第17話 悪魔の囁き、リセットの誘惑
絶望的な静寂が、玉座の間を支配していた。
倒れたガルドの荒い呼吸音だけが、耳障りに響く。
俺は震える手で、ガルドの傷口を押さえていた。
熱い。血が止まらない。
ポーションはない。リーナの魔力も尽きかけている。
死ぬ。
ガルドが死ぬ。
俺のせいで。
「……カケルよ」
魔王ゼロスが、ゆっくりと階段を降りてきた。
彼は剣を抜くこともなく、憐れむような目で俺を見下ろした。
「痛ましいな。……貴様が『仲間』になど固執するから、こうなるのだ」
魔王が指を鳴らす。
すると、俺の目の前に、半透明のウィンドウが浮かび上がった。
見覚えのある、女神のシステム画面だ。
【システム通知】
・管理者権限により、スキル『死に戻り』の一時復元を提案します。
「……は?」
俺は息を呑んだ。
魔王が、歪んだ笑みを浮かべる。
「我はこの世界の管理者でもある。貴様に奪われた権限を、一時的に戻してやることは可能だ」
「な、何を……」
「取引だ、相葉カケル」
魔王がガルドを見下ろす。
「このままでは、その男は死ぬ。聖女も、魔導士も、全員ここで死ぬ。……だが、今ここで貴様が『リセット』を使えば、朝に戻れる」
悪魔の囁きだった。
「戻って、やり直せばいい。今日の攻略を中止し、ガルドを休ませ、別のルートを探せばいい。……貴様が得意とする『効率的な回避』ができるぞ」
心臓が早鐘を打つ。
リセット。やり直し。
そうだ、戻ればガルドは助かる。
この焼けた背中も、リーナの涙も、エルフィの絶望も、全部「なかったこと」にできる。
俺が一度だけ、あの孤独な時間を我慢すればいいだけだ。
そうすれば、完璧なハッピーエンドが作れる。
「さあ、選べ。……このまま無様に全滅するか。それとも、孤独を受け入れて『正解』を選ぶか」
魔王の手が差し伸べられる。
俺の手が、ふらりと動いた。
ガルドを助けたい。死なせたくない。
そのためなら、俺はまた一人になっても──。
「……ける」
足元から、声がした。
ガルドだ。
血の泡を吹きながら、彼の手が俺の足首を掴んでいた。
「行くな……カケル……」
「ガルド、でも、お前が……!」
「戻るな……! 俺たちの『今』を……消すんじゃねぇ……ッ!」
ガルドの指が食い込む。
痛いほどに。
「俺は……お前を守って傷ついたんだ。……これは俺の勲章だ。……それを『なかったこと』になんてされたら……俺は、お前を許さねぇぞ……!」
ハッとした。
リーナも、顔を上げて俺を見ていた。
涙でぐしゃぐしゃの顔で、首を横に振っている。
「嫌です……! カケルさんが一人で泣く世界なんて、私は嫌です! 死んだほうがマシです!」
「カケル!」
エルフィが杖を突き立て、よろめきながら立ち上がろうとしていた。
「私たちの覚悟を舐めないで! ……リセット? ふざけるな! 私たちは、あなたと一緒に、泥だらけになって進むって決めたのよ!」
三人の声が、俺の脳内に響く。
そうだ。
俺は何を迷っていたんだ。
リセットすれば、ガルドの傷は消える。
でも、ガルドが俺を守ろうとした「想い」も消える。
リーナが流した涙も、エルフィの決意も、全部データとして削除される。
それは「救済」じゃない。
俺たちの大切な足跡を消す、冒涜だ。
俺は魔王の手を睨みつけた。
そして、システムウィンドウを拳で殴りつけた。
パリンッ!
ウィンドウが砕け散り、光の粒子となって消えていく。
「……断る」
「何?」
「俺は戻らない。……この最悪で、痛くて、どうしようもない『現在』が、俺たちの選んだ道だ!」
俺はガルドの手を強く握り返し、立ち上がった。
レベル1の足は震えている。
武器は折れた短剣だけ。勝算なんてない。
でも、俺の中には、無限のエネルギーが湧いてきていた。
「愚かな……。ならば死ね。後悔と共に朽ち果てろ」
魔王の顔から余裕が消えた。
本気の殺意。
再び展開される『トリニティ』の障壁。そして、極大魔法の詠唱が始まる。
防げない。避けられない。
計算上、勝率は0%だ。
魔王の演算能力は完璧だ。俺たちの動きなど、すべて読まれている。
──なら。
読ませなければいい。
計算できない動きをすればいい。
「みんな、聞け!」
俺は叫んだ。
「作戦はナシだ!」
「はぁ!?」
エルフィが素っ頓狂な声を上げる。
「合わせるな! 考えるな! タイミングなんて計るな! ……めちゃくちゃに暴れろぉぉぉッ!!」
そう。
魔王は「最適解」を読む。
俺が指揮官として「最も効率的な指示」を出すと予測している。
だから、その裏をかく。
指揮官放棄。
レベル1の俺と、瀕死の仲間たちが生み出す、予測不能の混沌。
それだけが、あの完璧な計算機を狂わせる唯一のバグだ。
「行くぞぉぉぉッ!!」
俺は短剣を構え、無謀にも魔王へと突っ込んだ。
ガルドが血を吐きながら斧を引きずり、エルフィが詠唱破棄で魔力を暴走させ、リーナが杖を振り上げて走り出す。
バラバラのタイミング。
バラバラの方向。
ただ「勝ちたい」という一心だけで繋がった、不完全な突撃。
最後の賭けが始まった。
(第18話へ続く)




