第9話 物理的な「詰み」
パーティを離脱してから、どれだけの時間が経っただろうか。
数ヶ月か、数年か。
いや、リセットした時間を合わせれば、俺はもう数百年はこの世界を彷徨っているかもしれない。
目の前には、禍々しい黒鉄の扉が聳え立っている。
魔王城、最奥の間「玉座」。
「……着いた」
俺の手は、もう震えていなかった。
今の俺はレベル99。
あらゆる魔物の行動パターンを暗記し、すべての即死トラップを目隠しでも回避できる。
俺は、この世界で最も死に慣れた、最強のソロプレイヤーだ。
「一人で十分だ。足手まといなんていなかった」
俺は自分に言い聞かせるように呟き、重たい扉を押し開けた。
◇
広大な玉座の間。
その中央に、漆黒の玉座に座る男がいた。
魔王ゼロス。
人間と変わらない見た目だが、その瞳は深淵のように暗く、俺と同じ「虚無」を宿していた。
「……来たか、迷い人よ」
「ああ。終わらせに来た」
挨拶は不要。
俺は瞬時に床を蹴った。
神速の踏み込み。ガルドがくれたミスリルの短剣による、喉元への一閃。
反応できるはずがない速度。
カィィィィン!!
硬質な音が響き、俺の腕が痺れた。
魔王の体に触れる寸前、見えない壁──「障壁」に弾かれたのだ。
「無駄だ」
魔王は指一本動かさず、退屈そうに俺を見下ろした。
「我が絶対障壁『トリニティ』は、個の力では破れない」
俺はバックステップで距離を取る。
トリニティ。三位一体。
嫌な予感がした。
「解析開始」
俺はナイフを逆手に持ち直し、再び突っ込んだ。
死んで、覚えて、攻略する。いつもの作業だ。
◇
「リセット回数、2万3400回目」
俺は玉座の間の床に大の字に倒れ込んでいた。
魔王はまだ、玉座から立ち上がってすらいない。
「……はぁ、はぁ、くそ……ッ」
分かった。
いや、分かってしまった。
この障壁の解除条件が。
魔王の周囲に展開される三色のオーラ。
赤(物理)、青(魔法)、白(聖なる祈り)。
これらは、それぞれ特定の属性攻撃でしか干渉できず、しかも**「0.1秒の誤差もなく、同時に破壊」**しなければ、瞬時に再生する。
強靭な一撃で赤を割る。
絶大な魔力で青を割る。
清浄な祈りで白を割る。
これを「同時」に。
……一人で?
「無理だ……」
俺は3万回試した。
右手で剣を振りながら、左手で攻撃魔法の巻物を使い、口に含んだ聖水を吹きかける。
そんな曲芸も試した。
だが、人間の身体構造上、詠唱と斬撃をコンマ1秒のズレもなく着弾させるのは不可能だ。
アイテムも尽きた。
レベルもカンストした。
あらゆる裏技、バグ技、乱数調整を試した。
結論。
【ソロ攻略不可能】。
このラスボスは、そもそも「パーティプレイ」を前提に設計されている。
強靭な戦士が物理を砕き、賢き魔導士が魔法を砕き、聖女が祈りを捧げる。
その三人の心が重なった瞬間にだけ、王への道が開かれる。
そういう「仕様」なのだ。
「……ふざけんなよ」
俺は渇いた笑い声を漏らした。
「なんだよそれ。友情パワーがないと倒せませんってか? そんなクソゲーあってたまるかよ」
俺は完璧にプレイしたはずだ。
誰も死なせないために、効率的なルートを選んできた。
感情を殺して、孤独に耐えて、ここまで来たんだ。
それなのに、世界は俺に告げている。
『お前は一人だから、英雄にはなれない』と。
◇
俺はゆらりと立ち上がった。
魔王の前に立つ。
障壁の向こうで、魔王が哀れむような目をしていた。
「強いな、お前は。……だが、孤独だ」
魔王の声が響く。
「誰も信じず、何も背負わず、ただ己の正しさだけを研ぎ澄ませてきた。……だから、届かないのだ」
視界が歪む。
俺の左右に、幻影が見えた。
右側には、巨大な斧を構えて「カケル、任せろ!」とニカっと笑うガルド。
左側には、杖を構えて「タイミング合わせなさいよ」とクールに微笑むエルフィ。
背後には、「信じてます」と祈りを捧げるリーナ。
もし、あの日。
俺が彼らの手を離さなければ。
俺が「死ぬ恐怖」を共有して、一緒に泥にまみれて進んでいれば。
パン屋をやるという馬鹿みたいな夢を、本気で信じていれば。
今この瞬間、俺たちはここで並んでいたはずだ。
「ガルド、右だ! エルフィ、左! リーナ、合わせろ! ──いっけぇぇぇぇッ!!」
俺は叫び、空っぽの空間に号令を出した。
そして短剣を振るった。
カィィィン……。
虚しい音がして、俺の攻撃だけが弾かれた。
誰もいない。誰も答えない。
魔法も、祈りも飛んでこない。
俺の号令は、誰の耳にも届かない。
「う……あ……」
短剣が手から滑り落ちた。
カラン、と乾いた音がして、ミスリルの刃が床に転がる。
膝から崩れ落ちる。
詰んだ。
物理的に、論理的に、運命的に。
俺一人では、世界を救えない。
「ガルドぉ……エルフィ……リーナ……ッ!」
名前を呼んだ。
喉が張り裂けるほど叫んだ。
「会いたい……お前らに、会いたいよぉ……ッ!」
プライドも、効率も、全部どうでもよかった。
ただ、寂しかった。
誰かと一緒にご飯が食べたかった。誰かに背中を守ってほしかった。
「カケル」と呼んでくれる声が聞きたかった。
俺は玉座の間の冷たい床に顔を押し付け、子供のように泣きじゃくった。
何万回の死よりも、この一度の「孤独の自覚」の方が、遥かに痛かった。
ポケットからこぼれ落ちたミサンガが、床の上で寂しく転がっているのが見えた。
俺はそれを拾うことさえできず、ただ涙で濡れた視界で滲むそれを見つめ続けた。
魔王は攻撃してこない。
ただ静かに、絶望に沈む俺──かつて自分も通った道を歩む敗者を見下ろしているだけだった。
(第10話へ続く)




