第8話 孤独なRTA(リアルタイムアタック)
ザシュッ。
鋭い爪が、俺の首を容赦なく刎ね飛ばした。
視界がぐるりと回り、地面に落ちた自分の体が見える。
痛みを感じる暇もない即死だ。
(……はい、次)
俺は冷めた思考で、暗闇の中で指を鳴らす。
◇
目が覚める。
ダンジョンの中層、「嘆きの回廊」のセーブポイント(簡易キャンプ地)。
時刻は深夜2時。
「死亡回数、421回目」
俺はボソリと呟き、乾パンを口に放り込んだ。ボソボソとして砂を噛んでいるようだ。
かつてガルドが焼いてくれたジューシーな肉の味も、リーナが淹れてくれた温かいスープの味も、もう思い出せない。
パーティを抜けてから、現実時間では三ヶ月が経過していた。
だが、俺の体感時間は違う。
10年。いや、20年か。
数え切れないほどの「死」を繰り返し、俺はこの地獄を這いずり回っている。
「装備確認。ポーション残量ゼロ。ナイフの耐久値、あと30%」
独り言が癖になっていた。声に出さないと、自分が生きているのか死んでいるのか分からなくなるからだ。
俺は立ち上がり、ボス部屋へと向かう。
相手は「三つ首のキメラ」。
本来なら、タンクがタゲを取り、ヒーラーが解毒し、魔法使いが弱点を突く──6人パーティ推奨のボスだ。
それを、俺はレベル45(ソロでの死に覚えで無理やり上げた)の盗賊職一人で狩る。
──戦闘開始。
キメラが咆哮を上げ、左の獅子の首が炎を吐く。
俺は「知っている」。
その炎は、着弾から0.5秒後に爆発範囲が広がる。
俺は最小限の動きで、爆風の安全地帯へ滑り込む。
「右、蛇の尻尾」
死角からの毒針攻撃。
俺は見もせずに首を傾け、ミリ単位で回避する。
風切り音が耳をかすめるが、恐怖はない。
だって、この攻撃で150回死んだから。軌道もタイミングも、網膜に焼き付いている。
「次、山羊の首。雷撃。……3、2、1」
カッ!
雷が落ちる寸前、俺はキメラの懐に飛び込んでいた。
ここだけが、雷の当たり判定が存在しない空白地帯。
ザクッ、ザクッ、ザクッ!
俺は機械のように短剣を振るう。
ガルドがくれたミスリルの短剣だ。
皮肉なことに、この剣の切れ味が良すぎるせいで、俺はここまで生き延びてしまっている。
俺の手の中で、この剣だけが相棒のように馴染んでいくのが、ひどく不快だった。
「ガルド、そこで盾を……」
ふと、口をついて出た。
キメラが大きく体勢を崩した瞬間だ。ここぞという好機。
以前なら、ここでガルドがシールドバッシュをかましてダウンを奪っていた。
──視界の端に、幻影が見えた。
大盾を構えて笑うガルドの姿。
『おう、任せろカケル!』
「あ……」
俺は安堵し、一瞬だけ攻撃の手を緩めた。
だが、そこに頼もしい背中はなかった。
あるのは冷たい空気だけ。
一瞬の隙。
キメラの爪が、俺の横腹を抉り取る。
グシャッ。
「が、はっ……」
激痛。内臓がこぼれる熱さ。
失敗だ。また幻覚を見た。余計な思考ノイズが混じった。
(……リセットだ)
俺は自らの喉にナイフを突き立てる。
躊躇はない。
手持ちのポーションを使って回復するより、死んでHP全快でやり直した方が「効率がいい(コストパフォーマンスが高い)」からだ。
俺の命の価値は、ポーション一本分より安い。
◇
「死亡回数、422回目」
目が覚める。深夜2時。
俺は乾パンを齧る。
最近、奇行が目立つようになった。
食事の時間。
俺は無意識に、アイテムボックスから木皿を4枚取り出し、並べていた。
ガルドは大盛り、エルフィとリーナは普通盛り、俺は少なめ。
そうやって乾パンを配分し終えてから、ハッと気づく。
「……何やってんだ」
誰もいない。
食べるのは俺一人だ。
俺は震える手で、余分な3枚の皿を地面に叩きつけた。
「いないんだよ! 俺が捨てたんだ! 俺が消したんだ!」
割れた皿の破片が散らばる。
静寂が痛い。
誰かと話したい。名前を呼んでほしい。
「昨日の飯は不味かったな」とか、「明日は晴れるかな」とか、どうでもいい会話がしたい。
ふと、ポケットからミサンガを取り出す。
泥と血で薄汚れてしまった、リーナの髪の毛のお守り。
俺はそれを額に押し当てた。
「……ごめん。ごめんな」
謝っても、許しの言葉は返ってこない。
孤独だ。
骨の髄まで凍りつくような孤独。
でも、これは俺が選んだ道だ。俺が関われば、彼らは不幸になる。この孤独こそが、俺が支払える唯一の贖罪だ。
「行くぞ」
俺は立ち上がる。
今度はミスしない。感情を殺せ。思い出を殺せ。
俺は人間じゃない。このダンジョンをクリアするためだけのプログラムだ。
◇
「死亡回数、458回目」
ズドォォォォン……。
地響きと共に、三つ首のキメラが崩れ落ちた。
完全勝利。
俺は返り血で真っ赤に染まったまま、キメラの死骸の上に立った。
歓声はない。ファンファーレもない。
『すごいですカケルさん!』というリーナの声も、『やるじゃねぇか!』というガルドの笑い声も、『完璧ね』というエルフィの賞賛もない。
ただ、洞窟の湿った風が吹くだけ。
「……ドロップ品、確認」
キメラの素材をアイテムボックスに放り込む。
レア素材だが、俺一人では使い道がない。換金して、次の街でまた一人分の乾パンを買うだけだ。
俺は洞窟の奥へと進む。
出口の光が見えてくる。
その先には、魔王城がある「常闇の荒野」が広がっているはずだ。
そこには、新しいセーブポイントがある。
また一つ、過去が上書きされる。
俺が人間だった頃の記憶が、物理的に遠ざかっていく。
「……平気だ」
俺は誰にともなく呟いた。
「俺は一人でここまで来た。誰の助けも借りず、誰も死なせず、完璧に」
「俺は、最強のソロプレイヤーだ」
嘘だった。
本当は、寂しくてたまらない。
エルフィに褒めてほしい。ガルドに肩を叩いてほしい。リーナに傷を癒やしてほしい。
でも、俺の「死んだ魚のような目」からは、もう涙すら流れなかった。
心を守るために、感情のスイッチを切りすぎて、壊れてしまったのかもしれない。
俺は光の中へ踏み出す。
その先に、どうしても一人では越えられない「絶望」──物理的な詰みが待っているとも知らずに。
(第9話へ続く)




