第6話 決裂の夜
渓谷に、嵐竜の断末魔が響き渡った。
作戦は成功。
だが、その代償は小さくなかった。
「ガルド! しっかりして!」
リーナの悲痛な声が響く。
ガルドは全身が炭化しかけ、意識を失って倒れていた。ブレスを正面から受け止めた代償だ。
本来なら、彼がかつて持っていた「親父の形見の籠手」があれば防げたはずの熱量だった。だが、今の彼の腕にあるのは、俺に武器を買うために巻かれたただの革紐だ。
「……ポーションを飲ませれば治る。死んではいない」
俺は感情を殺して、倒れた竜の素材を回収しながら告げた。
視線を合わせられない。あの大火傷を見るのが怖いからだ。
「そういう問題じゃないわ!」
エルフィが杖を突きつけ、俺を睨みつける。
その瞳には、かつて向けてくれていた「信頼」の色は微塵もなかった。あるのは、冷え切った軽蔑と怒りだけだ。
◇
その夜。渓谷の岩陰で野営を張った。
ガルドはリーナの懸命な治療で意識を取り戻したが、動ける状態ではない。
焚き火を囲む空気は、今までで最悪だった。
「カケル」
重い沈黙を破ったのは、ガルドだった。
彼は包帯だらけの身体を起こし、掠れた声で俺の名を呼んだ。
「今日の作戦……あれはなんだ。俺が飛び込もうとした時、お前、止めたよな?」
「……ああ。飛び込めばお前が死ぬ確率が高かったからな」
「逆だろ! あのタイミングで飛び込まなかったから、ブレスの予備動作を許したんだ! お前らしくねぇ判断ミスだ!」
ドゴッ!
俺は殴り飛ばされた。
瀕死のはずのガルドが、渾身の力で拳を振り抜いていた。
「っ……」
口の中が切れ、鉄の味が広がる。
「お前には、俺たちが死ぬかもしれないっていう『覚悟』が見えねぇんだよ!」
ガルドが俺の胸倉を掴み上げる。至近距離で睨み合う。
その目には、怒りよりも深い悲しみが宿っていた。
「命は一つしかねぇんだよ!!」
その言葉が、俺の胸に突き刺さる。
「死んだら終わりなんだ! だからこそ、ここぞって時に命を張らなきゃいけねぇんだ! それをお前は……まるでゲームの駒みたいに『安全地帯』に隠そうとしやがる!」
「……分かってる」
「分かってねぇ! 分かってたら、あんな中途半端な指示で、仲間を危険に晒すわけがねぇ!」
ガルドの手が震えている。
「俺たちはな、お前のお人形じゃねぇんだ。……そんなに俺たちが信じられねぇなら、一人でやれよ!」
突き飛ばされ、俺は地面に倒れ込んだ。
エルフィが冷徹に告げる。
「……カケル。あなたの指揮能力は認めるわ。でも、その倫理観にはついていけない。信頼できない指揮官に、命は預けられない」
「カケルさん……。私、カケルさんのことが怖いです。時々、私たちのことなんて見ていないような……遠い目をするから」
リーナが顔を覆って泣き出した。
拒絶。失望。決裂。
パーティ崩壊の決定的な瞬間だった。
(……はは。またか)
俺は地面の砂を握りしめ、自嘲した。
実は、この口論はもう30回目だ。
この野営地(セーブポイントの更新前)で、俺は何度もリセットして会話をやり直してきた。
『ごめん、必死だったんだ』と言い訳をしても、見抜かれた。
『信じてくれ』と懇願しても、拒絶された。
逆ギレして『俺に従え』と命令したら、その場でパーティを解散された。
どうあがいても、埋まらない。
「命は一つしかない」と信じて今を生きる彼らと、「死んでもやり直せばいい」と知って未来を恐れる俺。
前提条件(世界の見え方)が違うのだ。分かり合えるはずがなかった。
(……俺がそばにいる限り、こいつらは傷つく)
俺の効率的な指示に彼らの心はついてこない。
かといって、彼らの感情を優先すれば、いつか必ず誰かが死ぬ。
今回、ガルドが死なずに済んだのは運が良かっただけだ。次は? その次は?
『大好きだから、大切にする』
そんな当たり前のことが、俺にはできない。
俺の愛し方は「管理」でしかなく、それは彼らにとって「支配」でしかなかった。
──プツン。
俺の中で、何かが切れる音がした。
それは、これまで必死に繋ぎ止めてきた「仲間でいたい」という未練の糸だった。
もう、いいや。
説得するのは疲れた。
彼らを守る方法は、たった一つしかない。
「……分かったよ」
俺はゆっくりと立ち上がり、砂を払った。
今まで見せたことのない、感情の一切ない「死んだ目」で彼らを見渡す。
嫌われよう。二度と俺に関わろうと思わないくらい、徹底的に。
「カケル?」
「お前らの言う通りだ。俺のやり方は間違ってるし、お前らの命を軽く見てたよ」
俺は淡々と、心にもない嘘を並べた。
「正直、俺も限界だったんだ。いちいち『怖い』だの『痛い』だの……効率の悪い連中に合わせるのはさ」
「なっ……!?」
「ガルド。お前みたいに暑苦しい奴、実は最初から苦手だったんだ。その怪我だって、お前がノロマだからだろ?」
「てめぇ……!」
「エルフィ。君の理屈っぽい説教もウンザリだ。計算、計算ってうるさいんだよ。俺の予知に黙って従えばいいんだ」
そして、俺は泣いているリーナを見た。
昨夜、あんなに楽しそうに語り合った未来を、俺の手で踏みにじる。
「リーナ。君もだ」
「え……?」
「パン屋? はは、笑わせるなよ。なんで俺が、お前らみたいな足手まといと一生を添い遂げなきゃならないんだ? あんなの、ただの冗談に決まってるだろ」
リーナの顔から、さぁっと血の気が引いていくのが見えた。
その表情を見て、俺の心臓も引き裂かれそうになる。
でも、これでいい。
中途半端な優しさは毒だ。完全に憎まれれば、彼らは俺を忘れて幸せになれる。
「パーティは解散だ。……俺は降りるよ」
「待ちなさい! こんな場所で一人になって、どうやって帰るつもり!?」
エルフィが叫ぶが、俺はもう腰の短剣を抜いていた。
帰る?
違うよ。進むんだ。
お前たちのいない、孤独で効率的なルートを。
「さよなら。『暁の牙』のみんな」
「カケル、早まるな!」
ガルドが手を伸ばしてくる。
その手が届くより早く、俺は──ガルドが俺を守るためにくれたミスリルの短剣を、自分の喉に突き立てた。
ズブリ。
激痛。熱い血の味。
薄れゆく視界の中で、三人が絶望的な顔で叫んでいるのが見えた。
ごめんな。
俺には、これしかリセットの方法が分からないんだ。
このトラウマごとお前たちの記憶から消えるために、時間を戻すよ。
◇
──ハッ!
俺は弾かれたように目を覚ました。
見慣れた天井。朝日が差し込む窓。
ここは、竜の渓谷へ出発する前の拠点、宿屋のベッドの上だ。
直近のセーブポイント。
時刻は早朝。
まだ、ドラゴン戦も、あの口論も起きていない時間。
隣の部屋からは、ガルドのいびきと、エルフィたちが起き出す気配がする。
彼らはまだ、昨日の激戦も、俺の裏切りも、目の前での自殺も知らない。
「おはよう」と言って部屋を出れば、またいつものように笑ってくれるだろう。
でも、俺はもう、そちら側へは行かない。
行けば、また彼らを傷つける。
「……行くか」
俺は誰にも気づかれないように荷物をまとめた。
机の上に、書き置きを残すこともしなかった。
言葉を残せば、彼らは追いかけてくる。
「何も言わずに金を持ち逃げして消えたクズ」として記憶されるのが、一番いい。
俺は窓から静かに外へ出た。
朝の空気は冷たい。
ふと、ポケットの中の感触に気づく。
リーナがくれたミサンガ。
そして腰には、ガルドがくれた短剣。
置いていくべきだ。
これを持っている資格なんて、俺にはない。
「……でも」
捨てられなかった。
これだけは。この「重み」だけは、俺が背負う罰として持っていこう。
酒場の前を通ると、楽しかった記憶がフラッシュバックして足が止まりそうになる。
パン屋の話で笑い合った、あの夜の残像。
(振り返るな)
俺は奥歯を噛み締め、フードを深く被った。
関係性はリセットされた。
今日から俺は、勇者パーティのリーダーじゃない。
ただの孤独なソロプレイヤーだ。
「……これでいい。これが正解だ」
俺は自分に言い聞かせ、誰もいない街道を、魔王城の方角へと歩き出した。
もう二度と、彼らの名前を呼ぶことはないだろう。
(第7話へ続く)




