001 2000年春
Fランク大学4年生、俺は就職活動に苦戦していた。
時はバブルが弾けてから10年、経済は停滞し、
俺みたいなFランクの大学生は全員就活には
最終面接に残ることなく落ちた・・
上場企業などは書類選考で即落選、かろうじて
消費者金融とパチンコ店だけが最終面接に残れた。
当時のパチンコ店は15000店舗を超えており、
不況に強いパチンコ店は活況していた。
大手のマ〇ハン・ダイ〇ムなども大卒者を
ターゲットに採用を広めており、俺は大学時代に
少しだけスロットをやっていたお陰でなんとか
最終面接に残れていた、特にスロットは20代の
若者にはちょっとしたブームになっており、
リプレイ外しというテクニックを駆使して
少しでも獲得枚数を増やす攻略法は俺を含めて
みんな無駄に勉強した。
その攻略法を身に着けようと必死でコンビニで
スロット雑誌を読み漁ったなんて懐かしい記憶だ。
そんなに勉強してもまともに
スロットでは簡単に勝てる訳ではなく、
アルバイト代はすぐに無くなり、
親から毎月の仕送りもわずか2日で失い、
気が付けば消費者金融にお世話になっていた。
そんなお陰で消費者金融にもお世話になった?
ので面接も楽に最終面接まで行けた、
しかし消費者金融の仕事は取り立てなども
あることを知っていた
※ 俺も何度か返済の電話があったからなぁ・・・
まあパチンコ店で勝てる方法が見つかるかも
しれない、そんな安易に気持ちでパチンコ店に
就職を決めた。入社した会社は当時4店舗
しかない地方の小さなパチンコ店だったが、
そこがまだ大卒募集を始めて
まだ2年目ということ、そしてそこの社長が
「今後100店舗になるので是非、
公希くんには入社してほしい」
この一言で両親の反対を押し切りパチンコ店
に入社した。
俺の両親は父は大手電機メーカーの課長クラス・
母は国家公務員をしており
姉は父のコネでとある会社の事務員の
仕事をいていた、
当時の俺は両親の世話になるなんて恥ずかしくて、
情けなく、
「地元にもどるなんてありえない!」
と啖呵を切っていた。
そこからの地獄の20年間を知ることもなく・・・