣いてしまえば過去になり、彼を過去のものにして、消してしまうから。


 まだ、婚約者であった今までを過去にはしたくなかった。ただの強がりだったとしても、そう割り切れるほどの大人でもない私は、だからこそその強がりが許されると思っている。


 私と殿下の婚約の解消に向けた父たちの話し合いは、私が部屋を去った後も続き、王城を後にする頃には、高かった場所にあった太陽が、赤く王都の建物の輪郭を染めていた。



 あれから数か月。

 私も殿下も学園を卒業した。

 驚いたのは、婚約解消からしばらくして殿下は自ら王位継承権を放棄し、第二王子が新王太子となったこと。それに伴い、第二王子の婚約者が王太子妃となることが決まり、速報として国中に伝えられた。


 何かがあると感じながらも、社交界でも後ろ指をさされ、努力も美しさも知識も泡沫の夢のように必要なくなってしまった私には、もう彼のために何かができるわけでもなかった。

 社交界からも遠ざかり、私は侯爵家の領地の中でも小さな町で、小さな学校の教師をしている。


 飾ることもなく、偽ることもなく、優しい両親と兄が許してくれたことも大きいが、疲れてしまった私は、でも、誰かの未来になることを願った。


 美しいドレスも、社交辞令の言葉も、なにもかも、もう必要に感じなかった。


 朝起きて、食事をして、支度をして、学校で子どもたちに囲まれながら勉強を教え、ともに笑って遊び、夜に家に帰れば食事をし、片づけて、まとめをして、そして寝る。


 単調な日々の繰り返しは少しずつ、確実に私の心を癒してくれた。単調と言いながらも、子どもたちはいつも表情を変え、成長を見せ、予想もつかないことをしてみせて、そして私も巻き込まれて笑っている。泣いている。話している。


 殿下との婚約解消で泣けなかった私の涙は今、子どもたちの成長と共に流れている。




 初めて受け持った子たちが学校を去るほどに時が流れた真冬のある日、王都からの来客が、私が一人で暮らしている小さな家にあった。


 簡素な木製のドアを開けたその先にいたのは、あの日私と別離してから一度も二人だけで会うことはなかったアシュワース殿下だった。


 「なにか、御用でしょうか?」

「君と改めて、話をしたいと思った」


 あの日の婚約解消。

 王位継承権の放棄。


 何かあったのかとは思ってはいたが、あれからもう七年は経ち、それらの出来事は私の中で過去のことになっていた。

 でも、私の中で、彼はまだ過去になっていなかった。


 だって、彼が、私の前で、あの日のように悲しげな顔を見せたとき、あのとき伸ばせなかった手をとっさに伸ばし、彼の手を掴んで家の中に招き入れたから。


 簡素な椅子に腰をおろし、二人小さなテーブルを挟んで向き合う。

 静かな部屋に、暖炉の薪が燃え、はじける音が響く。


 「一つ、確認をしてもよろしいでしょうか?」

「あぁ。かまわない」

「今の貴方は、殿下でしょうか?それとも、アシュワースでしょうか?」


 私の問いに一瞬目を見開いて私を見て、そして、静かに微笑んだ。


 「ただのアシュワースになれた、と。―――私はそう信じたい」


 その言葉が全てだった。


 「私も今はただのローズベルです。あ、でも、学校の先生のローズベルですよ。おかしいですよね。あの頃の私だと考えられなかったローズベルです」


 「私は、君に謝らなければならない。言葉が足りないまま、君と離れなければならなかったこと、本当に申し訳ないと、今でもずっと思っている」


 椅子から立ち上がり、深く頭を下げるアシュワースに、私は意地悪く言う。


 「私は許しません。でも、貴方にも事情があることは察していました。だってアシュワース様、ずっと癖が直っていないんですもの。迷いがあるときとか嘘をつかないといけないときとか、アシュワース様って、言う前に一度目をキュッとするんですよ?キュッと。あの日もそうでした」


 少し笑いながら、でも、少し寂しくて。


 「私に相談できないほど、私は貴方の信用がありませんでしたか?」

「いや。君を巻き込みたくなかった。君は強く見えたが、強く見せていただけだということは知っている。知っているかい?君は無理をしているとき、無意識に胸を少し逸らせるんだ」


 お互い、お互いの癖を見抜いていたことに、また笑いがこみ上げってくる。


 「無理をさせてくれてよかったのですよ、アシュワース様。だって私―――」

「君は君が思っているよりか繊細な女の子だよ。そんな君を危険に巻き込むことはできなかった」


 『愛して』

「いましたから」

「いたから」


 私が一呼吸おいているうちに彼が語り、そして、一呼吸の後に重なる言葉に、ほつれる語尾。


 なんだかおかしくなって、二人目を合わせてから笑った。


 「知っていたよ、ローズベル」

「私も、知っていましたよ、アシュワース様。貴方がとても私を大切にして下さっていたことを。―――だからこそ、貴方を簡単に過去にしたくなかったのですから」


 自然と伸ばし合った手が触れて、テーブルの上で指が絡み合う。




 あの頃、宰相を筆頭にした軍事クーデターの危険性があったらしい。


 国政の中枢にいる官僚や役人たちにも宰相派が増え始め、王国は徐々に蝕まれていった。

 王妃殿下は私の国民を想う気持ちを信じ、官僚や役人たちとの意見交換という課題を与えた。反応は薄かったとしても、少しずつでも宰相派の力を削ぐことには成功した。


そして、私が注意や指導をしていた貴族の子らや平民の特待生たちは、私に感謝をしていたらしい。そうなると、家庭などでも私の話が出て、王太子の婚約者である私が宰相派にとっての危険因子になりかねなくなってきた。


 宰相がクーデターを諦めてくれればいいのだが、宰相派が利権や貴族の権威拡大などを旗印にしている手前、そう簡単にいく話でもなかった。


 私を巻き込みたくなかったアシュワース様は、婚約解消をして宰相派に対して無害だというアピールをした。そして、彼自身はその始末として王位継承権を放棄。宰相にとって第二王子の方が操りやすいという情報もあって、第二王子を王太子とし、泳がせることに。その間アシュワース様は騎士団顧問の王弟殿下の部下となり、第二王子を陰から補佐し、宰相派の動きを調査、けん制する立場となっていた。


 自身で何でもこなせて民からの信頼も厚いアシュワース様と比べ、第二王子は王太子としての能力は多少落ちるものの、人を惹きつけ、人を適材適所に振り分ける人事に特化しており、優しい性格をしている。厳しい決断が難しいタイプではあるが、そこは自分が泥を被ればいいという風にアシュワース様は考え、裏方に回った。


 当然、第二王子も自分の役割を理解し、アシュワース様と協力関係となっている。


 そうして王家と宰相派の見えない攻防が終わったのが去年。

 後処理にも目途が立った時、第二王子が彼に言ったらしい。


 「あとは僕たちが全て背負うから。兄様とローズベル様に恥じぬ国にできるよう、頑張るから。だから、兄様は兄様の幸せのために生きて欲しい。…………仲直り、できていないんでしょう?兄様」


 その言葉があったから、だからようやく向き合うことができたと。




 「こんなにも遅くなってしまって、申し訳ない」

「いいえ。私は貴方のことを信じていましたから」


 だから、誰とも結ばれることを選ばず、この国の小さな未来の欠片を育て続けていた。


 「改めてローズベル嬢、これから先、私との未来を選んではくれないだろうか?」


 告白の言葉と共に、アシュワース様の瞳と同じ色をした紅玉がはめ込まれた指輪が入ったケースを差し出された。

 すぐに喜べるほど素直ではなくなった私は、彼の前に三本指を立てた左手を見せる。


 「少なくとも三つ条件がありますが、それでもよろしいでしょうか?」

 「あぁ。聴かせてもらえるかい?」


 「まず一つ。私はもう貴族令嬢ではないですし、アシュワース様もただのアシュワース様です。なので、平民と同じように生活しますし、平民の恋人たちのように、その……」

「名前や愛称で呼び続けよう。そして私も、エクリプス侯爵に推薦状をもらって、この町の学校で教師をすることになった。それで大丈夫かい?」


 「では二つ目です。家事は分担ですよ?」

「当たり前だ。こう見えても、叔父上から生活やサバイバルスキルは学んで習得している。共に暮らすのだ。それくらい当たり前だ」


 「そ、そしたら最後ですが―――」

「君からもう二度と離れない。困難なことがあったら、必ず相談する。一緒に協力してくれと乞うこともあるだろう。君に迷惑をかけてしまうことも。…………それでも、いいかい?」


 逃げ道を塞ぐのが上手で、一人で何でもできてしまう彼を、私は少しだけ困らせようとしたけれど、先回りで私の言葉に回答をされて、恥ずかしくなる。


 パチパチと鳴る暖炉の薪の音に、自分の心音が混ざり、雪が降って静かな町をうるさくさせる。


 「ダメなわけ、ないじゃないですか。―――アシュワース様、もう私を、置いていかないでくださいね?」


 左手に伝わる金属のひんやりとした感触と、彼の指先の温かさに涙がこぼれてくる。


 彼のために流れた涙が、あの日の彼を過去に流していく。

 今までの苦い感情を流し、出来事を記憶として残していく大切な涙。


 ようやく流すことができたその涙の先に彼がいて、彼は少し困ったような顔で私の涙を見て、手を伸ばし、私の涙を拭う。


 ここから先は二人の未来。

 きっとここからは、今度こそ二人で歩んでいけるだろう。


 私は今、ようやくアシュワース様を真っすぐと見ることができた。

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