第19話 欠けた腕と、満ち足りた朝
白い光の中で、意識が浮上する。
最初に感じたのは、匂いだった。
消毒液のようなツンとする匂いと、日向のような温かい匂い。
次に、痛み。
全身が軋むように痛い。特に左腕の感覚が、奇妙に軽いのに、焼けつくように熱い。
「……っ、う」
俺は重たい瞼を開けた。
見知らぬ天井。いや、王都の病院か。
窓から差し込む朝日が眩しい。
「あ、目が覚めましたか!?」
横から弾んだ声がして、覗き込んできたのはリーナだった。
彼女の目は真っ赤に腫れていた。どれだけ泣いたのか、ウサギみたいだ。
「……リーナ。ここ、は……」
「王都の治療院です。魔王城から帰還して、もう丸三日も眠っていたんですよ」
三日。そんなにか。
俺は身体を起こそうとして、バランスを崩した。
左側に手をつこうとしたのに、支えがなかったからだ。
「っと……」
「あ、無理しないでください!」
リーナが慌てて支えてくれる。
俺は視線を左に向けた。
そこには、肩から先が包帯でぐるぐる巻きにされた断面しかなかった。
「……そうか」
俺は短く呟いた。
魔王の最後の剣撃。俺はあえて避けずに、左腕を盾にして突っ込んだ。その代償だ。
ショックは、不思議となかった。
むしろ、清々しいとすら思った。
これが、俺が「リセット」せずに戦い抜いた証だ。
何万回の無傷の勝利よりも、この失った左腕の方が、今の俺には誇らしい勲章に思えた。
「ごめんなさい……私の回復魔法が間に合わなくて……」
「謝るなよ。これは俺が選んだんだ」
俺はリーナの頭を右手で撫でた。
「命があるだけで大儲けだろ? それに、片腕くらいくれてやるさ。あいつの孤独に見合う対価としちゃ、安いもんだ」
◇
ガラッ!
乱暴にドアが開き、ドカドカと足音が響いた。
「おいリーナ! カケルの野郎は目ぇ覚ましたか!?」
「静かになさいよ、ガルド。ここは病院よ」
巨大な果物カゴを持ったガルドと、花瓶を持ったエルフィが入ってきた。
二人とも包帯だらけだが、足取りはしっかりしている。
「おう! 起きたかカケル!」
「よう、ガルド。エルフィも。……随分と派手なミイラ男だな」
「お互い様な! ガハハ!」
ガルドが俺のベッドの端に腰掛け、豪快に笑う。
エルフィはサイドテーブルに花瓶を置きながら、眼鏡の位置を直した。
「……心配させたわね、馬鹿リーダー」
「悪かったよ。でも、勝ったんだな」
「ええ。魔王城は崩壊。世界中に溢れていた瘴気も消えたわ。……私たちが、世界を救ったのよ」
エルフィの言葉に、実感が湧いてくる。
終わったんだ。
あの無限に続く孤独なリセット地獄も、魔王の呪いも。
「そんでよぉ、カケル。王様がお前を呼んでるぜ」
ガルドがリンゴを素手で握りつぶし(剥くつもりだったらしい)、ボロボロになった果肉を差し出してくる。
「『世界を救った英雄に、望むだけの褒美を与える』だってよ。どうする? 城でも貰うか? それとも一生遊んで暮らせる金か?」
「褒美、か……」
俺は潰れたリンゴを受け取りながら、ふと虚空を見た。
◇
『──契約完了ですね』
脳裏に、あの女神の声が響いた気がした。
時間は止まり、病室の景色が白く霞む。
幻聴かもしれない。あるいは、瀕死の淵で見た夢の続きか。
『魔王討伐を確認しました。おめでとうございます、相葉カケル』
『約束通り、あなたを元の世界へ帰還させましょう。就活の失敗をなかったことにし、エリートとしての人生を用意してあります』
目の前に、光の扉が現れる。
あそこをくぐれば、俺は五体満足で、嫌な記憶を全て消して、現代日本に戻れる。
スマホがあって、ゲームがあって、リセットボタンはないけれど安全な社会。
俺は──。
◇
「……いらないよ」
俺は現実の病室で、呟いた。
「あ?」
「地位も、名誉も、金もいらない。……帰る場所も、もうここにある」
俺は仲間たちの顔を見渡した。
心配そうに見つめるリーナ。
不思議そうな顔のガルド。
何かを察して微笑むエルフィ。
俺の居場所は、エリート街道のオフィスじゃない。
この騒がしくて、泥臭くて、温かい連中の隣だ。
「俺の望みは一つだけだ」
俺は右手で、不器用にピースサインを作った。
「このパーティで、もう一度旅がしたい。……魔王のいない世界を、今度はゆっくり、観光しながらさ」
俺の言葉に、三人が顔を見合わせる。
そして、爆発するような笑顔が弾けた。
「ガハハ! 違ぇねぇ! まだ食ってねぇ美味いもんが山ほどあるからな!」
「しょうがないわね。あなたのその不便な腕、私が魔法でサポートしてあげるわ。……契約延長よ」
「はい! 私、ずっとお供します! カケルさんの左腕の代わりになりますから!」
みんなが俺に飛びついてくる。
痛い。傷口が開く。
でも、最高に幸せだ。
(第20話へ続く)




