第10話 禁忌の代償
玉座の間には、俺の嗚咽だけが響いていた。
魔王ゼロスは、玉座から一歩も動かず、ただ静かに俺を見下ろしている。
トドメを刺そうともしない。まるで、鏡に映った自分自身を見るような目で。
「……泣き止んだか」
魔王が重く口を開いた。
「我もかつて、そこで泣いたことがある」
「……え?」
俺は濡れた顔を上げた。
魔王が、虚空を掴むように手を伸ばす。
「仲間がいた。愛する女がいた。だが、救えなかった。……何度挑んでも、運命は変わらなかった」
魔王の声には、長い時を経た者特有の乾いた響きがあった。
「ゆえに我は心を捨てた。傷つくくらいなら、何も感じぬほうがいい。失うくらいなら、最初から一人でいい。……お前と同じようにな」
背筋が凍った。
こいつは、俺だ。
俺がこのまま心を殺し続け、何百年も一人でリセットを繰り返した「成れの果て」が、この魔王なのだ。
玉座に座る孤独な王。それは、俺が目指した「効率的なクリア」の行き着く先にある墓標だった。
「諦めろ、迷い人よ。孤独を選んだ者に、世界を変える力はない。このままここで朽ちるがいい」
魔王が目を閉じる。
それは慈悲であり、同時に最大の絶望への宣告だった。
◇
……ふざけるな。
俺は唇を噛み切るほど強く食いしばった。
嫌だ。
あんな風になりたくない。
何も感じず、ただ玉座に座って、過去の幻影に囚われ続けるなんて御免だ。
(でも、どうする?)
勝てない。
障壁は破れない。
セーブポイントは上書きされていて、仲間の元へは戻れない。
完全に「詰んで」いる。
ゲームなら、ここで電源を切って終わりだ。クソゲーでしたとレビューを書いて投げるだけだ。
でも、これは俺の人生だ。電源ボタンなんてない。
(……ボタン?)
その時。
脳裏に、女神の言葉が蘇った。
あの日、この世界に召喚された直後に言われた、たった一つの絶対的なルール。
『この能力のことは、決して他言してはなりません』
『破れば重大な規約違反。資格を剥奪し、あなたは"始まりの刻"へと強制送還……すなわち**初期化**されます』
あの時は「呪い」だと思った。
誰にも相談できず、孤独を強いる枷だと。
だが、今の俺にとって、それはどう響く?
資格剥奪。
初期化。
始まりの刻へ還る。
「……は、はは」
俺の喉から、乾いた笑いが漏れた。
なんだよ。あるじゃねぇか。
このクソみたいなセーブデータを、全部消し飛ばすための「リセットボタン」が。
「おい、魔王」
俺はゆらりと立ち上がった。
足は震えている。これからやろうとしていることは、ただの自殺かもしれない。
記憶も、レベルも、この旅で得た全てを失うかもしれない。
それでも。
このまま「孤独な王」になるよりは、ずっとマシだ。
「なんだ。まだ舞うか」
「ああ。ラストダンスだ」
俺は短剣を拾い上げた。
ガルドがくれた、ミスリルの短剣。
俺はずっと、こいつを振るって敵を殺してきた。
だが、最後にこいつが果たすべき役割は、違う。
カラン……。
俺は短剣を、放り投げた。
乾いた音がして、刃が床に転がる。
丸腰で、魔王の目の前まで歩み寄る。
障壁の向こうで、魔王が怪訝な顔をする。
「武器を捨てて、命乞いか?」
「違うね。……教えてやるよ、ゼロス。なぜ俺がお前の動きをすべて読めたのか。なぜここまで一人で来られたのか」
心臓が早鐘を打つ。
世界が、俺の言葉を待っている気がした。
「俺はな……」
息を吸い込む。
ガルド、エルフィ、リーナ。
お前たちの顔が浮かぶ。
ごめん。全部忘れるかもしれない。でも、必ずまた会いに行くから。
俺はニカっと笑い、世界に向けて中指を立てた。
「俺は、『死に戻り(リセット)』の能力者だ!!」
◇
ピシッ。
空間に亀裂が入る音がした。
魔王が目を見開く。
「な……貴様、何を……!?」
直後、玉座の間が真っ赤な警告色に染まった。
けたたましいアラート音が脳内に響き渡る。
【警告! 警告! 重大な規約違反を確認!】
【被検体:相葉カケルによる機密情報の漏洩を検知しました】
【ペナルティを執行します。勇者資格の剥奪、および進行状況の完全初期化を開始します】
天井が割れ、白い光が降り注ぐ。
俺の身体が、指先から光の粒子になって分解されていく。
痛くはない。ただ、ひどく浮遊感がある。
「貴様……自ら存在を消す気か!?」
「消すんじゃない。やり直すんだよ、最初から!」
俺は崩れゆく体で叫んだ。
「このセーブデータは失敗だった! 効率を求めて、大事なもんを全部捨てちまった! だから……こんな未来、俺の方から捨ててやる!」
魔王が呆然と立ち尽くしている。
その顔は、初めて「感情」に揺らいでいた。驚愕、そして微かな羨望。
「あばよ、ゼロス! 次は一人じゃ来ない!」
俺の視界が白に埋め尽くされる。
レベル99のステータスが消える。
数万回の死の記憶が薄れる。
最強のソロプレイヤーの称号が砕け散る。
ざまあみろ。
俺は、俺の人生を取り戻す。
「次は……間違えないから……」
最後に残した言葉とともに、俺の意識は光の彼方へと吸い込まれていった。
◇
【システム通知】
・全データの削除を完了しました。
・これより、「ニューゲーム」を開始します。
(第11話へ続く)




