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第7話 孤独な上書き(オーバーライト)



 早朝の街アインベルクは、まだ薄い霧に包まれていた。

 俺はフードを目深に被り、石畳の道を早足で歩く。

 背後にある宿屋「陽だまり亭」の方角は、一度も振り返らなかった。

 今頃、彼らは起き出してくる時間だ。

 ガルドが大あくびをして、リーナが洗面器にお湯を汲み、エルフィがコーヒーを淹れているだろう。

 そして俺の部屋をノックし、もぬけの殻であることに気づく。

(……探すなよ)

 書き置きは残さなかった。

 「先に行く」なんて書けば、あの馬鹿で優しい連中は、地の果てまで追いかけてくる。

 だから、これは「失踪」でいい。

 

 俺は彼らにとって、金を持ち逃げしたクズか、あるいは急に怖気づいて逃げ出した臆病者として記憶されればいい。

 そうすれば、彼らは俺を諦めてくれる。

 俺に関わらなければ、ガルドが焼かれることも、リーナが泣くこともない。

「……これでいいんだ」

 俺は門番に身分証を見せ、街の外へと踏み出した。

 朝の風が、やけに冷たく感じた。

          ◇

 街を出てから半日。

 俺は魔王城へと続く最短ルート、「死嘆きの洞窟」を進んでいた。

 ここはアンデッドが湧く危険地帯だ。

 本来なら、聖女リーナの浄化魔法と、戦士ガルドの壁役が必須のダンジョン。

 そこを、俺はたった一人で歩いている。

「シッ……!」

 暗闇からスケルトンが飛びかかってくる。

 俺は短剣でその斬撃をパリィ(受け流し)し、すれ違いざまに魔石を砕く。

 ガルドがくれたミスリルの短剣は、恐ろしいほどの切れ味で骨を断つ。

 以前の俺なら、ガルドに受け止めてもらっている間に背後に回った。

 だが今は、正面から全ての攻撃を捌かなければならない。

 360度、全方位が死角。

 一瞬の油断が死に直結する。

(右から二体、後ろから一体……)

 脳内マップを展開する。

 敵の配置、攻撃パターン、床の罠。

 リセットを繰り返して覚えた「正解ルート」をなぞるだけの作業。

 ──ガキンッ!

 想定より速い一撃が、俺の肩をかすめた。

 痛みが走る。体勢が崩れる。

 追撃が来る。

「ガルド、スイッチ……ッ!」

 俺は反射的に叫んでいた。

 ピンチになれば、必ずそこに「盾」があったから。

 俺が名を呼べば、必ず「おうよ!」と頼もしい背中が守ってくれたから。

 しかし。

 そこに在ったのは、冷たい洞窟の闇だけだった。

「……あ」

 がら空きの脇腹に、スケルトンの剣が突き刺さる。

 ズブリ。

 熱い。痛い。

 俺は無様に泥に転がり、必死でポーションを叩き割って傷口にかけた。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 そうだ。いないんだ。

 ガルドはいない。エルフィの援護射撃もない。リーナのヒールも飛んでこない。

 全部、俺が捨ててきたんだ。

 俺は震える足で立ち上がった。

 痛みで涙が出そうになるのを、奥歯を噛んで堪える。

 泣くな。

 これは俺が望んだ「効率的」な旅だ。

 いちいち仲間の安否を気にする必要もない。誰かが死ぬ恐怖に怯えることもない。

 俺が死ねば俺がやり直すだけ。

 ほら見ろ、シンプルで最高じゃないか。

 俺はポケットの中のミサンガを、服の上からぎゅっと握りしめた。

 リーナの髪が入ったお守り。

 『カケルさんが、無事に帰ってこられるように』

 その祈りが、今の俺には呪いのように重かった。帰る場所なんて、もうないのに。

「……行くぞ」

 俺は自分に言い聞かせ、闇の奥へと進んだ。

 背中の軽さが、鉛のように重かった。

          ◇

 日が暮れる頃、俺は隣町「ノースウッド」に到着した。

 泥と返り血でボロボロの俺を、宿屋の主人は怪訝な顔で見たが、金貨を出すとすぐに部屋を用意してくれた。

 狭いシングルルーム。

 ベッドに倒れ込むと、軋んだ音がした。

 身体中が痛い。精神的にも限界だった。

 今頃、彼らはどうしているだろうか。

 俺を探して駆け回っているだろうか。それとも、裏切られたと知って怒っているだろうか。

 あのパン屋の話をした時の、リーナの笑顔を思い出す。

(戻りたい……)

 弱音が漏れる。

 今すぐ短剣で喉を突けば、まだ間に合う。

 今朝の「アインベルクの宿屋」に戻れる。

 「ちょっと散歩に行ってたんだ」と笑って誤魔化せば、またあの温かい輪の中に戻れる。

 心臓が早鐘を打つ。

 誘惑が、悪魔のように囁く。

 戻れよ。謝れば許してくれるよ。あいつらは優しいから。お人好しだから。

「……ダメだ」

 俺はシーツを強く握りしめた。

 戻れば、また同じことの繰り返しだ。

 いつか俺の指示ミスで、ガルドが死ぬ。エルフィが潰れる。リーナが壊れる。

 その未来バッドエンドだけは、俺が何万回リセットしても変えられなかった「確定事項」なのだ。

 彼らを生かす道は、俺が消えることだけ。

 だから、進まなきゃいけない。

 過去を断ち切らなきゃいけない。

「寝よう……」

 俺は逃げるように目を閉じた。

 意識が闇に溶けていく。

 そして──。

          ◇

 チチチ……。

 小鳥のさえずりで目が覚めた。

 知らない天井だ。ああ、ノースウッドの宿屋か。

 身体を起こすと、視界の端に半透明のウィンドウが浮かび上がった。

 女神が与えた能力のシステムログだ。

【システム通知】

 ・休息を確認しました。

 ・セーブポイントを更新します。

  [旧:アインベルクの宿屋] → [新:ノースウッドの宿屋]

 ・以前のセーブデータは**上書き(削除)**されました。

 その文字を見た瞬間。

 俺の中の何かが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。

「あ……」

 分かっていたことだ。

 分かっていて、ここに来たはずだ。

 なのに、心臓が握り潰されたように苦しい。

 消えた。

 あの朝が。

 ガルドと馬鹿話をして、エルフィに怒られて、リーナが微笑んでいた、あの場所に戻る権利が。

 もう、俺がどれだけ死んでも、どれだけ願っても、昨日の朝には戻れない。

 俺は、本当に一人になったんだ。

「う、ぅあ……」

 俺は口元を手で覆った。

 指の隙間から、嗚咽が漏れる。

 関係性はリセットされたんじゃない。

 俺が、俺の手で、デリートキーを押したんだ。

 彼らの笑顔も、温もりも、全部ゴミ箱に捨てて、空っぽにしたんだ。

「……これでいい。これで、あいつらは安全だ」

 俺は誰もいない部屋で、呪文のように繰り返した。

 涙で滲む視界の先、ステータス画面には、仲間パーティの欄が「なし」と表示されている。

 こうして俺の、長く孤独な「ソロ・タイムアタック」が始まった。

 それは、魔王を倒すための旅ではない。

 自分が捨てたものの重さから逃げるための、無限の地獄だった。

(第8話へ続く)



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