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第1話 リセット中毒の英雄(ヒーロー)



「──それでは、相葉くん。君がこれまでの人生で『失敗』し、それを『乗り越えた』経験について教えてくれるかな」

 その質問が投げかけられた瞬間、俺の思考回路はプツンと音を立ててフリーズした。

 無機質な会議室。肌を刺すような蛍光灯の白い光。目の前に座る三人の面接官たちの、値踏みするような視線。

 俺、相葉カケル(22)は、顔に張り付いた営業スマイルが引きつるのを自覚しながら、脳内で必死に検索をかける。

 失敗? 乗り越えた経験?

 そんなもの、あるわけがない。

 検索結果はゼロ件だ。

 だって俺は、失敗しそうになったら、その結果が確定する前にすべてを捨ててきたからだ。

 バイトで大きなミスをした翌日は、店長からの電話を着信拒否にしてバックれた。

 サークルの人間関係がこじれそうになったら、グループLINEを抜けて連絡先を変えた。

 ゲームのガチャで欲しいキャラが出なければ、アプリごと削除して再インストール。

 俺の人生は、常に「成功」か「未プレイ」の二択だ。

 履歴書の上では、俺は傷一つない綺麗な人間だった。だが、その中身は空っぽだ。積み上げたものが何もない、ツルツルのハリボテだ。

「……相葉くん?」

「あ、はい。その……」

 喉が張り付く。脇の下を冷や汗が伝う。

 この沈黙が怖い。

 面接官の目が、「こいつは中身がない」と見透かしているように感じる。否定されている気がする。

 嫌だ。

 この空気に耐えられない。

 このまま恥をかき、不採用通知を受け取り、「お前はダメな人間だ」という烙印を押される未来バッドエンドを見るくらいなら、いっそ──。

 ガタッ!

 俺は衝動的に椅子を蹴り飛ばして立ち上がっていた。

 面接官たちが目を丸くし、呆気にとられている。

「す、すいません! 失礼しますッ!」

 意味不明な謝罪を叫び、俺は逃げた。

 カバンをひったくり、ドアを開け、廊下を走り、非常階段へと駆け込む。

 背後から「おい、君!」と呼ぶ声が聞こえた気がしたが、重たい鉄扉の閉まる音がそれを遮断した。

「はぁ、はぁ、はぁ……ッ」

 薄暗い階段を駆け下りながら、俺はポケットから震える手でスマホを取り出す。

 画面には、友人からの通知。『面接どう? 終わったら飲み行こうぜ』。

 親からの通知。『第一志望、頑張ってね。夕飯ハンバーグだよ』。

 うるさい。うるさい、うるさい。

 見たくない。期待されたくない。

「あーあ、やっちゃった……」

 もう、この会社には入れない。大学のキャリアセンターにも報告しなきゃいけない。親になんて言おう。友達になんて言い訳しよう。

 想像するだけで吐き気がする。面倒くさい。

 

 俺の親指が、苛立ちに任せて画面をタップする。

 カレンダーアプリを開く。「最終面接」の予定を削除。

 LINEを開く。友達のアカウントをブロック。親とのトーク履歴を全消去。

 消えろ。全部消えろ。

 この「失敗した現実」ごと、何もかもなくなってしまえばいい。

「……リセットしてぇなぁ、人生」

 俺がそう呟き、スマホをコンクリートの壁に叩きつけようと振りかぶった、その時だった。

『──その願い、聞き届けたり』

 脳内に直接、凛とした女の声が響いた。

 直後、俺の足元が青白く発光する。

 階段のコンクリートが消失し、底のない穴が開いたような浮遊感。

「う、わあぁぁぁぁッ!?」

 落下。

 俺の意識は、唐突なGとともにブラックアウトした。

          ◇

 目が覚めると、そこは白一色の空間だった。

 天井も床もない。ただ、発光する雲の上に立っているような感覚。

 目の前には、ファンタジー映画に出てくるような、半透明のドレスを纏った美女が浮いている。銀色の髪、宝石のような瞳。

「ようこそ、異世界へ。選ばれし勇者よ」

「……は?」

 俺は自分の頬をつねる。痛い。夢じゃない。

 いや、現実逃避のしすぎで脳がバグったのか?

「私はこの世界を司る女神。あなたには、魔王によって滅びつつある世界『アステリア』を救ってほしいのです」

「いや、無理です帰ります」

 俺は即答した。

 就活から逃げてきたのに、なんで異世界でまで魔王討伐なんてブラック労働をしなきゃならないんだ。責任なんて負いたくない。

 女神は困ったように微笑む。

「帰還の条件はただ一つ。魔王の討伐です。見事成し遂げれば、元の世界でのあなたの望み──例えば『内定済みの大企業エリートとしての人生』などを報酬として与えましょう」

 ピクリ、と俺の眉が動く。

 内定済み。エリート。

 つまり、さっきの失敗を「なかったこと」にして、成功ルートに乗せてくれるってことか。

「……条件は悪くないけど。俺、ただの大学生ですよ? 剣も魔法も使えないし、痛いのも嫌なんですけど」

「ご安心を。あなたには、あなたの魂の形──『逃避と完璧主義』に最も適した『ギフト(能力)』を授けます」

 女神が細い指を俺の額に向ける。

 温かい光が流れ込み、脳裏に「操作マニュアル」のような情報が浮かび上がった。

【固有スキル:死に戻り(任意リセット)】

・任意のタイミング、もしくは死亡時に発動。

・記憶と経験を保持したまま、直近の「セーブポイント」まで時間を巻き戻す。

「……これって」

「ええ。何度でもやり直せる力です。失敗しても、死んでも、無傷で過去に戻れる。あなたが望んだ『リセット』の力ですよ」

 俺は口元が緩むのを抑えきれなかった。

 なんだそれ。最強じゃないか。

 テストの答えを見てから再試験を受けるようなもんだ。

 これなら、どんな強敵が相手でも、会話の選択肢を間違えても、ノーリスクで「正解」を引ける。

 俺の人生に付きまとっていた「失敗への恐怖」が、一瞬で消え去った。

「ただし」

 女神の声が低くなる。

 彼女は人差し指を立て、俺の唇に触れるような仕草をした。

「制約が二つあります。一つ目。あなたが戻れる場所──『セーブポイント』は、一つしか保持できません」

「一つ?」

「ええ。あなたが宿屋などで休息し、記録を更新(上書き)すれば、それ以前の過去にはもう戻れません。やり直しはききますが、後戻りはできないのです」

 まあ、当然か。RPGでもセーブデータ1つ縛りとかあるしな。

 要は、詰まないようにこまめにセーブすればいいだけだ。

「二つ目。この能力のことは、決して他言してはなりません」

「誰かに話したら?」

「重大な規約違反タブーとみなし、即座に勇者の資格を剥奪。能力を没収した上で、あなたは『始まりの刻』へと強制送還……すなわち、**初期化フォーマット**されます」

 女神の瞳が、冷徹な光を帯びる。

「誰にも知られず、誰にも理解されず。たった一人で時を繰り返す覚悟はありますか?」

 俺は鼻で笑った。

「ありますよ。だって、俺以外の人間なんて、どうせNPCみたいなもんでしょ?」

 俺はずっとそうやって生きてきた。

 面倒な人間関係はリセット。気に入らない展開はリセット。

 この世界でも、それをやればいいだけだ。

 むしろ、現実世界よりよっぽどイージーモードかもしれない。

「契約成立ですね。──いってらっしゃい、相葉カケル」

 視界が白く染まる。

 俺の「やり直し放題」の冒険が、ここから始まる。

          ◇

 転移した先は、見渡す限りの草原だった。

 風が気持ちいい。空が青い。遠くにはRPGで見たような中世風の街並みが見える。

 手には、初期装備らしい質素な短剣が一振り。

「さてと。まずはチュートリアルといきますか」

 俺は軽い足取りで歩き出した。

 異世界、冒険、勇者。男なら一度は憧れるシチュエーションだ。

 だが、その浮かれ気分は数分で吹き飛ぶことになる。

 ガサガサッ。

 街道沿いの草むらが揺れた。

 飛び出してきたのは、緑色の肌をした小鬼──ゴブリンだ。

 体長は一メートルほどだが、その目は血走っていて、手には錆びたナイフが握られている。

「ギャギャッ!」

「お、いいねぇ。雑魚敵モブ登場」

 俺は短剣を構える。

 剣道経験はないが、運動神経は悪くない。相手は子供サイズだ。

 ゲームなら、適当にボタンを連打していれば勝てる相手だ。

 ゴブリンが飛びかかってくる。

 遅い。

 俺は半歩下がってかわし──ようとした。

 ズルッ。

「え?」

 土に足を取られた。

 体勢が崩れる。

 視界の端で、ゴブリンのニヤついた顔がアップになる。

 錆びたナイフが、俺の脇腹めがけて突き出される。

 ドスッ。

 鈍い音がして、腹部に熱い衝撃が走った。

「あ……」

 遅れてやってくる、焼けるような激痛。

 熱い。痛い。なんだこれ。

 俺は脇腹を押さえる。指の隙間から、どろりとした赤い液体が溢れ出す。生々しい鉄の臭いが鼻を突く。

「が、は……っ!?」

 嘘だろ。

 俺は地面に膝をつく。

 痛い痛い痛い痛い。

 ゴブリンが「ギャハハ!」と笑いながら、ナイフを引き抜き、再び振り上げるのが見えた。

 死ぬ。

 現実だ。ここはゲームじゃない。

 死んだら終わり──。

「──なわけ、ねぇだろ」

 俺は血を吐きながら、震える指をパチンと鳴らした。

 恐怖で支配されそうな脳内で、冷静な部分が「正解」を選び取る。

 戻れ。リセットだ。

 こんな無様な失敗、俺の人生には要らない。

 フッ、と世界の色が反転した。

 ビデオテープを巻き戻すような、不快な浮遊感が内臓をシェイクする。

          ◇

 次の瞬間。

 風の音が聞こえた。

「……ッ!」

 俺は息を呑んで目を開けた。

 目の前には、見渡す限りの草原。空が青い。

 脇腹を見る。

 傷はない。痛みもない。血の一滴すら付いていない。服も綺麗だ。

 成功だ。

 思わず自分の腹を撫で回す。五体満足。痛みは幻だったかのように消えている。

 ガサガサッ。

 草むらが揺れる。

 さっきと同じタイミング。同じ場所。

 飛び出してきたゴブリンが、「ギャギャッ!」と同じ声を上げる。

 俺は、自然と笑みがこぼれるのを止められなかった。

 怖い? いや。

 完全に「知っている」動きだ。

 俺は冷静に短剣を構える。

 こいつは、右斜め前から飛びかかってくる。そして俺が下がろうとすると、このぬかるんだ地面に足を取られる。

 知っている。経験データがあるから。

 ゴブリンが跳ぶ。

 俺は下がらず、むしろ半歩前へ踏み込んだ。

「遅いよ」

 驚愕に目を見開く小鬼の懐へ潜り込み、無防備な首筋に、刃を深々と突き立てた。

 ズチュ、という嫌な感触。

 ゴブリンが声もなく崩れ落ちる。

 俺の手は震えていなかった。

 人を(人じゃないけど)殺したという忌避感よりも、自身の「正解」に対する陶酔感が勝っていた。

「……はは」

 乾いた笑いが漏れる。

 簡単だ。あまりにも簡単だ。

 失敗しても、なかったことにできる。痛みすら帳消しにできる。死ぬ恐怖さえ、情報のひとつに過ぎない。

 これなら、完璧に演じられる。

 傷つかず、恥をかかず、誰よりも効率的に。

 俺は、この世界でなら「理想の主人公」になれる。

「待ってろよ、魔王。サクッとクリアしてやるからさ」

 俺は死体となったゴブリンを一瞥もしないまま、短剣についた血を払い、歩き出した。

 遠くに見える街へ。

 

(第2話へ続く)



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